オペラ・エクスプレス

The opera of today from Tokyo, the hottest opera city in the world

年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年8月—新井巌(あらいいわお)

オペラ暦8

【目次】

【8月1日】ドイツを代表するバス=バリトン、テーオ・アダム誕生。

●1926年、ドイツのバス=バリトン歌手アダム(テーオ・)が、ドレスデンで生まれました。カイルベルト(ヨーゼフ・1908-68)に見出され、早くからバイロイト音楽祭に出演し、カラヤン(ヘルベルト・フォン・1908-89)やベーム(カール・1894-1981)指揮の『指環』のヴォータン役など、ドイツ・オペラの正統的な歌い手として長く活躍しました。
●1985年、イタリアの指揮者プレヴィターリ(フェルナンド・1907-)が、ローマで亡くなっています。トリノで学び、のちにナポリのサン・カルロ歌劇場の首席指揮者を務めました。学究肌で著書に「指揮法入門」を著したほど。黄金期のイタリア・オペラの時期に、名歌手との共演も多く、また日本へもたびたび来日して、名演奏を聞かせてくれました。(誕生日の2月16日の項参照)


【8月2日】伝説的な大テーノル・カルーゾ、ナポリで死す。

●1921年、イタリアの不世出の大テノール歌手カルーゾ(エンリコ・1873-)が、生まれ故郷のナポリで亡くなっています。まさに伝説のテノールですが、レコード録音初期の頃からの記録が残っており、貧しい音源ながら絶妙の節回しは他の追随を許さないものがあります。1920年にMETでの出演中に喀血し、その後故郷のナポリで療養を続けていましたが、48歳という若さで世を去りました。(誕生日の2月25日の項参照)
●1937年、ドイツ生まれのオーストリアの名ソプラノ歌手ヤノヴィッツ(グンドゥラ・)が、ベルリンで生まれています。カラヤン(ヘルベルト・フォン・1908-89)の秘蔵っ子のソプラノというイメージが強い彼女ですが、当時の名指揮者ベーム(カール・1894-1981)、クレンペラー(オットー・1885-1973)、ショルティ(ゲオルグ・1912-)などにも愛され、多くの録音を残しています。
●1945年、イタリアのヴェリズモ・オペラの作曲家マスカーニ(ピエトロ・1863−)がローマのホテルで亡くなっています。代表作『カヴァレリア・ルシティカーナ』だけでなく、『友人フリッツ』『イリス』など15曲のオペラを書いています。晩年は、ファシスト党に接近したことで、戦後全財産を没収されるなど、悲運に見舞われました。


【8月3日】オペラの殿堂、ミラノ・スカラ座開場。

●1777年、ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・1732−1809)『月の世界』が、エステルハーザ宮廷劇場で初演されました。これは雇い主であったエステルハージ家の婚礼を祝うために作曲されたもので、ゴルドーニ(カルロ・1707−93)の原作に基づくもの。20世紀後半になるまで、日の目を見ませんでした。
●1778年、ミラノのスカラ座が、サリエーリ(アントーニオ・1750-1825)の『気に入られたエロイーズ』を杮落とし公演として開場しました。ピエルマリーニ(ジュゼッペ・1734-1808)の設計により建立され、スカラの名称はサンタ・マリア・アッラ・スカラ教会の跡地に建てられたことに由来するもの。現在では、ヨーロッパの主導的な歌劇場として君臨しています。
●1829年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアキーノ・1792-1868)としては、最後のオペラ作品となる『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』が、パリのオペラ座で初演されました。シラー(ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・1759-1805)の原作に基づくグランド・オペラで、とくに序曲は有名で、かつてはテレビ映画「ローン・レンジャー」のテーマ曲として一世を風靡しました。
●1898年、パリ・オペラ座を設計したガルニエ(シャルル・1825-)、が、パリで亡くなっています。1860年、オペラ座の設計コンペに勝ちながら、着工から完成まで13年もかかりました。その間には1871年のパリ・コミューンと第三共和制の発足などの大事件が多く、新劇場の工事はしばしば中断され、やっと1875年1月5日に落成式が行われたのです。外観および内装はネオ・バロック様式の典型と言われ、この劇場は設計者の名から「ガルニエ宮」と呼ばれることとなりました。革命200年を期して建設されたバスティーユ・オペラとともに、今なおパリのオペラの殿堂としての威容を誇っています。
●2006年、ドイツの名ソプラノ歌手シュワルツコップ(エリーザベト・1915-)が、オーストリア西部のシェルンスの自宅で亡くなっています。もともとはアルトだったといいますが、ソプラノに転向し20世紀後半のオペラ界に大きな足跡を残しました。とくに伯爵夫人、元帥夫人、アリーチェなどの役柄は、他の追随を許さない品格がありました。


