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【インタビュー】萩京子さん(作曲家・オペラシアターこんにゃく座代表・音楽監督)—オペラの可能性を広げる“オペラシアター”

【インタビュー】萩京子さん(作曲家・オペラシアターこんにゃく座代表・音楽監督)—オペラの可能性を広げる“オペラシアター”

「オペラシアターこんにゃく座」は長い歴史のあるオペラ団体です。その成り立ちはどのようなものだったのでしょうか? こんにゃく座の代表で音楽監督でもある作曲家の萩京子(はぎ・きょうこ)さんにインタビューしました。
萩 京子

〈こんにゃく体操〉から生まれた「こんにゃく座」

Q: こんにゃく座の成り立ちとポリシーを教えてください。

こんにゃく座は1971年の創立です。そもそもは東京藝術大学(以下、藝大)の声楽の学生達が作った集団でした。オペラをやっていきたいと思った時、日本でたくさんの人達にオペラを楽しんでもらえるようになるにはどうしたらいいのか?を考えると、日本語で歌うということをもっと大事に考えないといけない。ところがオペラはイタリア語やドイツ語などの外国語で作られたものが基本で、それを日本語に訳して歌っても、なかなか日本語を「歌う」という事が後回しになってしまい、オペラを観ても言葉が分からない、という状態でした。

そうするとお客様も、オペラというのは立派な声を聴くものなんだ、という方向になりますし、歌う人達も、どれだけ声を立派にするか、ヨーロッパの歌劇場に通用する歌い手になるにはどうすればいいのか、ということばかり考えるような状態で、それでは演劇と音楽が一緒になったオペラの面白さが広がっていかない、とこんにゃく座を作ったメンバー達は考えたわけです。日本語のオペラを極めよう、そしてオペラ歌手はもっと演技や身体表現が出来るようになるべきだ。そこで取り入れたのが〈こんにゃく体操〉でした。

Q: 〈こんにゃく体操〉とは面白いネーミングですが誰が考えたんですか?

〈こんにゃく体操〉というのは体操のニックネームなんです。藝大の体育の授業で野口三千三さんと宮川睦子さんという二人の教官が指導されていた体操でした。それは人間の身体のエネルギーの流れを、東洋の考え方や哲学的な事も組み入れて考案された体操です。体操によって柔軟性を高めて人間の身体のエネルギーを、それも少ないエネルギーで最大の効果を表す動きを見出すことは、音楽の学生にも役に立ち、また美術の学生にとっても、人間の身体についての色々なヒントの詰まった体操でした。

この体操を極めたらオペラに役に立つのではないか?と考えた学生達が宮川睦子先生に相談をして、〈こんにゃく体操〉のゼミナールが出来ました。宮川先生は文学座でも体操を教えていたので、演劇のエチュードも取り入れて習っていった。その学生達が卒業して、自分たちがオペラの劇団を作ろうという時に、自分たちの原点として〈こんにゃく体操〉がとても大切だったので、劇団の名前を「こんにゃく座」と付けたのが始まりです。
萩 京子

スタートした頃はバスに寝泊まりしての旅公演

Q: 最初は何人くらいでスタートしたのですか?

創立メンバーは8名でした。全国で公演をするためには旅費や宿泊費が掛かります。経費としてはそこが膨大になってしまうんですね。それを抑えるために、一台のバスに舞台の道具を詰め込んで、そこで寝泊まりをして旅をするというスタイルで始めました。旅役者的なユニークさがあった。他にアルバイトをしないで、仕事としてオペラで食べていく覚悟で始めた、というのもこんにゃく座の大きな特徴だったんです。公演の場所は、体育館とか、公民館とか、空間があって観に来てくださる人がいる所をオペラハウスとしたい、という考え方で、立派な劇場機構がなくても出来るコンパクトな道具で、出演人数もあまり多くなく、それから楽器もピアノだけ、もしくは小さな編成で回っていく、という形をとったのがスタートした時からの特徴でした。

林光と出会った「こんにゃく座」

Q: 作曲家の林光さんとはどのようにして出会ったのですか?

