オペラ・エクスプレス

The opera of today from Tokyo, the hottest opera city in the world

年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年3月—新井巌(あらいいわお)

オペラ暦3

【目次】

【3月1日】帝国劇場開場で、日本でもオペラが人気に。

●1861年、オーストリアの歌曲王といわれた作曲家シューベルト(フランツ・1797−1828)『陰謀者(または家庭争議)』が、演奏会形式で初演。亡くなってから、33年後の上演でした。
●1896年、ギリシャ出身のアメリカで活躍した指揮者ミトロプーロス(ディミトリ・-1960)が、アテネで生まれています。METやニューヨーク・フィルなどで活躍。晩年のザルツブルク音楽祭での録音『ドン・ジョヴァンニ』は名盤。
●1911年(明治44年)、帝国劇場が開場しました。この本格的な洋式劇場から、日本のオペラの創生期がスタートしたのです。この年の7月に三浦環(当時は柴田姓)が歌って、それが予想外の成功を収めたということから、同年12月には『カバレリア・ルスチカナ』(当時の表記)が上演され、以後「歌劇部」が新設されたのです。当時は、「今日は帝劇、明日は三越」というキャッチフレーズで人気を博しました。
●1938年、イタリアの作家ダンヌンツィオ(ガブリエーレ・1863-)が、ガルドーネで死去。大正から昭和にかけて、日本でもかなり人気のあった作家で、戦後は三島由紀夫が傾倒していました。『聖セバスチャンの殉教』(ドビュッシー)や『フランチェスカ・ダ・リミニ』(ザンドナーイ)の原作者でもあり、他にオペラ台本も多くの作曲者に提供しています。彼に関しては、田之倉稔著『ダヌンツィオの楽園』がおすすめ。
●1950年、イタリア生まれのアメリカの作曲家メノッティ(ジャン=カルロ・1911−2007)の3幕のオペラ『領事』が、カーティス音楽院内で初演。彼にしてはヴェリズモ風の味付けで、ピューリッツァー賞(音楽部門)を受賞しています。ちなみに55年には彼の『ブリッカー街の殺人』、58年には盟友バーバー(サミュエル・1910-81)の『ヴァネッサ』も同賞を受賞しています。


【3月2日】チェコの国民楽派スメタナ生誕。

●1824年、チェコの国民楽派の創始者であったスメタナ(ベドルジフ・−1884)が、リトミシェル(ボヘミア)で生まれています。とくに『売られた花嫁』は、今なお世界中の歌劇場で人気オペラとして上演されています。
●1896年、イタリアの作曲家マスカーニ(ピエトロ・1863−1945)『ザネット』が、ペーザロのテアトロ・ロッシーニで初演されています。
●1900年、劇作家ブレヒトとともに、『三文オペラ』で一躍名を挙げたドイツの作曲家ヴァイル(クルト・-1950)が、デッサウで生まれています。劇中で歌われる「メッキー・メッサーのモリタート」は、ポピュラー曲の「マック・ザ・ナイフ」としても親しまれています。


【3月3日】ファム・ファタールの典型カルメンは、ひな祭りの日に初演。

●1768年、イタリアのバロック期の作曲家ポルポラ(ニコラ・アントニオ・1786-)が、ナポリで亡くなっています。といっても、ポルポラを知る人はそれほど多くはないでしょう。イタリア出身で、ヘンデル(ジョージ・フレデリック・1685−1759の対抗馬としてロンドンへ赴きますが、成功せず再びイタリアへ。彼は伝説のカストラート歌手ファルネッリ(1705—82)を育て上げたことで有名で、「ポルポラによるファルネッリのためのアリア集」というCDも出ています。
●1875年、なんといってもこの日のハイライトは、フランスの作曲家ビゼー(ジョルジュ・1838-75)の『カルメン』が、オペラ・コミック座で初演されたことでしょう。今でこそ大人気の『カルメン』ですが、初演当時は大不評。そのために、ビゼーが早死にしたともいわれているほど。それにしてもファム・ファタールを主人公にした『カルメン』が、小学校の音楽教材になっているのも面白いですね。
●2008年、カラス(マリア・1923-77)、テバルディ(レナータ・1922-2004)時代の名テノールとして、日本でも人気の高いイタリアのテノール歌手ディ・ステーファノ(ジュゼッペ・1921-)が、ミラノで亡くなっています。彼は、その4年前にケニアで強盗に襲われ頭部を負傷。その後も昏睡状態のままで遂に亡くなるという、名歌手としては悲劇的な結末を迎えたのです。かつて妻のマリアからは、カラスとの関係を暴露した『わが敵マリア・カラス』(井内美香訳)という本まで出されました。


【3月4日】バロック・オペラの雄ヴィヴァルディ生まれる。

●1678年、「四季」によりバロック・ブームに火をつけたイタリアのバロック期の作曲家ヴィヴァルディ(アントニオ・1678−1741)が、ヴェネツィアで生れています。赤毛の司祭として、ピエタ養育院のヴァイオリン教師として孤児たちに音楽を教える一方、オペラの作曲家兼興行師としても八面六臂の大活躍。彼自身は、90曲以上のオペラを書いたと証言していますが、現存している楽譜はその何分の一かにすぎません。
●1913年、フランスの作曲家フォーレ(ガブリエル・1845-1924)『ペネロープ』が、モンテカルロで初演されています。原作は、ホメロスの『オデュッセア』中の有名な貞淑な妻ペネロープが題材です。
●1912年、ドイツの指揮者ライトナー(フェルディナント・-1996)は、ベルリンで生まれています。彼はバイエルン、シュトゥットガルトなどの歌劇場の指揮者・音楽総監督などを歴任。堅実な指揮ぶりには定評がありました。
●1929年、オランダの名指揮者ハイティンク(ベルナルト・)が、アムステルダムで生まれています。わずか32歳で、名門コンセルトへボウ管弦楽団の常任指揮者に抜擢後、コヴェントガーデンでもオペラの指揮者として活躍、グラインドボーン音楽祭の音楽監督にも就いています。今年88歳。
●1960年、アメリカのバリトン歌手ウォーレン(レナード・1911—)が、ニューヨークで亡くなっています。活躍した METでの『運命の力』の第3幕で、ドン・カルロが復讐の喜びを歌うカバレッタを歌い終わった直後に倒れ、急逝したのです。


