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マエストロ バッティストー二が大いに語る!Bunkamura『オテロ』から『オペラの楽しみ方』まで!!

マエストロ バッティストー二が大いに語る!Bunkamura『オテロ』から『オペラの楽しみ方』まで!!

5月27日、現代イタリアを代表する若手指揮者の一人であるアンドレア・バッティストーニ氏による講演会が開かれました。これまで二期会で数々のヴェルディのオペラを指揮してきたバッティストーニ氏ですが、今年9月にはBunkamuraオーチャードホールで「オテロ」を振ることが決定しています。彼が首席指揮者を務める東京フィルと臨むヴェルディ最円熟期の傑作についてのお話を中心に、講演の様子をレポートします。

バッティストーニ氏から当日の聴衆へ簡単な挨拶の言葉が述べられた後、早速講演は本題であるヴェルディ「オテロ」に関する話へと移りました。

ヴェルディの27のオペラ作品の中でも、『オテロ』はきわめて重要な作品

ジュゼッペ・ヴェルディの27のオペラ作品の中でも、『オテロ』はきわめて重要な作品です。何故なら、ヴェルディのオペラ作曲家としてのキャリアの中でも非常に重要なポイントで書かれたからです。ヴェルディは非常に長生きでしたが、その彼の最後から2つ目の作品が『オテロ』になります。彼は既に有名な作品を沢山書いており、(『オテロ』が書かれる前としては)『アイーダ』が最後の作品で、これが発表されたとき人々は『ああ、この傑作によって老作曲家ヴェルディは筆を置くのだろう』と思いました。『アイーダ』はヴェルディの最後の傑作に相応しい多くの要素を兼ね備えています。まず祝祭的で大規模な作品であり、その一方で人間の内面的な感情表現がなされているという、ヴェルディの二つの特徴をはっきりと持っています。大規模な合唱による豪華な場面がある一方、繊細な二重唱で人物の心情を表すわけです。また音楽的に『アイーダ』は非常に成熟した内容を持っており、有名な中期の三部作―『リゴレット』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』―と比べても、それは言えると思います。管弦楽の用法が非常に多彩で、例えば第3幕始めのナイル河畔の雰囲気を出すヴァイオリンやフルートの用い方、大人数が登場する場面での色彩的な輝かしさなどがあります。

晩年のヴェルディがまるで青春に戻ったかのように

このように『アイーダ』が成熟し、頂点に達した作品であったことが、人々に老作曲家の最後のオペラだと思わせた理由でしょう。しかし我々にとって幸運なことに、ヴェルディの作曲活動はここでは終わりませんでした。彼は更に2つの作品―1つ目がこれからお話していく『オテロ』、2つ目は『ファルスタッフ』でした。晩年のヴェルディがまるで青春に戻ったかのように作曲家として花開いたのは、晩年の彼を取り巻く人間関係―特に台本作家のアッリーゴ・ボーイトとの関係が大きいです。台本作家のボーイトは、イタリア以外の国のみならずイタリアでも今日あまり高い評価を得られていないと思いますが、非常に重要な芸術家です。彼は文化的・音楽的に非常に興味深い活動をしたのみならず、19世紀から20世紀へとイタリアの芸術の橋渡しをしたのです。ボーイトは折衷主義的な芸術家でした。今日彼の名が知られているのは『オテロ』『ファルスタッフ』の台本、また『シモン・ボッカネグラ』の改作作業でしょう。しかしボーイトはオペラ台本作家としてだけではなく、文学者として非常に重要な詩集を残しています。これは19世紀末のイタリアを代表するものだと思います。(ちなみにボーイトの詩集は邦訳されておらず、この場でバッティストーニ氏がイタリア文化会館への提案をしていました)ボーイトの詩を読むと、なぜ数多くの作曲家達が彼に台本を書いて欲しがったかが分かるのです。ボーイトの詩は非常に音楽的で、音韻や抑揚のなかに音楽が存在します。そして彼は作曲家でもありました。ですから、彼は他の作曲家と一緒に仕事する時、相手がどんな台本を必要としているかがよく分かったのです。