こうして誕生したこんにゃく座が、どういう作品をやっていくか、ということで日本語のオペラを探したところ、当時、1970年位までの時期に書かれた日本のオペラは約100作品ほどありました。こんにゃく座のメンバーがもうひとつ考えたのは、オペラをたくさんの観客に観てもらうには、子どもの頃からオペラに親しんでもらうことが大事なので子供を対象とした学校公演をしよう、ということでした。そうすると、あまり大掛かりではなくて、しかも子供たちがすっと入っていける作品、ということで林光さん作曲の「あまんじゃくとうりこひめ」に目をつけたんです。このオペラは30分くらいの小品ですが、オペラの要素がぎっしり詰まっている。アリアもあれば重唱もある、レチタティーヴォ(語るように歌う部分)もあれば演劇的な面白さも含まれている。これなら子供達に楽しんでもらえるだろう、どこに行っても、オペラに興味のない大人達にも「ぜひ観てください」と言って「あ、オペラも面白いな」と思ってもらえる作品だと。

こんにゃく座というのがあって自分の作品を上演しているらしい、ということは林光さんの耳にも届きます。自分の作品をどんな風に学校で公演しているのか? 彼が関わっていた音楽雑誌「トランソニック」の企画で、林光さん自身がこんにゃく座の北海道ツアーに随行したのが1974年のことでした。バスで一緒に旅をして、学校の体育館での公演の一部始終をご覧になって、かなり以前に自分が作曲した「あまんじゃくとうりこひめ」という作品が、小学校でどのように上演されているのかを目の当たりにした時、それは林光さんが当時の日本のオペラ上演はこんなものだろう、と思っていたのとまったくかけ離れていた。子供達とのやり取りの中でオペラが成立している、という他では感じられないものを、体育館での公演で感じた、それが林光さんにとって大きなことだったんですね。こんにゃく座でオペラを書いてみよう、ということになり、こんにゃく座も作曲家を必要としていたので、お互いの関係がそこから始まって、それから次から次へと新作が出来るようになったんです。

Q: こんにゃく座にとって林光さんの参加はすごくラッキーなことだったのでしょうか?

そうですね。作曲家と強いつながりを持てた、ということは勿論大事だけれども、それが林光さんだった、ということがこんにゃく座を一つ決定づけた。もともと林光さんの曲をやっていたけれども、別の作曲家と強く出会っていたらこんにゃく座の方向はまったく変わったかもしれません。林光さんから演劇的な色々な影響をたくさん受けましたし、林光さんの提案で、日本初のブレヒト原作のオペラとなった《白墨の輪》が出来た。初めは日本語のオペラというと民話的な題材からスタートし、「あまんじゃくとうりこひめ」もそうですけれども、林さんが最初にこんにゃく座のために書いてくださったのが「おこんじょうるり」というさねとうあきらさん原作の民話的な素材のオペラでした。その次も「浮かれのひょう六機織歌」というやはり民話的な世界。で、その次ですね。第三作目がブレヒトだったので、そこでぐっと変わってきたんです。
萩 京子

「こんにゃく座」meets 萩京子

私は、藝大作曲科の学生の時に〈こんにゃく体操〉ゼミに出会って、オペラとかそういう作曲をするために、身体のことを自らやってみよう、ということでこんにゃく体操をやっていたんです。それでこんにゃく体操の方から、こんにゃく座がピアニストを必要としているから旅に行ってピアノを弾きませんか?と誘われました。まあ作曲科を卒業してもぶらぶらしていたので(笑)、じゃあやってみようか、ということでこんにゃく座のオペラを弾くようになったのが出会いです。

Q: 音楽の事ですが、前衛的な現代オペラ等とは違い、こんにゃく座のオペラは聴きやすい音楽で、「ああこのメロディーはいいなぁ」と思ったり、劇の展開にもマッチして「なるほど、そう来ましたか!」と感じたりするのですが、一方、かなり洗練された聴きごたえがある音楽だとも思います。こんにゃく座の目指す音楽はどういう音楽ですか?

