神奈川フィルハーモニー管弦楽団 Dramatic Series 歌劇「トスカ」
2026年6月20日(土)17:00開演
会場:横浜みなとみらいホール 大ホール
指揮:沼尻竜典
キャスト:
トスカ :佐藤康子
カヴァラドッシ:シュテファン・ポップ
スカルピア:上江隼人
アンジェロッティ:妻屋秀和
スポレッタ:澤武紀行
シャッローネ:市川敏雅
堂守:晴雅彦
看守:宮下嘉彦
羊飼い:芝野遥香
合唱:横浜市立田奈中学校合唱部、神奈川ハーモニック・クワイア
沼尻竜典と神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、2023年の「サロメ」を皮切りに、Dramatic Seriesとしてセミ・ステージ形式のオペラ上演を行ってきた。リューベック歌劇場での活躍、また国内でもびわ湖ホールでの数々の大仕事を考えれば自然な取り組みと言える。近年ではこれが「沼尻ゆかりのオーケストラと、ひとつの作品を同じキャストで集中的に取り組むシリーズ」として展開されていて、今回の「トスカ」にしても既に群馬交響楽団(6/6)、名古屋フィルハーモニー交響楽団(6/12)の上演を経て、いわば千秋楽として横浜に登場した。
これに近い取り組みとして想起されるのは、「全国共同制作オペラ」として各地で開催される公演だろうか。各地での上演を経て、キャストはひとつの”カンパニー”として出来上がっていくだろう。日本国内で、新国立劇場や東京二期会、藤原歌劇団、そしてびわ湖ホールのような例を除けばそのように時間をかけて上演を重ねる機会はそう多くない。だが、毎回オーケストラも合唱も、なにより会場も違う上演を繰り返すことには、相応の困難が伴う。この”シリーズ”上演においては、その上演クオリティを担保するのがおそらくはこの企画の発起人でもあるのだろう、沼尻の双肩に完全にかかっているわけだ。まずはこの企画が成立していることに対して、沼尻竜典という日本では稀有なオペラでのキャリアを積んできたマエストロに敬意を示したい。
今回取り上げた「トスカ」については、今さら何をか言わんや、という思いもある。というのも、現代では望むならYouTubeにいくらでも長短の動画があり、検索をかければ受け取りきれないだけの情報がある。最低限の情報としては、ナポレオンが王となる前の時期である1800年、マレンゴの戦い前後にローマで起きた史実を下に作られた、サルドゥーの戯曲による、プッチーニの代表作にして「カルメン」などと並び称されうるオペラの代名詞的作品、ということになろうか。プッチーニと台本チームのイッリカ&ジャコーザのトリオが遺した最高傑作、でもいいだろう。
録音でならCD二枚に余裕で収まるコンパクトな上演時間に、ナポレオン戦争に翻弄される国情という大情況から、個々人の欲目や愛が交錯する小情況まで、実に劇的に示される作品だ。アンジェロッティが教会に逃げ込んできた翌日の夜明けにはサンタンジェロ城の屋上で幕切れを迎える急展開が、基本的にトスカとカヴァラドッシの恋人たち、そしてトスカを狙い反体制派を敵視するスカルピアの三人の関係を軸に描かれる本筋のシンプルさは物騒なお話しながら、誰もが楽しめる作品と言えるだろう。
今回のセミステージ形式による上演については、リハーサルが始まる前の取材に答えて沼尻が「楽器や演奏する姿がよく見えるし、(演出は要点のみのため)脳内で場面を想像する楽しみがある」 と語っていたとおり、照明で雰囲気を作り、歌手たちはちゃんと芝居をするが、舞台装置や”演出”は最小限に抑えられる(燭台どころかトスカの”キス”もなし!)。だがそのアプローチながら、このホールで「トスカ」が披露される場合にはステージ後方の客席、そしてオルガンが見事な存在感でドラマを盛り上げてくれる。第一幕のクライマックスに、このホールの配置が最高の効果をもたらしたし、第三幕でも羊飼いの振る舞い、そして幕切れを”演出”してくれていた。
