オペラ・エクスプレス

The opera of today from Tokyo, the hottest opera city in the world

オペラで愛まSHOW!■第7回 「接待オペラ?その7」 ■

  サラリーマン、オペラ歌手?小説家?の

香盛(こうもり)修平です。

  会社を一歩出ると、あるときは天井に逆さまにぶら下がりサラリーマン社会を俯瞰し、あるときはヨハン・シュトラウス「こうもり」ファルケよろしく、「オペラ」の楽しさを伝える仕掛人、案内役としてへたな文章を書いております。

  毎回思いつくままに文章を書きなぐっておりますが、お陰様で、香盛修平のコーナーも打ち切りの声もなく、継続させていただいております。感謝の一言です。
先日は嬉しいことに「香盛修平さんを知っています。オペラ好きです」という方に出会いました。少しはオペラ普及活動、オペラ・エクスプレスの発展に貢献できているとすれば、これほど嬉しいことはありません。

  「香盛修平って何者?」という声も聞こえてきますので、そろそろ自己紹介をさせていただければと思います。決して怪しいものではございません。

  オペラとの出会いは「接待オペラ?」で紹介させていただいている通りです。30歳過ぎまでは、まったくオペラに興味もなく、どこにでもいる普通のサラリーマン生活を送っていました。
  オペラに興味がないどころか、音楽とも無縁。小学校時代には近所のピアノ教室に通い出したものの一週間で脱走し親を困らせ、中学高時代に音楽の授業でまったく高い音が出ず、歌に対してコンプレックスをいだきと、音楽を避けて高校時代も美術を選択。おたまじゃくしとは無縁な人生。それが今では……。
  無謀にも声楽コンクールを受けたり、オペラの舞台にソリストとして出演したり、ついには演出まで。とにもかくにも、音楽とは無縁だったサラリーマンはオペラの虜になってしまったのです。これほどまでに私を魅了した「オペラ」ですが、「オペラ」という言葉は知っていても、実際に舞台を観られたという方は限られた人たちです。私が出演している舞台でも、出演者が苦労してチケットを販売してなんとか客席が埋まっているというのが実情です。これでは裾野は広がりません。
  

「オペラ」は面白い!

  なんとか多くの人に興味を持っていただき、劇場で体感していただく方法はないかと思っている時に、「のだめカンタービレ」が大ブームとなりました。
  「漫画」「ドラマ」「映画」というツールにより、クラシック音楽とは無縁だった方がどれほど熱狂し、音楽に、音楽家に感情移入したことか!
  「のだめカンタービレ」で扱われた楽曲では交響曲第7番イ長調作品92が有名ですが、かなりマニアックな楽曲まで幅広く取り上げられています。それでも多くのファンの心をとらえたのは、身近ではなかった存在の音楽家達にも一人ひとりの人間ドラマがあり、恋愛があり、友情があり、芸術を続けていくことへの葛藤があり、才能には限界も可能性もあることに共感したからではないかと思います。

  「のだめカンタービレ」のように魅力的な表現は無理としても、なんとか友人たちに「オペラ」に興味を持ってもらいたいと思い、2009年に、私の体験をベースにフィクション小説「香盛修平のオペラ探検記」を、SNS(ミクシ―)に連載形式で書き始めました。
※現在は連載を終了し、非公開としております。

  香盛(こうもり)修平という名前は、その時からペンネームとして使っています。「こうもり」というのは、ご想像の通りヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」からとった名前です。幸運にも「こうもり」のファルケという役を何度か歌わせていただきました。ファルケ(こうもり博士)は、復讐劇の仕掛け人であり、進行役です。復讐劇と言っても物騒なものではなく、洒落がきいていて、大人の遊び方を知っています。
  「オペラを多くの人に知っていただくための仕掛け人」として文章を書いていければとぼんやり考えてこのペンネームを思いつきました。年齢的には50代が近づいているところでしたので、まだまだ香りがあり、これから先に盛りがくることを期待して、新しいことにチャレンジしていきたいという気持ちも込めました。