親しみやすさだけを考えて作るということではなく、やはり作品のテーマに即するというか、内容を伝えるのに一番適した音を考えた時に、そこにもちろん「親しみやすさ」も場合によっては出て来るだろうし、いわゆる「古典的な美しさ」が必要な場面もあるでしょう。そして、それだけではなく、ちょっと新しい表現というか、音の複雑さ、リズムの複雑さなどを求める場面も出てくる。それは林光さんもそうだったと思いますし、私もそこは柔軟に考えてやっています。

でも特にこの《ロはロボットのロ》もそうですが、何か帰り道に口ずさめるというか、それは作る時にあまりそれを意図してやっているわけではなく、結果的にちょっと印象に残ったフレーズ、あるいは思い出して歌えたりするといいな、というのはどこかにありますけれども。

若かりし頃の林光さんが、オペラではないですが、劇音楽として《森は生きている》という作品に関わった時に、帰り道にお客様である子供達が、「燃えろ、燃えろ」という歌を歌いながら劇場を後にした姿を目にして、「作曲という仕事をしていてよかった、これからもやっていこう」と思ったそうです。まあやっぱり大変な喜びですよね。休憩時間にロビーとかで前半の歌を子供や大人の方も口ずさんでくれたりしているとそれは嬉しい事なんです。

Q: ヴェルディが《リゴレット》を書いた時に、みんなが帰りに「女心の歌」を口ずさんでいた、といいますね。

学生時代にそういうエピソードを知った時、話としては「いいな」と思いました。ただ、現代の音楽を書く者としては、なかなか自分はそういう体験は出来ないだろう、と思っていたんです。でも、私なんかもこんにゃく座と出会ったおかげで、少しそういう体験を出来るというか…

Q: 作曲家としては林光さんの作曲スタイルを継承していらっしゃるんですか?

まさに、こんにゃく座で林光作曲のオペラを知り尽くすというか、それを自分で再現する事もあれば、こんにゃく座の中でオペラを作っていく時にも、林光さんの音楽の書き方、オペラの書き方、というのはもう影響の受け方としてはものすごく大きいです。だからもちろん、似ている、私がそれを継承している部分も大きくあるし、一方、すごく違う所もそれはどうしても出て来てしまいます。

共同作曲、というのもやった事があるんです。それはシェークスピアの「十二夜」という作品からスタートして、「十二夜」「ハムレット」「夏の夜の夢」という三作品において、オペラを共同で作曲するというのをやったんです。場面を分けて。音楽の特徴を捉える耳の人は、「この場面は林さんだ」「ここは萩だな」とか、「あれ、はずれた」とか(笑)。どっちがどっちだか分からないとか楽しまれたようです。段々自分でも分からなくなったりして(笑)。

なぜ“オペラシアター”なのか?

Q: 私たちはオペラのサイトなので、「オペラ」という言葉に反応してしまうんです(笑)。音楽劇とかミュージカルとか、子供や若い人に人気のある音楽でコミュニケートする劇は結構あると思うんですが、こんにゃく座は“オペラシアター”です。それはオペラがこうあってほしい、という信念があるからオペラシアターと名乗っていらっしゃるんですか?

その通りです。オペラはいまだに敷居が高いというか、一般的に言うと、やっぱり今でも「オペラですか?」ということで、ちょっと敬遠といいますか、「分かりにくいんじゃないか?」とか、「難しいんじゃないか?」とか。あるいは「よく分かっていないと退屈してしまうのではないか?」とか恐れられてしまうんですね。ミュージカルとどこが違うんですか?という事もよく質問されるのですが、まあ、ミュージカルもオペラも音楽劇という意味では同じだと思うし、オペラにも様々なスタイルがある、ミュージカルにも様々なスタイルがあるから、その境目がどうだっていうことは言えないですよね。

こんにゃく座がなぜ“オペラ”と名乗るかというと、オペラというものの面白さを広げていきたいし、たくさんの人と分かち合いたい、という気持ちが根底にあるので、こんにゃく座のやっていることは、オペラの可能性を広げていきたいというところに置いているので、まあ、苦労は多いけれども“オペラ”と名乗ろう!ということでやっています。

Q: どういうお客さんに来てほしいですか?例えば私は姪がいま七歳なんです。《ロはロボットのロ》は一緒に来られそうだ、とか、《白墨の輪》は違うかな、とか考えます。作品によって色々なお客さんを想定していらっしゃるんですか?