【8月4日】フィガロならぬ「モーツァルトの結婚」

●1782年、モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)は、1年越しの恋を実らせて、かつて愛したアロイジアの妹コンスタンツェ・ウェーバー(1762-1842)とウィーンの聖シュテファン教会で結婚しています。「ぼくたち二人が結ばれたとき、ぼくも妻も、そして列席した人や司祭様まで、みんな感動して泣き出してしまったのです」と7日付の父宛の手紙に書いています。
●1929年、イタリアのソプラノ歌手トゥッチ(ガブリエッラ・)が、ローマで生まれています。NHKイタリア歌劇団の第2回、第3回公演に帯同し、若手ソプラノながら当時絶頂だった名テノール歌手デル・モナコ(マリオ・1915-82)などの相手役として大活躍しました。当時は、カラス(マリア・1923-77)やテバルディ(レナータ・1922-2004)の全盛期だったゆえか、録音にはあまり恵まれませんでしたが、その実力はMETでの250回を越す出演回数がなにより物語っています。
●1930年、大ワーグナーの息子ワーグナー(ジークフリート・1869-)が、バイロイトで亡くなっています。彼自身は、フンパーディンク(エンゲルベルト・1854-1921)に作曲を学び、1896年にはバイロイトで『指環』を指揮し、亡くなるまでバイロイト音楽祭の総監督として活躍。自身も『熊の皮を着た男』などメルヘン的なオペラを作曲しています。(誕生日の6月6日の項参照)
●1942年、イタリアのマイアベーアと呼ばれた作曲家フランケッティ(アルベルト・1860-)が、ヴィアレッジョで亡くなっています。ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の推挙で『クリストフォロ・コロンボ』(1892)などのオペラも作曲しています。もともと男爵家の出身で、そのせいかプッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)には『トスカ』を、ジョルダーノ(ウンベルト・1867-1948)には『アンドレア・シェニエ』をオペラ化する権利を譲ってしまったお人柄でした。
●1930年、ドイツの演出家ゲッツ(フリードリヒ・−2000)が、ナウムブルクで生まれています。日本では、1987年の伝説的なベルリン・ドイツ・オペラ公演での『指環』の演出家としておなじみ。すでに15年前に亡くなっていますが、2015年10月から始まった東京の新国立劇場での『指環』シリーズでは、この彼の名演出が復活します。2016年10月には『ワルキューレ』、2017年には『ジークフリート』『神々の黄昏』が上演される予定(今回は、フィンランド国立歌劇場のプロダクションのものを使用)新国立劇場では、2000年に上演された『青ひげ公の城』も、彼の演出を用いています。


【8月5日】カルロスの偉大なる父、エーリヒ・クライバー生まれる。

●1890年、オーストリアの大指揮者クライバー(エーリヒ・−1956)が、ウィーンで生まれています。言うまでもなく、カルロス・クライバー(1930-2004)の父であり、『ヴォツェック』を初演するなど20世紀を代表する指揮者の一人でした。(亡くなった日の1月27日の項参照)
●1811年、フランスの作曲家トマ(アンブロアズ・-1896)が、メッツで生まれています。主としてパリで活躍し、ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・1749-1832)の原作を元にした『ミニヨン』や『ハムレット(アムレット)』『フランチェスカ・ダ・リミニ』など多くのオペラを残しています(亡くなった日の1月13日の項参照)


【8月6日】『沈黙』の作曲家、松村禎三亡くなる。

●1888年、ドイツのバリトン歌手シュルスヌス(ハインリヒ・-1952)が、ブラウバッハで生まれています。1915年『ローエングリン』でデビューし、その後、モーツァルトやヴェルディ作品で高い評価を得たのち、またリート歌手としても活躍しました。
●1904年、ドイツの音楽評論家ハンスリック(エードァルト・1825-)が、バーデンで亡くなっています。音楽評論を専門とした最初の音楽学者で、ワーグナー(リヒャルト・1813−83)、リスト(フランツ・1811-86)、シューマン(ローベルト・1810-56)などと交流がありました。その後ワーグナーとの長い間の音楽論争を繰り返し、ワーグナーは『ニュールベルクのマイスタージンガー』で、彼を戯画化してベックメッサーを書いたとされ、さらに反目は高まったと言われています。
●1947年、オーストリアの作曲家アイネム(ゴットフリート・フォン・1918−96)『ダントンの死』が、ザルツブルクで初演されています。フランス革命を舞台としたビューヒナー(ゲオルク・1813-37)の戯曲に基づく2部のオペラ。この日、ザルツブルク音楽祭でフリッチャイ(フェレンツ・1914-63)の指揮で初演され、これによって彼の作曲家としての地位を確立したのです。
●1966年、ドイツの現代作曲家ヘンツェ(ハンス・ヴェルナー・1926-2012)『バッカスの巫女』が、ザルツブルク音楽祭で初演されています。ギリシャ悲劇に基づく1幕のオペラ・セリア。
●2007年、松村禎三(1929-)が、東京で亡くなっています。彼の書いた畢生の名作オペラ『沈黙』(1993年初演)は、カトリック作家遠藤周作(1923-96)の同名の小説を松村自身が台本化し高い評価を得ています。日本の大規模な創作オペラの中では、『夕鶴』に次ぐ上演回数を誇っています。


【8月7日】偉大な演出家スタニスラフスキーの死。

●1893年、イタリアの作曲家カタラーニ(アルフレード・1854−)が、ミラノで亡くなっています。39歳という若さでした。わずかに残されたオペラ『ヴァリー』と『ローレライ』は、今なおヨーロッパのオペラハウスで時たま上演されています。(誕生日の6月19日の項参照)
●1938年、ロシアとソ連の時代をまたがった演出家スタニスラフスキー(コンスタンティン・1863-)が、モスクワで亡くなっています。モスクワ芸術座を設立し演劇界に大きな影響を及ぼしました。とくスタニフラフスキー・システムと呼ばれた俳優の教育法は、演劇界だけでなくオペラ界にも少なからぬ影響を与えています。


