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総力を挙げた「不可能」への挑戦―びわ湖ホール《ワルキューレ》

総力を挙げた「不可能」への挑戦―びわ湖ホール《ワルキューレ》

びわ湖ホール「ワルキューレ」を観た。昨年のラインの黄金に続く「びわ湖リング」の第2弾だ。引き続きミヒャエル・ハンペ(演出)とヘニング・フォン・ギールケ(美術・衣装)のタッグが超現実的な世界を可視化し、ピットには沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)と京都市交響楽団が入る。日本のみならず海外でも活躍するワーグナー歌手がずらりと顔を揃え、肝心の声楽陣も万全の装いだ。

「ワーグナーの要求は過大だ」「ワーグナーの体温は、普通の人の10倍」―これらは、ハンペが本公演のプログラムに寄せ、また公演2日目午前中のオペラ・ワークショップでも語った言葉である。円熟した演出家であるハンペを以ってしても、巨匠が描かんとした世界を具現化することは不可能に近いということだ。我々聴衆はびわ湖ホールで、その「不可能」への挑戦を目撃したわけだが—それは、大きな実を結んだのではなかろうか。
第1幕冒頭は吹き荒ぶ冬の嵐に始まる。昨年「ラインの黄金」で演出チームはセットとプロジェクション・マッピングにより見事な水底を作り出したが、今年は同様の手法により森の木々と風雪を立体的に描き、ジークムントの過酷な逃避行を暗喩した。英雄が逃げ込むフンディングの館はごくオーソドックスだが、ジークムントとジークリンデが密やかに距離を縮めていく第3場の采配は秀逸だった。英雄が歌う「冬の嵐は過ぎ去り(Winterstürme wichen dem Wonnemond)」の序奏が始まると、館はゆっくりと瓦解して鮮やかに萌える新緑が現れる。もはやジークリンデが精神の上で隷属の身では無い事を暗示するだろう。そしてこの幕の音楽的頂点(トネリコの幹からの霊剣ノートゥング抜刀)では彼女は歓呼の声を高らかに叫ぶ。この甘美な絶叫により、音楽は更なる昂揚と陶酔へ一直線に向かっていくのだ。

びわ湖ホール《ワルキューレ》より (C) Naoko Nagasawa

びわ湖ホール《ワルキューレ》より
(C) Naoko Nagasawa

第2幕は昨年「ラインの黄金」のエルダ登場場面を想起させる神々の空間で始まる。フリッカの要求を渋々呑み、ことの仔細をヴォータンが娘ブリュンヒルデに語るわけだが、この間舞台の動きはあまりない。ハンペは歌手の演技に場面のメリハリを委ねたようだ。第3場でジークムントとジークリンデが姿を現すのは、ト書き通り荒涼とした岩山だ。ここでジークムントとフンディングは再び相見え、ヴォータンに霊剣を折られた英雄は敵の槍により息絶える。ヴォータンは神であり、人知を超えた力で戦いを司るわけだが、今回の演出ではヴォータンは斃れゆくジークムントをその腕にがっしりと抱き、丁重に最期を看取る。一方、下郎フンディングには容赦ない雷が落とされるのだ。娘ブリュンヒルデが見抜いていた、英雄の父としてのヴォータンの葛藤を全面に出し、それが論点となる第3幕へと橋を渡す采配であろう。

びわ湖ホール《ワルキューレ》より (C) Naoko Nagasawa

びわ湖ホール《ワルキューレ》より
(C) Naoko Nagasawa

第3幕はあまりにも有名な「ワルキューレの騎行」で始まり、勇猛な8人の戦乙女が天馬に乗って岩山へやって来る。このめくるめく展開は映像で表現され、空の彼方から次々と馬が岩山に乗り付ける様が写実的に描かれた。馬の嘶きは些かコミカルになった感も否めないが、昨年の「虹の橋を渡る神々」に続き、現代技術の勝利である。ワルキューレ達は人間の女を連れて来たブリュンヒルデをかくまい、追ってきたヴォータンと対峙するが、ここでは斜めに切り立った岩の舞台を見事に活用していた。ヴォータンは岩の上で捲くし立て、ワルキューレ達は下の平面で固まって対抗する。主神と戦乙女達の潜在的な地位格差が、ここで視覚的にも印象付けられる。ヴォータンが愛娘ブリュンヒルデの最後の願いを叶える第3場の幕切れでは、舞台から実際の炎が噴出し、それが円滑に奥行きのある映像へと受け継がれる。やがては舞台全体が炎に包まれ、名残惜しげに主神は娘のもとを去ってゆくのだ。この見事な結末を観れば、2年後に迫る「神々の黄昏」で世界を呑み込む巨大な炎がいかように描かれるのか―期待は膨らむというものだ。

びわ湖ホール《ワルキューレ》より (C) Naoko Nagasawa

びわ湖ホール《ワルキューレ》より
(C) Naoko Nagasawa


「不可能」に挑戦したのは、何も演出チームだけではない。音楽面も紛れも無く総力戦だ。
初日(3日)のキャストは、3人の外国人歌手が顔を揃えた。ステファニー・ミュター(ブリュンヒルデ)は野太い声で安定した好演。ユルゲン・リン(ヴォータン)はヴェテランの風格を示すが、高域にやや苦しい場面が多く聴かれた。第3幕終盤の苦悶する表情には感じ入ったが、全体としては演技にも一段上を求めたいところ。アンドリュー・リチャーズ(ジークムント)は叙情的な歌唱が魅力だが、第1幕の「ヴェルゼ!(Wälse!)」が2回ともあまりに短かったのは一オペラファンとしてやや残念だった。ヴェテランの小山由美(フリッカ)は端正なドイツ語捌き、ただ主神を咎める凄みはあまり感じられない。斉木健詞(フンディング)、森谷真理(ジークリンデ)はそれぞれ手堅さ以上の貢献を聴かせた。