特に《ロはロボットのロ》は子供達、そして子供と大人と一緒に観てもらって、大人も、今日は子供のためのオペラだから子供に付き合って行く、ということでなくても、大人の視点でも楽しめる内容になっています。それぞれに共通の面白さと、子供の面白さと、大人の面白さが入っている。見終わった後のお互いの感想も面白いと思いますし、舞台を観ながらでも大人がなんでこんな所で笑っているのかな?って子供が思ったりする場所もあると思うし、そういうことがとてもいいと思うんです。

《ロはロボットのロ》稽古場より
《ロはロボットのロ》稽古場より ママモンロー/魔女:岡原真弓, テト:金村慎太郎
(C) Naoko Nagasawa

 関連記事:《ロはロボットのロ》稽古場レポート
そういう狙いで題材も選んだ作品が《ロはロボットのロ》ですが、他の作品で言えば、高校生くらいの年代に照準を合わせたオペラを作ろうとか、こんどはあまり子供の事は気にしないで大人を対象に作ってみよう、という風に考えながら作るようになってきましたけれども、でも演劇と違って音楽があるので、どの演目もかなり幅広い年齢層に楽しんでもらえるようになっています。

なぜ「こんにゃく座」の歌は聴き取れるのか?

Q: 日本語を聴き取れるのは、こんにゃく座の特徴だと思いますが、どうしてこんにゃく座の歌は言葉が聴き取れるのか教えて下さい。

まずは、言葉を伝えるには、具体的にどうすれば日本語が不自然ではなく伝わるかなんです。やっぱりオペラは西洋の発声を勉強した人達から始まっている訳ですが、そのイタリア語に相応しい発声で出来上がっているベルカントの良さを活かしつつ、日本語を表現するにはどうしたらいいか。ずうっと試行錯誤なんですけれども、「それでは伝わらないね」「いまの歌い方では日本語として成立しないね」ということをお互いに指摘し合いながら、実際毎日舞台があるので、その中で培って来たんですね。

特に女声の表現の方が苦労しました。創立してしばらくの頃には、かなり過激に地声の発声をやっていて、こんにゃく座は地声だから汚いとか、こんにゃく座の歌い方をすると声がつぶれるとか、クラシックの世界から見たら「危険だぞ」と(笑)、その強い印象がありました。今はそうではないです。ちゃんと声が響く、響きの伴った声、しかも合唱も出来る、ハーモニーもちゃんと作れる声を見つけている。それはものすごく時間がかかったことなんです。

Q: 本来、女声よりは男性の歌声の方が聴き取りやすいですものね?

そうですね。女性はしゃべる声よりも高い声で歌う事を要求される事が多いので。バリトンなんかはしゃべっている声と同じ高さで歌うことが出来るけれども、女声、特にソプラノは普段しゃべっている声より高い声で歌わなければいけない。歌う声としゃべる声を揃えていこうとすると、クラシックの世界だと、しゃべる声を歌う声に合わせてしまうけれども、そうではなくてやはり、その人の話し声の良さを歌に活かしていく、音程は高くても、一人一人個性のある、画一化してしまわない努力を日夜続けています。

Q:  新作の題材はどうやって決定するのですか?

オペラの題材については、作曲家が持ち込む事も多くありましたけれども、今は、集団で色々ディスカッションしながら選んでいます。古今東西の色々な題材を選ぶ時もあれば、面白そうな作家の方をアンテナを張って探したり。この《ロはロボットのロ》の初演は1999年ですけれども、鄭義信さんとの出会いは90年頃でした。鄭義信さんにオペラを書いてもらおうという事で、どんな題材にするか、ということを鄭さんを含めて相談する訳です。もしくは、シェークスピアにしよう、とか、《アルレッキーノ》の場合は原作がありましたし、昨年9月に上演したのは、説教節(日本の中世の芸能)をオペラにしようということで、辻々で語る説教師がいて、人々がそれを聴いて喜んだり、涙したりする、というその関係がオペラとしても原点ではないかと思い、説教節をやろう、と決めて「小栗判官と照手姫」という素材が残っているのでそれを元に台本を作り《おぐりとてるて》というオペラにしました。このように題材を決めるのは何年越しの作業です。

Q: 《ロはロボットのロ》ですが、今回の上演はどのようになるのでしょうか?