  連載を書き始めてしばらくして予想外のメッセージが届きました。のだめカンタービレのドラマや映画で音楽監修をされた茂木大輔さんからものでした。「音楽家でもなく、音楽評論家でもない視線の文章が面白い。是非書き上げて世に発表すべき」という内容でした。本当にご本人からかと目を疑いましたが、その言葉に元気をいただいて文章を書き続けています。今年1月に小説「マスター先生」(文芸社)を出版した時には、帯に推薦文を書いていただきました。感謝!感謝!です。

  現在、私の作品としては、オペレッタなどのその後ストーリーをパロディ調に書いた三作品が当世流行オペラ通信アルカナより電子書籍として発売されております。続編が名作となった「フィガロの結婚」のような例もありますので、どなたか私のパロディストーリをベースに新しいオペレッタを作曲していただけないかな……。

  また、東日本大震災復興作品として書いた小説「マスター先生」が本年一月に文芸社より出版されております。印税は東日本大震災復興支援のためにチャリティコンサートを開催している「関西音楽人のちから(集)」の活動を通じで寄付させていただいております。

  「香盛修平のオペラ探検記」は残念ながらまだ出版には至っていませんが、いつか修正加筆して出版できればと思っています。香盛修平を応援いただければ幸いです。


  いつもながら話がそれてしまいました。それでは「接待オペラ」の続きをお楽しみください。オペラで愛まSHOW!⑥

オペラで愛まSHOW!


■第7回 「接待オペラ?その7」■

  「カルメン」の二幕は刺激的だった。カルメンとの絡みのシーンは演技と頭では理解していても、いざ目の前にカルメンの瞳が近づくと現実との狭間で心が揺れた。ほんの2分ほどのシーンだったが、スローモーションのような感覚だった。カルメンの髪の質感、肌の細かさ、心臓の鼓動……。乱れる心と闘いながら、指示された動作を丁寧になぞっていく。

  幸いにも、30歳すぎまで真面目なサラリーマンとして人生を歩んできた私は、心の中の動揺を表に出さない技だけは持ち合わせていた。合唱メンバーからは「堂々とこの恥ずかしいシーンを演じることができるのはなかなかのものだ」と褒められた。

  今から思い返せば、相当ぎこちない演技をしていたに違いないが、その時はとんでもない勘違い状態に陥っていた。もしかすると舞台人の才能があるのかも。

  小学校三年の頃だったろうか。「猫と鈴」の芝居をやった。全員に何らかの役が振り当てられた。私は担任の先生から猫の役を指名された。セリフは今でも記憶している。「どれ、このあたりで一休み」そう言ってから舞台中央で寝ているだけ。後はネズミ達が演技している気配を感じながら目を閉じているだけ。ところが私の両親は主役に抜擢されたと大喜びをした。両親にオペラに出ることになったことを報告したら、両親はあの猫の演技は良かったと何度も繰り返した。

  大学時代、時々映画やドラマのエキストラをやっていた。銭形平次シリーズで御用提灯を持って悪者を追い詰めた。ある時、向田邦子さんの時代劇スペシャルで、小野寺明さんが撮影に間に合わないことがあった。何十人かいた学生バイトからなぜか私が選ばれて、小野寺明さんの背中(顔が映らない後姿だけの代役)をやってくれと言われた。足軽から若殿様に昇格した。
  小野寺明さんが着るはずの若殿様の衣裳を着て、ショーケンや岸本加世子さんといったスターと何カットか撮影させていただいた。
  「シーン○○。ショーケンさん、岸本さん、近藤さんお願いします」
  快感だった。

  もしかするとオペラとの出会いは必然だったのかも知れない。私は舞台に出る運命だったのだ。だが、私の根拠の無い勘違いは、闘牛士エスカミーリョの登場ともに吹き飛ばされた。

続く

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