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ワーグナー協会 第395回 例会 「ローエングリン」特集1「深作 健太、《ローエングリン》演出を語る」より(前編)

ワーグナー協会 第395回 例会 「ローエングリン」特集1「深作 健太、《ローエングリン》演出を語る」より(前編)

2018年、東京二期会と東京・春・音楽祭で相次いで「ローエングリン」の上演が予定されています。これに向けて、ワーグナー協会の1~3月の例会で、「ローエングリン」特集が企画されました。
本投稿では、1月27日に開催された「ローエングリン」特集の第一回目、「深作 健太、《ローエングリン》演出を語る」から、オペラ鑑賞の際のポイントとなる部分を中心にお届け致します。

学生の頃にオペラに出会い、二期会オペラの方向性がずっと好きだったという深作さん。演出の頂点にあるのがオペラの世界で、いつかたどり着きたい場所だという憧れを抱いていたそう。その願いが叶い、2015年《ダナエの愛》で、オペラ演出家としてデビューされ、各方面から高い評価を受けました。

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岡田:
深作さんと言えば、特に映画監督として知られています。映画監督からオペラの演出にたどり着くまでのストーリーを自由に語って頂けますか。

深作:
父が映画監督(故・深作欣二)だったので、物心のついた時から撮影所で遊んで育って、自分の前にはいつもカメラと父親の背中のかありました。映画と言うとスクリーンの向こうに俳優さんがいるというイメージをお持ちかもしれませんが、僕にとっては写されている俳優さんの手前に父がいて、その周りにスタッフがずっと常にいた。5歳の時には、もう映画監督になると決めていました。同じころ、スターウォーズを見て衝撃を受けまして―これもワーグナーさんに結びつくんですが―単純にSF映画を見て衝撃を受けるというだけでなく、思い返して行くとやはり「音楽」なんですね。ひたすらついている劇伴は、途切れない楽劇に近い。当時は音楽的に過剰だと言われたりもしましたが、僕にとってはわかりやすく新しかった。それがずっと自分の中で尾を引いていく。

もう一つは、10代の頃に起こった「小劇場ブーム」です。実験的な演劇を見ているうちにこれは映画にはない新しい芸術表現だなと思うようになって演劇を愛するようになりました。舞台芸術に出かけるようになると、じゃあ歌舞伎って何だろうバレエって何だろう・・・オペラは一番最後でした。認識としてはありましたが、バレエのが金額も手ごろですし、身体表現として10代の自分にはすごくわかりやすくて。オペラという文化自体に触れるには、言葉がまず壁となって、10代の自分には難しかった。
オペラとの出会いは、当時のレーザーディスクでした。映画のレーザーディスクを探しに売り場に行ったら、見たこともない映像が流れていた。近未来の格好をした人が槍を持って大声で歌っていて、その後ろにはレーザー光線が飛び交っている。それに驚いて打ちのめされて、ずっと画面を見続けていたというのがあって、親にねだって買ってもらったという。つまりは僕にとって最初は音楽からでなくビジュアルで、まずは映像だったんですね。ただ、そこには聞き覚えのあるワグナーのモチーフがいっぱい溢れていて、自分にとっては「地獄の黙示録」が浮かぶわけなんです。ワーグナーの音楽性ということに出会うにはまだ少し時間がかかるけれど、ドイツのオペラ演出ってすごいなーということから入っていって、その先どんどんどんどんワーグナーに心酔していく。そもそもオペラと出会い興味を持ったきっかけは偶然でしょうけれどもワーグナーだったという。演出の自由さというか、古典をそのまま上演するのではなく現代につながるものとして読み替え再生していく文化がそこにあると。それでオペラってすごいと思って演出から調べだすと、現代のニューヨークに重ねてみたりする読み替え演出の豊かさ。ヨーロッパのあるいは戦っているオペラ演出家たちの読み替えと現代につなげていく力というのにすごく感動しました。そこでしかし待てよと。それを許容している音楽ってなんだろうと考え出したわけなんです。つまりはモーツァルトの音楽を再生させる何か、そしてワーグナーの音が今聞いても新しく響くのはどうしてなんだろう。あの芸術性を保ってしかも多くの人の心を打つ普遍的なものを保ち続ける古典というもの、作曲家たちの作品が何で残ってるんだろうということが、ものすごく自分の中で引っかかって来るようになった。それが90年ぐらいですから大学生ぐらいの頃ですね。自分が音楽を受容できるようになるまでにもそれぐらい時間がかかったのです。
22で大学を卒業してから5年間助監督として仕事していて、プロデューサーとしてデビューさせていただくのが27歳の時。映画監督としてのデビューが30歳の時でした。そこからおよそ10年ぐらい監督を続けていくわけなんですが、2010年にあるプロデューサーの方から「演劇をやりませんか」と声をかけていただいて。それから5年後に、ようやくオペラの演出にたどり着いた。本当に夢っていうのは叶うというか、言い続けるもんだなあと思いました。


