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【オペラ暦】—8月14日—大指揮者カール・ベーム歿す

【8月14日】大指揮者カール・ベーム歿す

⚫️1814年、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『イタリアのトルコ人』が、ミラノ・スカラ座で初演されています。2幕のコミック・オペラ。
⚫️1901年、旧東ドイツで活躍した名指揮者コンヴィチュニー(フランツ・-1962)が、フルネクで生まれています。ラオプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団を率いてのベートーヴェンの交響曲などの演奏は、古き良き時代のドイツの伝統的な演奏として日本でもてはやされました。ドレスデン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場の音楽監督を兼任するなど、オペラ指揮者としても活躍しました。息子は、演出家として名高いペーター(1945-)。(亡くなった日の7月28日の項参照)
⚫️1913年、イタリアの名テノール歌手タリアヴィーニ(フェルッチェ・-1995)が、フィレンツェで生まれています。ネモリーノやエドガルドを得意としたリリック・テノール。1954年にイタリア歌劇団で初来日。映画の『忘れな草』にも出演していました。(亡くなった日の1月28日の項参照)
⚫️1921年、イタリアの演出家ストレーレル(ジョルジョ・-1997)が、トリエステ近郊(バルコーナ)で生まれています。当初はストレート・プレイの演出でデビューし、ミラノにピッコロ・テアトロを創設。1947年からミラノ・スカラ座でオペラ演出家としてデビュー。モーツァルト、ヴェルディからストラヴィンスキーまで、洗練された感覚でオペラ界に新風を吹き込んだのです。
⚫️1924年、フランスの名指揮者プレートル(ジョルジュ・)が、ワジェで生まれています。フランスのオペラを得意とし、2008年のウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートでの出演で久方ぶりに脚光を集めました。今年で91歳になるはず。
⚫️1952年、シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『ダナエの愛』が、ザルツブルク音楽祭で初演されています。指揮は彼の親友でもあったクラウス(クレーメンス・1893-1954)でした。当初は、1944年に初演されるはずでしたが、戦争が激しくなり音楽祭が中止され、結局、作曲家が亡くなってからの初演となったのです。今年の10月に東京二期会によって上演が予定されています。
⚫️1956年、ドイツの劇作家ブレヒト(ベルトルト・1898-)が、ベルリンで亡くなっています。『三文オペラ』『肝っ玉お母とその子供たち』『ガリレイの生涯』などの戯曲を発表して、戦後の演劇界に大きな影響を与えました。ヴァイル(クルト・1900-50)作曲の『三文オペラ』は、今なお人口に膾炙しています。(誕生日の2月10日の項参照)
⚫️1981年、オーストリアの20世紀を代表する大指揮者ベーム(カール・1894-)が、ザルツブルクで亡くなっています。彼は、ワルターなどの推薦でグラーツ歌劇場の練習指揮者を振り出しに、次第に頭角を現し、またシュトラウス(リヒャルト・1864-1949)とは彼に捧げられた『ダフネ』を初演するなど友誼を深めてきました。戦後はウィーン国立歌劇場の総監督を務め、その後は各地の音楽祭に招かれるなど縦横に活躍。日本にはベルリン・ドイツ・オペラの初来日公演の際に同行し、『フィデリオ』『フィガロの結婚』を指揮して感銘を与えました。


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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