1987年ヴェローナ生まれのアンドレア・バッティストーニは、国際的に最も活躍が期待されている指揮者の一人。4月からは、東京フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者に就任するなど、日本国内での人気も更に高まっています。
Q: 東京フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者就任、おめでとうございます。コンサート形式の《トゥーランドット》も取材させていただく予定で、とても楽しみにしています。あなたが音楽家になったのは、ご両親の影響が大きかったそうですね。お母さんがピアニスト、お父さんは医者でオペラ好きだったとのことですが、ご両親は最初の一歩として、どのようにあなたに音楽の世界を紹介したのですか?
A: 自分でも最初の一歩はどうだったのかな?と考える事があります。僕の音楽へのアプローチはとても変わっていたので、他の人にはあまりお勧め出来ないかもしれません(笑)。母はピアニストでしたが、最初から「音楽は必要な教育である」という考えでした。ですから、子供として記憶がある最初から音楽を勉強していました。まずはピアノ、でも僕はピアノが好きではなかったので後からはチェロを習いました。母は「どの楽器が好きなの?」という事は聞いてくれたかもしれませんが、音楽をやりたいか、やりたくないか、という選択肢は無かったんです(笑)。音楽の才能はあったので演奏も上達しましたが、特にそれが好きではなかったんですね。今でも時々、当時どういう気持ちだったのだろう?って自問することがあります。僕には子供はいませんから、小さい子供の頭のメカニズムを想像することは難しいけれど、多分、子供は何かに真面目に打ち込む、ということ自体好きじゃないのかもしれないですね。母は時には僕にかなり厳しい態度で勉強させました。今でこそ彼女に感謝していますが、当時は母に感謝の気持ちが湧いてきたり、レッスンで幸せだったり、という事はまったくなかったです(笑)。
ところがオーケストラの存在を発見した時に、僕の中で変化が訪れました。その時はオーケストラ曲です。オペラはまだ自分の中では音楽と結びついていなかったというか、僕はヴェローナの出身ですから、オペラとは夏にアレーナに野外音楽祭を観に行って豪華な舞台を楽しむ、というものでしたから。音楽院のオーケストラに参加して演奏し始めた時に、そこで本当に一つの世界を発見しました。それは14歳の時です。それまで音楽は、やらなくてはいけないからやっていた。勉強として。
他の人たちと一緒に演奏し始めたら、それまで長年やっていた勉強の目的はこれだったんだ!と思ったのです。なぜ勉強していたか分かった、他の皆と一緒に音楽をするためだったんだ!って。一人で演奏するためではなくて。一緒に演奏するのはどういうことなのか、オーケストラとは何なのか、オーケストラは大勢の人が一緒に演奏しているだけではなく、それが一体化してどんなことでも表現できる楽器なんだ、ということを見出したんです。どんな感情でも、どんな感覚でも表現出来る。色彩も、雰囲気も…
Q: ではその頃から自分の好きな作曲家なども出てきたんですか?
Q: 指揮の勉強もすぐに始めたんですか?
Q: オペラに関してですが、最近はイタリアでも若い人たちが昔のようにはオペラに触れる機会はないそうですね。あなたの活動の一環として若い人たちにオペラを紹介する、ということを積極的におこなっているそうですが?
でも、今、イタリアの歌劇場は多くの試みをしています。オペラはたくさん上演されていますし、若者向けのチケットの値段はかなり安く設定されている。後は若者達に、彼らが思うより本当に身近なものなんだと感じさせないといけない。それが、僕が今やろうと努力していることです。
Q: あなたが首席客演指揮者を務めているジェノヴァのカルロ・フェリーチェ歌劇場では例えばどのような活動をしていますか?
Q: オペラの歴史を話したりなさるんですか?
