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ティーレマンの「言葉を帯びる」タクト!ライン川沿いのグランツーリズモ———ザルツブルグ・イースター音楽祭in JAPAN《ラインの黄金》

ティーレマンの「言葉を帯びる」タクト!ライン川沿いのグランツーリズモ———ザルツブルグ・イースター音楽祭in JAPAN《ラインの黄金》

この日のティーレマンは、指揮をするというより、ライン川を訪ねて行ったら、一緒に案内しながら回ってくれた、語り部のような印象すら感じさせた。タクトは指揮をするというより、言葉を帯びていた、しかも適切に、事務的ではなく、優しく詩的な言葉を紡ぐ語り部。あるいはそこで出会った、一人の画家であろうか。むしろ絵筆だ、と思わせるような指揮は楽劇の指揮をするときにはほかの楽曲の指揮台に立った時には必ずしも必要のないような点に至るまで、緻な説得力を感じさせるほどだ、と思った。

常々思っていることとしてヴェルディの音楽には熱量を感じる。それも精緻な計測器を用いたような、単にその度合いを正確に込めているというだけでなく、感情的な熱意や、思いのたけ、抑えることのできない、オペラの肝である運命を変えてしまうかのような震えるほどの湧き出す怒りなど、程度の目に見えないようなものまで、旋律とハーモニーが忠実に再現してはいないだろうか。であるとすれば、同じ年に生まれたオペラの巨匠の同級生コンビのもう一人ワーグナーはどうだろうか。私が思うに、スケールを実に明快に音楽に込めている作曲家だと思うのである。同じ旋律を繰り返して、迫りくる様子、去りゆくさまを表現したかと思えば、壮大なオーケストラをコイントスにでもするかのようにひょいっと止めて波の大きさ、風の強さなんかを表現する。はたまた、その旋律の繰り返しの時には用いる楽器の大小のチョイスにも感心させられるのです。「遠近法」を絵で描くと近いものは大きく描くが、ホルンなどの大きな音は出るが何より大きい楽器を決してフォルテでもなく鳴らせることで遠景を描き、次第に近づくにつれピッコロや弦楽器などを組み合わせ、細い音のする楽器を躊躇なく出すことで近景を表わす。

だから、壮大であるべきであるかのようなワーグナーの舞台は、今回のようなサントリーホールのホールオペラにはむしろ適しているというか、ホールオペラで上演することによりその音楽が持つ機能的表現力とでもいう要素をも、いかんなく発揮できるのではないか。秋深まる11月18日、サントリーホールでの「ホールオペラでの楽劇」は万障を排してでも聴いてみたい、そんな公演だったのである。広義での「バイロイト方式的なアプローチへの挑戦」をこのサントリーホールのホールオペラでワーグナーの楽劇を取り上げることに対しては感じる。

「皆さんご存知だろうか。ドイツにはライン川という大河があり、そのほとりに人は暮らし、文化が発展してきたのだが、そこにはこんな話があってね・・・・」ストーリーテラーが語り掛けるように語る、壮大な物語の本編が始まる前の「予告編」という意味も内包しているのが序夜の「ラインの黄金」ではないだろうか。ぐっと入り込んでいく。そして最初に申し上げたように、音楽が鳴ると、ライン川、そのあたりはだいぶ深いね。その川の底の場面もあるのだから、どういうサイズ感なのか、強さを帯びたものなのかを実に巧みに「見せてくれるかのような」音楽こそ、ワーグナーの楽劇のそれの本質だと思って疑うことができないのだ。

音楽がビジュアルを内蔵しているというか、叙景的な音楽とでもいうべきか。こんなだから、ワーグナーの楽劇はほかのオペラにも増して、車窓の移ろい。普段からクルマで取材旅行に出かけることの多い小生にはグランツーリズモを感じないではいられないのである。川に沿って旅をする。これから長い長い旅の始まり。私たちを乗せて旅に出るクルマのエンジンを暖気するよう。序曲というには短いし、ライトなタッチの第一場の前の音楽などそんな風情を強く感じた。

冒頭、必ずしも職人技的に精密にチリがあっている演奏ではなかったが、かといって、すべてがしかるべき音を出している。でも硬い音がする。「まだ温まってない」という雰囲気のする音がしたのだ。楽器が温まるさまを一緒に待つようでうれしかった。そういう時にじたばたしない、それでいいのだ。愛車が温まるのをじっくり待つ。そうでなければならない。熟知している余裕を感じる。

そうして第一場が始まると、次第にオーケストラの音も各段に軽やかになったような気がした。「しかるべく演奏が運ぶワーグナーはすべてにおいてしかるべし。」ほかのオペラがそうであるように、このある種の様式美がワーグナーにも存在し、そのさまが少々メカニカルに感じられるということなのだろう。そして始まった「ラインの黄金」。すでに何度も聴いたことのある演目ながら、響きが違う。今まで聞いたことのある、どの演奏よりもマイルドでありながら、どの演奏よりもきらびやかなのである。譜面通りに演奏しても演奏が微妙に変わるのだから、ホールでの演奏はいろいろの音源を聴くのとはわけが違うのだ。