ボーイトがヴェルディとどのように出会い、付き合いを深めていったか

まず、ボーイトがヴェルディとどのように出会い、付き合いを深めていったかを振り返りましょう。パルマで貴族の家系に生まれたボーイトは、非常に若い頃から各国を旅し、(イタリアから見て)アルプスの向こう側の―つまりフランスやドイツなどの―文化にも早くから触れています。パリに移住した彼は、兄弟子のフランコ・ファッチョとともにパリの主要なサロンや劇場に出入りするようになります。ちなみにファッチョはボーイト、ヴェルディとその後重要な仕事をするようになる人物で、僕と同じくヴェローナ出身です。彼らはマイアベーア、オベール、ベルリオーズ等の作品に触れ、ロッシーニと親交を結んで食事をともにし、ワーグナーとも出会いました。ボーイトはヴェルディについて書いたものとして一番最初のものが、『仮面舞踏会』のパリ初演についての手紙です。そこで彼は『なんてひどい作品なんだ!』と書いているんですね。若者にありがちなことですが、彼はイタリアの作曲家の作品を地方色の強いもの、と見てしまっていたのです。当時の彼にとって、ヴェルディはイタリアの田舎作曲家の王様という位置づけだったのです。確かにヴェルディは地方色の強い作曲家かもしれませんが、当時彼は既にヨーロッパでもっとも著名な作曲家の一人でした。ですからボーイトは彼のその後のキャリアを進める上で、ヴェルディに近づく必要があったのです。ヴェルディと親しかったマッフェイ伯爵夫人がボーイトの詩の素晴らしさをヴェルディに伝えてくれたことで、ようやくボーイトは大作曲家に接近することが出来ました。ヴェルディは伯爵夫人の判断を非常に信頼していたのです。ですから、彼がロンドン万博のための作品(『諸国民の賛歌』)の作曲依頼を受けた際、ボーイトに作詞を依頼しました。このカンタータは大成功を収め、ヴェルディとボーイトの関係は親しいものとなりました。本当のことを言いますと、ボーイトがこの作品に書いた詞は外面的な効果を狙ったもので、中身がないという批判もありました。若くキャリアもない詩人に何故ヴェルディが詞を頼んだのだろう、と人々は思ったのですね。しかしボーイトは、自分が正しいと思ったらその方向にまっすぐ進んでいく性質(たち)でした。

スカラ座におけるボーイトとファッチョの失敗

兄弟子・友人のファッチョと共にイタリアに戻った彼は、ミラノの文化人と交流を始め、前衛文学運動として現在知られるスカピリアトゥーラ(=蓬髪主義)に傾倒します―実際のところは、『ラ・ボエーム』の世界のイタリア版のようなもの、と思っていただければよいと思いますが。規則や伝統に反対する芸術家達の集まりですね。この時期、ボーイトとファッチョは自分達がパリで経験したものを持ち込もうとしたのです。グランド・オペラの形式で書かれたマイアベーアやオベールの作品、ベルリオーズの折衷主義的な新しい音楽、そして初期のワーグナーのオペラなどですね。ボーイトとファッチョは、自分達の運動を『これからの音楽』と呼んでいました。その反対に置かれていた過去の芸術には、当然ヴェルディのものも含まれていたわけです。これはイタリアにとっては避けられない対立でした。伝統の存在が圧倒しているオペラや劇場、詩の世界における闘いだったのです。ヴェルディも、自分が旧い側として非難されているということははっきり感じ取り、彼とボーイトとの中は冷え切り、敵対関係になってしまいました。
ボーイトとファッチョは新たな芸術を創っていくという約束をしましたが、それらを全て守ったわけではありませんでした。スカラ座における彼らの失敗が二つあります。まず第1の失敗が、フランコ・ファッチョの『ハムレット』。原作は勿論シェイクスピアですが、ボーイトが書いた台本は非常に素晴らしいものでした。当時のイタリアではシェイクスピアはそれほど知られた作家ではありませんでしたが、ボーイトはこの大作からオペラ用に重要な部分を全て抽出し、優れた手腕でまとめあげたのです。非常に大きな問題は、ファッチョの音楽でした(笑)刺激や興奮がなく、凡庸であり、新しくさえなかったのです。このオペラの冒頭は『ガレー船の時代』(=苦役の時代)と呼ばれるヴェルディの初期オペラから取ってきたような音楽で始まり、残りはワーグナー『ローエングリン』を下手くそにコピーしたような音楽が続きます。そういうわけでこのオペラは完膚なきまでの失敗に終わり、ファッチョはその後一音たりとも音楽を書きませんでしたが―彼は非常に優れた指揮者になったのです。

