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【オペラ暦】—4月3日—『三文オペラ』の作曲者ヴァイル死す

【4月3日】『三文オペラ』の作曲者ヴァイル死す

⚫️1879年、メレッリ(バルトロメーオ・1794-)が、ミラノで亡くなっています。といってもあまり馴染みがない名前かもしれません。しかし、彼がいなければ19世紀前半のオペラがこれほど隆盛したかどうか。ミラノ・スカラ座やウィーンのケルントナートーア劇場の劇場支配人を務め、ヴェルディを世に送り出し、またドニゼッティらには台本提供もした多彩な興行主でした。
⚫️1950年、『三文オペラ』の作曲者ヴァイル(クルト・1900-)ニューヨークで亡くなっています。

[コラム]

『三文オペラ』のヒットから、映画音楽へ。
クルト・ヴァイルと言えば、ブレヒトの台本による『三文オペラ』が有名だ。もともとはヘンデルがロンドンで活躍している頃に、当時の流行歌などを取り入れたジョン・ゲイとクリストファー・ペープシュによる歌芝居『乞食オペラ』を翻案したもので、劇中で歌われる「メッキー・メッサーのモリタート」は、「マック・ザ・ナイフ」としてジャズやポップスとしても歌われ、人口に膾炙している。
ドイツのデッサウでユダヤ人の子として生まれたヴァイルは、12歳で作曲を始め、ベルリン音楽大学ではフンパーディンクに作曲を学んだ。地方の歌劇場で指揮者として修業を積み、20世紀音楽史の記念碑的な作品を次々と生み出していった。『三文オペラ』や『マハゴニー市の興亡』、バレエ曲『七つの大罪』などは、いまでもしばしば上演される。しかしながら、ナチスが政権を握るとユダヤ弾圧が強まったため、パリに亡命。その後演出家ラインハルト(マックス・1873-1943)の招きでアメリカに渡り、1943年以降はアメリカ国籍となる。
アメリカでは、ブロードウエイやハリウッドを本拠として、ミュージカルや映画の分野で活躍する。ジャズやモダンダンスの要素を積極的に取り入れた作曲手法は、その後、現代のミュージシャンたちにも大きな影響を与えた。
妻は『三文オペラ』にも出演した女優ロッテ・レーニャだが、一度離婚したが再び復縁して、彼の死後はヴァイル財団を組織して、彼の作品の普及に努めている。


新井 巌(あらい・いわお)
iwao
1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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