撮影/ Matthias Creutziger 写真提供/サントリーホール
撮影/ Matthias Creutziger

写真提供/サントリーホール


神々、とかいうが、出てくる登場「神物」はそろいもそろって欲の塊。だから神々しいが、しかし実質的な面がなくてはならない。そういう点でなるほど、オペラの歌唱自体がきわめて難易度の高いことを要求されるのに、その先の表現力がなければこのキャストは務まらないのだ。などということを、上演中は思わせる隙もないほど、大いに観客を惹き付けた。

そうして走り出したクルマは私たちを連れて、その川沿いにひたすら走る。そこが舞台となったあるお話を聞きながら。例えば、四万十川かどこか、川沿いに遡上することを想像していただきたい。まず心の器が大きくなるし、そこに伝わる話なんて実に興味深いではないか。そのように、聴く者の心をつかむ演奏、演唱であっという間の出来事として終演である。

あっという間だから終演、終わることへの「さみしさ」はもちろんあるが、今回に関してはちょっとほかの演目と違う感覚もある。この演目の終演は、同時にこのあと、本来であれば、翌日くらいから3夜連続での壮大なお話が始まる。だから実はラインの黄金の終演は「それではお話の、はじまりはじまり!」という号令でもあるのだ。今回はホールオペラ。すぐにこの続きが上演されるわけではないが、どこか終演後の余韻とは別の、続きのある演目ゆえに独特の「彷彿とさせる期待感」のようなものを感じることができたのは「ラインの黄金」を観劇した甲斐があるというもの。うれしい感想だった。

最後にキャストについて誰が出色、圧倒的だったかというと正直に申し上げて、そういう感想がない。でもこれは秀逸なワーグナーでなければ有り得ない感想だろう。先にも書いたように歌手に求めるものが大きい。そういう歌手をあの数そろえるというのはいまや、世界中でもそうそう容易にできることではないだろう。そもそも端役といわれるちょっとした役に至るまで実力のある歌手をそろえることは並々ならぬ苦労を伴うに違いない。特に圧倒的に秀でて他を圧倒してしまう歌手がいなかった点で、高次元にバランスの取れたワーグナーを聴けた印象がある。そして障るような歌手がいなかったことはファンとして純粋に幸福なこと、感謝しないわけにはいかないだろう。その意味で、割とプロダクションによってそのあたりのキャスティングの詰めがものを言い、レベルがいろいろで感想に影響することが少なくないラインの乙女の三人に至るまで、しっかりとしたキャスティングだったという意味で、ラインの乙女は今回の3名で本当によかったと思わないではいられない。

演奏の最後、ティーレマンは少しタクトを高いところでとどめた。いい演奏のワーグナーは人を魅了する。でももう終演だから「我に返って!」と世界に入り込んだ聴衆を日常に呼び戻すのに必要な時間だと判断したのではないだろうか。居丈高になることはないが、十分にいい演奏をした指揮者の満足も込められていたような気がした。そして、そのタクトがおろされるまで、拍手喝采をこらえた聴衆もあっぱれである。タクトのおろされる前に拍手が始まる演奏会は実に残念だ、と個人的には常々思っている。「我先に!」を争うところではないのだ。お里が知れるし、無粋だし、なんとなく品がない気がする。タクトを下ろすことで演奏が終わる。そしてその時に聴衆の中に「完パケの感想、あるいは感動」があるというものだと思う。正直多少音がずれた、音楽に難があったようなこと以上に嫌なのが「フライングの拍手」である。そういう点までも含めていい演奏会、公演だったと思う。オペラに求めるものはあれだと言っては、やや高望みと叱られるだろうか?またいいオペラに出会えることを切に祈らずにはいられない。

取材・文:中込健太郎

撮影/ Matthias Creutziger 写真提供/サントリーホール
撮影/ Matthias Creutziger

写真提供/サントリーホール


ザルツブルグ・イースター音楽祭in JAPAN
ホール・オペラ® 
ワーグナー:楽劇ラインの黄金
-舞台祝祭劇《ニーベルングの指環》序夜

2016年11月18日(金)18時30分/20日(日)16時
サントリーホール 大ホール

指揮:クリスティアン・ティーレマン

出演:
ヴォータン:ミヒャエル・フォッレ
フリッカ:藤村実穂子
フライア:レギーナ・ハングラー
アルベリッヒ:アルベルト・ドーメン
ミーメ:ゲアハルト・ジーゲル
ローゲ:クルト・シュトライト
ドンナー:アレハンドロ・マルコ=ブールメスター
フロー:タンセル・アクゼイべク
ファーゾルト:ステファン・ミリング
ファフナー:アイン・アンガー
ヴォークリンデ:クリスティアーネ・コール
ヴェルグンデ:サブリナ・ケーゲル
フロスヒルデ:シモーネ・シュレーダー
エルダ:クリスタ・マイヤー
管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン

舞台統括:デニー・クリエフ

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