【3月5日】2人のヴェルディ・オペラの影の立役者。

●1868年、イタリアの作曲家・台本作者ボーイト(アリゴ・1842-1918)『メフィストーフェレ』が、ミラノ・スカラ座で初演されています。ただし、あまりにも長大すぎて初演は大失敗。ボーイトは、自らのオペラ作曲家としての名声よりも、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の後期の作品の台本作者としての功績が大きかった人です。老齢のヴェルディに『オテッロ』『ファルスタッフ』という名作を書かせたのは、まさに彼の台本の勝利でした。
●1876年、中期のヴェルディ作品に欠かせないイタリアの台本作者ピアーヴェ(フランチェスコ・マーリオ・1810−)が、ミラノで亡くなっています。フェニーチェ劇場の座付き作者でもあった彼は、気難しいヴェルディの注文にもよく応え、『リゴレット』『椿姫』などの名作を次々と生み出したのです。この日、彼がミラノで亡くなった後は、しばらくはヴェルディの創作意欲にも影を落としたほどでした。
●1953年、20世紀を代表するロシアの作曲家プロコフィエフ(セルゲイ・1891−)が、モスクワで亡くなっています。代表作『三つのオレンジへの恋』や『火の天使』は、欧米のオペラハウスの重要なレパートリーになっています。
●1984年、イタリアの名バリトン、ゴッビ(ティート・1915-)が、ローマで亡くなっています。かつてNHKが招聘したイタリア歌劇団『オテッロ』におけるイヤーゴなどの名演技は、まさに歌役者ゴッビの面目躍如でした。


【3月6日】『椿姫』か、『ラ・トラヴィアータ』か、それが問題だ。

●1831年、イタリアの作曲家ベッリーニ(ヴィチェンツオ・1801—35)の代表作の一つ『夢遊病の女』が、ミラノのテアトロ・カルカノで初演されています。コロラトゥーラの技巧が求められるベル・カント・オペラの傑作です。
●1853年、それにもまして特筆すべきなのが、イタリアの巨匠作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』が、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演されたことでしょう。初演当時は不評だったと言われていましたが、最近ではその直後に再演されてからは好評を博したというのが定説のようです。それにしても、このオペラを『椿姫』と呼ぶのは日本だけでしょう。原題の「道を踏み外した女」という意味の『ラ・トラヴィアータ』では、集客に影響があるのでしょうか。最近では原題で上演するところも増えてきました。
●1867年(1872年説も)、イタリアのテノール歌手サルコリー(アドルフォ・-1936)が、シエナで生まれています。プッチーニにも認められるほどの歌手でしたが、上海公演お際に辛亥革命が起こり、そのため難を逃れて日本へ来たのが、1911年(明治44年)でした。そして、亡くなるまで日本に永住して、三浦環(1884-1946)、関屋敏子(1904-41)、原信子(1893—1979)、奥田良三(1903-93)、田谷力三(1899-1988)など数多くの日本人歌手を育て上げた日本のオペラの発達史には欠かせない人です。
●1944年、ニュージーランド出身のソプラノ歌手テ・カナワ(キリ・)が、ギズバーンで生まれています。伯爵夫人やアラベッラなど、つねに凛とした歌唱には定評がありました。
●1967年、『ハーリ・ヤーノシュ』で有名なハンガリーの作曲家コダーイ(ゾルターン・1882-)が、ブダペストで亡くなっています。オペラでは、ハンガリー革命100周年を記念して書かれた『ツィンカ・パンナ』(1948年初演)が知られています。


【3月7日】小粋なオペラを書いたラヴェル。

●1875年、ドビュッシーとともにフランス印象派を代表するフランスの作曲家ラヴェル(モーリス・-1937)が、シブール(低地ピレネー)で生まれています。オペラ作品としてはわずかに2作のみ。『スペインの時』も『子供と魔法』も、いずれも1幕ものですが、いかにもラヴェルらしい洒落たエスプリを感じさせる作品です。この2月、小澤征爾さんが指揮したサイトウ・キネン・フェステバル松本2013での『こどもと魔法』がアメリカのグラミー賞<最優秀オペラ・レコーディング賞>を受賞したとの報道がありました。「みんなで作ったものが形になって表れた。これを機にオペラがポピュラーになれば本望です」とは小澤さんの弁。


【3月8日】ベルリオーズの大作オペラにも、復活の兆しが。

●1869年、フランスの大作曲家ベルリオーズ(エクトール・1803−)が、パリで亡くなっています。『幻想交響曲』のモデルになった女優スミッソンとの恋愛は有名ですが、最近では大作『トロイアの人々』がMETでも上演されるなど、オペラ作曲家としてももっと注目されていい人ですね。詩人のゴーティエ(テオフィル・1811-72)によると、ロマン派芸術家の三象徴は、作家のユゴー、画家のドラクロア、そして作曲家のベルリオーズだそうです。
●1857年、ヴェリズモ・オペラのイタリアの作曲家レオンカヴァッロ(ルッジェーロ・-1919)が、ナポリで生まれています。とかく『道化師』一曲の作曲家のように思われがちですが、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)と同じ『ラ・ボエーム』も作曲し、また他人のオペラ台本も書くなど、器用な人のようでした。
●1875年、イタリアの作曲家アルファーノ(フランコ・−1954)が、ナポリで生まれています。彼の名はプッチーニの未完の遺作『トゥーランドット』を完成させたことで音楽史に名を残していますが、実際は、彼自身もプッチーニ亡き後のオペラ作曲家として『復活』などのオペラは高く評価されています。
●1961年、イギリスの指揮者のビーチャム(トーマス・1879-)が、惜しまれつつロンドンで亡くなっています。ビーチャム製薬(現:グラクソ・スミスクライン)の御曹司として生まれ、ほとんど独学で音楽を学んだという彼は、無名だったディーリアス(フレデリック・1862−1934)やシュトラウス(リヒャルト・1864-1949)をイギリスに紹介したり、莫大な資産を費やしてオペラを上演。ウイットに富んだ人物でもあったといいます。


