オペラ・エクスプレス

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年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年5月—新井巌(あらいいわお)

年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年5月—新井巌(あらいいわお)

オペラ暦5

【5月1日】『フィガロの結婚』が初演された日。

●1772年、モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)『シピオーネの夢』が、ザルツブルクで初演されています。これは16歳の時の作で、コロレド大司教が、新しくザルツブルク大司教に選任された祝典の際に初演されたもの。彼とは、のちに不仲となってザルツブルクを去る原因となったのも皮肉。
●1786年、すでに30歳になったモーツァルトの最大傑作『フィガロの結婚』が、ウィーンのブルク劇場で初演。このウィーンでの初演はまずまずの成功だったと言いますが、それにも増して同じ年の12月プラハでの上演で大人気となり、次の『ドン・ジョヴァンニ』のプラハ初演に繋がったのです。
●1904年、ドヴォルジャーク(アントニーン・1841—)が、プラハで亡くなっています。ボヘミア国民楽派のリーダーとして果たした役割は計りしれません。オペラも11作品を残していますが、その中でも今なお人気が高いのが『ルサルカ』です。
●1924年、ボーイト(アッリゴ・1842-1918)の遺作『ネローネ』が、ミラノのスカラ座で初演されています。未完のまま死亡したため、トスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)などが補作して上演しています。ネローネ(ネロ)を題材にした作品は、古くはモンテヴェルディ(クラウディオ・1567-1643)『ポッペアの戴冠』を嚆矢として、マスカーニ(ピエトロ・1863−1945))もボーイトと同じ題名で扱っています。


【5月2日】パリを席巻したマイアベーア、パリに死す。

●1660年、スカルラッティ(アレッサンドロ・−1725)が、パレルモで生まれています。オペラにおけるナポリ楽派の開祖とも呼ばれ、『貞節の勝利(または後悔した放蕩者)』が残されています。器楽作曲家として著名な同姓のドメニコは息子。
●1692年、パーセル(ヘンリー・1659頃-1695)『妖精の女王』が、ロンドン、クイーンズ劇場で初演されました。パーセルは、イギリス17世紀後半の最大の作曲家。シェイクスピアの『夏の夜の夢』をもとに、オベロンとタイターニアの物語を、台詞と音楽で構成したセミ=オペラです。
●1864年、マイアベーア(ジャコモ・1791-)が、パリで亡くなっています。当時のマイアベーアは、今では考えられないほどの人気で、『悪魔のロベール』『ユグノー教徒』などによって、フランスを中心に席巻したいわゆる「グラントペラ」(グランド・オペラ)様式を確立しました。
●1902年、シュトラウス(オスカー・1870-1954)のオペレッタ『ワルツの夢』が、ウィーンで初演されています。レハールのライバルでもあった彼ですが、同姓の2人のシュトラウス(ヨハンとリヒャルト)とは血縁関係はありません。


【5月3日】バレエだけではなかったアダンのオペラ。

●1831年、エロルド(フェルディナン・1791−1833)『ザンパ』が、パリのオペラ座で初演。かつてはエロールとも呼ばれていた彼の晩年の作で、かつてはトスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)が録音していた序曲で親しんだものでした。
●1856年、バレエ『ジゼル』の作曲者として有名なアダン(アドルフ・1803-)が、パリで亡くなっています。彼は、オペラも『我もし王者なりせば』など生涯に70曲以上書いていますが、現在ではほとんど上演されることもないようです。クリスマスによく歌われる『オー・ホリー・ナイト』が、彼の作曲とは意外でした
●1918年、カナダのテノール、シモノー(レオポルド・1918-2006)が、ケベック近郊のサン=フラヴィアン生まれています。テノーレ・リリコとして、とくにモーツァルトのオペラで人気を得ました。


【5月4日】オペレッタの重鎮ビーブル、健在!

●1929年、オーストリアの指揮者ビーブル(ルードルフ・)が、ウィーンで生まれています。今年御歳87歳になるウィーン・オペレッタの重鎮。この5月に来日するウィーン・フォルクスオーパーではカールマン(イムレ・1882-1953)『チャルダーシュの女王』を振る予定、老いてもますますお元気です。
●1930年、50年から60年代にかけてMETのスターだった美貌のソプラノ、ピーターズ(ロバータ・)が、ニューヨークで生まれています。現在86歳のはず。
●1931年、ロシアの指揮者ロジェストヴェンスキー(ゲンナジー・)が、モスクワで生まれています。今日で、85歳。皆さんお元気ですね。
●1987年、N響をはじめ各地のオーケストラで活躍した指揮者・森正(1921-87)が、東京で亡くなっています。N響のフルート奏者から指揮者に転向し、オペラも数多く指揮しています。


