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年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年10月—新井巌(あらいいわお)

年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年10月—新井巌(あらいいわお)

オペラ暦10

【10月1日】今日は、フランスつながりが多い日です。

●1684年、フランスの劇作家コルネイユ(ピエール・1606−)が、パリで亡くなっています。フランス古典劇の完成者で、オペラ化された作品も『ル・シッド』『ポリュート』『フラーヴィオ』などがあります。『ル・シッド』においては、古典劇の法則である「三一致の法則」を破った作品として論争が繰り広げられ、一時、彼は筆を折ったほどでした。(誕生日の6月6日の項参照)
●1733年、フランスの作曲家ラモー(ジャン=フィリップ・1683−1764)『イッポリトとアリシー』が、パリ・オペラ座で初演されています。ラシーヌ(ジャン・バティスト・1639-99)の『フェードル』を基にしたもので、神話時代のギリシャが舞台となっています。
●1865年、フランスの作曲家デュカ(ポール・-1935)が、パリで生まれています。彼の名は交響詩『魔法使いの弟子』で有名ですが、オペラでも『アリアーヌと青ひげ』は、20世紀オペラの名作の一つでもあります。(誕生日の5月17日の項参照)
●1917年(大正6)、マスカーニ(ピエトロ・1863−1945)『カヴァレリア・ルスティカーナ』が、赤坂ロイヤル館で日本初演されています。
●1966年、メトロポリタン歌劇場で『椿姫』上演500回目を果たしています。当日のヴォイレッタは、当時アメリカで人気の高かった名花モッフォ(アンナ・1932−2006)でした。


【10月2日】マリインスキー劇場、開場。

●1860年、ロシアのサンクト・ペテルブルクの帝室劇場(キーロフ劇場)が、開場。この日に帝室劇場として開場し、当初はマリインスキー劇場と呼ばれていました。革命後にキーロフ劇場と改称されましたが、ソ連崩壊後は、再び1991年にマリインスキー劇場と称されています。イタリアからわざわざヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)を呼び『運命の力』を初演し、また『イーゴリ公』『ボリス・ゴドゥノフ』『スペードの女王』などの名作オペラが初演された劇場としても知られています。現在は、飛ぶ鳥落とす勢いの指揮者ゲルギエフ(ワレリー・1953-)が、劇場総裁を務めています。
●1966年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『影のない女』が、ベーム(カール・1894-1981)の指揮で、ベルリンでの初演以来37年後にMETでの初演を果たしています。


【10月3日】若きロッシーニ、初陣を飾る。

●1804年、イタリアの作曲家パエール(フェルディナンド・1771−1839)『レオノーラ(または夫婦愛)』が、ドレスデンで初演されています。現在ではほとんど知る人もいませんが、当時はイタリア各地で新作オペラを発表。ウィーンに進出した時にベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・1770−1827)とも知り合っていますので、この『レオノーラ』も『フィデリオ』創作上に大いに影響を与えたに違いありません。
●1810年、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)のファルサ『結婚手形』が、ヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で初演されています。彼が18歳の時に書かれた上演されたオペラとしての処女作で、この成功で若手作曲家として売り出したのです。
●1883年、シュトラウス2世(ヨハン・1825-99)『ヴェネツィアの夜』が、ベルリンのウィルヘルムシュタット劇場で初演されています。この劇場のこけら落とし公演として作曲されたもの。ウィーンでの初演は、10月9日。
●1941年、イタリアのバス=バリトン歌手ライモンディ(ルッジェーロ・)が、ボローニャで生まれています。1964年『シチリアの晩鐘』で大成功を収めたのちは、スカラ座やMETにも出演を果たし、今や多くの歌劇場で活躍。日本では2000年の新国立劇場での『ドン・キショット』で圧倒的な存在感を示しました。
●1990年、アメリカのソプラノ歌手スティーバー(エリナー・1914-)が、アメリカのラングホーンで亡くなっています。METを中心に活躍し、主としてヴェルディ、プッチーニなどで人気を集めていました。(誕生日の7月17日の項参照)