【3月9日】ヴェルディ初期オペラの傑作が初演。

●1839年、イタリアの作曲家メルカダンテ(サヴェーリオ・1795−1870)の『イル・ブラーヴォ(刺客)』が、ミラノ・スカラ座で初演されています。
●1842年、イタリアの巨匠作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の第3作目にあたる『ナブッコ』が、ミラノのスカラ座で初演されています。この日は、彼にとっては記念すべき日となったのです。前2作が不評で、満を持してのこので、一躍若手オペラ作曲家の寵児にとなった作品が、そして2年後の1844年の同じ日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場でヴェルディ『エルナーニ』が初演されています。これは、スカラ座以外で初めて委嘱され、ユゴーの問題作でもあったこの作品は、当時のイタリアの人々の愛国心をかきたてました。
●1849年、ドイツの作曲家ニコライ(オットー・1810-1849)によってシェイクスピア原作の『ウィンザーの陽気な女房たち』が、ベルリン宮廷歌劇場で初演。
●1868年、フランスの作曲家トマ(アンプロアス・1811-96)によっておなじくシェイクスピア原作『アムレット(ハムレット)』が、パリ・オペラ座で初演されています。
●1910年、『ヴァネッサ』を書いたアメリカの作曲家バーバー(サミュエル・-1981)が、ペンシルヴェニア州ウエストチェスターで生まれています。
●1930年、『三文オペラ』で大ヒットさせたブレヒトと組んでのヴァイル(クルト・1900-50)『マハゴニー市の興亡』が、ライプチヒのノイエ・テアターで初演されました。
●1965年、清水脩(1911-86)の日本の創作オペラ『俊寛』が東京で、舞台初演。(前年にラジオで放送初演)


【3月10日】モーツァルトの盟友ダ・ポンテの誕生。

●1749年、オーストリアの大作曲家モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・1756−91の晩年のダ・ポンテ三部作と呼ばれる『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』の台本作者であるイタリアの劇作家ダ・ポンテ(ロレンツォ・-1838)が、北イタリアのチェネダで生まれています。詳しい伝記として、田之倉稔著『モーツァルトの台本作者 ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯 』があります。
●1892年、フランスの作曲家で6人組の一人であるオネゲル(アルチュール・−1955)が、ル・アーブルで生まれています。
●2006年、アメリカの美貌のソプラノ、モッフォ(アンナ・1932−)が、ニューヨークで亡くなっています。1974年に来日し、モーツァルトからマーラー、R.シュトラウスまで幅広いレパートリーを披露しました。LP時代の彼女のオペラ盤をジャケ買いで買った方も多いはず。(昨年のオペラ暦で来日してなかったという記述は誤りでした。お詫びして訂正します)


【3月11日】またまたヴェルディの傑作2作、初演。

●1830年、イタリアの作曲家ベッリーニ(ヴィチェンツオ・1801—35)『カプレーティ家とモンテッキ家』が、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演。シェイクスピアで有名な『ロメオとジュリエット』の原型をオペラ化したもの。
●1837年、ロッシーニ後のイタリアの人気作曲家であったメルカダンテ(サヴェーリオ・1795−1870)の最高傑作と言われる『誓約』が、ミラノ・スカラ座で初演。
●1851年、イタリアの巨匠作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)中期の傑作のひとつ『リゴレット』が、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演されました。とくに「女心の歌」は、翌日にはゴンドリエたちが歌っていたという伝説もあるほど人口に膾炙しました。
●1867年、同じくヴェルディ『ドン・カルロス』が、パリ・オペラ座で初演。パリでの初演だけにフランス語での台本で、のちに『ドン・カルロ』としてイタリア語版として改訂されています。
●1937年、フランスの作曲家オネゲル(アルチュール・1892−1955)『鷲の子』(イベールと共作)が初演。
●1967年、20世紀前半にアメリカで活躍したソプラノ歌手ファラー(ジェラルディン・1882-)が、リッジフィールドで亡くなっています。彼女は、プッチーニの『修道女アンジェリカ』の初演にも参加していました。


【3月12日】イタリア・オペラの名作2作が初演。

●1835年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)が、バイロンの同名の戯曲に基づいて書いたのが『マリン・ファリエーロ』が、パリのイタリア座で初演されています。題名はヴェネツィアの総督(ドージェ)の名で、反逆者として今でもドゥカーレ宮殿では、歴代の総督の肖像画が並ぶ部屋の中で、唯一肖像画が黒塗りにされている人物です。
●1857年、イタリアの巨匠作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の20作目の『シモン・ボッカネグラ』が、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演。その時は、歌手に恵まれず不評に終わりますが、24年後に大幅な改訂がなされミラノのスカラ座で上演されたのが、現行上演版です。
●1863年、三島由紀夫が傾倒したイタリアの作家ダンヌンツィオ(ガブリエーレ・-1938)が、ベスカーラで生まれています。(3月1日の項参照)
●1888年、日本では、クナの愛称?で呼ばれているドイツの巨匠指揮者クナッパーツブッシュ(ハンス・−1965)が、エルバーフェルトで生まれています。彼のワーグナー演奏には定評がありました。
●1954年、20世紀を代表するオーストリアの作曲家シェーベルク(アーノルト・1874-1951)の未完のオペラ『モーゼとアロン』が、没後に演奏会形式によってハンブルクで初演されています。