『メフィストーフェレ』のスカラ座初演の失敗

(つづいて第2の失敗に話は移ります)
一方ボーイトは信念を曲げないタイプでしたので、自分の台本に自ら作曲するようになります。その作品をスカラ座で初演するのですが、それが人類史上最高峰の文芸作品であるゲーテ『ファウスト』に題材をとった『メフィストーフェレ』です。『メフィストーフェレ』はボーイトの作品として今日残っていますが、残念ながら彼が書いた第1稿の楽譜は失われてしまっています。この作品は、当時のイタリア・オペラの常識からすると大変革命的なものでした。現在上演される『メフィストーフェレ』は天上のプロローグがありますが、スカラ座での初版には『劇場にて』という、歌手ではなく俳優によって演じられるプロローグがありました。アリアや重唱、合唱などによる番号オペラ制ではなく、全てが続いていくワーグナー様式で作曲されており、また闘いの場面として、完全に管弦楽だけのシンフォニーも挿入されています。しかし―これはイタリアではよくあることですが―伝統を廃し新たな音楽を創ろう!というボーイトの動きに対し、人々はそっぽを向いたのです。ですから、『メフィストーフェレ』のスカラ座初演も、ファッチョの『ハムレット』に負けないくらいの失敗となってしまいました。客席では、買収された反対勢力とボーイトを擁護する人々の間での殴りあいがありました―当時の反応はなんにせよ、常に熱いものでしたから。ついには警察を呼ぶ騒ぎとなり、その後の上演はありませんでした。

新たな関係を築くヴェルディとボーイト

ボーイトはこの時点で初めて、自分が実力以上の所に行き過ぎたことに気が付きます。ようやくヴェルディを認め、新たな関係を築いていくのですね。ちなみにヴェルディはサンターガタの家で新聞を読みながら、ボーイトの大失敗について心の底から楽しく笑っていたそうです(笑)『ほらね、未来の芸術がどういう結末を迎えるか分かったかい?』と。ただ、ヴェルディは紳士的であったため公の場でボーイトらに反撃することはなく、ヴェルディとボーイトとの関係は再構築されました。(音楽出版で知られる)リコルディ社のリコルディ氏がその修復に一役買ったとも言われています。ある夕食の席でボーイトはリコルディに、(当時高名だった)ロッシーニの『オテロ』に続く新たな作品が作曲できたら素晴らしいでしょうね、と持ちかけます。そこでヴェルディのシェイクスピア愛を知っていたリコルディは、よい台本があればヴェルディが書いてくれるかもしれない、と答えました。その後ボーイトはたった3日間で『オテロ』台本の大部分を書き上げ、リコルディを通してヴェルディに送ったそうです。ボーイトの優れた才能を見抜いていたヴェルディですが、彼は同時に台本作家に対して厳しい人物でもありました。彼は台本の内容に積極的に介入し、ドラマの内容や音韻に関して作家とやり取りをしたのです。なので、二人の共同作業がうまくいくかどうかの試作品を作ることになりました。そうして生まれたのが、過去にヴェルディが書いた『シモン・ボッカネグラ』の現行版なのです。ボーイトは優秀でしたので、ピアーヴェの台本を遥かに興味深く、感動的な作品に作り変えました。私が『シモン・ボッカネグラ』で最もエキサイティングだと思うのは、議会での会議に民衆が入ってきて、皆で犯人を呪う場面です。ここで隠された犯人であるパオロは自分自身を呪うわけですが、この場面はまさにボーイトが作り上げたものなのです。『シモン・ボッカネグラ』は当初それほど評判がよくなかったのですが、ボーイトが改作した版は大変大きな成功を収めました。ちなみにこの数ヵ月には、大失敗だった『メフィストーフェレ』も改作版が作られ、こちらは成功となりました。