岡田:
《ローエングリン》を演出するうえでの難しさはどこにありますか。深作さんの作品へのアプローチの仕方を教えてください。

深作:
前作の《ダナエの愛》をやりながら、シュトラウスの音楽がワーグナーのパスティーシュを含んでいて、ワーグナーに溢れた作品だと思っていました。随所にワーグナーの片鱗を感じさせる部分があり、中でも《ローエングリン》を思い起こすことが多かったです。
ダナエの場合は言葉と音楽がものすごく一体化していると言いますか。演劇でいう「レイヤー(層)」が、シュトラウスの場合は一致している。ワーグナーの場合、そのレイヤーが深くて、複雑に入り組んでいます。ダナエは前奏曲もなく、テキストと音楽ですぐ入って行けたけれど、ローエングリンの場合は、まず最初に一番の謎で一番抽象的な前奏曲の存在があって、突然音楽が変わって物語に入って行く。この前奏曲をどう捉えるかというのが自分にとって一番の越えなければいけない壁です。これはネタバレになってしまいますが、途中で幕を開けたいと思っております。この前奏曲の部分にローエングリンの根本が語られていると思いますので。ワーグナーが書かれている、天使が舞い降りてグラールが輝いているという描写をどう表現するか、白鳥にも結びつく部分です 。オランダ人やタンホイザーの前奏曲の意味合いとは、ちょっと違うわけです。ワーグナーの思想哲学の領域というか、聞いていると自分の深層心理を出さなければいけないといいますかね。要は具象化できないことなので、ストーリーから入って行けたダナエとは、ちょっと違うアプローチになっています。稽古というすごく現実的な作業の中でも、ずっと足元を取られています。ワグナーが一番に目指している抽象的な何かを落としてしまっているのではないかと。
ローエングリンの場合は史劇で、現実の重さがものすごく大事。しかしそこにエルザという人物が出てきて、女性のコーラスが呼び込む形で、白鳥、そしてローエングリンが登場し、異次元の存在が降臨する。そうすると、史劇としての部分とメルヘンの部分が、くっきりとコントラストをなす。これまでの《ローエングリン》では、抽象的な演出か、あるいは伝統的な当時のドイツの中世騎士の風俗にそった演出かに、くっきり分かれていた。ところが実は「間(あわい)」こそ大事なんだということが今回分かって、その背骨を作るのがあまりにも難しいですね。


岡田:
今お話しいただいた部分は、《ローエングリン》という作品を考えるときに、一番忘れられがちな所だと僕も思ってます。歴史劇の側面とメルヘンチックなもの。具体的に10世紀前半の場所の設定があり、ドイツ国王は出てくるわザクセン軍が出てくるわと、ある程度史実に基づいてるわけです。歴史オペラであるという側面にフォーカスしようと思われた理由は何でしょうか。

深作:
現実がないとメルヘンの美しさが効かないし、メルヘンをどこに置くか、そもそも白鳥とは何か、ローエングリンとは誰かという話になってくるわけなんです。僕は日本で二期会と一緒に作るワーグナーとして何をするべきかと思っていた時に、日本人にとって英雄とは何だろうという疑問がわきました。それはすごく危険な存在でもあって、日本でやるときにすごく慎重にそこを考えたいと思った。日本人の英雄も決して捨てたもんじゃないと思ったのは、強い人ばかりじゃないんですよね。歴史上の人物でも、源義経や真田幸村、楠木正成、みんな敗軍の将で、歴史上何を成したかと言えば何もなしていない。坂本龍馬に至っては、志半ばで暗殺されてしまうわけで、そういった人たちに感情移入し、その人たちを愛おしく思える文化が日本の中にはある。つまり判官贔屓という。ローエングリンも戦わない人物なんですよね。一幕の最後には、皆さんの求めに応じて軍司令官としてエルザを手に入れますけれども、禁問が破られてしまうので、最後の最後には、皆と一緒に戦うことはできないと、出陣せずに遠い世界に帰って行ってしまう。非戦の英雄です。そこに魅力を感じて行きました。

