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【オペラ暦】—12月2日—世紀の歌姫マリア・カラスの誕生

【12月2日】世紀の歌姫マリア・カラスの誕生

⚫️1840年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797-1848)『ラ・ファヴォリータ』が、パリ・オペラ座で初演されています。未完のオペラをそっくり転用して本格的なグラン・トペラとして完成させた曲。題名は「愛妾」という意味。
⚫️1845年、イタリアで活躍したドイツの作曲家マイヤー(ジーモン・1763-)が、ベルガモで亡くなっています。イタリアでは、シモーネ・マイルと名乗っていました。ナポリやヴェネツィアで活躍し、主としてオペラ・セリアに才能を発揮しました。(誕生日の6月14日の項参照)
⚫️1877年、フランスの大作曲家サン=サーンス(カミーユ・シャルル・1835-1921)『サムソンとデリラ』(フランス語題名なので『サンソンとダリラ』が正しいようです)が、ワイマール大公歌劇場でドイツ語によって初演されています。紀元前12世紀ごろのパレスティナを舞台に、舞姫デリラにヘブライの守り手サムソンが誘惑されて法力を失うという悲劇。フランスのグラン・トペラの傑作と言われています。
⚫️1923年、20世紀最高のソプラノ歌手カラス(マリア・-1977)が、ニューヨークで生まれています。ギリシャ出身で、1938年アテネでサントゥツァ役でデビューし、イタリアでジョコンダを歌って一躍注目。50年にはスカラ座に登場し、以後、その情熱的な歌唱と演技力で欧米のオペラ座を席巻。65年、ロンドンでのトスカを最後にオペラからは引退しましたが、その後も日本に訪れ、熱狂の渦を巻き起こしました。私生活ではギリシャの海運王オナシス(アリストテレス・1906-75)を巡ってのケネディ(ジャクリーン・1929-94)との恋の鞘当てがスキャンダラスなニュースになりました。(亡くなった日の9月16日の項参照)
⚫️1924年、ハンガリー出身のアメリカのオペレッタ作曲家ロンバーク(ジーグムント・1887-1951)『学生王子』が、ニューヨークで初演されています。原作は、王子と酒場の娘との恋を描いた有名なマイヤー=フェルスター(ヴィルヘルム・1862-1934)の小説(後に戯曲に)『アルト・ハイデルベルク』です。
⚫️1931年、フランスの作曲家ダンディ(ヴァンサン・1851-)が、パリで亡くなっています。『パルジファル』を聞いてワーグナーに傾倒。その影響下で『フェルヴァール』を作曲しています。最晩年に至るまで創作の手を休めなかったと言います。(誕生日の3月27日の項参照)
⚫️1899年、イギリスの名指揮者バルビローリ(ジョン・1899-1970)が、ロンドンで生まれています。正しくはバービロリと発音するようですが、日本では昔からこの読み方に。コヴェントガーデンで主としてイタリア・オペラを振って活躍。ナイトの称号も授与されています。(亡くなった日の7月29日の項参照)
⚫️1990年、アメリカの作曲家コープランド(アーロン・1900-)が、ニューヨークで亡くなっています。主として管弦楽曲の作曲家ですが、オペラも2曲書いており、『入札地』はその代表作。(誕生日の11月14日の項参照)


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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