【8月8日】アメリカのメッゾ・ソプラノ、レスニック亡くなる。

●1905年、フランスの作曲家ジョリヴェ(アンドレ・-1974)が、パリで生まれています。オペラは唯一『ドロレス、または醜い女の奇跡』(1942)が残されています。
●2013年、アメリカのメッゾ・ソプラの歌手レスニック(レジーナ・1922-)がニューヨーク・マンハッタンで亡くなっています。ニューヨークのブロンクスで生まれた彼女は、当初ソプラノとしてMETで活躍していましたが、その後トレーニングしてメッゾに転向。これによりジークリンデ、カルメン、オルロフスキーなどで活躍の幅を広げました。その後ミュージカル女優や演出も手がけ、その半世紀以上にわたる彼女のキャリアを賞賛するためにニューヨーク市は、「レジーナ・レスニック・ディ」を設けています。


【8月9日】レオンカヴァッロ、ショスタコーヴィチのご命日。

●1862年、ベルリオーズ(エクトール・1803-69)『ベアトリスとベネディクト』が、バーデンバーデンで初演されています。シェイクスピアの『から騒ぎ』を元にした2幕のオペラで、16世紀のシチリアを舞台にした喜劇。2015年から改名したセイジ・オザワ松本フェスティバルでは、小澤征爾(1935−)が自らタクトを振る予定でしたが、惜しくも怪我のために降板しました。
●1914年、ハンガリー出身の名指揮者フリッチャイ(フェレンツ・1914-63)が、ブダペストで生まれています。多くのオペラ録音も残しましたが、48歳というまさに働き盛りの年代で亡くなっています。(亡くなった日の2月20日の項参照)
●1919年、イタリアの作曲家レオンカヴァッロ(ルッジェーロ・1857-)が、モンテカティーニで亡くなっています。代表作『道化師』はあまりにも有名ですが、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)とも協力して、彼の出世作『マノン・レスコー』の台本作者も務めています。台本作者として彼は、『ラ・ボエーム』の台本を書きプッチーニに見せますが、その時は興味を示さず、その後プッチーニは他の台本作者と『ラ・ボエーム』を作曲し成功させます。彼とプッチーニとが疎遠になったのは言うまでもありません。(誕生日の4月23日の項参照)
●1949年、ドイツの現代作曲家オルフ(カール・1895-1982)『アンティゴネー』が、ザルツブルクで初演されています。ギリシャ悲劇をもとにした1幕のオペラ。
●1975年、ソ連の作曲家ショスタコーヴィチ(ドミトリー・1906−75)が、モスクワで亡くなっています。彼はソ連時代の政治的な統率下の中にあって、さまざまな苦難を味わいながら作曲に専念。オペラ作品としては、『鼻』『ムツェンスク郡のマクベス夫人』、さらにそれを改作した『カテリーナ・イズマイロヴァ』、『賭博師』などは、現在でも盛んに上演されています。


【8月10日】名バリトン、プロッティ亡くなる。

●1970年、ドイツの現代作曲家ツィンマーマン(ベルント・アロイス・1918-)が、ケルン近郊で亡くなっています。オペラでの彼の代表作『軍人たち』は、2008年新国立劇場によって若杉弘指揮で上演されました。(誕生日の3月20日の項参照)
●1995年、イタリアの名バリトン歌手プロッティ(アルド・1920-)が、クレモナで亡くなっています。彼を最も印象付けたのは、数次にわたるNHK招聘のイタリア歌劇団に同行して、ジェルモン、イヤーゴ、アモナスロなど数多くの役柄を演じたことでしょう。


【8月11日】ハンガリーの名指揮者クーベリック亡くなる。

●1959年、ドイツの作曲家・指揮者ヒンデミット(パウル・1895−1963)『世界の調和』が、ミュンヘンで初演されています。17世紀の天文学者ケプラー(ヨハネス・1571-1630)の生涯を描いた5場のオペラ。作曲者自身の台本により、自らの指揮で初演されました。
●1988年、フランスのオペラ演出家で舞台装置家でもあったポネル(ジャン=ピエル・1932-)が、ミュンヘンで亡くなっています。ザルツブルク音楽祭での『セビリアの理髪師』、バイロイト音楽祭での『トリスタンとイゾルデ』など、数多く名舞台を残し、その後のオペラ演出界に大きな影響を与えました。(誕生日の2月19日の項参照)
●1996年、チェコ出身のスイスの名指揮者クーベリック(ラファエル・1914-)が、ルツェルンで亡くなっています。名ヴァオリニストであった父ヤン・クーベッリク(1880−1940)の伴奏者としてデビューし、●1989年のチェコの民主化革命の際には、翌年の「プラハの春」でのスメタナ(ベドルジフ・1824-84)『わが祖国』の歴史的な名演は忘れがたいものです。オペラ界でも活躍し、1974年METでは初の音楽監督に就任しています。(誕生日の6月29日の項参照)