【5月5日】名歌手シミオナート、99歳で天国へ。

●1819年、ポーランドの作曲家モニュシュコ(スタニスラフ・-1872)が、ウビエルで生まれています。ショパンとほぼ同時代の作曲家で、ポーランド国民オペラの父とも呼ばれています。オペラ『ハルカ』は彼の代表作。
●1869年、ドイツの作曲家で指揮者のプフィッツナー(ハンス・-1949)が、モスクワで生まれています。代表作『パレストリーナ』は、ワルター(ブルーノ・1876-1962)の指揮によって初演されています。
●1908年、ドイツのバス歌手ベーメ(クルト・-1989)が、ドレスデンで生まれています。同地の歌劇場でデビューし、バイロイト音楽祭などにも出演。彼のオックス男爵はとくに印象的でした。
●1930年、ミヨー(ダリュス・1892-1974)『クリストフ・コロンブ』が、ベルリン国立歌劇場で初演されています。もともとはポール・クローデルのフランス語台本ですが、初演はドイツ語で上演。指揮はクライバー(エーリヒ・1890-1956)でした。
●1941年、ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)にとっては最初のオペレッタとなる『ポール・バニヤン』が、ニューヨーク・コロンビア大学で初演されています。
●2010年、戦後来日したNHK招聘のイタリア歌劇団の中でも忘れがたい名演を残したイタリアの名メッゾソプラノ歌手シミオナート(ジュリエッタ・1910-)が、ローマで亡くなっています。享年99歳。誕生日は5月12日なので、ほんの1週間後には100歳になるはずでした。来日当時、中学生だったイタリア文学者の武谷なおみさんとの文通を通じて、生涯のお付き合いとなったことは武谷さんの著書『カルメンの白いスカーフ』(白水社刊)で克明に描かれています。


【5月6日】レオンカヴァッロの『ラ・ボエーム』知っていますか?

●1892年、フランスの作曲家ギロー(エルネスト・1837-)が、パリで亡くなっています。ギロー無くしては、ビゼーの『カルメン』や『アルルの女』組曲、あるいはオッフェンバックの『ホフマン物語』は、この世に出なかったかもしれません。ビゼーの親友だった彼は、早世したビゼーの作品を編曲やレチタティーヴォをつけるなどした影の立役者でした。
●1897年、レオンカヴァッロ(ルッジェーロ・1857-1919)の『ラ・ボエーム』が、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演されています。もともとこの題材の台本を彼が書いてプッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)に勧めたのですが、その時は関心を示さず、のちに彼に無断で違う台本で作曲。怒ったレオンカヴァッロは、自らの台本に曲をつけての上演でした。しかし、残念ながら人気はプッチーニに軍配が上がりました。聴いてみると結構いい曲なのですが。
●1949年、ベルギーの劇作家メーテルランク(モーリス・1862-)が、ニースで亡くなっています。子供にとっては『青い鳥』の作者として有名ですが、オペラ・ファンにとってはドビュッシー(クロード・1862-1918)の『ペレアスとメリザント』や、デュカ(ポール・1865-1935)の『アリアーヌと青髭』の作者として知られています。


【5月7日】ロシアの大作曲家チャイコフスキー、誕生。

●1800年、イタリアの作曲家ピッチンニ(ニッコロ・1728-)が、パリ近郊で亡くなっています。生涯で100以上のオペラを書き、中でも『チェッキーナまたは良い娘』は大成功を収めました。グルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)のライバルとして、のちにそれぞれの支持者たちによって<グルックVSピッチンニ論争>がおきました。
●1825年、映画『アマデウス』によって、すっかりモーツァルトの敵役?として有名になってしまった作曲家サリエーリ(アントーニオ・1750-)が、レニャーゴで亡くなっています。ウィーンの宮廷音楽家として一世を風靡し、ウィーンはもちろんイタリア各地でも大活躍。スカラ座のこけら落としのために『気に入られたエウローパ』の作曲をしています。もちろん、モーツァルトへの毒殺説には根拠がありません。詳しくお知りになりたい方には、本邦初の評伝である水谷彰良著『サリエーリ』(音楽之友社刊)をお薦めします。
●1840年、ロシアを代表する作曲家チャイコフスキー(ピュートル・イリイチ・-1893)が、ヴォトキンスクで生まれています。交響曲からバレエ音楽まで多種にわたる楽曲を作曲していますが、オペラも『エウゲニー・オネーギン』『スペードの女王』などは、世界の歌劇場のレパートリーを飾っています。彼の最後のオペラ『イオランタ』も、先ごろMETでも上演されましたが、同劇場にとっては123年ぶりの初演だとか。(なおユリウス暦では、4月25日生まれとなります)
●1841年、ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)の1幕物のファルサ『リータ』が、パリのオペラ・コミック座で初演。
●1888年、ラロ(エドゥアール・1823-92)といえば『スペイン交響曲』で有名ですが、彼のオペラ作品の中では唯一成功した『イスの国の王様』が、パリのオペラ・コミック座で初演。ブルターニュ地方の伝説によるもので、Ys(イス)という架空の国が舞台。“椅子”の王様ではないので、念のため。
●1926年、フランスの作曲家ミヨー(ダリュス・1892-1974)『オルフェの不幸』が、ブリュッセルで初演。
●1942年、20世紀前半に活躍した大指揮者ワインガルトナー(フェーリクス・1863-)が、スイスのヴィンタートゥールで亡くなっています。


【5月8日】不寛容は、ノー、ノー?