《ロはロボットのロ》という物語は、パン作りロボットのテトが主人公です。ロボットというのは、子供達の憧れ、スーパーヒーロー的なイメージもあるけれど、このテト君は、走れないし運動も出来ないし、苦手なものが一杯ある。だけれどパンを作る事だけが好きで上手、パンを作るロボットなんです。でもなぜか原因不明で具合が悪くなって来てしまいます。イーストランドというところにテトを作ったドリトル博士がいるのでそこに行って直してもらおうということで旅をするんです。

冒険ものの面白さもあるし、観ている人はテトに感情移入も出来ると思います。ロボットが出て来るSF的要素と、魔女が出て来るようなファンタジーの要素とが不思議に織り混ざっていて、その中にほんの少しだけ、科学というものと人間の幸福との関係を考える要素が入っているんですね。それからパンというのは基本の食べ物で、そのパンがとても大切なものなんだ、というようなことも何となく伝わって来るというような。言葉も音楽もそうですが、笑いと涙というか、喜びとか哀しみとか悔しさとか、そういう感情を歌で伝えるという、オペラの面白さが一杯詰まっている物語です。

オペラを奏でるピアノの魅力

Q: 《ロはロボットのロ》もそうですが、こんにゃく座のオペラで使う楽器はピアノだけのことが多いですね。これは注目するポイントだと思うんです。オペラは、ピアノの伴奏で稽古をしていて本番になるとオーケストラが演奏するというのが普通じゃないですか。その点、こんにゃく座のオペラを聴いて、ピアノが主役のオペラがあるというのは素晴らしい事だ!と思ったんです。旅公演、学校公演が多いのでコンパクトに、という理由からこうなったのかも知れませんが、それを逆手にとってチャームポイントにしているな、と。

そう言っていただくと嬉しいです。オーケストラの代用品としてピアノで稽古をする、というイメージがどうしてもありますから。オーケストラで演奏するオペラと比べるとピアノでやるオペラは簡素なもの、という風に思われてしまうかも知れないのですが、そこを逆の発想で、ピアノの良さを活かす、ということで書こう、と思う訳ですね。

オーケストラは指揮者が音楽を作っていきますから、演奏も歌も指揮者が全体を作る事になりますよね。でもピアノとオペラ歌手との関係は指揮に合わせるのではないので、もっと自由な関係が可能なのです。例えば人形浄瑠璃の語りと演技のように、その場の阿吽の呼吸というか、歌がこうくるならピアノの音もこう出して、ピアノがこう来たら歌がこう、みたいな関係が生まれるんです。

演技をする人と観客の間にオーケストラと指揮者が立ちはだかるのは良くない、とはモスクワシアターオペラの演出家ポクロフスキーさんの言葉です(笑)。まあ、その分だけピアノに求めるものが大きくて、色々な音色をピアノに求めるので、ピアニストに求めるものが大きくなります。

Q: 聴く側としてはそこがとても楽しみです。今日は長い時間どうもありがとうございました。

インタビュー・文:井内美香  / photo: Naoko Nagasawa


オペラシアターこんにゃく座5月公演

オペラ《ロはロボットのロ》

台本・演出:鄭義信
作曲:萩京子

公演日時:2015年5/13(水)~17(日)
・5/13(水)18:30
・5/14(木)18:30
・5/15(金)18:30
・5/16(土)13:00/18:00
・5/17(日)11:00/16:00
会場:あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)

※一部、前売り完売の公演もございます。詳細は、お問合せ下さい。※
オペラシアターこんにゃく座 TEL.044-930-1720(平日10時~18時)

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