【10月4日】才人ボーイトの努力が稔った日。

●1803年、イタリアの作曲家ケルビーニ(ルイージ・1760−1842)『アナクレオン(または逃げた愛の神)』が、パリのオペラ座で初演。ギリシャの詩人アナクレオンを主人公とした2幕のオペラ。ケルビーニは、同時代のベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・1770−1827)などからも高い評価を得ており、1822年からはパリ音楽院院長として後進の指導にあたっていました。
●1815年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『イギリス女王エリザベッタ』が、ナポリ。サン・カルロ劇場で初演されています。16世紀の英国女王エリザベスを主人公とした2幕のオペラですが、この序曲はのちに『セビリアの理髪師』の序曲に転用されています。
●1875年、イタリアの作曲家・台本作者ボーイト(アッリゴ・1842-1918)『メフィストフェーレ』改訂版が、ボローニャのテアトロ・コムナーレで初演されました。初演の際には5時間半もかかる長大なオペラで不評でしたが、改訂版にしてからは再評価されて、現在でも欧米ではしばしば上演されています。
●1916年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『ナクソス島のアリアドネ』が、ウィーン宮廷歌劇場でシャルク(フランツ・1863-1931)の指揮で初演されています。もともとはモリエール(ジャン=バティスト・1622−1673)の『町人貴族』の劇中劇として書かれたものを、のちにプロローグをつけオペラとして独立させたものです。
●1921年、イタリアのテノール歌手ポッジ(ジャンニ・-1989)が、ピアチェンツァで生まれています。61年にNHKイタリア歌劇団の一員として来日し、マントヴァ公爵やカヴァラドッシを歌いました。
●1950年、メキスコ出身のテノール歌手アライサ(フランシスコ・)が、メキシコシティで生まれています。『マノン』のデ・グリューでデビューし、その後ヨーロッパに拠点を移し活躍。当初はテノーレ・リリコとしてロッシーニなどを得意としていましたが、徐々にスピントの役も手がけ、その後ワーグナー作品でも活躍しています。


【10月5日】未完の『ホフマン物語』を遺し、オッフェンバック亡くなる。

●1743年、イタリアの作曲家ガッザーニカ(ジュゼッペ・-1818)が、ヴェローナで生まれています。ヴェネツィアを中心に多くの作品を書いていますが、現在上演されるのは、モーツァルトがほぼ同時期に同じ題材を用いた『ドン・ジョヴァンニ・テノーリオ(または石の客)』があるのみです。(亡くなった日の2月1日の項参照)
●1762年、オーストリアの作曲家グルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)『オルフェオとエウリディーチェ』(イタリア語版)が、ウィーンのブルク劇場で初演されています。(なお、フランス語版は、1774年8月2日にパリ・オペラ座で初演)
●1880年、パリのオペレッタ界で一世を風靡した作曲家オッフェンバック(ジャック・1819-)が、同地で亡くなっています。もともとドイツ出身で、劇場のチェロ奏者からオペラ・コミック座の指揮者に転身してから作品を書くようになり、とくにアレヴィ(リュドヴィク・1834−1908)やメイヤック(アンリ・1831—97)のような優れた台本作者と組んでから、数多くの人気オペレッタを書くようになったのです。しかし、彼の宿願はオペラを書くことでした。その最初にして最後となった『ホフマン物語』は未完で終わり、友人ギロー(エルネスト・1837-92)の手によってまとめられ、没後に初演されたのです。(誕生日の6月20日の項参照)
●1979年、日本の作曲家の三木稔(1930-2011)『あだ』が、イングリッシュ・ミュージック・シアターの委嘱によりロンドンで初演。原作は、三上於菟吉(みかみ・おときち・1891—1944)の『雪之丞変化』に基づくもの。