【3月13日】象徴派の詩人たちを熱狂させた『タンホイザー』パリ初演。

●1797年、ベートーヴェンとほぼ同時代のイタリアの作曲家ケルビーニ(ルイージ・1760−1842)の『メデーア(メデ)』が、パリのフェイドー劇場で初演。この作品は、戦後カラスによって復活上演で注目されました。
●1860年、オーストリアの作曲家ヴォルフ(フーゴー・—1903)が、ヴィンデッシュグラーツで生まれています。彼はほとんど歌曲しか作りませんでしたが、ただ1曲のオペラ『お代官様』(1896)があります。これはファリャのバレエ音楽『三角帽子』と同じ題材。また、大変なワグネリアンでもありました。(2月22日の項参照)
●1861年、パリ・オペラ座でのワーグナー(リヒャルト・1813−83)『タンホイザー』パリ版が初演。その日はナポレオン3世も臨席したにもかかわらず、反ワーグナー派の妨害と支持派の対立で収拾がつかない有様で、4日目は中止となったほど。しかし、これによってワーグナー支持者は音楽家だけでなく、象徴派の詩人ボードレール(シャルル・1821-67)やマラルメ(ステファヌ・1842−98)たちをも熱狂させたのでした。


【3月14日】ヴェルディは、シェイクスピアがお好き。

●1681年、ドイツの作曲家テレマン(ゲオルク・フィーリア・−1767)が、マルデブルクで生まれています。バッハ、ヘンデルより一世代前の作曲家ですが、オペラ作品も40曲あまり作曲しています。
●1847年、イタリアの巨匠作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『マクベス』が、フィレンツェのペルゴラ劇場で初演(3月10日説あり)。ヴェルディはこの他にも『オテッロ』『ファルスタッフ』などシェイクスピア原作を取り上げていますが、その最初の作品がこの『マクベス』でした。
●1885年、サリヴァン(アーサー・1842−1900)『ミカド』が、ロンドンのサヴォイ劇場で初演され大ヒットしました。日本から見れば、かなり荒唐無稽なオペレッタですが、当時のジャポニズムの影響もあったのでしょうか。
●1904年、三浦環に手ほどきされ、サルコリーに師事したソプラノ関屋敏子(-1941)、が東京で生まれています。スカラ座にも採用され、各地で『椿姫』や『ルチア』を歌った三浦に次ぐ国際的な日本人歌手の一人でした。
●1920年、イタリアの音楽出版者のソンツォーニョ(エドアルド・1836−)がミラノで没。1幕もののオペラ・コンクールを主催し、マスカーニやレオンカヴァッロの世に出した人です。


【3月15日】美貌と美声のソプラノ、ステッラ誕生。

●1892年、イタリアの作曲家ケルビーニ(ルイジ・1760−)が、パリで亡くなっています。日本では彼の『レクイエム』などは有名ですが、オペラはほとんど上演される機会もありません。しかし当時はヨーロッパを股に縦横に活躍した作曲家でした。
●1929年、カラス(マリア・1923-77)、テバルディ(レナータ・1922-2004)の次の世代のソプラノとして人気のあったイタリアのソプラノ歌手ステッラ(アントニエッタ・)が、ペルージャで生まれています。リリコ・スピントの声質で、ヴェルディ、プッチーニなどを得意にしていました。NHKイタリア歌劇団とともに3回来日を果たしています。今年で87歳。
●1942年、オーストリアの作曲家・指揮者でもあったツェムリンスキー(アレクサンダー・1871-)は、38年アメリカに亡命して、ニューヨーク州で亡くなっています。余談ながら、マーラーの妻となった若き日のマーラー=ヴェルフル(アルマ・マリア・1879−1964)の作曲の先生でもありました。
●これは蛇足。オペラではありませんが、ロー(フレデリック・1904-)『マイ・フェア・レディ』が、1956年ブロードウェイで初演、大ヒットになりました。


【3月16日】戦後を代表する2人のメッツォ・ソプラノの誕生日。

●1833年、イタリアの作曲家ベッリーニ(ヴィチェンツオ・1801—35)『ベアトリーチェ・ディ・テンダ』、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演。
●1851年、若くして宗教曲で有名だったフランスの作曲家グノー(シャルル・1818—93)の、初めてオペラ作品『サッフォー』が、パリ・オペラ座で初演。題名の通り古代ギリシャの女流詩人サフォーが主人公。
●1894年、フランスの作曲家マスネ(ジュール=エミル=フレデリク・1842−1912)『タイース』、パリ・オペラ座で初演。アナトール・フランスの原作で、妖艶な娼婦タイースを取り巻く3幕のオペラは、単独でも演奏される瞑想曲でも有名。
●戦後を代表する二人のメッツォ・ソプラノの誕生日。1928年、ドイツのソプラノ歌手ルードヴィヒ(クリスタ・)が、ベルリンで生まれています。彼女のオクタヴィアン、ケルビーノは絶品でした。御年88歳になるはず。
●7年後の1935年、スペインの名花ベルガンサ(テレサ・)が、マドリードで生まれています。今年81歳。もちろん彼女のカルメンはいうに及ばず、ケルビーノやロジーナも絶品でした。
●1930年、日本の創作オペラに意欲を燃やし続けた三木稔(-2011)が、徳島まで生まれています。『春琴抄』『あだ』『じょうるり』などは海外でも上演され、畢生の大作『愛怨』(作:瀬戸内寂聴)は、新国立劇場の委嘱作品として2006年のこの日、世界初演されました。初演日が、誕生日だったのは偶然だったのでしょうか。
●1938年、チェコのマルティヌー(ボフスラフ・1890-1959)は、ドヴォルジャーク、ヤナーチェクの流れをくむ作曲家。これの代表作『ジュリエッタ』が、プラハ国民劇場で初演。当時は、第二次世界大戦前夜で、ナチス・ドイツによる圧力が増してきた時期での上演でした。