A: 例えば最近、ジュゼッペ・ヴェルディについて話す機会があったんですが、高校の生徒が対象だったんですね。学生たちにヴェルディのオペラを何か聴かせるというので選ぶ時に、普通そういう場合に選ばれるような曲、例えば《アイーダ》の凱旋の場とか、《イル・トロヴァトーレ》の合唱、《ラ・トラヴィアータ》などの、彼らがどこかできっと耳にしているような曲を選ぶことも出来たんですが、僕は彼らに《オテッロ》の第三幕の二重唱を聴かせました。オテッロがデズデーモナにハンカチの事で怒る場面です。すぐ耳に馴染むようなメロディーの音楽ではない。でも、より深遠で複雑なことの方がベーシックでシンプルなことより若者に深い印象を与えることが有り得るのです。
音楽の書法としては彼らが普段聞くようなものとは違うし、台本も、特にボーイトは偉大な詩人でしたから彼の使うイタリア語はとても凝っていて、古語だったり、彼の造語だったりすることすらある。《オテッロ》や《ファルスタッフ》は僕も辞書でどういう意味だろう?と一生懸命調べなければ理解できない語彙で書かれています。でも、彼らにストーリーを説明して、主人公二人がどのような会話をしているかを説明しました。それも飾らないやり方で。例えば、オテッロがデズデーモナに「お前はおそらく卑しい宮廷女ではないのか?non sei forse una vil cortigiana?」と言うところですが、cortigiana(宮廷女性)はイタリア語ではとても詩的な言葉ですが、ボーイトがそれを使っている意味は「この娼婦め!」と言っているわけです。詩的な表現を誰でも理解できるような平凡な単語に訳して教えれば、若者にもスイッチが入って「ああ、それなら絵空事を演じているのではないんだ」と思うのです。最初は笑いますけれど(笑)。それにあの瞬間のヴェルディの音楽が本当にドラマチックですから、皆、静かに音楽を聴いて「ああ、そうか」って理解してくれるのです。こういうことは学校でやるべきなんですが、学校がやってくれないのなら僕らがやらないと。若者はオペラに来ないねぇ、と嘆いている場合ではありません。彼らに来るための道具を与える努力をしないといけないと思うのです。
関連記事:アンドレア・バッティストーニ(指揮)が語る、「リゴレット」の魅力
関連記事:【公演レポート】 東京二期会オペラ劇場《リゴレット》
Q: 今回あなたは東京フィルと《トゥーランドット》を演奏します。なぜこの演目を選んだのですか?
A: 僕がこのオペラを選んだ理由は、僕が一番愛しているオペラをここ東京で指揮したかったからです。そして、《トゥーランドット》はイタリア・オペラにとって運命的な作品でもあります。ある言い方をすればイタリア・オペラを殺したオペラでもあるのです。《トゥーランドット》の後には、それまでのような書き方でオペラを書くことはもう不可能でした。ヴェリズモ(真実主義)・オペラや、ロマン派の歌を継承したノスタルジックなイタリア・オペラ、それはおそらくヴェルディ以上にプッチーニ自身のスタイルだったわけですが、それに対して《トゥーランドット》は20世紀のオペラです。その中には大変美しいメロディーもありますが、我々はそこに騙されるのです。
プッチーニは自分自身にとっても完全に新しいものを作ろうとしました。このオペラ以前のプッチーニのオペラは全てリアリスティックなドラマでした。《ラ・ボエーム》《蝶々夫人》《西部の娘》…《トスカ》もどう考えてもヴェリズモ・オペラです。《トゥーランドット》は唯一の、そして初めて彼が新しいアイディアで書こうとしたオペラです。それは、つまり「象徴的なオペラ」です。
Q: 確かに《トゥーランドット》には20世紀音楽が顕著ですね。
A: それは確実にそうです。もともと、コンサート形式でオペラを演奏するというのは、とてもデリケートな面があります。全てのオペラがそれに向いているわけではありません。例えばヴェルディではコンサート形式で演奏するのに適したオペラは2つか3つしかないのでは、と思います。プッチーニだって、例えば《蝶々夫人》は舞台なしで演奏して上手くいくでしょうか?音楽は強烈だけれど、音楽だけで独立して聴くべきものであるかどうか。《トゥーランドット》は音楽だけで演奏しても大丈夫な作品です。大変洗練されているし、オーケストラ部分が非常によく書かれていてシンフォニー的です。その中には20世紀の音楽、ラヴェルやストラヴィンスキーの影響をたくさん聴くことができる。バルトークも。プッチーニはこれらの作曲家を知っていて勉強していますから。
そして物語の筋が現実的ではないんです。このオペラを、プッチーニの他の作品と同じように解釈しようとすると間違ってしまうと僕は思います。《トゥーランドット》は大きな革命を起こしているんです。象徴的な作品で、ヴェリズモ的要素は皆無です。おそらくプッチーニは自分自身を窮地に追い詰めてしまったんです。プッチーニが《トゥーランドット》を書き終えられなかったのは病気で死んでしまったからではありません。このオペラを書き終えるのに必要な時間は彼にはたっぷりあったのです。
彼がこのオペラを書き終えられなかったのは、不可能なことをやろうとしたからです。トゥーランドットの人物像を人間的にしようとしたのです。しかしトゥーランドットは人間的にするべきではない。彼女は普通の人間ではありません。カラフ王子が夜中にとても高い塔の上にいるトゥーランドットを見て彼女を狂おしく恋するというお話には現実的なところは一つもありません。これは「おとぎ話」なのです。トゥーランドットが求婚者を次々殺してしまうというのは現実的な世界ではない。
プッチーニは、トゥーランドットがカラフの情熱ゆえに我を見失う恋をする、という少々ワグネリアンな世界を目指したようですが、それは正しい選択ではなかった。だから彼はオペラを完成させることが出来なかったのです。つまりプッチーニは自分自身のセンチメンタルな世界に戻ろうとしてしまったんです。でもこのオペラにはそれは役に立たなかった。だから運命はこのオペラを未完にしてしまったのです。
Q: なるほど。とても説得力があります。今回の演奏は作曲家アルファーノが音楽を補完したよく演奏される終わり方なのですね?
