オペラ・エクスプレス

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楽都:仙台で心に響くベートーヴェンの《第九》(全4ページ)


今回の《第九》を指揮したのは飯森範親。ベートーヴェン《第九》の前には、モーツァルトの交響曲第九番が演奏されました。山形交響楽団の音楽監督であり、彼らとのモーツァルト全曲演奏・録音で知られている飯森のタクトで、颯爽としたモーツァルトの《第九》を聴くのは、その後に来るベートーヴェンとの対比としてもウィットに富んでいて良かったです。
そしてベートーヴェンの《第九》。モーツァルトと同様、時代の様式を尊重する演奏でありながら、作品のドラマチックな面に鋭く切り込んで、第一楽章から最終楽章までの発展がはっきり感じられ素晴らしかったです。人間の成長と偉大さを表したこの交響曲にふさわしい演奏であると同時に、《第九》を体験して成長する学生たちの進歩も表しているように感じました。
器楽だけの第三楽章までが終わり、ついに合唱が登場する第四楽章となります。日本を代表するバリトン歌手の一人、小森輝彦の声が説得力を持って響き渡りました。そして若手の注目株、テノールの新海康仁の瑞々しい声が続き、アメリカで活躍している早坂知子のボリュームのある美声、合唱の指導者でもある在原泉の品のある歌唱が重なります。ソリストの迫力ある歌に負けない合唱の「歓喜の歌」がホールを満たしました。音楽の力をひしひしと感じる《第九》コンサートでした。
終演後の飯森マエストロに話を聴きました。


Q:今日のコンサートは皆さんが一体になった素晴らしい演奏だったと思いました。マエストロの手応えはいかがでしたか?

飯森:僕は三年前にもこの《第九》コンサートを指揮していますが、その時と比べて合唱のクオリティーはますます上がっていると思います。仙台フィルの皆さんも、ここの合唱が素晴らしいことをよく知っている。このコンサートに参加しているのは全て、佐々木正利先生の指導する合唱団の方々です。彼らの《第九》の曲へのアプローチ、そして声の響きの素晴らしさを、一緒に歌うことによって大学生達にも体験してもらおう、ということなのですが、その純度の高さはちょっと他にはないレベルです。そのことで仙台フィルのモチベーションにも火がついたのではと思います。それに加えて、僕は隣の山形交響楽団の音楽監督ですから、オーケストラも負けてられないという気持ちはあったかも知れませんね(笑)。

Q:この《第九》コンサートはどのあたりに一番意義を感じて演奏していますか?

飯森:先程、合唱団の皆さんに挨拶をした時にも申し上げたんですが、東北エリアは人口の減少が著しいんですね。その中で音楽文化を担っている仙台フィル、そして僕と山形交響楽団もそうですけれども、そういう皆にとって人口の減少は由々しき問題なんです。東北エリアの人口流出をいかにして食い止めるかを考えた時に、やはり教育と文化なんです。教育と文化があれば経済もそこに成り立つはずですから。教育と文化、そして経済を三位一体で考えないと人は絶対に戻って来ない。「地方創生」は口で言うばかりではなく、皆で一緒になって真剣に実行しなくてはいけない。ですから、この東北エリアで活動をさせて頂くのは、音楽文化を含むすべての文化が広く認知されることを目指しているのです。それとともに教育との関わりをもっと強くする。文化と教育が整えば人は集まりやすくなるので、そこでちゃんとした雇用が生まれ稼ぐことも可能になれば、人口の流出を食い止める、少なくとも速度を遅くする事は出来ると思うのです。今それをやらないといけない、という思いがあるので、こういうところで演奏させて頂く《第九》、そしてそれ以外の演奏活動も含めて大切にしなければと思っています。

Q:東北文化学園大学は医療や福祉について学ぶ学生が多い一般大学ですが、そういう人達にこういう曲を体験してもらうというのは得難いことですね?

飯森:彼らにとってこれをやったことがどうなのか、といったら、多分、今すぐは分からないかもしれません。だけれど、卒業して就職して、音楽じゃない仕事に就いた後で、ふっと、例えばこの曲が流れた時に「これ歌ったよな」と思うこともあるかも知れない。おそらくみんなはこのコンサートに向けて大変な思いをして練習してきたと思うんです。それを乗り越えてこういう本番が出来たということを思い出した時に、それが何かしらのエネルギーになるに違いないと信じています。

Q:《第九》は色々な演奏があると思いますが、マエストロは楽譜の読みを本当に大事にされている、と出演歌手の方々からも伺いました。その辺がご自分の《第九》へのアプローチだと思われますか?

飯森:楽譜はもちろん大切ですが、ベートーヴェンがこの曲を書くモチベーションになったのはやはりシラーの詩です。シラーには難解な詩も多いですが、この曲の歌詞になっている詩は、ドイツ語の文章としても素晴らしく美しい詩であるうえに、万人が理解できる内容を持っている。そこにベートーヴェンが共感してこの曲が生まれた。つまりまず曲がありきではなく、シラーの詩があってこそこの曲が生まれているのです。
僕のアプローチは、もしかしたらオペラ的なアプローチと言えるかもしれません。オペラも題材がなかったら書けないですよね? モーツァルトの《フィガロの結婚》も、ロッシーニの《セビリャの理髪師》も素晴らしい台本があってこそ。だから題材はとても大事なのです。《第九》を考えた時に歌があるのは第四楽章だけですが、やはり壮大な一つのオペラと捉えることが出来るんです。

Q:実は今日聴いていてオペラのようだ、と感じていたんです。それぞれの楽章で音楽的に様々なことが起こり、その結果のあの第四楽章なんだな、という気がしました。

飯森:それは嬉しいです。少し種明かしをしてしまうと、僕は、第一楽章はベートーヴェンが人としての存在価値、意義というものを自答自問している楽章だと思っているんです。第二楽章は社会、自分を取り巻く環境、もしくは政治。ナポレオンがいて戦争も多かったあの時代ですから。そして第三楽章のテーマは、生とは何か、死とは何か。天上の世界への憧れ。死んでしまったら本当は何が残るんだろう? そういったものを考えていると僕は感じるんです。
そして第四楽章の冒頭では、それらすべてを否定します。第一楽章のテーマが出ては否定し、第二楽章のテーマが出ては否定し。では結局何なのか?となった時に、最後のあのシラーの詩が来るのです。様々なことを自答自問してきた。しかし、それは結局小さいことではないか、というのが第四楽章のテーマ。そんなことよりももっとグローバルに、視野を広げて。地球上に存在しているだけでも、生を受けただけでも幸せなのではないか? 幸せな生を受けたもの同士、皆協力して手を取り合って生きていくのが大事なのだ、というのがテーマだと思うのですね。

Q:まさにそう思います。しかもそれが明確に表現されていました。

飯森:第一楽章から第三楽章までは歌はありません。でも僕のアプローチとしてはある意味オペラのような発想で考えていつも演奏しています。

〈次ページ:合唱が盛んな東北ならではの《第九》〉

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