【3月17日】『夏の嵐』のヴィスコンティ、ローマに死す。

●1736年、イタリアの作曲家ペルゴレージ(ジョヴァンニ・バッティスタ・1710-)が、ポッツォーリに埋葬されています。正確な亡くなった日は不明のようです。有名な「スターバト・マーテル」を書き上げた直後に亡くなったと言われています。わずか26歳という若さでした。
●1833年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『パリジーナ(・デステ)』が、フェレンツェ、ペルゴラ劇場で初演されています。
●1846年、イタリアの巨匠作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『アッティラ』が、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演。フン族の王アッティラとローマ軍との対立という史実のオペラ化だけに、当時の人々の愛国心をかきたてました。
●1862年、フランスの作曲家アレヴィ(フロマンタル・1799−)は、グラン・トペラ『ユダヤの女』で人気を博し、また教育者としてグノー、ビゼーなどを育てています。この日、ニースで亡くなっています。
●1976年、ミラノの名門貴族の血を引くイタリアの演出家ヴィスコンティ(ルキーノ・1906-)が、ローマで亡くなっています。当初映画監督として活躍し、その後オペラの演出も手がけるようになりました。映画『夏の嵐』は、フェニーチェ劇場を舞台にした彼らしい作品でした。その後カラス(マリア・1923-77)に『ヴェスタの巫女』(スポンティーニ)を歌わせてオペラ演出家としてデビュー。数多くのオペラを演出し、惜しまれつつ亡くなったのです。


【3月18日】ロシアの代表する作曲家リムスキー=コルサコフの生誕。

●1833年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『パリジーナ・デステ』、フィレンツェ、ペルゴラ劇場で初演。これもバイロンの詩から想を得たロマンチックなオペラ。
●1844年、ロシア国民楽派5人組の中では、もっとも管弦楽法に優れていたリムスキー=コルサコフ(ニコライ・アンドレイエヴィチ・−1908)が、ティフヴィンで生まれています。彼自身も『金鶏』『サトコ』などの名作オペラを作曲するほか、ムソルグスキーやボロディンなどのオペラの改訂なども行っています。
●1882年、イタリアの作曲家マリピエーロ(ジャン・フランチェスコ・1882−1973)が、ヴェネツィアで生まれています。20世紀の中期を代表するオペラ作家でもあり、またモンテヴェルディやフレスコバルディなどの古楽譜を発掘して全集の編集にも手がけています。
●アメリカで活躍したデンマークのテノール歌手メルキオール(ラウリツ・1890-)は、ヘルデン・テノールとしても名を馳せ、さらにブロードウェイ・ミュージカルにも出演するなど幅広く活躍。1973年、83歳でサンタモニカで亡くなっています。


【3月19日】偉大なる台本作者カンマラーノ。

●1801年、イタリアの台本作家にして、ナポリの宮廷詩人カンマラーノ(サルヴァトーレ・-1852)が、ナポリで生まれています。彼の台本なしでは、『ルチア』『ロベルト・デヴュリュー』から『アルツィラ』『ルイザ・ミラー』『イル・トロヴァトーレ』などの名作が誕生しえなかったでしょう。
●1859年、ご存知ゲーテ原作のグノー(シャルル・1818—93)『フォースト(ファウスト)』がパリのリリック座で初演。当時パリでは、大当たりをとりました。
●1864年、同じくグノー『ミレイユ』が、パリのリリック座で初演。
●1906年、イタリアの作曲家ヴォルフ=フェラーリ(エルマンノ・1876-1948)『四人の気難し屋』が、ミュンヘン、ホフテアターで初演。ゴルドーニの喜劇からオペラ化したもの。彼の評伝として、永竹由幸著『ヴォルフ=フェラーリの生涯と作品―20世紀のモーツァルト』がオススメ。


【3月20日】2大テノールの誕生日が、同年同日。

●1890年、イタリアのテノール歌手ジーリ(ベニアミーノ・−1957)が、レカナーティで生まれています。マントヴァ公爵、ロドルフォなどを得意として、ベル・カント唱法の典型とされました。
●そして、3月18日にも紹介したメルキオール(ラウリツ・-1973)もまた、1890年のこの日、コペンハーゲンで生まれています。20世紀の前半を代表する偉大なるテノール歌手が、全く同じ日に生まれたというのも何かの偶然でしょうか。
●2008年に新国立劇場で上演された『軍人たち』でにわかに注目された、ドイツの作曲家ツィンマーマン(ベルント・アーロイス・—1970)が、1918年ケルン近郊で生まれています。
●1987年、たびたび来日して、馴染みの深いドイツのソプラノ歌手シュトライヒ(リタ・1920-)が、ウィーンで亡くなっています。可憐な容姿と、『春の声』などを軽やかに歌った声は魅力的でした。


【3月21日】ムソルグスキーとラヴェルといえば・・・

●1866年、序曲が小学校の鑑賞教材にも載っていたスッペ(フランツ・フォン・1819-95)の『軽騎兵』。オペレッタ自体はほとんど上演を見ることはありませんが、この日、ウィーンで初演。
●1839年、ムソルグスキー(モデスト・ペトロヴィチ・-1875)の代表作オペラといえば『ボリス・ゴドゥノフ』ですが、この日、カレヴォで生まれています。
●1925年、ラヴェル(モーリス・1875-1937)の数少ないオペラの一つ『子供と魔法』がモンテカルロのカジノ劇場で初演。
●1925年、イギリスの演出家ブルック(ピーター・)が、ロンドンで生まれています。彼のオペラ演出のデビュー作は、1984年のコヴェントガーデンでの『ボリド・ゴドゥノフ』でした。
●1929年、イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズ(レーフ・1872−1958)『サー・ジョンの恋』、ロンドン、王立音楽カレッジで初演。これはヴェルディの『ファルスタッフ』と同じ『ウィンザーの陽気な女房たち』を原作としたもの。名作に真っ向から挑戦した男気に拍手?
●1974年、戦後の日本を代表して国際的に活躍したバリトン歌手大橋国一(1931-)は、これから円熟期を迎えようとした矢先に東京で亡くなりました。享年43歳という若さでした。