【8月12日】チェコの作曲家ヤナーチェクの死。

●1633年、オペラ創世期における作曲家・歌手ペーリ(ヤーコポ・1561-)が、フィレンツェで亡くなっています。現在伝えられている最古のオペラ『エウリディーチェ』を作曲し、彼自身もオルフェーオ役を歌ったとされています。
●1845年、イタリアの大作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の初期の作品『アルツィーラ』が、ナポリ・サンカルロ劇場で初演されています。ミラノとヴェネツィアで成功を収めた彼は、さらにナポリでの成功を狙って作曲したもの。ペルーがスペインの植民地であった時代の話で、その後の『運命の力』を予感させます。
●1928年、チェコの代表的作曲家ヤナーチェク(レオシュ・−1928)が、オストラヴァで亡くなっています。10年がかりで書き上げた第3作目の『イエヌーファ』は、彼の代表作となり、日本でも新国立劇場など多くのプロダクションによって上演されています。
●1935年、ドイツの代表的演出家クプファー(ハリー・)が、ベルリンで生まれています。バイロイトでも『さまよえるオランダ人』『指環』などを手がけ、ザルツブルク音楽祭では『ばらの騎士』などを演出。2014年10月の新国立劇場『パルジファル』の演出は彼の手によるものでした。
●1951年、アメリカのオペレッタ歌手ホリディ(メラニー・)が、ヒューストンで生まれています。ミス・フロリダにも選ばれた美貌と、ウィーンで身につけたオペレッタ歌手としての力量は、1980年に来日したウィーン・フォルクスオーパー公演『メリー・ウィドウ』でのヴァランシェンヌ役で大人気となり、その後度々日本を訪れています。
●1955年、ドイツの作家マン(トーマス・1875-)が、チューリヒで亡くなっています。彼の原作による『ヴェニスに死す』は、ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)によってオペラ化されました。彼自身もワーグナーへ深い関心を寄せ、その論文も有名です。
●1982年、イタリアのオペラ指揮者デ・ファブリティース(オリヴィエーロ・1902−)が、ローマで亡くなっています。若くしてオペラ指揮者としての名声を得て、アメリカに渡りMETでも活躍。日本にもNHKイタリア歌劇団に同行しプッチーニ『西部の娘』の日本初演を指揮しています。(誕生日の6月13日の項参照)


【8月13日】ワーグナー悲願のバイロイト祝祭劇場開場。

●1876年、ワーグナー(リヒャルト・1813−83)の生涯の夢だったバイロイト祝坂劇場が完成し、その第1回バイロイト祝祭音楽祭が開幕したのが、この日。当日はルートヴィヒ2世をはじめドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、ブラジル皇帝ペドロ2世などの国賓のほかに、リスト(フランツ・1811-86)、ブルックナー(アントン・1824-96)、チャイコフスキー(ピュートル・イリイチ・1840-93)などの作曲家たちも集まり、ハンス・リヒター(1843-1916)指揮による『指環』の全曲初演で、第1回の音楽祭の幕が開いたのです。
●1912年、フランスの作曲家マスネ(ジュール・エミル・フレデリク・1842−)が、パリで亡くなっています。当時のフランスでは最も人気のあった作曲家で、オペラも多作で36作品を残しています。中でも『マノン』『タイース』『エロディアード』『エスクラルモンド』『ドン・キショット』などは、欧米の歌劇場の主要なレパートリーとして現在も上演されています。(誕生日の5月12日の項参照)
●1948年、アメリカのソプラノ歌手バトル(キャスリーン・)が、ポーツマスで生まれています。METを中心に活躍していた彼女ですが、気難しさと気位の高さで敬遠された時期もありました。日本ではウィスキーのCFで『オンブラ・マイ・フ』を歌って一躍有名となりました。


【8月14日】大指揮者カール・ベーム歿す。

1814年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアキーノ・1792-1868)『イタリアのトルコ人』が、ミラノ・スカラ座で初演されています。2幕のコミック・オペラ。
●1901年、旧東ドイツで活躍した名指揮者コンヴィチュニー(フランツ・-1962)が、フルネクで生まれています。ラオプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団を率いてのベートーヴェンの交響曲などの演奏は、古き良き時代のドイツの伝統的な演奏として日本でもてはやされました。ドレスデン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場の音楽監督を兼任するなど、オペラ指揮者としても活躍しました。息子は、先鋭的なオペラ演出家として名高いペーター・コンヴィチュニー(1945−)。(亡くなった日の7月28日の項参照)
●1913年、イタリアの名テノール歌手タリアヴィーニ(フェルッチョ・−1995)が、フィレンツェで生まれています。ネモリーノやエドガルドを得意としたリリック・テノール。1954年にイタリア歌劇団で初来日。映画の『忘れな草』にも出演していました。(亡くなった日の1月28日の項参照)
●1921年、イタリアの演出家ストレーレル(ジョルジョ・-1997)が、トリエステ近郊(バルコーナ)で生まれています。当初はストレート・プレイの演出でデビューし、ミラノにピッコロ・テアトロを創設。1947年からミラノ・スカラ座でオペラ演出家としてデビュー。モーツァルト、ヴェルディからストラヴィンスキーまで、洗練された感覚でオペラ界に新風を吹き込んだのです。
●1924年、フランスの名指揮者プレートル(ジョルジュ・)が、ワジェで生まれています。フランスのオペラを得意とし、2008年のウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートでの出演で久方ぶりに脚光を浴びました。
●1952年、シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『ダナエの愛』が、ザルツブルク音楽祭で初演されています。指揮は彼の親友でもあったクラウス(クレーメンス・1893-1954)でした。当初は、1944年に初演されるはずでしたが、戦争が激しくなり音楽祭が中止され、結局、作曲家が亡くなってからの初演となったのです。
●1956年、ドイツの劇作家ブレヒト(ベルトルト・1898-)が、ベルリンで亡くなっています。『三文オペラ』『肝っ玉お母とその子供たち』『ガリレイの生涯』などの戯曲を発表して、戦後の演劇界に大きな影響を与えました。ヴァイル(クルト・1900-50)作曲の『三文オペラ』は、今なお人口に膾炙しています。(誕生日の2月10日の項参照)
●1981年、20世紀を代表するオーストリアの大指揮者ベーム(カール・1894-)が、ザルツブルクで亡くなっています。彼は、ワルター(ブルーノ・1876-1962)などの推薦でグラーツ歌劇場の練習指揮者を振り出しに、次第に頭角を現し、またシュトラウス(リヒャルト・1864-1949)とは彼に捧げられた『ダフネ』を初演するなど友誼を深めてきました。戦後はウィーン国立歌劇場の総監督を務め、その後は各地の音楽祭に招かれるなど縦横に活躍。日本にはベルリン・ドイツ・オペラの初来日公演の際に同行し、『フィデリオ』『フィガロの結婚』を指揮して感銘を与えました。