●1949年、メノッティ(ジャン=カルロ・1911−2007)の室内オペラ『霊媒』が、彼が教授を務めていたコロンビア大学内ブランダー・マシューズ劇場で初演されています。
●1990年、演出家でベルリン・ドイツ・オペラの総監督ゼルナー(グスタフ・ルードルフ・1905-)が、ケーニヒスフェルト=ブルクベルクで亡くなっています。1961年、日生劇場がオープンした時の同オペラの来日公演時の総監督でした。
●1990年、現代作曲家ノーノ(ルイージ・1924-90)が、生地のヴェネツィアで亡くなっています。フェニーチェ劇場で初演した『不寛容1960』などのオペラ作品がありました。


【5月9日】ゲーテと並ぶドイツの大詩人シラー、亡くなる。

●1740年、ナポリ楽派のオペラの巨匠パイジェッロ(ジョヴァンニ・1740-1816)が、ターラントで生まれています。モーツァルトとほぼ同年代で、オペラ・ブッファでの第一人者でした。代表作に『セビリアの理髪師』『ニーナ』『いかさま決闘』などがあります。
●1805年、ゲーテと並ぶドイツの国民的な詩人・劇作家シラー(ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・1759-)が、ヴァイマールで亡くなっています。彼の作品には多くの作曲家がオペラの原作として取り上げています。中でもヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)は、『ジョヴァンナ・ダルコ』『群盗』『ルイーザ・ミッテル』『ドン・カルロ』と4作を取り上げています。
●1812年、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)のファルサ『絹のはしご』が、ヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で初演。
●1857年、プッチーニ・オペラの台本作家として知られるイッリカ(ルイージ・-1919)が、ピアツェンツァ近郊で生まれています。プッチーニ以外でも、ジョルダーノ(ウンベルト・1867−1948)の『アンドレア・シェニエ』やマスカーニ(ピエトロ・1863−1945)『イリス』などの台本も手がけています。
●1893年、19世紀から20世紀にかけての大ピニストでもあったロシアの作曲家ラフマニノフ(セルゲイ・1873-1943)のオペラ『アレコ』が、モスクワのボリショイ劇場で初演されています。
●1914年、イタリアの指揮者でスカラ座やコヴェント・ガーデンなどで活躍したジュリーニ(カルロ=マリア・-2005)が、バルレッタで生まれています。
●1957年、ドン・ジョヴァンニなどを得意としたイタリアのバス・バリトンのピンツァ(エッツィオ・1892-)が、スタンフォードで亡くなっています。
●2012年、オペラ研究家として数々の名著を残した永竹由幸(1938-)が、東京で亡くなっています。本稿の執筆も永竹先生の著作の助けによるところが大きいのです。

隠れコラム
1805年5月9日、ドイツの詩人シラー、ヴァイマールで死去。 日本人にとって、シラーといえば「歓喜の歌」である。ドイツ語圏以外の国で、ベートーヴェンの『第九』を原語で歌える人数は、多分日本が一番多いに違いない。反面、それほど日本人が愛してやまないベートーヴェンの『第九(合唱付)』の作者であるフリードリヒ・フォン・シラーについて、現代の日本人は意外なほど知らないではあるまいか。明治・大正期には、シルレルと呼ばれて人気があった。ドイツ文学史上では、ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・1749-1832)と並ぶ国民的な詩人・劇作家としての評価を受け、数多くの名作を遺している。彼の戯曲は初期のシュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)時代から一貫してロマン的な作風であり、それが多くの作曲家の創作意欲をかき立てたのであろう。とくにヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)は初期のころから、シラーが匿名で書いた処女作『群盗』を題材とし、この他にも『オルレアンの乙女』を『ジョヴァンナ・ダルコ』に、さらに『ルイーザ・ミッテル』『ドン・カルロス』と、4作品もシラーの原作に依っている。他の作曲家も、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)は『ギョーム・テル(ウイリアム・テル)』、ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)は『マリーア・ストゥアルダ』、チャイコフスキー(ピュートル・イリイチ・1840-93)も『オルレアンの少女』をオペラ化するなど、まさにドイツを代表する作家の面目躍如だ。
ヴァイマールには、ゲーテとシラーが並んで立つ銅像があるが、最初の出会いではお互いに好印象を持たなかったらしい。後になって肝胆相照らす仲となったという。死の直前にもゲーテと一緒に観劇中に気分が悪くなり退席し、その後自宅で亡くなった。その翌年、ゲーテは秘密裏にシラーの骸骨をアンナ・アマーリア図書館から借り出し、それを眺めながら『シラーの骸骨に寄す』を詠んだという。シラーもいい迷惑だろうが、ゲーテもあまりいい趣味ではない。

