オペラ・エクスプレス

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新国立劇場《ラ・ボエーム》———パリのカルチェ・ラタンを舞台に芸術家志願の若者たちの生活と愛を描く傑作

名歌手が揃い、晩年のフリードリヒの冷徹な視点が光った「ワルキューレ」で開幕した新国立劇場2016/2017シーズン、ふたつめの演目はプッチーニの代表作「ラ・ボエーム」だ。オペラファンなら誰もがご存知、パリのカルチェ・ラタン(ラテン語地区の意)に暮らす芸術家志願の若者たち(ボヘミアン)の生活と愛を描いた傑作だ。
もしかすると、ワーグナーからプッチーニへと上演作品が続くことに落差を感じる方もいるかもしれない。しかしワーグナーが作品に多層的な意味合いを持たせるために用いたライトモティーフ(示導動機)を、登場人物たちに寄り添う形で描くために徹底的に活用してみせたのがプッチーニなのだから、この連続した上演は音楽史のひとつの流れを示している、とも受け取れるものだ(プッチーニはワーグナーやヴェルディなど先行世代の、そしてシェーンベルクやストラヴィンスキーなど同時代の作曲家の作品を熱心に研究した人でもある)。なにより、「蝶々夫人」や「ラ・ボエーム」が傑作であることを認めてもなお、その筋書きが「人情もの」であるからと低く見てしまうのは如何にも惜しいことだ。彼の傑作はそのストーリーの哀しさや旋律の美しさだけには収まらない、知的に計算された作品でもあるのだから。それは彼が1896年に作曲したこの作品についても言えること、繊細なオーケストラの美しさは先輩たちが示した技法を研究した成果であるし、かつ彼の音楽性が最良の形で現れたものだ。ミュルジェの短編小説集から四人のボヘミアンたちと二人の女性を主人公として、プッチーニ好みの筋立てに巧みに編まれた台本につけられた音楽は往時の芸術家の卵たちの姿を今に伝える作品として世界で愛され続けている。その上演が11月17日(木)に開幕した。

新国立劇場の「ラ・ボエーム」は2003年に初演された粟國淳の演出によるプロダクション、今回で五回目の再演だとなり、もうすっかり新国立劇場の定番演目の一つとなった。粟國の演出は読替などによらず、正面からこの作品の「書かれたままの姿」を現出させようというものだ。ではそこで示されるものが何かといえば、「まだ可能性しか持っていない若者たちの、若さゆえの悲劇」だろう。そして初日の舞台はその側面からは十分に満足できる上演だった。悲劇寄りだったのは演出だけではなく、キャストの声質もそちらに親和する面々が集っていた。新国立劇場初登場となったミミ役のアウレリア・フローリアンは深みのある声で特にも第三幕からのミミを儚さは胸に迫るものだったし、力強くもどこか不器用なロドルフォを歌い演じたジャンルーカ・テッラノーヴァは泣きの演技でより訴えるものがあった。

とは言いながら、せっかくのこの作品なのだからもう少し笑いがほしい、個人的にはそう感じてしまう。若者たちが(主に経済的に)厳しい状況の中でも日々を楽しんでいるさまが聴衆に伝わり笑いが生まれるからこそ、厳然たる事実として彼ら彼女らを打ちのめす悲劇が哀しく美しく感じられるように思うのだ。初日の演奏では第一幕(と同じモティーフが使われる第四幕冒頭)で音楽がどこか硬く、たとえばロドルフォとマルチェッロ(ファビオ・マリア・カピタヌッチ)のやり取りが気心知れた同居人同士のそれとは感じられないのが惜しい(これは屋根裏部屋の広さもその一因となっているかもしれない)。広い舞台を活かした第二幕にしても、カフェ・モミュス界隈の笑いやにぎわいよりも、衣装などからどこか貧しさやつましさが強く感じられてしまう。その描写は史実としては正しいのだろうし、やがてくる悲劇を先取りしているものとは思うのだが、せめてまだ何も起きていない前半だけでも陽気であってほしい。そんな希望を短い時間ながら叶えてくれたのは、石橋栄実のムゼッタだ。アースカラーの衣装に身を包んだ庶民や黒づくめの紳士たちが闊歩するカフェ界隈に登場した青いドレスの彼女は聴衆の耳目を集めた。その存在感によってミミの影のある雰囲気との対比が明瞭となり、そこからはドラマの方向も明確になったように感じている。第三幕終盤の絡み合わない四重唱はこの日の歌唱の中でも最も心に響くものだった。

この舞台のそうした悲劇寄りの性格は、指揮のパオロ・アリヴァベーニの外連のない指揮にも言えるかもしれない。ボヘミアンたちのふざけ合いやカフェの雑踏を面白おかしく描写することより、癖のない響きでプッチーニのサウンドを美しく作り出すことに重点を置いていたように思える。その指揮に寄り添い、プッチーニにしてはシンプルながら美しく書かれた部分で東京フィルハーモニー交響楽団が聴かせた柔らかいサウンドはさすが手なれたものだ。きっと初日以降はこの日よりこなれた演奏で、音楽でも場内に笑いをもたらしていたのではないだろうか。

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本稿ではもっと笑わせてほしい、と苦言を呈した私ではあるけれど、第三幕以降は何度となく涙腺を刺激されていたことを最後に告白しよう。粟國淳による演出、そして今回のメンバーによる舞台がこの作品の持つ普遍的な悲劇の力を存分に表現した、美しい舞台であることは間違いのない事実なのだ。
それぞれの幕冒頭に紗幕に投影した映像で場面や回想を提示することでよりわかりやすく示し、また第二幕の大がかりな装置の転換による雑踏も目に楽しい舞台は初めてオペラを体験するには最適だろう。どんな方にも楽しんでもらえるだろう新国立劇場の「ラ・ボエーム」、公演は30日(水)まで。

取材・文:千葉さとし(ライター) reported by Satoshi Chiba


新国立劇場2016/2017 シーズンオペラ
ラ・ボエーム

2016年11月17日(木)/20日(日)/23日(水)/26日(土)/30日(水)
新国立劇場 オペラパレス

指揮:パオロ・アリヴァベーニ
演出:粟國淳
美術:パスクアーレ・グロッシ
衣裳:アレッサンドロ・チャンマルーギ
照明:笠原俊幸

ミミ:アウレリア・フローリアン
ロドルフォ:ジャンルーカ・テッラノーヴァ
マルチェッロ:ファビオ・マリア・カピタヌッチ
ムゼッタ:石橋栄実
ショナール:森口賢二
コッリーネ:松位浩
べノア:鹿野由之
アルチンドロ:晴雅彦
パルピニョール:寺田宗永

合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:TOKYO FM少年合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
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