オペラ・エクスプレス

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【オペラ暦】—10月22日—オペラのメッカ、メトロポリタン歌劇場(MET)開場

【10月22日】オペラのメッカ、メトロポリタン歌劇場(MET)開場

⚫️1725年、イタリアの作曲家スカルラッティ(アレッサンドロ・1660-)が、ナポリで亡くなっています。パレルモの出身で、若くしてローマの貴族社会の保護を受け、その後ナポリとローマを中心に活躍。彼によって、オペラの隆盛はヴェネツィアからナポリに移ったとも言われています。生涯に120曲ものオペラを書いたとされていますが、現存しているのは40曲程度に過ぎません。(誕生日の5月2日の項参照)
⚫️1764年、フランスの作曲ルクレール(ジャン=マリ・1697-)が、パリで亡くなっています。ヴァイオリニストとして活躍し、多くの器楽曲を残していますが、オペラは『シラとグロキュス』1曲のみ。この日の早朝、家の戸口で何者かに殺されていたのが発見されたのです。
⚫️1811年、ハンガリー出身のピアニスト・作曲家のリスト(フェレンツ・-1886)が、ライディングで生まれています。知られている「フランツ」はドイツ語読み。超絶技巧の世紀の大ピアニストとしてパリをはじめヨーロッパを席巻。各地で浮名を流すというモテぶりでしたが、晩年は聖職者に。またリスト音楽院の院長として後進の指導にあたり、彼自身オペラは書かなかったもののワイマールの宮廷楽長として『ローエングリン』初演を指揮するなど、多くのオペラを指揮しています。(亡くなった日の7月31日の項参照)
⚫️1859年、ドイツの作曲家シュポーア(ルイ・1784-)が、カッセルで亡くなっています。ヴァイオリニストとしても活躍し、かつオペラも数多く書いていますが、現在ではほとんど上演される機会はありません。出世作『ファウスト』は、ヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-1826)にも影響し、ライトモティーフに近い主題の用法など、のちの作曲家に少なからぬ影響を与えたと言います。
⚫️1844年、19世紀ベル・エポック期のフランス劇壇を席巻した女優のベルナール(サラ・-1923)が、パリで生まれています。亡くなった時は、国葬の扱いを受けたほどの大女優でした。彼女自身オペラに出たわけではありませんが、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)は彼女が演ずる『ラ・トスカ』を見て感激し、その足で作者のサルドゥ(ヴィクトリアン・1831-1908)にオペラ化することを熱望したと言います。(亡くなった日の3月26日の項参照)
⚫️1883年、アメリカ、ニューヨークのオペラの殿堂であるメトロポリタン歌劇場が、この日開場しています。これ以前にも、この劇場の前身である劇場は存在していましたが、1880年正式にメトロポリタン・オペラハウス・カンパニーが発足し、その3年後、グノー(シャルル・1818-93)『ファウスト』でこけら落とし公演の幕が上がったのです。(ただし、現在のリンカーン・センターにある場所とは違います)現在では、支配人ピーター・ゲルブ(1953-)の発案で、全世界にオペラ中継を行う『ライブ・ビューイング』を実施して、日本でも上映されオペラ・ファン拡大に貢献しています。
⚫️1885年、20世紀前半に活躍したイタリアのテノール歌手マルティネッリ(ジョヴァンニ・-1969)が、ヴェネツィア近郊のモンタニャーナで生まれています。プッチーニに認められ『西部の娘』のヨーロッパ初演に加わっています。主としてMETで活躍し、なんと82歳の時に『トゥーランドット』の皇帝役で出演しました。(亡くなった日の2月2日の項参照)
⚫️1931年、数々の日本語によるオペラを模索し、自ら主宰するオペラシアターこんにゃく座の座付き作曲家を務めた林光(はやし・ひかる/-2012)が、東京で生まれています。著作に『日本オペラの夢』(岩波書店)があります。


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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