【8月15日】日本を代表するバリトン、栗林義信さん誕生。

●1771年、スコットランドの小説家スコット(ウォルター・-1832)が、エディンバラで生まれています。彼の作品はそのロマン的な作風が音楽家を刺激するのでしょうか。『湖上の美人』(ロッシーニ)、『ランメルムーアのルチア』(ドニゼッティ)、『美しきパースの娘』(ビゼー)、『清教徒』(ベッリーニ)など、オペラの原作となった作品は数多くあります。
●1890年、フランスの作曲家イベール(ジャック・−1962)が、パリで生まれています。20世紀前半に活躍し、オペラでは『アンジェリック』『イヴトの王』『ゴンザーク』などがあります。
●1933年、日本を代表するバリトン歌手栗林義信が、佐賀で生まれています。東京芸大を卒業後、イタリアに留学し、ヴィオッティ国際音楽コンクール金賞を受賞。その後日本リゴレット、ジェルモンなどを得意として多くのオペラに出演。現役を退いてからは東京二期会の理事長を務めるなど、オペラ界に広く貢献しています。ときおりステージにも立ちファンを喜ばせています。
●1986年、ポーランドの現代作曲家ペンデレツキ(クシシュトフ・1933-)の『黒い仮面』が、ザルツブルク音楽祭で初演。ドイツの劇作家ハウプトマンの戯曲に基づく3幕のオペラ。中世のペストの恐怖を感じさせる陰惨なオペラだとか。


【8月16日】バイロイトで『ジークフリート』初演をはたす。

●1857年、イタリアの大作曲家ヴェルディの『アロルド』が、リミニのテアトル・ヌオーヴォで初演されています。この作は、1850年に初演された『スティッフェーリオ』の改作で、前作での牧師の妻の浮気を題材としたオペラが受け入れられず、スコット『婚約者』他の素材から、この作品を生み出したのです。ヴェルディの作品の中では、上演回数の少ない最右翼の作品ともいえましょう。
●1876年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)『ジークフリート』が、バイロイト祝祭劇場で初演。『指環』4部作のうち『ラインの黄金』と『ワルキューレ』が、ワーグナー意思に反して、待ちきれなくなったルートヴィヒ2世の命により、先行して初演されてしまいましたが、この『ジークフリート』と『神々の黄昏』は、晴れてワーグナーの宿願であったバイロイト祝祭歌劇場で、4部作通しての初演が実現したのです。この日に指揮者は、リヒター(ハンス・1843-1916)でした。
●1863年、フランスの作曲家・指揮者ピエルネ(ガブリエル・-1937)が、メッツで生まれています。マスネ(ジュール=エミル=フレデリク・1842−1912)に師事した彼は、『魅せられた杯』『戯れに恋はすまじ』など8曲のオペラを書いています。


【8月17日】モーツァルトの相棒ダ・ポンテ、“紐育”で死す。

●1786年、プロイセン国王フリードリヒ2世(1712-)が、ポツダムで亡くなっています。クヴァンツ(ヨハン・ヨアヒム・1697-1773)に師事してフルートを巧みに演奏し、作曲も行うという型破りな国王でした。オペラにも力を入れオペラ劇場を建設し、自らオペラの台本も書いたほどでした。
●1838年、モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)晩年の傑作『フィガロの結婚』『コジ・ファン・トゥッテ』『ドン・ジョヴァンニ』の台本作者ダ・ポンテ(ロレンツォ・1749-)が、ニューヨークで亡くなっています。ウィーンで活躍した後、ロンドンに渡り、最後は新大陸アメリカにオペラを定着させようという壮大な構想で渡ったのですが、志半ばにして亡くなっています。(誕生日の3月10日の項参照)
●1876年、ワーグナー(リヒャルト・1813−83)『神々の黄昏』が、バイロイト祝祭劇場で初演。前日の『ジークフリート』に引き続いて、4作目の最後のこの作品も晴れの舞台を飾ったのです。ちなみに、日本での初演は1987年のベルリン・ドイツ・オペラの来日公演によるものでした。
●1898年、オーストリアのオペレッタ作曲家ツェラー(カルル・1842-)が、ウィーン郊外のバーデンで亡くなっています。代表作『小鳥売り』(1891)は、1900年までに2857回上演されたという大ヒット作でした。(誕生日の6月19日の項参照)