【10月6日】オペラの歴史、ここから始まる。

●1600年、オペラ創世期の作曲家・歌手ペーリ(ヤーコポ・1561-1633)とカッチーニ(ジューリオ・1545?-1618)による『エウリディーチェ』が、フィレンツェのピッティ宮殿で初演されています。フランスのアンリ4世(1553-1610・在位1589-1610)と、メディチ家マリーア姫の結婚祝賀のために上演されたもの。これが、現存するオペラの嚆矢と言われています。
●1868年、フランスのオペレッタ作曲家オッフェンバック(ジャック・1819-80)のオペレッタ『ペリコール』が、パリで初演されています。18世紀のリマが舞台ですが、もともとは『カルメン』でおなじみのメリメ(プロスペル・1803-70)の原作。
1882年、ポーランドの作曲家シマノフシキ(カロル・1882-1937)が、ティモシュフカで生まれています。オペラ2曲、オペレッタ1曲を書いていますが、オペラ『ロジェ王』がわずかに有名。(亡くなった日の3月29日の項参照)


【10月7日】名歌手コルブランは、ロッシーニの妻。

●1845年、スペインの伝説的なソプラノ歌手コルブラン(イザベラ・1785-)が、ボローニャで亡くなっています。サン・カルロ劇場の支配人だったバルバイヤ(ドメーニコ・1778-1841)の愛人でもありましたが、のちにロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)と結婚し、彼のオペラの数多くの主役を務めました。
●1878年、フランスの作曲家グノー(シャルル・1818—93)『ポリュクト』が、パリ・オペラ座で初演されています。ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)の『ポリウート』と同じくコルネイユ(ピエール・1606−84)の悲劇(古代ローマ時代に殉教したポリュクトスが主人公)に基づいて書かれたもの。
●1909年、ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフ(ニコライ・アンドレイエヴィチ・1844−1908)『金鶏』が、モスクワのジーシン劇場で初演されています。プーシキン(アレキサンドル・1799-1837)の諷刺的寓話をもとに3幕のオペラで、これが彼の最後のオペラとなりました。
●1936年、スイスの指揮者デュトワ(シャルル・)が、ローザンヌで生まれています。モントリール交響楽団を一躍有名にしたことで知られていますが、オペラもMETでデビューし、フランスものを得意としています。N響の常任指揮者にもなり日本でもお馴染み。
●1938年、フランスの作曲家ミヨー(ダリュス・1892-1974)『メディ』が、アントワープで初演されています。このギリシャの伝説的な人物メディアを題材にコルネイユが戯曲を書き、それを古くはシャルパンティエ(マルカントワーヌ・1643−1704)、ケルビーニ(ルイージ・1760−1842)、そしてミヨーと続く、ヨーロッパでは人気のテーマのようです。
●1959年、イタリア系のアメリカのテノール歌手ランザ(マーリオ・1921-)が、ローマで亡くなっています。タングルウッド音楽祭で『ウィンザーの陽気な女房たち』でデビュー。戦後兵役を務めた後は、主としてミュージカルや映画に出演していました。当時、日本ではランツァと呼ばれていました。『歌劇王カルーソー』では、主人公カルーソー(エンリーコ・1873-1921)を演じ人気を集めましたが、ローマで急逝。


【10月8日】ボワエルデューの知名度は?

●1834年、かつては“フランスのモーツァルト”とも言われたオペラ作曲家ボワエルデュー(フランソワ=アドリアン・1775-)が、ヴァレンヌ=ジャルシーで亡くなっています。彼のハープ協奏曲などを聞くと、確かにギャラント風なところはモーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)を彷彿とさせますが、時代的にはベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・1770−1827)とほぼ同世代の人。共作も含め41曲ものオペラを書いていますが、今は『バクダットの太守』『白衣の婦人』などの序曲で知られているのみです。
●1882年、ボヘミアの作曲家ドヴォジャーク(アントニーン・1841—1904)『ディミトリー』が、プラハで初演されています。シラー(ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・1759-1805)の戯曲によるもので、ムソルグスキー(モデスト・ペトロヴィチ・1839-81)の『ボリス・ゴドゥノフ』にも登場する偽の王子ディミトリーを主人公としたもの。いわばボリスの続編のようなオペラです。
●1953年、イギリスのソプラノ歌手フェリアー(キャスリーン・1912-)、ロンドンで亡くなっています。わずか41歳の若さでした。彼女の歌としては、ワルター(ブルーノ・1876-1962)がウィーン・フィルを指揮したマーラー(グスタフ・1860−1911)『大地の歌』は不朽の名盤と言えましょう。(誕生日の4月22日の項参照)
●1975年、オーストリアの演出家フェルゼンシュタイン(ワルター・1901-)が、ベルリンで亡くなっています。長らくベルリン・コーミッシェ・オーパーの監督を務め、オペラの演劇性を強く打ち出した演出で、その後多くの演出家に影響を与えました。(誕生日の5月30日の項参照)