【5月10日】20世紀フランス・オペラの傑作、初演。

●1697年、ルクレール(ジャン=マリ・-1764)が、リヨンで生まれています。もともとヴァイオリン奏者でありダンサーであったのですが、50歳の時に『シラとグロキュス』というオペラを作曲。遺されたオペラはこれ一曲。
●1907年、デュカ(ポール・1865-1935)『アリアーヌと青ひげ』が、パリのオペラ・コミック座で初演。青ひげというとバルトーク(ベーラ・1881-1945)の『青ひげ公の城』を思い出しますが、こちらはメーテルランク(モーリス・1862-1949)の原作と台本で、20世紀フランス・オペラの傑作の一つ。
●1919年、スイスの指揮者マーク(ペーター・-2001)が、ザンクトガレンで生まれています。欧米各地で活躍、とくにモーツァルトのオペラの指揮には定評がありました。来日も多く日本でもファンが多かった人でした。


【5月11日】オペラの殿堂ミラノ・スカラ座、復活。

●1837年、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)が出現するまでは、イタリアを代表する人気オペラ作曲家だったメルカダンテ(サヴェーリオ・1795−1870)の『誓約』が、ミラノのスカラ座で初演。
●1849年、ドイツの作曲家ニコライ(オットー・1810-)が、ベルリンで亡くなっています。彼の代表作といえば、言わずと知れたシェイクスピア原作の『ウィンザーの陽気な女房たち』。
●1917年、ブゾーニ(フェルッチョ・ベンヴェヌート・1866-1924)『アルレッキーノ(または窓)』と、同じくブゾーニ『トゥーランドット』の2作が、チューリヒ市立劇場で同時に初演。いずれも1幕オペラなので、ダブル・ビルでの初演となったのでしょう。彼の名はどちらかといえばピアノ演奏史の中での巨匠ピアニストというイメージが強いのですが、オペラも数多く書いています。
●1946年、スカラ座が再開。ファシズムから解放されたイタリアでは、それに抵抗したトスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)は英雄として迎えられ、かつてのホームグラウンドであったスカラ座再開の記念日には、彼の指揮によってロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニ、ボーイトなどが演奏されました。その時の実況CD(NAXOS)も残されています。


【5月12日】2人のフランス作曲家が誕生。

●1828年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『ゴルコンダの女王』、ヴェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場で初演。
●その4年後の1832年、同じくドニゼッティの代表作『愛の妙薬』が、ミラノ、アノッピアーナ座で初演されています。有名なアリア「人知れぬ涙」はブッファには向かないという周囲の反対を押し切って挿入し、これが大当たりしたのです。
●1845年、フランスの作曲家フォーレ(ガブリエル・-1924)が、フランスのパミエで生まれています。あの美しい『レクイエム』は有名ですが、本格的なオペラとしては『ペネロープ』(1913)を残しています。
●その3年後の1848年、マスネ(ジュール=エミル=フレデリク・−1912)がフランスのモントーで生まれています。マスネの代表作としては『マノン』『タイス』『ヴェルテル』が有名ですが、『エロディアード』『サンドリオン』『ドン・キショット』などの名作を残しています。
●1884年、チェコ音楽の始祖とも言えるスメタナ(ベドルジフ・1824-)が、プラハで亡くなっています。なんといっても『売られた花嫁』が彼の代表作。
●1938年、フランスの作曲家オネゲル(アルチュール・1892−1955)の劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』が、バーゼルで初演されています。
●1910年、日本にも最盛期の頃に度々来日したイタリアの名メッゾソプラノのシミオナート(ジュリエッタ・-2010)が、フォルリで生まれています。(亡くなった5月5日の項参照)


【5月13日】モーツァルトの早熟なオペラ、初演。

●1767年、モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)の最初のオペラと言われる『アポロとヒヤキントス』が、ザルツブルクの大学講堂で初演されています。彼11歳の時の作品。
●1840年、フランスの作家ドーデ(アルフォンス・-1897)が、ニームで生まれています。彼の作品を原作としたオペラには、チレーア(フランチェスコ・1866-1950)『アルルの女』やマスネ(ジュール=エミル=フレデリク・1842−1912)『サッフォ』などがあります。
●1842年、日本を題材にして大当たりをとった『ミカド』の作曲家サリヴァン(アーサー・−1900)が、ロンドンで生まれています。
●1900年、ワーグナー(リヒャルト・1813−83)からの信頼も厚く『パルジファル』の初演や葬儀の時にも指揮をとったレヴィ(ヘルマン・1839-)が、ミュンヘンで亡くなっています。