【3月22日】巨匠3人と、「我らがテナー」の命日。

●1687年、フランス・バロック音楽の巨匠リュリ(ジャン=バティスト・1632−)が、パリで亡くなっています。ほとんどをフランスで活躍したのでフランス人と思いがちですが、元々はイタリア出身。とくにルイ14世に愛され、彼の絶頂期が始まります。オペラとバレエとの融合を図り「オペラ=バレ」を確立した最初の人でもありました。
●1832年、ドイツ随一の文学者ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・1749-)が、ヴァイマールで亡くなっています。彼の作品は、代表作「ファウスト」をはじめとして「若きウエルテルの悩み」など、多くの作曲家の霊感を刺激し、前者がグノーやボーイトが、後者はマスネがオペラ化しています。他にトマの『ミニヨン』もゲーテの原作によるもの。
●1842年、パリで亡くなったのが、フランスを代表する作家スタンダール(1783-)です。彼のオペラ好きは有名で、「モーツアルト伝」「ロッシーニ伝」なども執筆しています。また彼のイタリア紀行でも、多くのオペラに関する論評が記されています。パリの路上で倒れ、そのまま生涯を閉じました。脳溢血ではないかと言われています。有名な墓碑銘に関しては、1月23日の項をご参照ください。
●1882年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『アルバ公爵』、ローマ、アポロ劇場で初演。この台本は、のちにヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』に翻案されています。
●1913年、柴田睦陸(-1988)、岡山で生まれています。戦前から戦後にかけて日本のオペラ界を牽引した一人。戦後二期会を創設し、テノール歌手としても数々の舞台を踏んでいます。(2月19日の項参照)
●1976年、「我らがテナー」藤原義江(1898-)が、東京で亡くなっています。スコットランド人を父に持つ甘いマスクと美声で数多くのオペラの主役を歌い、オペラ・ファンの胸をときめかせたものです。それだけに艶聞が絶えなかったことも事実。戦前戦後を通じて国内だけでなく海外にも進出。藤原歌劇団を自ら創設。晩年は東京の帝国ホテルの専用室に居住し、ここで亡くなったのです。


【3月23日】フランスのプリマドンナ誕生。

●1923年、20世紀前半に主としてパリで活躍したスペインの作曲家ファリャ(マヌエル・デ・1876-1946)の『ペドロ親方の人形芝居』が、セビリアのテアトロ・サン・フェルナンドで演奏会形式による初演。(オペラ初演は、1925年6月25日)原作は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の一部からとっています。(後の<インタリュード>参照)
●1927年、フランスのオペラ界のプリマドンナと呼ばれたクレスパン(レジーヌ・1927-2007)が、マルセイユで生まれています。フランスものはもちろんですが、バイロイト音楽祭にも出演するなどワーグナーも得意とし、また『ばらの騎士』の元帥夫人なども定評がありました。
●2002年、アメリカのソプラノ歌手ファレル(アイリーン・1920-)が、ニュージージー州パークリッジで亡くなっています。まさにワーグナー歌手にふさわしいその堂々たる体躯で、METのワーグナー上演にはなくてはならない存在でした。(誕生日の2月13日の項参照)


【3月24日】伝説的な歌手マリア・マリブラン誕生。

●1808年のこの日、若くして伝説的な歌手となったスペインのメッゾ・ソプラノ歌手マリブラン(マリア・-1836)が、パリで生まれています。父もまた著名なテノール歌手で、ロンドン、ニューヨークと渡り、その後、イタリア各地で次々と成功を収めています。ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティなどを得意としていました。現在ヴェネツィアにあるマリブラン劇場は、かつてはサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場と呼ばれていましたが、1835年、彼女がフェニーチェ劇場で『オテッロ』(ロッシーニ)を歌った際に、財政危機に陥っていたこの劇場のことを知り多額の寄付したことから名付けられたと言われています。
●1916年、アルベニスと並ぶスペイン近代音楽の作曲家グラナドス(エンリケ・1867−)が、海難事故で死去。自作の『ゴイェスカス』のニューヨーク初演に立ち会った帰路に、乗っていた船がドイツ軍によって沈没され、夫妻ともども亡くなるという悲劇に見舞われました。(1月28日の項参照)
●1968年、『カルミナ・ブラーナ』で有名なドイツの作曲家オルフ(カール・1895-1982)のオペラ『プロメーテウス』が、シュトットガルトで初演されています。これは、ギリシャ悲劇のアイスキュロス『縛られたプロメーテウス』のギリシャ語の原典から直接作曲したという意欲作。
●1985年、カナダ出身のアメリカのバス=バリトン歌手ロンドン(ジョージ・1920-)が、ニューヨーク州アーモンクで亡くなっています。1962年ヴィーランド・ワーグナーの新演出で『指環』を歌ってから声に変調をきたし、47歳の若さで引退を余儀なくされました。しかしクナッパーシュブッシュ指揮『パルジファル』などに、彼の名演が残されています。