【8月18日】あらぬ疑い?のサリエーリ、誕生。

●1750年、ウィーンで活躍したイタリアの作曲家サリエーリ(アントーニオ・-1825)が、レニャーゴで生まれています。映画『アマデウス』ですっかりモーツァルトの敵役にように印象付けられていますが、決して仲が悪かったわけではないようです。長らくウィーンの宮廷楽長を務め、さらにスカラ座のこけら落とし公演でも、彼の作品『気に入られたエウローパ』が起用されたほど、彼は当時のオペラ界の寵児でした。
●1873年、オーストリアのテノール歌手スレザーク(レオ・-1946)が、現在のチェコのシュンペルクで生まれています。19世紀末、『ローエングリン』を歌ってデビューし、その後多くのワーグナー作品に出演。まさにヘルデンテノールの名をほしいままにした名歌手でした。(亡くなった日に6月1日の項参照)
●1912年、オーストリアの作曲家シュレーカー(フランツ・1878-1934)のオペラ第1作『はるかな響き』が、フランクフルトで初演され好評を博しました。


【8月19日】バーンスタイン最後のコンサート。

●1881年、ルーマニアを代表する作曲家エネスク(ジョルジュ・-1955)が、ルーマニアのリヴェニで生まれています。かつて日本ではエネスコという表記になっていました。彼の作品で最も有名なものは『ルーマニア狂詩曲』ですが、オペラも『オイディプス王』が残されています。
●1990年、アメリカが生んだ大指揮者バーンスタイン(レナード・1918-90)の最後の演奏会は、ボストン交響楽団を振ったブリテン『ピーター・グライムス』「4つの海の間奏曲」(他にベートーヴェンの第7)でした。


【8月20日】最古?のオペラの作曲家ペーリ生まれる。

●1561年、オペラ創世期の作曲家・歌手であったペーリ(ヤーコポ・-1633)が、ローマで生まれています。現存する最古のオペラ『エウリディーチェ』の作曲者でした。(亡くなった日の8月12日の項参照)
●1828年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアキーノ・1792-1868)『オリィ伯爵』が、パリ・オペラ座で初演されています。昨今は、フローレスの歌唱などでおなじみになりましたが、この作品は『ランスへの旅』の曲をほとんど援用したものとか。


【8月21日】世界的なメッゾ・ソプラの2人の生と死。

●1920年、(大正9年)ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『イル・トロヴァトーレ』が、金龍館で根岸歌劇団によって日本初演を果たしています。
●1933年、イギリスを代表するメッゾ・ソプラノ歌手ベイカー(ジャネット・)が、イギリスのハットフィールドで生まれています。バロックから現代オペラまで幅広いレパートリーを持ち、デイムの称号も与えられています。
●1993年、ギリシャ系のアメリカ人のメッゾ・ソプラノ歌手トロヤノス(タティアーナ・1938-)が、ニューヨークで亡くなっています。『カルメン』を始め、ワーグナー(リヒャルト・1813−83)やシュトラウス(リヒャルト・1864-1949)のオペラには欠かせない存在でした。最後の出演作は、『カプリッチョ』だったと言います。


【8月22日】数々の不朽の名曲を残したドビュッシー誕生。

●1862年、フランスの大作曲家ドビュッシー(クロード・-1918)が、サンジェルマン・アン・レイで生まれています。ラヴェル(モーリス・1875-1937)とともにフランス印象派の巨匠と言われていますが、そうした範疇にとどまらず、19世紀後半から20世紀前半にかけてのフランス楽壇に大きな影響を及ぼしました。とくに『ペレアスとメリザント』は、20世紀オペラの傑作です。(亡くなった日の3月25日の項参照)


【8月23日】ヴェルディ最後の愛人ストルツ亡くなる。

●1735年、フランス宮廷に仕えた作曲家ラモー(ジャン=フィリップ・1683−1764)『優雅なインドの人々』が、パリのパレ・ロワイヤルで初演されています。
●1902年、ボヘミア出身のソプラノ歌手ストルツ(テレーザ・1834-)が、ミラノで亡くなっています。彼女は、ダイヤモンドにも例えられたほどの力強い声で、『アイーダ』のイタリア初演、『運命の力』改定初演で主役を務めています。ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の最後の愛人とも言われ、現在ではヴェルディも眠る「芸術家の家」の中の廟の脇に葬られています。(異説もあります)(誕生日の6月5日の項参照)
●1939年、フランスの作曲家ルーセル(アルベール・1869-)が、ロワイヤンで亡くなっています。ドビュッシー(クロード・1862-1918亡き後、ラヴェル(モーリス・1875-1937)などとフランス楽壇を牽引し、若手の作曲家を育て上げました。オペラ作品としてはオペラ・バレエ『パドマーヴァティ』を残すのみでした。(誕生日の4月5日の項参照)


【8月24日】熱烈なワグネリアン、モットル誕生。

●1836年、イタリアのオペラ作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『ベトリィ(またはスイスの山小屋)』が、ナポリのテアトル・ヌオーヴォで初演されています。
●1856年、オーストリアの指揮者で作曲家モットル(フェリークス・-1911)が、ウィーンで生まれています。バイロイト祝祭劇場の杮落とし公演に立ち会い、以後熱狂的なワグネリアンになりました。(亡くなった日の7月2日の項参照)
●2006年、カナダのテノール歌手シモノー(レオポルド・1916-)が、カナダのヴィクトリアで亡くなっています。戦後はアメリカを中心に活躍し、ヨーロッパでも主要劇場で活躍するリリック・テノールとして人気を博していました。(誕生日の5月3日の項参照)