「トスカ」に限らないが、プッチーニのスコアは音楽家が理解さえしていれば、譜面はあんなにシンプルに見えるのに本当に多彩な響きを出すし、とにかくドラマを描きたくて仕方のない音楽を堪能できる。「トスカ」にしても、編成を確認すれば基本は三管編成の一般的なオーケストラで、オルガン以外はそれほど特殊な要求はない。その”特殊”編成を最高に劇的に使えるのが、プッチーニの天才たる所以だろう。その音楽を示したい、と語っていたとおり、見事に示した沼尻竜典率いる神奈川フィルハーモニー管弦楽団にまず大きな拍手を送りたい。普段のオペラ上演なら舞台下に隠れる指揮者とオケが見えることで、“効果音”的な音符が有機的に聴こえたり、たとえば第三幕のクラリネットやチェロセクションなど重要なパートの仕事ぶりも目で楽しめる。ピットで上演を連日こなすオーケストラとは言えない神奈川フィルだが、作曲家のアイディアを理解したアンサンブルを示し、歌手の呼吸にも巧みにつけて見せた集中力は素晴らしいものだった。そしてオペラ上演に長い経験があり、「トスカ」を各地で公演してきた沼尻は歌手の気配を察し、ちょっとした呼吸から仕掛けも見逃さずオケに指示を出して…と、オペラ指揮者としての本領を三時間示し続けた。なるほど、これがオペラのマエストロの仕事であるか、と大いに満足した。
カーテンコールで(ああ千秋楽だなあ)と聴衆まで笑顔にしてくれたシュテファン・ポップは歌唱ではさらに自由自在、「ちょっとお調子者で鼻っ柱が強い、ヴォルテール派の絵描き」をその声とちょっとした演技だけで見事に示した。”Vittoria!”の、特に二回目にはこれ見よがしなフェルマータが必要だったのだ、と気がつけたのは彼のおかげだ。今は囚人である自分が勝者になるのだ!と高らかに宣言し、余計な喧嘩を売る不羈奔放なキャラクターとしてのカヴァラドッシを理解させてもらった。
そして集中して歌詞をきちんと受け取ると、いささか現代人としては抵抗があるスカルピアを、上江隼人がきっちり「いい声で酷いことを言う」役どころとして聴かせてくれたのも満足度が高い。彼の一味の振舞が秘密警察、特高を想起させたのも想像を刺激してくれた。ここには新国や藤原、二期会などでおなじみの面々が揃っていたから、歌唱も演技も安心して楽しめた。
そしてトスカの佐藤康子は、愛らしい歌姫で愛ゆえに少し騙されやすく、しかし譲れないものは譲らない強さを全編で示した。こうも出番の多い題名役で、蝶々さん以外の役をポップのような強い声とときに拮抗しときに響きあえるソプラノがいることを知れて嬉しく思う。秋には「イル・トロヴァトーレ」のレオノーラ役で石川と新潟の公演に登場するとのことだが、その役ではまた違った魅力を示してくれるのではないだろうか。
合唱の神奈川ハーモニック・クワイア、田名中学校合唱部も充実した歌唱を聴かせた。前者は少人数ながら精鋭揃い、実に力強く存在感を示していたし、後者はやはり「テ・デウム」での清冽さが印象に残った。
沼尻が求め、神奈川フィルの聴衆が期待した「プッチーニの音楽を存分に楽しめる舞台」は総じて実現していたように思う。もちろん、(複数公演あれば)などとないものねだりもできようけれど、与えられた機会を指揮者もオーケストラもキャストも合唱も、またスタッフ各位もオペラの魅力を伝えるため全力で取り組んでくれた素晴らしい成果だったと感じる。またここから我々聴衆もさらなる音楽体験へ向かっていける、素晴らしい機会をいただけたと思う。予定は発表されていないが、次回のDramatic Seriesにも期待して待ちたいと思う。
取材・文:千葉さとし




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