【5月14日】辣腕興行師だった『蝶々夫人』の原作者ベラスコ。

●1889年、フランスの作曲家マスネ(ジュール=エミル=フレデリク・1842−1912)『エスクラルモンド』が、パリのオペラ・コミック座で初演。マスネの中ではもっともワーグナー的な作風で、マスネ自身も気に入っていた曲でした。
●1885年、ドイツの指揮者クレンペラー(オットー・-1973)が、ブレスラウで生まれています。マーラーに引き立てられ、ベルリン国立歌劇場などで活躍しますが、ナチスに追われてスイスから渡米し、戦後も数多くのオペラを録音しています。
●1931年、劇作家で演劇プロデューサーでもあったベラスコ(デーヴィド・1853-)が、ニューヨークで亡くなっています。(オペラ辞典では、15日となっていますが、他の資料ではすべて14日となっており、こちらの方が正しいようです。)プッチーニによって『蝶々夫人』と『西部の娘』の2つの作品がオペラ化されています。演劇プロデューサーとしても辣腕を振るい、現在でもブロードウェイには彼の名を関した「ベラスコ劇場」が盛業中です。


【5月15日】オペラの始祖モンテヴェルディ、受洗。

●1567年、事実上のオペラの始祖であるクラウディオ・モンテヴェルディ(-1643)が、クレモナで受洗しています。彼の誕生で、オペラの歴史が始まったと言っても過言ではありません。またマントヴァ公爵から宮廷楽士長を馘首され、ヴェネツィアのサン・マルコ大寺院の楽長となり、多くの宗教曲やマドリガルを作曲。さらにヴェネツィアで初の商業オペラ劇場が開場されたことにより、『ポッペアの戴冠』や『ウリッセの帰還』などの初期バロック・オペラの名作を生み出したのです。
●1703年、フランスの詩人であり童話作家としても知られているペロー(シャルル・1628-)が、パリで亡くなっています。彼の童話が、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868やヴォルフ=フェラーリ(エルマンノ・1876-1948の『サンドリオン(シンデレラ)』を生み出したのです。


【5月16日】フェニーチェ劇場、パルマ劇場、開場。

●1792年のこの日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場が開場。こけら落としの演目は、当時人気作曲家だったパイジェッロ(ジョヴァンニ・1740-1816)の『アグリジェントの大競技』でした。
●1799年、『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』の原作者ボーマルシェ(ピエール・オギュスタン・1732-)が、パリで亡くなっています。彼の生涯については、鈴木康司著『闘うフィガロ〜ボーマルシェ一代記』(大修館書店刊)をお読みください。
●1829年、早世したベルカント・オペラの作曲家ベッリーニ(ヴィチェンツオ・1801—35)の『ザイーラ』が、パルマのテアトロ・ドゥーカーレで初演されています。
●1829年、パルマ王立歌劇場が、この日に開場。マリ・ルイーズ皇后の命によって建設され、ヴェルディの生地にも近いところから彼の作品の上演が多いことで知られています。
●1868年、ボヘミアの作曲家スメタナ(ベドルジフ・1824-84)の『ダリオール』が、プラハ国立劇場で初演。
●1891年、20世紀前半に活躍したオーストリアのテノール、タウバー(ヒリャルト・-1948)が、リンツで生まれています。
●1922年、オーストリアの指揮者スウィトナー(オトマール・-2010)が、インスブルックで生まれています。
●1949年、現在もスカラ座やMETで活躍するイタリアのバス歌手フルラネット(フェルッチョ・)が、シチリアで生まれています。
●1954年、生粋のウィーンっ子であったオーストリアの指揮者クラウス(クレーメンス・1893-)が、メキシコシティで客死しています。


【5月17日】名作『カヴァレリア・ルスティカーナ』初演。

●1890年、ヴェルズモ・オペラの代表作であるマスカーニ(ピエトロ・1863−1945)『カヴァレリア・ルスティカーナ』が、ローマのコスタンツィ劇場で初演されています。
●1906年、METで戦前戦後を通じて活躍したソプラノ、ミラノフ(ジンカ・-1989)が、ザブレブで生まれています。
●1918年、スエーデンのソプラノでワーグナーを得意としたニルソン(ビルギット・-2005)が、カルップで生まれています。
●1929年、ドイツの歴史的名歌手レーマン(リリ・1848-)が、ベルリンで亡くなっています。
●1935年、フランスの作曲家デュカ(ポール・1865-)が、パリで亡くなっています。
●1938年、永井荷風が台本を書き、菅原明朗が作曲した『葛飾情話』が、浅草オペラ館で初演されています。