対して、オール邦人キャスト(4日)は第1幕から言葉の応酬に一段の凄みがこもる。望月哲也(ジークムント)は第一声から格調高く、演技含め表情豊かに第1幕を牽引。低域での不明瞭さは惜しかったが―。彼を追い込む山下浩司(フンディング)も強烈だ。フンディングに関しては両日甲乙付けがたい出来だろう。田崎尚美(ジークリンデ)は、ヴェルゼの剣を語る際の憑依したような表情から熱量を増した。幕切れまで端正さを保った森谷真理に比べ、より生々しい迫力が剥き出しとなったのではないか。中島郁子(フリッカ)の追い込みも前日以上で、それに正面から応じる青山貴(ヴォータン)の声の威厳も相俟って第2幕の音楽的密度が飛躍的に高まった。青山の同役は今や比類なき水準にあるが、今回も想像以上の充実。幕切れまで些かの衰えも感じさせない圧巻の歌唱だ。そして、池田香織(ブリュンヒルデ)の同役デビューの大成功を記さぬわけにはいくまい。第2幕冒頭の「ホヨトホー!(Hojotoho!)」では幾分少女らしさを湛えた瑞々しい歌唱で始め、第4場でジークムントのもとに姿を現す際は艶消しのような声色に変えて己の神性を客席にも印象付ける。父の烈しい叱責を受ける第3幕でも、刻一刻と移りゆく表情と強靭な美声に魅了された。国内でこのようなブリュンヒルデが観られるとは!

なお、8人のワルキューレは両日ともに緊密なアンサンブルを聴かせた。傾斜の大きな舞台での肉体的な負担は大きいだろうが、それを感じさせない見事な歌だ。小林厚子(『わ』の会)、基村昌代(愛知祝祭管)、小川里美(東京春祭)ら、日本各地のワーグナー上演で近年存在感を示した歌い手が名を連ねていたのも心強い。
沼尻竜典率いる京都市交響楽団は、今年も期待通り強力な演奏をした。管楽器の野太い力(しかも整った音程!)は日本でも随一で、精妙に歌う弦楽器も実に見事だ。ただ最強奏は決して怒号のように大きいわけではなく、寧ろ歌手をかき消さないよう常に指揮が手綱を握っていた。初日の第1幕では特にその印象が強く、怒涛の終盤においても音楽があまり昂揚せず不思議だった。2日目は存分に盛り上がり終結したので、どうやら歌手陣の違いも大きな要因のようだ。両日とも作品を俯瞰したペース配分がきっちりと守られていたのは沼尻の見識であろう。叙情美という点でも高水準で、第3幕終盤の木管群が最後まで美しく調和していたことを記しておきたい。

演出チーム・音楽面の2点から、びわ湖ホール「ワルキューレ」に言及してきた。2日間の日程で様々な差異はあるが、この劇場が総力を挙げた上演であったことは疑うべくもない。巨大な4部作の折り返し地点となる来年の「ジークフリート」をびわ湖ホールがどう魅せてくれるか、早くも公演が待ち遠しい思いだ。

文・平岡 拓也 Reported by Takuya Hiraoka / photo:Naoko Nagasawa

びわ湖ホールプロデュースオペラ
ワーグナー:楽劇
ワルキュ-レ
(全3幕/ドイツ語上演/日本語字幕付)

2018年3月3日(土)/4日(日)
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 大ホール

指揮:沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)
演出:ミヒャエル・ハンペ
美術・衣裳:ヘニング・フォン・ギールケ

2018年3月3日
ジークムント:アンドリュー・リチャーズ(テノール)
フンディング:斉木健詞(バス)
ヴォータン:ユルゲン・リン(バリトン)
ジークリンデ:森谷真理(ソプラノ)
ブリュンヒルデ:ステファニー・ミュター(ソプラノ)
フリッカ:小山由美(メゾ・ソプラノ)
ゲルヒルデ:小林厚子(ソプラノ)
オルトリンデ:増田のり子(ソプラノ)
ヴァルトラウテ:増田弥生(メゾ・ソプラノ)
シュヴェルトライテ:高橋華子(メゾ・ソプラノ)
ヘルムヴィーゲ:佐藤路子(ソプラノ)
ジークルーネ:小林紗季子(メゾ・ソプラノ)
グリムゲルデ:八木寿子(アルト)
ロスヴァイゼ:福原寿美枝(メゾ・ソプラノ)

2018年3月4日
ジークムント:望月哲也(テノール)
フンディング:山下浩司(バス)
ヴォータン:青山貴(バリトン)
ジークリンデ:田崎尚美(ソプラノ)
ブリュンヒルデ:池田香織(メゾ・ソプラノ)
フリッカ:中島郁子(メゾ・ソプラノ)
ゲルヒルデ:基村昌代(ソプラノ)
オルトリンデ:小川里美(ソプラノ)
ワルトラウテ:澤村翔子(メゾ・ソプラノ)
シュヴェルトライテ:小林昌代(メゾ・ソプラノ)
ヘルムヴィーゲ:岩川亮子(ソプラノ)
ジークルーネ:小野和歌子(メゾ・ソプラノ)
グリムゲルデ:森季子(メゾ・ソプラノ)
ロスヴァイゼ:平舘直子(メゾ・ソプラノ)

管弦楽:京都市交響楽団
コンサートマスター:ハルトムート・シル

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