【3月25日】ドビュッシー、巴里に死す。

●1867年、20世紀にもっとも影響を及ぼした指揮者といえば、第一に指を屈するのがイタリアの巨匠トスカニーニ(アルトゥーロ・-1957)でしょう。この日、パルマで生まれています。もっとも得意とするイタリア・オペラだけでなく、バイロイト音楽祭にも招かれ、ワーグナーにも深い理解と共感を持って数々の名演を残しています。(1月16日の項参照)
●1881年、ハンガリーの20世紀最大の作曲家バルトーク(ベーラ・1881-1945)が、ナジュセントミクローシュ(現ルーマニア領サニコラウ・マーレ)で生まれています。彼は、主として器楽作品を書き、オペラとしては『青ひげ公の城』が唯一の代表作。
●1895年、『カヴァレリア・ルスティカーナ』の成功で一躍オペラ界の寵児となったイタリアの作曲家マスカーニ(ピエトロ・1863−1945)の『シルヴァーノ』が、ミラノのスカラ座で初演。発表当時での“現代”を扱ったヴェリズモ・オペラですが、現在では上演は極めて少ないようです。
●1918年、フランス印象派の作曲家ドビュッシー(クロード・1862-)が、パリで亡くなっています。なんといっても彼の『ペレアスとメリザント』は、フランス文化の粋を極めた名作。ベルギーの劇作家メーテルランク(モリス・1862-1949)の原作がもつ夢幻的な雰囲気を見事なまでに音化させたこの作品は、まさに20世紀オペラの傑作でした。
●今ではオペラ演出家・三谷礼二(1934-)の名を知る人も多くないかもしれません。録音の残る歌手と違って、今でこそDVDなど映像に残されますが、演出作品が残される時代の前に亡くなっていましました。とくに『お蝶夫人(蝶々夫人)』や『ラ・ボエーム』は、人々の記憶に残っています。1991年、57歳という若さで東京で亡くなっています。


【3月26日】「楽聖」ベートーヴェンの命日には・・・

●1827年、オペラとしては、名作『フィデリオ』一曲しか残さなかったドイツの偉大な作曲家ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・1770−)ですが、この日ウィーンで亡くなっています。前年の12月に肺炎を患い、さらに黄疸も発症するなどして病状が悪化して、この日帰らぬ人になったのです。享年57歳。葬儀にはシューベルトをはじめ、2万人もの人が駆けつけたとも言われています。
●ベートーヴェンが亡くなったその日に、パリではイタリアの巨匠作曲家ロッシーニ(ジョッキアーノ・1792−1868)『モゼ』が、オペラ座で初演。題材は、『出エジプト記』にあるモーセを主人公にしたグラン・トペラ形式の壮大なオペラ。この後『オリー伯爵』『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』で筆を折る最後の年に上演された作品です。
●1905年、ベリギー出身のフランスの指揮者クリュイタンス(アンドレ・-1967)が、アントワープで生まれています。日本では、フランスものが人気ですが、ワーグナーなども得意としていました。
●1922年、ドイツの作曲家ヒンデミット(パウル・1895-1963)『聖女スザンナ』、フランクフルトで初演。修道女の性欲をテーマにした表現主義的な1幕のオペラ。
●1923年、フランスの名女優ベルナール(サラ・1844-)が、パリで没。プッチーニが、彼女の『ラ・トスカ』を見て感激し、原作者にオペラ化の権利を迫ったと言います。
●1925年、フランス現代音楽の旗手で指揮者・作曲家のブレーズ(ピエール・-2016)が、モンブリゾンで生まれています。若い時は「オペラハウスを爆破せよ」といった過激な発言も。指揮者としては『パルジファル』『指環』などで注目を集めました。今年の1月5日、ドイツのバーデンバーデンで亡くなったのとの訃報が入りました。享年90歳でした。
●1926年、ハンガリー出身でレハールと同時期に活躍したオペレッタ作曲家カールマン(イムレ・1882-1953)の『サーカスの女王』が、ウィーンのアン・デア・ウィーンで初演。
●1987年、ドイツの名指揮者ヨッフム(オイゲン・1902-)が、ミュンヘンで亡くなっています。『魔弾の射手』など、ドイツ音楽の正統派を受け継いだ演奏が印象的でした。


【3月27日】古巣に帰る、プッチーニの「つばめ」。

●1851年、フランスの作曲家ダンディ(ヴァンサン・-1931)が、パリで誕生。ドビュッシーの音楽に反対する勢力のリーダーで、オペラは6曲残しています。
●1917年、イタリアの大作曲家プッチーニ(ジャコモ・1858-1924)『つばめ(ロンディーネ)』は、彼には珍しくウィーンからの委嘱で作曲したものですが、戦争によってモンテカルロ劇場で初演。ちょっと『椿姫』を連想させる筋立てですが、結末は正反対。
●1927年、20世紀の偉大なロシアのチェリストの一人ロストロポーヴィチ(ムスティスラフ・-2007)が、バクーで生まれています。指揮者としても活躍し、オペラ・デビューは68年ボリショイ劇場での『エウゲニー・オネーギン』でした。夫人は、名ソプラノのヴィシネフスカヤ(ガリーナ・1926−2012)です。
●1950年、アメリカのソプラノ歌手ユーイング(マーリア・)が、デトロイトで生まれています。『サロメ』役の7つのヴェールの踊りでは全裸になったということでも有名。演出家のピ−ター・ホール(1930−)と結婚、娘のレベッカ・ホールも女優(『それでも恋するバルセロナ』などに出演)として活躍。


【3月28日】放浪の末の悲しい末期だったムソルグスキー。

●1881年、ロシア<5人組>の一人ムソルグスキー(モデスト・ペトロヴィチ・1839-81)は、もともと貴族出身の軍人で、その後官吏として働く一方で作曲活動を続けていた、いわば日曜作曲家。生涯独身で放浪を続けて、オペラ創作への意欲は強かったようですが、飲酒と不規則な生活で体を壊し、この日ペテルブルクで亡くなっています。(3月21日の項参照)
●1896年、フランス革命の実在の詩人を主人公にしたジョルダーノ(ウンベルト・1867−1948)『アンドレア・シェニエ』が、ミラノ・スカラ座で初演されています。第3次のNHKイタリア歌劇団で来日(1961年)した、当時最盛期のデル・モナコとテバルディの共演による日本初演(同年10月1日)は、今でも語り草に。
●1941年、イタリアのテノーレ・ドラマティコの第一人者マルティヌッチ(ニコラ・)が、イタリアのタラントで生まれています。彼の歌ったラダメスやカラフは圧倒的迫力でした。
●1942年、アメリカのバス歌手で、METの常連として今なお現役で活躍するレーミー(サミュエル・)が、カンザス州のコルビーで生まれています。普通のバス役はもちろんですが、とくに悪役をやらせたら天下一品とか。それだけ演技力のある証拠でしょう。
●1943年、ロシア出身の偉大なるピアニストにして作曲家ラフマニノフ(セルゲイ・1873-)が、ヴェバリーヒルズで亡くなっています。一般にはピアノ協奏曲が有名ですが、オペラ作曲家としては『アレコ』『フランチェスカ・ダ・リミニ』などが、時おり欧米の歌劇場のプログラムに組まれています。