【8月25日】アメリカの大指揮者バーンスタイン誕生。

●1774年、イタリアの作曲家ヨンメッリ(ニコロ・1714—)が、ナポリで亡くなっています。古典派時代のオペラ作曲家として、シュトゥットガルト宮廷で仕えていた時が全盛期で、その後は彼の『アルミーダ』を聞いたモーツァルトが時代遅れと評したように、その後は大衆の支持を失っていきました。
●1845年、バイエルン国王ルートヴィヒ2世(-1886)が、ミュンヘン郊外にある離宮ニュンヘンブルクで生まれています。若い時から、ワーグナーの絶対的な庇護者としてオペラを愛し続け、またノイシュバンシュタイン城などの城の建築に熱中して、王国の財政に少なからぬ影響を及ぼしました。(亡くなった日の6月13日の項参照)
●1880年、オーストリアの作曲家・指揮者シュトルツ(ローベルト・−1975)が、グラーツで生まれています。レハール、カールマンらとともにオペレッタの白銀の時代を築いた作曲家でもあり、晩年はハリウッドでの映画音楽なども作曲しています。(亡くなった日の6月27日の項参照)
●1900年、ドイツの哲学者ニーチェ(フリードリヒ・1844-)が、ワイマールで亡くなっています。シューペンハウアーやワーグナーに影響されて独自の哲学論を展開しました。自らも作曲をするほどでしたが、後にワーグナーとは仲たがいをし、決別の手紙を送っています。シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)の『ツァラトゥストラかく語りき』は、彼の著作からインスピレーションを得たもの。
●1918年、アメリカで最も人気のあった指揮者でもあり、『ウエストサイド・ストーリー』の作曲者バーンスタイン(レナード・-1990)が、マサチューセッツ州ローレンスで生まれています。1944年、急病のワルター(ブルーノ・1876-1962)の代役としてニューヨーク・フィルを指揮して一躍スターダムにのし上がったのです。その後長らく同楽団の指揮者を務めながら、スカラ座ではカラス(マリア・1923-77)と『メディア』で共演、さらに1963年にはMET、66年にはウィーン国立歌劇場にも登場するなど、欧米各地で活躍しました。
●1940年、ベルギーのバス・バリトン歌手ヴァン・ダム(ジョセ・)が、ブリュッセルで生まれています。とくにカラヤン(ヘルベルト・フォン・1908-89)に認められて、多くのオペラ公演に参加し、かつ膨大な量の録音を残しています。


【8月26日】端正な指揮ぶりだったサヴァリッシュ誕生。

●1923年、ドイツの名指揮者サヴァリッシュ(ウォルフガング・-2013)が、ミュンヘンで生まれています。長らくバイエルン国立歌劇場の音楽総監督として活躍。日本では、NHK交響楽団の常任指揮者(のちに名誉指揮者)として、同楽団の技術の向上に大いに寄与しました。またピアニストとしても名手で、シュワルツコップ(エリーザベト・1915-2006)やフィッシャー=ディスカウ(ディートリヒ・1925−2012)などの歌曲の伴奏でも高い評価を得ていました。(亡くなった日の2月22日の項参照)
●1976年、20世紀前半を代表するドイツ出身のアメリカのソプラノ歌手レーマン(ロッテ・1888-)が、サンタバーバラで亡くなっています。とくにシュトラウス(リヒャルト・1864-1949)の多くの役で活躍、『ナクソス島のアリアドネ』『影のない女』の初演に参加し、『インテルメッツィオ』は彼女のために書かれたオペラでした。(誕生日の2月27日の項参照)


【8月27日】日本のプリマ、砂原美智子亡くなる。

●1892年、アメリカを代表するニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)が、火災で損傷を受けましたが、すぐに復元され、その後カルーゾ(エンリーコ・1873-1921)や,マーラー(グスタフ・1860−1911)、トスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)などを迎えて黄金期を築き、その後1966年にリンカーン・センターに新劇場が建設され今日に至っています。
●1987年、日本のプリマドンナとして活躍したソプラノの砂原美智子(1923-)が、東京で亡くなっています。1947年藤原歌劇団で『ラ・ボエーム』のムゼッタを歌って注目を浴び、以後プリマドンナとして活躍。またチューリヒで『夕鶴』を上演して、この作品の海外での評価を高めました。