【5月18日】なぜオペラを書かなかったのか?マーラー死す。

●1779年、オペラの改革者でもあったグルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)の『トーリードのイフィジェニー』が、パリのオペラ座で初演されています。
●1810年、ヴェルディの主要なオペラの台本を書いたピアーヴェ(フランチェスコ・マーリオ・-1876)が、ヴェネツィアのムラーノで生まれています。
●1887年、フランスの作曲家シャブリエ(アレクシス=エマニュアル・1841−1894)のオペラ・コミック『いやいやながらの王様』が、パリのオペラ・コミック座で初演。
●1892年、イタリアのバス・バリトン歌手ピンツァ(エツィオ・-1957)が、ローマで生まれています(亡くなった日の5月9日の項参照)。
●1909年、スペインの作曲家アルベニス(イサーク・1860-)が、カンポで亡くなっています。オペラとしての代表作は『ペピータ・ヒメネス』(1896年初演)。
●1911年、オーストリアの作曲家・指揮者マーラー(グスタフ・1860-)が、ウィーンで亡くなっています。彼は1曲もオペラを遺しませんでしたが、ウィーン宮廷劇場の総監督となり数々のオペラを指揮し、オペラ改革を成し遂げています。
●1918年、ブルガリアのバス歌手クリストフ(ボリス・-1993)が、プロヴディフで生まれています。とくにボリス・ゴドゥノフは当たり役でした。
●1940年、イタリアの現代作曲家ダッラピッコラ(ルイージ・1904-75)の『夜間飛行』が、フィレンツェで初演されています。サン=テグジュペリ(アントワーヌ・ド・1900-44)の同名の小説をオペラ化したもの。
●2012年、日本にもたびたび来日して、その知的で精緻な歌唱で多くの音楽ファンを魅了したドイツのバリトン歌手フィッシャー=ディスカウ(ディートリヒ・1925−)が、ミュンヘン近郊で亡くなっています。彼が執筆した『ワーグナーとニーチェ』は名著です、是非ご一読を。享年86歳でした。


【5月19日】洒落たラヴェルのオペラ『スペインの時』、初演。

●1843年、ベルカント・オペラの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『シャモニーのリンダ』が、ウィーンのケルントナートーア劇場で初演されています。
●1861年、「ピーチ・メルバ」というスイーツにも名を残す歴史的ソプラノ歌手メルバ(ネリー・-1931)が、メルボルン近郊で生まれています。
●1876年、『蝶々夫人』の創唱者でもあるイタリアのソプラノ、ストルキオ(ロジーナ・1876-1945)が、ヴェネツィアで生まれています。
●1911年、フランスの作曲家ラヴェル(モーリス・1875-1937)のオペラ『スペインの時』が、パリのオペラ・コミック座で初演。


【5月20日】軽妙洒脱な歌役者クンツ、生まれる。

●1950年、イタリアの現代作曲家ダッラピッコラ(ルイージ・1904-75)『囚人』が、フィレンツェのテアトル・コムナーレで初演。
●1961年、ドイツの作曲家ヘンツェ(ハンス・ヴェルナー・1926-2012)『若い恋人たちへのエレジー』が、シュヴェチンゲン音楽祭での離宮劇場で初演されています。
●1909年、往年のファンにとっては馴染みの深いクンツ(エーリヒ・-1995)が、ウィーンで生まれています。来日時でのフィガロやレポレッロの軽妙な歌と演技は、いまだに語り草に。


【5月21日】ヴェリズモ・オペラの傑作『道化師』、初演。

●1892年、レオンカヴァッロ(ルッジェーロ・1857-1919)の出世作『道化師』が、ミラノのダル・ヴェルメ劇場で初演。レオンカヴァッロの『カヴァレリア・ルスティカーナ』と並んで、ヴェルズモ・オペラの2大傑作です。
●1895年、『軽騎兵』『詩人と農夫』序曲など、私たちにとっては小学校の時から親しんでいる作曲家スッペ(フランツ・フォン・1819-)が、ウィーンで亡くなっています。生涯に残したオペレッタは31曲とか。
●1925年、大ピアニストでもあったブゾーニ(フェルッチョ・ベンヴェヌート・1866-1924)が書いた大作オペラ『ファウスト博士』が、ドレスデンの国立歌劇場で初演。


【5月22日】なんといっても、この日はワーグナーの誕生日。

●1813年、ドイツ最大のオペラ作曲家ワーグナー(リヒャルト・-1883)が、この日ライプチヒで生まれています。彼ほど同時代および後世の作曲家や芸術家に影響を与えた作曲家もいないでしょう。2013年は、その生誕200年という節目の年で大いに盛り上がりました。
●1874年、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『レクイエム』が、作曲者自身の指揮でミラノのサン・マルコ寺院で初演されました。この曲は、彼が最も尊敬するイタリアの詩人マンゾーニ(アレッサンドロ・1785-1873)の一周忌の際に演奏されたのです。
●1885年、フランスの文豪ユゴー(ヴィクトール・1802-)が、パリで亡くなっています。彼の作品は、ヴェルディの『リゴレット』『エルナニ』をはじめ、多くのオペラ作品の原作になっています。
●1913年、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『アルジェのイタリア女』が、ヴェネツィアのサン・ベネデット劇場で初演。
●1949年、ドイツの作曲家で指揮者でもあったプフィッツナー(ハンス・1869-)が、ザルツブルクで亡くなっています。オペラ作品としては、とくに『パレストリーナ』が有名(誕生日の5月4日の項参照)。
●2012年、音楽評論家として健筆を振るい、また桐朋音楽大学の創立にかかわり、晩年は鎌倉芸術館館長としても大きな業績を残した吉田秀和(1913-)が、鎌倉で亡くなっています。享年98歳でした。


