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マーラーが書かなかった神羅万象のオペラ―――ハーディング×新日本フィル「千人の交響曲」

マーラーが書かなかった神羅万象のオペラ―――ハーディング×新日本フィル「千人の交響曲」

マーラーの交響曲第8番と聴けば、思わず生唾を飲み込むオーケストラ・ファンも少なくないでしょう。作曲家自身は「千人の交響曲」という誇大的な宣伝文句を嫌ったようですが、実際に千人の演奏者により初演が行われたのは事実。オーケストラ曲としては最大規模の作品―シェーンベルク「グレの歌」やブライアン「交響曲第1番」はありますが―として、まさに圧倒的なスケールで聴衆に迫ります。
その祝典性・規模ゆえに演奏されることそのものが話題となるこの曲ですが、近年ではヨーロッパのみならず日本国内でも着実に演奏機会が増えています。それだけに聴衆の期待や演奏に求める水準も高くなるというものです。今回新日本フィルを振ったのはダニエル・ハーディング。2010/11シーズンより”Music Partner of NJP”としてこのオーケストラと共同作業を続け、その退任の節目としての「千人の交響曲」です。

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」
マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

©K.MIURA


第1部はラテン語の讃歌「あらわれたまえ、想像の主 精霊よ」、第2部ではゲーテ「ファウスト」第2部の最終場面(ドイツ語)がテクストとして用いられています。古典的な交響曲形式からは大きく逸脱した構成であり、内容的にもオラトリオあるいはオペラ的な要素を強く感じさせます。
ハーディングの指揮・采配はこの点で至極納得のいくものでした。巨大なソナタ形式と対位法的な技巧が目立つ第1部ではあまりテンポを揺らさず、大オーケストラと合唱を筋肉質にまとめ上げていきます。これまで自分が聴いてきたハーディングは、あえて細かく振らずにオーケストラの自発性を引き出して音楽を創っていくという印象ですが、今回の第1部ではこれまでに無いほどキビキビと細部まで振っていました。やはりこれだけの大所帯、一つ一つの歯車をはめていくのも困難でしょう。かなり筋肉質な印象。

バリトン、バスのソリストが下手から退出した後(この理由は後ほど分かります)、すぐにハーディングは第2部の神秘的な音楽を開始させました。しばらく管弦楽のみによって描かれる荒涼な山・岩石といった自然風景は、かなりゆったりとしたテンポで克明に。低弦のフォーカスの合ったピッツィカートなど、音楽をして語らしむといった気迫を感じます。合唱がやがて加わり、音楽が官能性を増すと法悦の教父(バリトン)の独唱となります。よく伸びる中低域で魅せたミヒャエル・ナジと、続く瞑想する教父(バス)のシェンヤンは1階上手の客席から登場。第1部では上の写真のように独唱者はオーケストラと合唱の間で歌っていましたが、第2部ではオーケストラの正面(=ハーディングの隣)に移動。このような配置の転換は初めて目にするものでしたが、語り部としてのソリストの存在を聴く者に強く印象付けることに成功しており、一つの方法と言えるのではないでしょうか。
中盤、児童合唱と女声合唱を交えながらマリア崇拝の博士(テノール)が恍惚と歌う一つの頂点が‚Höchste Herrscherin der Welt!‘(世界を統べるいと高き女王さま!)。ヴァーグナー歌手として知られるサイモン・オニールの輝かしい美声は上行音型でますます伸びやか、後方の合唱をも率いて官能的な世界へと昇っていきます。それに続く弦楽器とハープ、ハルモニウムの柔らかな音色には抗い難く、ハープの強調でハーディングは思い切りテンポを落として印象付けます。女声独唱のアンサンブルでは海外勢ソプラノ2人の肉厚な歌唱もさることながら、加納悦子さん・中島郁子さんのアルト独唱がフレージングの丁寧さで出色。
栄光の聖母(ソプラノ)が下手側バルコニーに登場し、‚Komm!‘と歌いだすといよいよ曲も終盤となります。ファウストは天に導かれ、サイモン・オニールの独唱に続きオーケストラと合唱が渾然一体となって盛り上がります。木管の受け渡しに続き、最弱音で‚Alles Vergängliche…‘と歌い出すと(神秘の合唱)、息の長いクライマックスへ音楽が重ねられていきます。ハーディングは下手側バルコニーのバンダも交えた終結部をあえて第1部同様のキビキビとしたテンポで運び、全曲の統一を図った様に思えます。天上と地上が巨大な大音響の中一つとなり、音楽は閉じられました。

第1部でハーディングはキビキビと音楽を形作った、と述べましたが、第2部は一転流動的でオーケストラ側の主体性を強く求める音楽でした。新日本フィルは時折ヒヤりとする箇所もありましたが、弦楽器の前方プルトをはじめハーディングの求める音楽をよく現出させていたと思います。独唱も総じて粒揃い、各歌手がそれぞれの役割を確実に果たした堅実な演奏だったのではないでしょうか。最後になりましたが、東京少年少女合唱隊・栗友会の合唱は響きの深さや弱音のアンサンブル等丁寧な歌唱が好印象でした。ハーディング×新日本フィルの総決算ともいえる「千人の交響曲」、すみだトリフォニーホールは熱い喝采に包まれました。


【公演データ】
2016/7/1
新日本フィルハーモニー交響楽団 第560回定期演奏会
@すみだトリフォニーホール

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

罪深き女:エミリー・マギー(ソプラノ)
懺悔する女:ユリアーネ・バンゼ(ソプラノ)
栄光の聖母:市原愛(ソプラノ)
サマリアの女:加納悦子(アルト)
エジプトのマリア:中島郁子(アルト)
マリア崇敬の博士:サイモン・オニール(テノール)
法悦の教父:ミヒャエル・ナジ(バリトン)
瞑想する教父:シェンヤン(バス)
栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:豊嶋泰嗣
指揮:ダニエル・ハーディング

取材・文 平岡 拓也
Reported by Takuya Hiraoka

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