僕達の『チョコレート計画』

『シモン・ボッカネグラ』の成功に気をよくしたヴェルディは、『よし、僕達のチョコレートにかかろう』と言ったのです(『オテロ』の作曲計画はヴェルディの親しい人々の間では『チョコレート計画』と呼ばれていたそうです)。ヴェルディとボーイトの間で交わされたおびただしい数の往復書簡が今日遺されていますが、いかにボーイトの役に対する解釈が強烈であり、またそれがヴェルディに多大な影響を与えていたことが(書簡から)分かります。私が思いますには、ヴェルディはボーイトの演劇的な要素のみならず、音楽的にも影響を受けています。例えばイアーゴですが、ボーイトの解釈では非常に独特な人物像になっており、シェイクスピアのあいまいな人物像とは異なります。シェイクスピアのイアーゴでは、何故彼がオテロに策略を仕掛けたかという説明が尽くされていません。ボーイトは自らのオペラでの経験からも学んだと思いますが、(観客に解釈を任せる、という人物像を好まない)イタリアの観客に合わせてより強烈な性格を与えました。彼の『メフィストーフェレ』の表題役も、改作版の方がはっきりと悪魔らしさが出ているのですね。まるでメフィストーフェレをそのまま『オテロ』に移植してイアーゴにしたかのようです。ただ、悪役としてのヤーゴが劇中でうまく機能するように描かれたのは、やはりヴェルディの天才があってこそです。そのことがはっきり分かるのが第2幕の冒頭です。イアーゴが自らの信条(クレド)を述べる非常に有名な場面ですが、これはシェイクスピアにはない、ボーイトが創った内容です。オペラという虚構の世界から抜け出し、この内容を冷静に読んでみると、かなり馬鹿馬鹿しい内容です。第1幕のイアーゴはシェイクスピアの原作に則った、人々の間を揺れ動く分かりにくいキャラクターですが、第2幕になると突然舞台の真ん中で「俺は悪い人間なんだ、ワッハッハ」と歌うわけです(笑)『メフィストーフェレ』で既に現れていたボーイトの悪役像に、ヴェルディの音楽の偉大さが迫真性を与えているのです。

続いて、今回のBunkamuraオーチャードホールでの「オテロ」における歌手、最新鋭の技術を使った演出について話題が移りました。(バッティストーニ氏、ここまでで40分ほど一気呵成にお話をされました!)


