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【オペラ暦】—4月15日—洋酒のCMで火がついた『オンブラ・マイ・フ』

【4月15日】洋酒のCMで火がついた『オンブラ・マイ・フ』

⚫️昨日が、ヘンデル(ジョージ・フレデリック・1685-1759)の256年目の命日でしたが、1737年、彼の唯一ともいえるコミカルなオペラ『セルセ(クセルクセス)』が、ロンドンのヘイマーケット国王劇場で初演されています。第1幕で、かつては「ラールゴ」の名で知られ、今は「オンブラ・マイ・フ」として有名なセルセの歌うアリア「優しい緑の木陰」がとくに有名です。

[コラム]

オペラ作曲家“英国人”ヘンデル
1685年は、音楽史にとって偉大かつ特別な年号である。今更言うまでもないが、古典派の巨匠の“二枚看板”であるゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(2月23日、ハレ生まれ)と、ヨハン・セバスチャン・バッハ(3月31日、アイゼナッハ生まれ)の二人が、この年に生まれた。ただ、現代の人気の上では演奏回数でもCDの録音数でも、圧倒的にバッハが上回っている。それでも昨今、数ではまだまだ及ばないものの上演も録音も徐々に増えつつあり、ヘンデル復活を感じさせる状況になってきた。
同い年とはいえ、この二人は正反対の生涯を過ごした。バッハが生涯をドイツ国内で過ごしたのとは反対に、ヘンデルは早くからヨーロッパ各地を巡った。ハンブルクで修業を積むと、約3年の間にフィレンツェ、ローマ、ナポリ、そしてヴェネツィアと巡った。とくにヴェネツィアでは彼の6作目となる『アグリッピーナ』(1709)が大当たりしたことから、大いに自信を深めて一旦ハノーヴァーに帰国して宮廷楽長の地位に就くも、その契約の中に1年間のロンドン滞在が認められていた。早速その特典を利用して、ロンドンに赴いたヘンデルは、ちょうどイタリア・オペラの市場開放に踏み切った同地で、カストラート歌手ニコリーニを伴ってのロンドン第1作『リナルド』(1711)を成功に導き、引き続き『テーゼオ』(1712)、さらにその後のロンドンで活躍した。1727年に正式にイギリスへ帰化したので、それ以降は英国人ヘンデルとなり、呼び方も、ジョージ・フレデリック・ハンデル(またはヘンドル)となったのである。(この欄では、いささか強引ながら、さすがジョージ・フレデリックとまでは書けても、ヘンデルをハンデルとは書けないので、ジョージ・フレデリック・ヘンデルとしている。)前半期はオペラ制作で数多くのヒットを飛ばし、じつにロンドンで作曲したオペラは37曲にも及んだ。彼のオペラ人気に陰りが見えてきた後半期になると、今度は方向を変換してオラトリオ作曲家として『メサイア』(1743)、『ユダス・マカベウス』(1747)などで、その地位を不動のものとした。
昨今、ヘンデルのオペラもかなり復活してきて、さまざまな演奏家がヘンデルのオペラを取り上げている。中でも『ジューリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)』(1724)や、『アルチーナ』(1735)、『タメルラーノ』(1724)、『ロデリンダ』(1725)、『アドメート』(1727)、『セルセ』(1738)、『ヘラクルス』(1745)などがDVDやCDで紹介されている。


新井 巌(あらい・いわお)
iwao
1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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