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洒脱でほろ苦い。ベルリオーズの《ベアトリスとベネディクト》松本で上演!

洒脱でほろ苦い。ベルリオーズの《ベアトリスとベネディクト》松本で上演!

OMF《ベアトリスとベネディクト》 © Naoko Nagasawa (OPERAexpress)
1992年から親しまれていた松本市の音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は今年「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」と名前を改めて再スタートを切りました。オペラとしてはベルリオーズの《ベアトリスとベネディクト》が上演され、予定されていた小澤征爾氏は残念ながら指揮を降板しましたが、上演が稀なベルリオーズの佳作を楽しむことができました。

《ベアトリスとベネディクト》はベルリオーズが書いた最後のオペラで、シェイクスピアの「から騒ぎ」を原作とした喜劇。シャンパンの泡が弾けるような軽やかな悦びと、その杯の底にある秘かなほろ苦い味を感じさせるオペラです。サイトウ・キネン松本はスタートした時から一貫して、音楽的価値は高いけれど日本での上演が稀なオペラを取り上げており、今回の《ベアトリスとベネディクト》公演もそういう意味で意義深いものだったと思います。

小澤征爾はこのオペラを1984年にタングルウッド音楽祭で指揮しており、今回の指揮が実現していれば、彼が若い頃に出会ったオペラを日本で再び指揮することになったわけです。そういう意味でも小澤の降板は惜しまれますが、このオペラを指揮した経験があるギル・ローズが代役を務めました。そして、もう一人、発表されていたベアトリス役のヴィルジニー・ヴェレーズが24日の初日を歌った後に体調不良で降板し、代役として過去のサイトウ・キネンの《利口な女狐の物語》や《子供と魔法》でも歌ったメゾ・ソプラノ歌手マリー・ルノルマンが出演しました。ローズ、ルノルマンはそれぞれ、出来る限りの力を尽くしてくれたことと思います。

演出は2012年にサイトウ・キネンで《火刑台のジャンヌ・ダルク》を手がけたコム・ドゥ・ベルシーズ。彼は、物語をシチリアではなく、このオペラが初演されたバーデン=バーデンなどのヨーロッパの温泉保養地にある〈冬の庭園(温室のように屋根のある庭)〉に設定したそうです。建物は所々、廃墟のように荒れて舞台奥には海が見えます。ベルリオーズの音楽は軽妙でありながらどこか夢見がちで、それを良く反映した美術だと思いました。第一幕は明るく広々とした空間。第二幕は同じ装置を使いながら色とりどりの照明と水のきらめきでまったく違う夜の雰囲気を出していて美しかったです。舞台上手(かみて)の階段から二階のバルコニー部分に昇り降りが出来るので、ベアトリスとベネディクトをカップルにするために男たちがバルコニーの上でわざとベネディクトに噂話を聴かせる場面も信憑性がありました。第二幕のベアトリスのアリアなどでは舞台を暗くして人物をスポットライトで照らし、バルコニーの上に雲が走る様子などを映写して登場人物の心象風景を表現します。衣裳もラファエル前派のような色彩とデザインで、装置ともよく合って美しかったです。

《ベアトリスとベネディクト》はオペラ・コミークなので地の台詞と歌が交互に入ります。台詞は(当然ながら)カットもありました。ソロの曲としてはエローのアリア、ベネディクトのロンド、そしてベアトリスのアリアがある他、楽長ソマローネの場面も重要ですし、その他にも芝居が楽しい重唱や合唱があります。シチリア風舞曲が二回出てきますが今回ダンスはありませんでした。

キャストは男声陣が充実していました。もっとも魅力的だったのがベネディクトのジャン=フランソワ・ボラス。立派な体躯に伸びのある声のテノールで音楽的にも優れており、ユーモラスで屈託のない印象のベネディクトでした。彼の親友クラウディオを歌ったエドヴィン・クロスリー=マーサー、そしてドン・ペドロ役のポール・ガイも秀逸でした。レオナートは俳優が演じますがクリスチャン・ゴノンは端正な演技、そして幕開きから活躍する伝令と公証人役も俳優で、ヴァンサン・ジョンケが舞台映えのする長身に演技も良かったです。原作にはない楽長ソマローネ(太ったロバの意味)は、ベルリオーズらしさが一杯の皮肉が利いたキャラクターですが、この役をフランスの名歌役者ジャン=フィリップ・ラフォンが演じたのも、さすがの存在感で笑わせてくれました。女声はエローのリディア・トイシャーが容姿も美しいリリックなソプラノ、彼女の侍女役で第一幕の最後にエローと長いノクターンの二重唱を歌うウルスル役のキャレン・カーギルは深いメゾ・ソプラノの美声でこの二重唱は特に良かったです。OMF合唱団も力強い歌声でした。