例えばローエングリンに魅せられた歴史上の有名な人物として、ヒトラーとルートヴィヒ2世という2人の人物がいます。
日本も今憲法を見直さなきゃいけない時期で、いろんな選択の時に来ています。みんなが強い英雄を求める状況に対して、僕らは芸術の立場でもっと語らなきゃいけないことがあるんじゃないか。みんなが戦いの英雄を求める状況に対して、いやいや、メルヘンやロマンで戦う話なんだと。それを大きなコンセプトとして置くと、バイエルン狂王と呼ばれたルートヴィヒ2世のことがすごく引っかかって来て。ルートヴィヒ2世という人は、ワーグナーの最大の庇護者であり、彼なくしてはバイロイトもあり得なかった。15歳の時に初めてのオペラで《ローエングリン》に出会って、以後ワーグナーに心酔してしまう。お父さんが作ったお城よりも高い場所にノイシュバンシュタイン城を作り、中庭では、そのままローエングリンを上演できるようにまでなってるんです。そんな風に現実から逃避した彼の姿を重ねることができないかと思うようになった。はじめにルートヴィヒから思いついたということではなく、いろいろ切り捨ててった結果、これってルートヴィヒ2世―つまり史劇としての部分をどこに置くかということでした。彼とメルヘンの世界は、オペラですから何とでも構築してい行けますが、その離陸する出発点をどこに置くか。そのときに、これはルートヴィヒ の時代に仮託することで何かができないか。ザクセン軍をプロイセンに読み替え、晩年の彼からスタートできないかというところから、演出のコンセプトが具体的になりました。ルートヴィヒの心象は、僕自身や今の日本とも、すごく重なる部分があるのではないかと思うのです。


岡田:
ここまでお話頂いて、深作さんにとってのオルトルートというのはどういう存在なのか聞かないわけにいかいかないです。オルトルートはローエングリンの中で印象に残る役ですし、キーパーソンなわけですが、第一幕の間ほとんど歌いません。重みがあるのに歌わないでいる人物をどういう風に演出をつけるか。どういう難しさがあるのでしょうか。

深作:
三宅幸夫先生の「調の違いからローエングリンを読み解く」という見方が、自分としては一番インスピレーション頂きました。
ローエングリンに関してはイ長調、エルザに関しては変イ長調という風に、調で分けられているいうことを、はっきりと言葉として頂いたということが大きかった。皆さんの研究をそばに置いて稽古させていただいています。長調の世界にローエングリンとエルザがいたとしてオルトルートはどうなのかと、ものすごく引っかかってくる。譜面を片側において稽古に臨んでいますが、現場の僕らにとって大事なのは練習番号なんですよね。練習番号を辿って行くとオルトルートばかりなんです。それぐらい音楽の変わり目にオルトルートがいる。エルザとオルトルートという、調性の違う二人の女性が出てきますが、この女性達は逆に言うと男性社会に対して、男の世界と女の世界、あるいは昼の世界と夜の世界、善悪と言うと微妙な話になってきますが、どうもそう分けられてくる。男性社会、現実社会へのアンチテーゼとしてオルトルートとエルザはそもそもがいる。エルサは政治的にある立場を持っているお姫様ですから、両方の世界を跨いでるわけなんですが、オルトルートもまたこの境界線を行き来するわけです。
オルトルートは一幕の一場で、テルラムントを利用してブラバントの権力争いでエルザを告発し無き者にしてしまおうという策略を練っている。もう一つは宗教の問題があって、彼女の信仰はキリスト教の単一神ではなく、ヴォ―タン、フライヤを始めとする土着の神々です。すごくアナーキーな反権力な女性としてのオルトルート象っていうのが浮かび上がって来る。彼女がエルザに接近してそそのかす。女スパイのように潜入していろんなドラマが生まれる。一方の尻にひかれて調の定まらないテルラムントの情けなさがすごく人間らしく感じてしまいます。


岡田:
オルトルートはローエングリンの中で印象に残る役ですし、キーパーソンなわけですが、第一幕の間ほとんど歌いません。重みがあるのに歌わないでいる人物をどういう風に演出をつけるか。どういう難しさがあるのでしょうか。

深作:
黙役っていうのは、こちらにとっては最大の腕の見せ所です。歌唱しない部分は逆に言うと最大の見せ場です。歌う部分で初めてクローズアップするという場合もあると思いますが、僕は歌う前のオルトルートの存在がいかに大切かということを考えています。最初の歌う部分も、合唱の中に紛れているので、立てるのが非常に難しいです。いかにオルトルートを立てられるかというのが演出家としては楽しいところであると思ってるんです。


岡田:
今度の上演ではそこも一つ見所の一つですね。

深作:
紛れさせたということがワーグナーの一つの狙いのような気がずっとしていて。彼女はどの地点にいてなぜむしろあえて歌唱しないのかということがすごく意味を持っていると思うんです。

ワーグナー協会 第395回 例会 「ローエングリン」特集1「深作 健太、《ローエングリン》演出を語る」より(後編)


取材・文:オペラ・エクスプレス編集部 / photo: Naoko Nagasawa


ワーグナー協会 第395回 例会
「ローエングリン」特集1
「深作 健太、《ローエングリン》演出を語る」

2018年1月27日(土)19時
カスケードホール(いきいきプラザ一番町B1)

講師:深作健太(演出家)
聞き手:岡田安樹浩(国立音楽大学講師)

【公演情報】
東京二期会オペラ劇場
《ローエングリン》
2018年2月21日(水)18:00/22日(木)14:00/24日(土)14:00/25日(日)14:00
東京文化会館 大ホール

※チケットなどの詳細は以下のリンクでご確認を※
http://www.nikikai.net/lineup/lohengrin2018/index.htm

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