【3月29日】名作『エウゲニー・オネーギン』初演の日。

●1828年、ベート−ヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・1770−1827)やヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-1826)とほぼ同時代に生きたドイツの作曲家マルシュナー(ハインリヒ・アウグスト・1795-1861)の『吸血鬼』が、ライプチヒ国立劇場で初演。ワーグナー出現までは、ドイツの主要な作曲家として評価されていました。
●1836年、そのワーグナー(リヒャルト・1813−83)が、第3作目の『恋愛禁制』(初演当時は『パレルモの修道女』という題名)を、マグデブルクで作曲者の指揮で初演しています。彼にしては珍しいオペラ・ブッファ風の喜歌劇で、シェイクスピアの『尺には尺を』を翻案したものでしたが、公演は2日目の観客が数人というみじめな結末で終わりました。
●1879年、ロシアの大作曲家チャイコフスキー(ピュートル・イリイチ・1840-93)のオペラの中でも最も人気の高い『エウゲニー・オネーギン』が、モスクワのマールイ劇場で初演されています。(本格的初演は、1881年、ボリショイ劇場)プーシキンの小説をもとに作曲。恋もまた、覆水盆に戻らずのようなお話。
●1982年、20世紀を代表するドイツの作曲家オルフ(カール・1895-)が、ミュンヘンで死去。『月』『賢い女』『プロメーテウス』など上演も多数。(3月24日の項参照)


【3月30日】METでの『魔笛』上演は、意外に遅かった。

●1900年、モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)『魔笛』、メトロポリタン歌劇場での初演。なんと初演から100年以上も経って、やっとこのオペラが、この劇場で初演されたなんて意外でした。
●1921年、日本の創作オペラにも意欲を燃やした石井歓(-2009)が、東京で生まれています。オペラとしては『袈裟と盛遠』『役の行者』などが挙げられます。
●1936年、スペインのメッゾ・ソプラノ歌手スペルビア(コンチータ・1595−)が、40歳という若さの若さで亡くなっています。といっても、スペルビアの名をどれだけの方が知っているでしょうか?バルセロナで生まれ、15歳の時にブエノスアイレスのコロン劇場でデビューしたという早熟な歌手だったようです。特筆すべきは、ロッシーニの時代には常識だったメツォ・ソプラノによるコロラトゥーラを復活させたことで、彼女は『セビリアの理髪師』『チェネレントラ』『アルジェのイタリア女』などを、メッゾ・ソプラノ・レッジェーロで歌うことで一躍注目を浴びたのです。また『カルメン』役も得意で、美貌の彼女はショールの掛け方一つでも小粋だったとか。その後、ロンドンの花屋さんと結婚しますが、出産時に死産し、その数時間後に彼女自身も亡くなっています。40歳という年齢を考えると、当時からすれば高齢出産だったゆえでしょうか。SP時代には膨大な録音を残していますが、現在はCDにも復刻されているので、一度聴いてみてはいかがでしょうか。


【3月31日】交響曲の父は、実はオペラが自信作?

●1732年、<交響曲の父>ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・1732−1809)が、オーストリアのローラウで生まれています。音友の「オペラ辞典」(374P)によれば、1776年の<オーストリアの知識人>へ提出された彼自身の履歴書の中には、交響曲や弦楽四重奏曲などについては一切言及せず、『漁師の娘たち』『突然の出会い』『裏切られた真実』の3曲のオペラなどが挙げられていたとのこと。ハイドン自身は、オペラの方に自信があったのでしょうか。
●1745年、フランスの作曲家ラモー(ジャン=フィリップ・1683−1764)『プラテ』が、パリ、ヴェルサイユ宮で初演。2014年11月に「北とぴあ国際音楽祭」で寺神戸亮による指揮と演出によるセミ・ステージ形式で上演されたのは記憶に新しいところです。
●1893年、生粋のウィーンっ子であったオーストリアの指揮者クラウス(クレーメンス・1893-1954)が、ウィーンで生まれています。R.シュトラウスの親友で彼のオペラを指揮し、人気の「ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート」も、彼が始めたものです。貴族然とした端正なマスクは、ウィーンの女性たちの憧れの的だったとか。
●1901年、ボヘミアの作曲家ドヴォルジャーク(アントニーン・1841—1904)にとって『ルサルカ』は、全オペラ10作中の最後から2番目のオペラです。20世紀の幕明けの年のこの日、プラハ国民劇場で初演。ルサルカという水の精が主人公の、いわば「妖精オペラ」。日本でも2011年11月に新国立劇場で上演され、好評を博しました。
●1911年、ドイツのソプラノ歌手で、戦後のウィーン国立歌劇場でのプリマドンナと称されたグリュンマー(エリーザベト・-1986)が、アルザス・ロレーヌのニーダーヨイツで誕生。日本にも63年ベルリン・ドイツ・オペラの際に初来日し、伯爵夫人を歌っています。


・その日に初出の人名はフルネームで表記し、基本的には生没年を表記していますが、紹介の項目が生誕年の場合は没年を、没年には生誕年のみを記しています。
・参考文献等は、個別に記してはおりませんが、主として『オペラ辞典』(音楽之友社・刊)その他資料に準拠しています。
・記述には十分正確に記しているつもりですが、誤りがあればご教示くださいますようお願いいたします。 

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