【8月28日】ドイツの国民的詩人ゲーテ誕生。

●1733年、ペルゴレージ(ジョヴァンニ・バッテスタ・1710-1736)『奥様女中』が、ナポリのサン・バルトロメオ劇場で初演されています。この日上演された同じ作曲家のオペラ・セリア『誇り高い囚人』の幕間劇として上演され、今日ではこちらの方だけが注目されています。金持ちの老人に取り入り、その召使であった若い女性がその妻の座に収まるというオペラ・ブッファです。
●1749年、ドイツを代表する国民的詩人・劇作家・作家であった文豪ゲーテ(ヨハン・ウォルフガング・フォン・-1832)が、フランクフルトで誕生。出世作『若きウェルテルの悩み』は、当時のヨーロッパ中を席巻。マスネ(ジュール=エミル=フレデリク・1842−1912)の『ウェルテル』としてオペラ化され、畢生の傑作である『ファウスト』は、グノー(シャルル・1818—93)、ベルリオーズ(エクトール・1803-69)、ボーイト(アッリゴ・1842-1918)などによってオペラ化されています。
●1850年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)『ローエングリン』が、ワイマール宮廷劇場で初演されています。中世の騎士伝説を彼自身が台本化した3幕のオペラ。ドレスデンでの革命騒ぎの首謀者の一人として官憲に追われる身となった彼は、リスト(フランツ・1811-86)を頼ってワイマールへと向かいました。ワーグナーを高く評価したリストは、彼を匿って資金援助もし、そしてこの『ローエングリン』ではリスト自身の指揮によって行われたのです。しかも、前述のごとくゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・1749-1832)生誕101年目にあたるこの日に初演したのも、彼の配慮によるものでした。
●1867年、イタリアのヴェリズモ・オペラを代表する作曲家ジョルダーノ(ウンベルト・-1948)が、フォッジャで生まれています。彼の代表作は、何と言っても、フランス革命を舞台に実在の詩人を描いた『アンドレア・シェニエ』ですが、そのほかにも『フェードラ』『シベリア』なども欧米の歌劇場ではしばしば取り上げられています。
●1894年、オーストリアの大指揮者ベーム(カール・-1981)が、グラーツで生まれています。地味で堅実な印象は、あくまでも作曲家の意図に寄り添うとした精神に基づくものでした。20世紀に日本を訪れた指揮者の中では、一番愛され評価の高かった指揮者の一人でしょう。(亡くなった日の8月14日の項参照)
●1913年、アメリカのテノール歌手タッカー(リチャード・-1975)が、ブルックリンで生まれています。トスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)に認められてラダメスなどを歌い、1957年には来日も果たしています。
●1959年、チェコの作曲家マルティヌー(ホフスラフ・1890-)が、リースタールで亡くなっています。彼は多作家で、オペラも16曲残していますが、東欧音楽の権威でもあった音楽評論家故佐川吉男は、代表作として『ジュリエッタまたは幸福への鍵』をあげています。


【8月29日】『ペレアスとメリザント』の原作者メーテルランク生まれる。

●1861年、シューベルト(フランツ・1797−1828)の1幕のオペラ(1823年作曲)『陰謀者』が、フランクフルトで初演されています。アリストファネス(紀元前446年頃-紀元前385年頃)のギリシャ喜劇『女の平和』をもとに、舞台を十字軍遠征時代に変換してオペラ化したもの。作曲者の没後28年たっての初演でした。
●1862年、ベルギーの劇作家で、日本では『青い鳥』の作者として知られているメーテルランク(モーリス・-1949)が、ガンで生まれています。オペラでは、ドビュッシー(クロード・1862-1918)が『ペレアスとメリザント』を、デュカス(ポール・1865-1935)が『アリアーヌと青ひげ』をオペラ化しています。


【8月30日】ワーグナーの孫ウォルフガング誕生。

●1919年、ワーグナー(ウォルフガング・-2010)が、バイロイトで生まれています。ワーグナーの孫(ジークフリートの次男)として、兄のヴィーラント(1917−66)とともにコージマ・ワーグナー(1837-1930)亡き後のバイロイト音楽祭を取り仕切り、ヴィーランド没後は彼自身も演出などを担当しました。新国立劇場開場記念公演(1997)の『ローエングリン』は、彼の演出によるものでした。
●1922年、アメリカのメッゾ・ソプラノ歌手レスニック(レジーナ・-2013)が、生まれています。元々はソプラノでしたが、53年バイロイトでジークリンデを歌ってメッゾに転向。その後は、カルメンやアムネリスなどでも見事な歌唱を聞かせてくれていました。(亡くなった日の8月8日の項参照)


【8月31日】ワーグナーの霊感の源泉、ヴェーゼンドンク夫人亡くなる。

●1834年、ポンキエッリ(アミルカーレ・−1906)が、クレモナで生まれています。彼の代表作としては、おなじみの「時の踊り」の入った『ラ・ジョコンダ』ですが、彼の時代はヴェリズモ・オペラ全盛期でオペラ作家としては大きな業績を残すことなく、ミラノ音楽院教授としてプッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)、マスカーニ(ピエトロ・1863−1945)などを育てています。
●1867年、フランスの代表的詩人ボードレール(シャルル・1821-)が、パリで亡くなっています。彼はワーグナーの『タンホイザー』パリ初演(1861)を聴き、直ちにその論文を発表し、ワーグナーの芸術性を高く評価したのです。(誕生日の4月9日の項参照)
●1902年、ドイツの女流詩人ヴェーゼンドンク(マティルデ・1828-)が、トラウンブリックで亡くなっています。というよりも、ワーグナー(リヒャルト・1813−83)がチューリヒに亡命した時に、その隠れ家を提供した富豪の妻で、ワーグナーとの親密さが疑われました。彼女との関係が『トリスタンとイゾルデ』創作に重要な原因となったと言われています。ワーグナーの思いは、彼女の詩に付曲した『ヴェーゼンドンクの5つの詩』として結実しました。
●1905年、イタリアの伝説的なテノール歌手タマーニョ(フランチェスコ・1850-)が、ヴァレーゼで亡くなっています。数々のヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)作品に起用され、とくに1887年初演の『オテッロ』ではタイトルロールを歌い絶賛。最高のテノーレ・ドランマティーコと謳われました。
●1928年、ブレヒト(ベルトルト・1898-1956)の台本によるヴァイル(クルト・1900-50)作曲『三文オペラ』が、ベルリンのシフバウァーダム劇場で初演されています。これは、ヘンデルと同時期にロンドンで活躍したペープシュ(ヨハン・クリストフ・1667−1752)の『乞食オペラ』を現代的に改作したもので、二人の出世作となりました。

コメントを残す

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top