登場人物の感情などをヴィジュアルでも示せるという特徴で、これまでにないものを

日本はテクノロジーが進んでいる国だと思います。今回初めて、アヴァンギャルドな試みを追求しているライゾマティクスリサーチがオペラ上演にかかわり、オペラの中でそういったテクノロジーが初めて使われます。彼らが使うテクノロジーや機材などの詳細はここではお話できません―私もそれらを全て知っているわけではありませんし。しかし、オペラではこれまでご覧になったことがないものをお見せできると思います。特に、登場人物の感情などをヴィジュアルでも示せるという特徴があります。
(続いて歌い手について)『オテロ』の主要なキャストはいずれも大変な役柄で、それぞれが高い能力がなければ歌えません。オテロ役のテノールは強烈なスピントの声を必要とし、これはイタリア・オペラの中ではかつて例がなかったほどです。唯一近い例を挙げるならば、ヴェルディの『スティッフェーリオ』の表題役くらいでしょう。今回のオテロ役のフランチェスコ・アニーレは、昨年(東フィル定期で)マスカーニ『イリス』で大阪を歌ってくれた歌手で、世界中でオテロを歌っています。近年ではメトロポリタン歌劇場でも成功を収めています。そして、オテロの対照であり、天使のようにデリケートな役柄であるデズデーモナを歌ってくれるのは、オペラ界でも広くディーヴァとして知られるエレーナ・モシュクです。イアーゴ役のアイヴァン・インヴェラルディは、迫力のある声の持ち主ですが、役者として非常に才能があります。この役は役者として説得力のある方にお願いしたいと思ったのです。


最後に、今回連動して行われる企画である「10代のためのプレミアムコンサート」について、また近年日本でも出版された自著『ぼくたちのクラシック音楽(原題:Non è musica per vecchi)』について、バッティストーニ氏の想いが語られました。

『オペラを何故観るのか』という問いには「感情を揺さぶられるため」とお答えしたいです。

これはオペラへのイントロダクションであり、オペラへ若い方々を招待するという企画なのです。『オテロ』2回公演の中日を利用して行いますが、『オテロ』のみならず、オペラに関連する序曲や管弦楽曲、イタリア・オペラの作曲家でもヴェルディだけでなくプッチーニやロッシーニなども交え、色々な曲を聴いてもらうことにしています。とても大事なのは、『オペラってなに?』という若い方々の疑問に対し、様々なスタイルで書かれた作品があるんですよ、ということを示すことです。『オペラを何故観るのか』という問いに、私たちの前にある様々な作品を観て感情を揺さぶられるため、とお答えしたいです。
(本を書いた目的について)イタリアには大きな問題があるのです。若い観客をどうやって育てていくか、ということ。また、イタリアの公立学校で音楽の授業がほぼ消滅したことも同じく深刻です。イタリア人の同僚音楽家とも嘆いたり文句を言ったりしますが、文句ばかり言っていてもしょうがないと僕は思ったわけです(笑)若い方々がクラシック音楽に入ってくるために、何かキー(鍵)になるものを、ということです。両親がクラシック音楽好きで、若い頃から自然に聴いていたから好きになった、という幸運を持っている子供は非常に少ないわけです。そういう子供にとって、第一歩を与えてあげることが大切です。一般的なクラシック音楽のイメージは、ほこりを被っており、つまらなく、博物館の中にある音楽、というようなものです。そうではなく、我々音楽家が情熱を傾けて取り組んでいて、たとえ知識がなくても親しめるということを伝えたいのです。勿論知識は助けにはなりますが、直感で聴けるロックやジャズのような他のジャンルと同じように聴いていい、ということを特に強調したつもりです。その意味で最初の手引きになるように、シンフォニーやオペラについて説明しています。イタリア語が世界的に用いられている音楽用語集もつけましたし、すぐに曲を聴いてもらえるようにQRコードもつけました。『音楽について話すことは、建築について踊ることだ』(=音楽について話してもしょうがない)とフランク・ザッパが言っていますが、それでもなお自分はこういった本を書いてみました。


バッティストーニ氏の幅広い見識、9月の「オテロ」公演に対する想いが溢れる、大変有意義な講演会となりました。Bunkamuraオーチャードホールでのオテロは9/8、9/10の2日公演、その間9/9には10代のためのプレミアム・コンサートはじめての演奏会オペラ~イタリア・オペラ編~が行われます。

文・平岡拓也 Reported by Takuya Hiraoka


【講演データ】
2017年5月27日(土)
アンドレア・バッティストーニ講演会
イタリア文化会館 アニェッリホール

講師:アンドレア・バッティストーニ(指揮者)
司会:加藤浩子
通訳:井内美香
主催:イタリア文化会館、日本ヴェルディ協会

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