【5月23日】ベートーヴェンの『フィデリオ』、やっと完成。

●1814年、唯一のオペラ作品であるベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・1770−1827)『フィデリオ』が、ウィーン、ケルントナートーア劇場で第三版が初演。それ以前は、ヒロイン名の『レオノーレ』として作曲され、序曲もなんども書き直され、これが現行版となっています。
●1887年、イタリアの歴史的テノール歌手フラスキーニ(ガエターノ・1816-)が、ナポリで亡くなっています。とくにヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)に信頼され、彼のオペラの多くの作品の初演で創唱を果たし、とくに『仮面舞踏会』でのリッカルドは有名です。
●1893年、ポーランド出身でのちにアメリカ国籍を取得したソプラノ歌手ライザ(ローザ・-1963)が、ビアウィストックで生まれています。『トゥーランドット』初演のタイトルロールを務めました。
●1912年、フランスの作曲家フランセ(ジャン・-1997)が、ル・マンで生まれています。
●1971年、オーストリアの現代作曲家アイネム(ゴットフリート・フォン・1918−96)『老婦人の訪問』が、ウィーンで初演。


【5月24日】バルトークの傑作『青ひげ公の城』初演。

●1808年、伝説的なメッゾソプラノ歌手マリブラン(マリア・-1836)が、パリで生まれています。テノール歌手でもあった父とともに各地を巡演。ヴェネツィアには彼女の名を冠した劇場もあり、また詩人ミュッセ(アルフレッド・ド・1810-57)は、若くして亡くなった彼女を追悼したオードを書いています。
●1833年、メンデルスゾーン、シューマンなどとも交流のあった作曲家マルシュナー(ハインリヒ・アウグスト・1795-1861)の代表作『ハンス・ハイリング』が、ベルリン宮廷劇場で初演。
●1899年、マスネ(ジュール=エミル=フレデリク・1842−1912)『サンドリオン』が、パリのオペラ・コミック座で初演。
●1918年、バルトーク(ベーラ・1881-1945)の唯一のオペラ『青ひげ公の城』が、ブダペストの国立歌劇場で初演。
●1922年、メシアンなどに師事した作曲家、日本の別宮(べっく)貞雄(-2012)が、東京で生まれています。オペラ作品としては『有間皇子』『三人の女達の物語』など。


【5月25日】ウィーン宮廷歌劇場、コロン劇場、開場。

●1869年、ウィーン国立(当時は宮廷)歌劇場が、この日開場。こけら落とし演目は、モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・1756−91)の『ドン・ジョヴァンニ』でした。
●1908年、南米最大のオペラハウスでもあるヴェノス・アイレスのコロン劇場もまた、この日に開場。『アイーダ』でこけら落しでした。
●1909年、日本のメッゾソプラノとして活躍した佐藤美子(-1982)が、兵庫で生まれています。
●1929年、アメリカのソプラノ歌手シルズ(ベヴァリー・1929-2007)が、ニューヨークで生まれています。晩年までオペラ界に尽力し、METも含めてのリンカーンセンターの会長も務めていました。
●1934年、昨今はすっかり「ジュピター」(『惑星』)で有名になってしまったイギリスの作曲家ホルスト(グスターヴ・-1934)が、ロンドンで亡くなっています。『サーヴィトリー』など幾つかの室内オペラを残しています。
●1981年、アメリカのソプラノ歌手ポンセル(ローザ・1879-)が、ボルティモアで亡くなっています。『運命の力』『ノルマ』などで成功を収めましたが、40歳という若さで引退。


【5月26日】日本が生んだ国際的プリマドンナ、三浦環が亡くなる。

●1799年、ロシアの詩人プーシキン(アレキサンドル・−1837)が、モスクワで生まれています。彼の作品は『マゼッパ』『スペードの女王』『金鶏』など、多くの作品がオペラ化されています。
●1914年、ストラヴィンスキー(イーゴリ・1882−1971)『夜鶯』が、パリのオペラ座で初演。この作品はまだ『火の鳥』が生み出される前の作品。
●1921年、ドイツのソプラノ歌手ボルク(インゲ・)が、マンハイムで生まれています。R.シュトラウス自身が指揮した『サロメ』に出演し、彼から絶賛されています。訃報を聴いていないので、ご存命なら94歳。
●1930年(昭和5年)、『蝶々夫人』が、日本での本格初演された日。山田耕筰指揮による東劇での上演でした。
●1935年、カナダのソプラノ歌手ストラータス(テレサ・)が、トロントで生まれています。ドミンゴと共演した『椿姫』の映像は、全盛期の彼女の歌唱を収めた不朽の名盤。
●1941年(昭和16年)、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『アイーダ』の日本人による本格初演が、この日。グルリット(マンフレート・1890−1972)指揮で、歌舞伎座で上演されました。
●1946年、日本人で最も世界中で有名になったソプラノ歌手の三浦環(1884-)が、東京で亡くなっています。メサジュ(アンドレ・1853-1929)の『お菊さん』のアメリカ初演を行ない、ローマのコスタンツィ劇場、パリのオペラ・コミック座などヨーロッパ各地でも活躍し、『蝶々夫人』は生涯で2000回も歌ったという国際的なプリマドンナ。プッチーニに会い激賛されたと自伝の中で語っています。