A: アルファーノが書いたフィナーレの第二版は、今でも僕が一番好むものです。アルファーノが最初に書いたフィナーレは長すぎるし、アルファーノの個性が出すぎている。アルファーノという作曲家の度合いが強すぎてプッチーニの要素が少なすぎるのです(笑)。イタリア版マーラーのようだ、というか。とても美しいけれどあれはアルファーノ自身の音楽ですよね。アルファーノの音楽をもっと演奏すべきだ、という意見には僕も大いに賛成ですが。《シラノ・ド・ベルジュラック》とか《サクンタラの伝説》とか、とても良い作品だと思いますけれどもね。
《トゥーランドット》にはフィナーレをルチャーノ・ベリオが書いた版もあります。ベリオ版の問題は、プッチーニがやりたかったであろうことをやってしてしまったことです。つまり登場人物を人間として写実的に描こうとした、ということです。これ以上の間違いはないと思う。こんなにシンボリックで、こんなに反現実主義な物語の結末に、急に人間的になる理由が見つかりません。リューへの慈悲深さも、消えるように終わるフィナーレも僕は納得出来ないです。トスカニーニがカットしたアルファーノの第二版は納得できます。プッチーニのスケッチに一番近いし、物語の進行の裏に深層心理を探そうとしていないところが評価できる。ハッピーエンドを強調しているところも。劇場のコンセプトとしてもとても東洋的だと思うのです。疑問を呈するべきではなく、ハッピーエンドが必要な物語なのです。
おそらくプッチーニはリューに同情を感じ始めてしまったのでしょう。それが 《トゥーランドット》の問題点なんです。なぜリューが死んだのか、とか疑問を抱いてしまう。リューは「人間的なもの」の犠牲です。カラフがリューに関心がないのは彼が悪い奴だったから、とかではなく、これがおとぎ話だからです。おとぎ話はこういうストーリーばかりで成り立っていますよね?《トゥーランドット》は象徴的な描き方を持った偉大なオペラであり、それはどちらかと言うと東洋的な世界なのだと思います。
Q: あなたは読書好きだそうですが、どのような本を好んで読みますか?最近読んだ本で印象深かった作家や本を教えていただけますか?
Q: あなたが指揮をする時に、もちろん事前の準備も良くなさっていると思いますが、本番の集中力が桁外れなように思います。音楽の中に飛び込んでいくようで、勇気があるなぁ、と感心します。あなたにとって指揮をするというのは自然な行為なんでしょうか?
A: 自分にとって指揮をするというのは自然なことだと思います。オーケストラの皆さんと会って、自分の求めている音楽の方向性を伝えて指揮をする、という意味では。でもそれは、自分が最大限に勉強をして常により良いものを求める、という姿勢が前提にあってのことです。それなしでは何も成し遂げられません。自分のやることが理性的に熟慮した結果であること。
音楽を演奏する瞬間はエネルギーを最大限に放出して音楽に没頭します。でもその瞬間にインスピレーションが湧き、周りの人をも引き込む演奏をするには、目指す到達点が自分に見えていないといけない、と思うんです。つまりAからBまではインスピレーションに従って旅をするわけですが、Bがどこにあるのかは知っていないと(笑)。
Q: 指揮者という仕事は大変ですか?
Q: 最後の質問です。《トゥーランドット》を演奏なさるということにちなみ、三つの謎かけへの答えを頂きたいのです(笑)。東京フィルハーモニーと仕事をしていて、好きだと思う点を三つ答えていただけますか?
Q: 素敵なお返事をどうもありがとうございます。《トゥーランドット》、そして今後の東京フィルハーモニー交響楽団とのたくさんの演奏会を楽しみにしております。
インタビュー・文:井内美香 / photo: Naoko Nagasawa
【公演情報】
第864回オーチャード定期演奏会 東京フィルハーモニー交響楽団
プッチーニ/歌劇『トゥーランドット』<演奏会形式・字幕付>
2015年5月17日(日)15時 オーチャードホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
トゥーランドット(ソプラノ):ティツィアーナ・カルーソー
カラフ(テノール):カルロ・ヴェントレ
リュー(ソプラノ):浜田 理恵
ティムール(バス):斉木 健詞
東京フィルハーモニー交響楽団との共演についてのバッティストーニからのメッセージ
LEAVE A REPLY