  

※写真は全て8月24日キャストのもの※

オーケストラで感動したのは木管楽器グループのボリュームのある美音です。その木管パートで4名くらいの団員が開演前のオケ・ピットでオフ・ホワイトの服を着て胸には赤い花を挿してとても目立っていたのですが、結婚式のお祝いの音楽を演奏するために彼らが舞台上に登場してやっと理由が分かりました。そこでソマローネがオーボエ奏者に演奏させる場面があるのですが、軽やかで洒落た響きが良かったです。

シェイクスピアの原作はヒアロー(エロー)とクローディオ(クラウディオ)、ビアトリス(ベアトリス)とベネディック(ベネディクト)という二組のカップルが結ばれるまでのお話で、物語のクライマックスはクローディオを裏切ったと濡れ衣を着せられていたヒアローが潔白だったと解ってハッピー・エンドとなる部分だと思うのですが、ベルリオーズはこの第一のカップルを思い切り脇役にしてしまい、ビアトリスとベネディックの意地っ張りカップルを主人公にしました。台本はベルリオーズ自身が書いていますが、辛口カップルを選んだのは、辛口過ぎる音楽評論でも知られていたベルリオーズらしい選択なのかも知れません。

歴史ある松本市に建つ大変モダンな大劇場は立ち見席も全て売り切れで超満員でした。3階席で聴きましたが視界も音響もとても良かったです。オペラの終幕には、ベネディクトが自分で、書かれても仕方が無いと言った「Ici l’on voit Bénédict l’homme marié(ここに、結婚した男、ベネディクトあり)」の言葉がバルコニーの上に大きくかかげられます。序曲冒頭の音楽が再び奏でられ、最後まで意地を張り合っていた二人が熱い抱擁を交わしながら「愛し合おう、今日は休戦を調印して。そして明日はまた敵に戻るのさ!」と歌い、合唱が「明日、明日!」と応え幕となった時、客席からは大きな拍手がありました。少なくとも今日という日はハッピーエンドで終える事が出来た。それだけでもう充分ではないでしょうか?
(所見:8月29日)

文:井内美香 reported by Mika Inouchi / photograph : Naoko Nagasawa


《ベアトリスとベネディクト》
全2幕 フランス語上演/日本語字幕付
8月24日(月)開演 19:00
8月27日(木)開演 19:00
8月29日(土)開演 16:00

まつもと市民芸術館・主ホール

作曲:エクトル・ベルリオーズ
原作:ウィリアム・シェイクスピア『空騒ぎ』
台本:エクトル・ベルリオーズ
初演:1862年8月9日
バーデン=バーデン ノイエステアター

管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
指揮:ギル・ローズ
演出:コム・ドゥ・ベルシーズ
装置:シゴレーヌ・ドゥ・シャシィ
衣裳:コロンブ・ロリオ=プレヴォ
照明:トマ・コステール
映像:イシュラン・シルギジアン
演出助手:ジェーン・ピオ

副指揮:ピエール・ヴァレー
合唱指揮:松下京介

エグゼクティブ・プロデューサー:森安淳

キャスト:
ベアトリス:マリー・ルノルマン
ベネディクト:ジャン=フランソワ・ボラス
エロー:リディア・トイシャー
クラウディオ:エドウィン・クロスリー=マーサー
ドン・ペドロ:ポール・ガイ
ソマローネ:ジャン=フィリップ・ラフォン
ウルスル:キャレン・カーギル
レオナート:クリスチャン・ゴノン
伝令・公証人:ヴァンサン・ジョンケ
合唱:OMF合唱団

主催:
セイジ・オザワ 松本フェスティバル実行委員会
公益財団法人 サイトウ・キネン財団

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