ワーグナーの毒が回りすぎた危険な演奏会 奏楽会「ニューイヤー・ワーグナー・グランド・ガラコンサート」
そろそろ、おとそ気分が抜けたとはいえ、1月8日である。年初からワーグナー尽くしとはずいぶん濃いものだと思いながらも、奏楽会主催の「ニューイヤー・ワーグナー・グランド・ガラコンサート」に足を運んだ。800席と小ぶりの紀尾井ホールで、フルオーケストラのもとワーグナーを演奏すると、どんな具合だろうか。想像をめぐらせるうちに、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第一幕の前奏曲で口火が切られた。
ザ・オペラ・バンドと銘打たれた管弦楽は、アルゼンチン出身のホルヘ・パローディの指揮のもと、思いのほか密度が高い音を奏でる。聞けばNHK交響楽団のメンバーをはじめ、首都圏のオーケストラ奏者で構成されているという。ただし、あの前奏曲特有の祝祭的な高揚感が得られない。少々折り目正しく演奏されすぎて、弦が浮き足だっている感もあった。だが、欠けていたバランスを、曲のなかで次第に整えていくあたり、パローディの手綱さばきには、さすがと思わせるところがあった。
続いて、後藤春馬(バス)によるハンス・ザックスのモノローグ。ザックスにしては若すぎる声だとはいえ、深い響きによる清涼感のある歌唱だ。《タンホイザー》の序曲になると管弦楽も活き活きと唸りだし、矢野敦子(ソプラノ)がエリザベートの「殿堂のアリア」を豊かな声で披露した。青戸知(バリトン)のヴォルフラムは、浅い発声による響きの薄さが気になるが、この歌に欠かせない美しさは備わっている。
《トリスタンとイゾルデ》に移り、田村由貴絵(メッゾ・ソプラノ)が歌ったブランゲーネの「見張りの歌」は、彫りの深い豊かな声によって聴き応えがあった。次に「前奏曲と愛の死」。ちなみに、前奏曲と「イゾルデの愛の死」との組み合わせは、ワーグナー自身が認めていた演奏スタイルだ。パローディ率いる管弦楽は多少の粗さはあるものの、半音階の多用で醸しだされる法悦の感覚を醸しだせていた。もっとも、指揮者自身が愉悦に浸りすぎてしまったせいか音量の調整がきかず、武井涼子(ソプラノ)のイゾルデがかき消された感がある。武井はスタイリッシュに歌うが、調子も関係していたのか、響きが足りないのが惜しまれた。
とはいえ、次第にワーグナーの毒が聴き手にも伝わってくる。第2部は、《ローエングリン》の「エルザの夢」で始まった。「ワーグナーは歌っている側もエロティシズム」を感じると語っていた岩井理花(ソプラノ)の歌である。ベテランゆえのヴィヴラートの大きさは致し方あるまい。相変わらずの美声には、なるほどエロスも滲んでいる。
このタイミングで第三幕への前奏曲が奏でられ、パローディ指揮の管弦楽も統制のとれた輝かしい音で強く高揚感を煽り、客席にいよいよ毒が回った感があった。「婚礼の合唱」もバランスのとれた演奏で、続いてローエングリンの「はるか遠い国に」が歌われた。宮里直樹(テノール)は制御された深い発声と、それによる輝かしい響きによる圧巻の歌唱。イタリア風の流麗な歌唱で様式感もむしろイタリア・オペラだが、今後、ワーグナー歌いとしても広く通用する可能性がある。
最後に歌われたのは《ワルキューレ》の、ワルキューレの騎行からジークリンデの退場までだった。8人のワルキューレたちはいずれも健闘。武井涼子のブリュンヒルデも、岩井理花のジークリンデも、それぞれイゾルデとエルザよりも声がこなれて、《ニーベルングの指環》きっての名場面に花を添えていた。
結果として、小ぶりのホールは、パローディ指揮の管弦楽が尻上がりに調子を上げたこともあり、ワーグナーの音楽に特有の官能の味わいや、心を高揚させる“毒”に浸るためには、ある意味、適度な広さであったともいえる。ただし、これまでワーグナーの演奏にあまり触れたことがなかった聴き手には、“毒”が回りすぎる危険な演奏会であったかもしれない。
2019年1月8日(火)19時
紀尾井ホール
指揮:ホルヘ・パローディ
管弦楽:ザ・オペラ・バンド
ソプラノ:岩井理花/岩下晶子/小出理恵/鈴木晶子/武井涼子/萩原雅子/矢野敦子
メッゾ・ソプラノ:池端歩/川口美和/田村由貴絵/中村裕美
テノール:宮里直樹
バリトン:青戸知
バス:後藤春馬
《プログラム》
歌劇『タンホイザー』より 前奏曲、「夕星の歌」「歌の殿堂」
楽劇『ニュルンべルクのマイスタージンガー』より 前奏曲、「迷いだ、迷いだ」
楽劇『トリスタンとイゾルデ』より 「見張りの歌」「愛の死」
歌劇『ローエングリン』より「エルザの夢」「結婚行進曲」3幕への前奏曲、「はるか遠い国に」
楽劇『ワルキューレ』より「ワルキューレの騎行~ジークリンデの退場」
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