【5月27日】知る人ぞ知るアレヴィ『ユダヤの女』

●1799年、フランスの作曲家アレヴィ(フロマンタル・-1862)が、パリで生まれています。今なお上演される作品としては『ユダヤの女』ぐらいでしょうか。しかし、彼の門下生としてグノー、ルコック、ビゼー、サン=サーンス、ギローなど多士済々の作曲家たちを輩出しています。


【5月28日】日本で最初の創作オペラ、誕生。

●1904年、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)『蝶々夫人』改訂版がブレッシアのテアトロ・グランデで初演。初演の不評が嘘のような評判でした。
●1904年(明治37年)、北村季晴(1872-1931)『露営の夢』が、東京三田演説館の慶応ワグネルソサエティで初演。これが、日本での創作オペラの嚆矢とされています。
●1925年、ドイツのバリトン歌手フィッシャー=ディスカウ(ディートリヒ-2012)が、ベルリンで生まれています(亡くなった日の5月18日の項参照)。
●1938年、ヒンデミット(パウル・1895-1963)の代表的なオペラ『画家マティス』が、チューリヒ市立劇場で初演されています。


【5月29日】早熟だったコルンゴルド、誕生。

●1860年、スペインの作曲家アルベニス(イサーク・-1909)が、カンブロトンで生まれています。(亡くなった日の5月18日の項参照)
●1897年、『死の都』で有名なコルンゴルト(エーリヒ・ヴィルフガング・-1957)が、ブルーノで生まれています。少年時代から才能を開花させ、現代のモーツァルトとも呼ばれたほど。代表作『死の都』は20歳の時の作曲。アメリカに渡ってからは多くの映画音楽を手がけアカデミー賞も2度受賞しました。


【5月30日】ボヘミアを代表するオペラ『売られた花嫁』初演。

●1866年、スメタナ(ベドルジフ・1824-84)の代表作『売られた花嫁』が、プラハの仮劇場で初演されています。
●1883年、イタリアの作曲家ザンドナーイ(リッカルド・-1944)が、ロヴェレートで生まれています。代表作としては、ダンヌンツィオ(ガブリエーレ・1863-1938)と組んだ『フランチェスカ・ダ・リミニ』が有名。
●1901年、オーストリアの演出家フェルゼンシュタイン(ワルター・-1975)が、ウィーンで生まれています。オペラの演劇性を主張し、彼の門下からはゲッツ・フリードリヒ、ヨアヒム・ヘルツ、ハリー・クプファーなどの名演出家を輩出しています。
●1920年、アメリカのバス歌手ロンドン(ジョージ・-1985)が、モントリオールで生まれています。ウィーン、バイロイト、ニューヨークで活躍しますが、47歳で歌手活動から引退。
●1927年、ストラヴィンスキー(イーゴリ・1882−1971)『エディプス王』が、パリのサラ・ベルナール座で、演奏会形式で初演されています。
●1989年、ブルガリアのソプラノ歌手ミラノフ(ジンカ・1906−)が、ニューヨークで亡くなっています(誕生日の5月17日の項参照)。


【5月31日】パパ・ハイドン、ウィーンに死す。

●1809年、ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・1732−)が、ウィーンで亡くなっています。“交響曲の父”と呼ばれているパパ・ハイドンは、本当はオペラの父?と呼ばれたかったほど、オペラに思い入れがあったようです。(誕生日の3月31日の項参照)
●1817年、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『泥棒かささぎ』が、ミラノのスカラ座で初演。
●1846年、ロルツィング(アルベルト・1801−51)『刀鍛冶』が、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演。
●1884年、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)の処女作オペラ『妖精ヴィッリ』が、ミラノのダル・ヴェルメ劇場で初演されています。オペラ作曲家としての地位を不動にするには、第3作『マノン・レスコー』まで待たなければなりませんでした。
●1890年、シチリア島のパルレモのマッシモ劇場が、この日開場。杮落としは、地元出身のベッリーニ(ヴィチェンツィオ・1801—35)『ノルマ』でした。
●1912年、イギリスのカウンター・テナー、デラー(アルフレッド・-1979)が、ケントで生まれています。「デラー・コンソート」を結成して中世や古いイギリスの音楽を復活させました。ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)『夏の夜の夢』のオベロンは、彼のために書かれたものといいます。
●1935年、新国立劇場オペラ芸術監督として活躍した若杉弘(-2009)が、東京で生まれています。日本のみならず、ドイツを中心にヨーロッパの主要歌劇場で首席指揮者や音楽監督を務めるなど国際的に活躍。また多くのオペラの日本初演を手がけました。2007年より新国立劇場のオペラ芸術監督を務め、任期半ばで亡くなっています。

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