【10月9日】多才だったサン=サーンス生まれる。

●1826年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『コリント攻略』が、パリ・オペラ座で初演されています。自作の『マホメット2世』の改作で、1459年のコリントで、マホメット2世率いるトルコ軍に攻められた総督とその娘の悲劇。
●1835年、フランスの作曲家サン=サーンス(カミーユ・シャルル・-1921)が、パリで生まれています。彼は多作家で、とくに器楽曲においてはさまざまな楽器のための楽曲を残しています。オペラも全部で13作を残していますが、現在世界の歌劇場に常時かけられるのは『サムソンとデリラ(サンソンとダリラ)』1曲です。
●1903年、フランスの台本作家デュ・ロクル(カミーユ・1832-1903)が、カプリで亡くなっています。パリ・オペラ座の支配人を務め『カルメン』を世に出す役割の他にも、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の『ドン・カルロ』『アイーダ』『運命の力』などにも関わっていました。
●1919年、オーストリアのソプラノ歌手ゼーフリート(イルムガルト・-1988)が、ケンケトリートで生まれています。カラヤン(ヘルベルト・フォン・1908-89)に見出され、その後はウィーン国立歌劇場の最年少のプリマになるなど、戦後のヨーロッパ楽壇で活躍。とくにモーツァルトやリヒャルト・シュトラウスなどを得意としていました。
●1956年(昭和31)、ヴェルディ『ファルスタッフ』が、NHK招聘の第1次イタリア歌劇団によってサンケイホールで日本初演されています。題名役はタッディ(ジュゼッペ・1916-2010)、指揮はグイ(ヴィットーリオ・1885−1975)でした。


【10月10日】なんといっても、今日はヴェルディの誕生の日。

●1813年、この日最大の大きな出来事!イタリア・オペラの巨匠ヴェルディ(ジュゼッペ・−1901)が、ブッセート近くの片田舎ロンコーレ村で生まれています。2013年は、ワーグナーとともに生誕200年という大きな節目の年で、世界中が2人の作品を取り上げました。
●1919年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『影のない女』が、ウィーン国立歌劇場で初演されています。ホフマンスタール(フーゴ・フォン・1874-1929)による台本で、おとぎの国が舞台という、いわばシュトラウスによる『魔笛』的な存在。
●1929年、オーストリアのオペレッタ作曲家レハール(フランツ・1870—1948)の代表作の一つ『微笑みの国』が、ベルリンで初演されています。舞台は、1912年のウィーンと北京。中国の外交官を愛した伯爵令嬢との悲恋物語。スー・チョン(テノール)役が歌う「君は我が心のすべて」が有名です。
●1997年、東京で初めての本格的なオペラ専門劇場である「新国立劇場」が開場しました。開幕公演は、團伊玖磨に委嘱したオペラ『建・TAKERU』で、星出豊の指揮(西澤敬一・演出)によって世界初演の幕が切って落とされたのです。開幕記念公演の演目としては、この他に11月22日初日のワーグナーの『ローエングリン』を若杉弘指揮(ヴォルフガング・ワーグナー演出)と、翌年1月15日初日のヴェルディ『アイーダ』をガルシア・ナバッロ指揮(フランコ・ゼッフィレッリ演出)の3本が上演され、大きな反響を呼びました。シーズンは、秋(9・10月)から翌年の6月まで。オペラ専門劇場にふさわしく4面舞台を持つプロセニアム形式で、字幕装置も完備。座席数も1814席とオペラが聞きやすい規模となっています。この他に中劇場、小劇場を擁して、オペラのみならずバレエ、ダンス、演劇などの公演を行っています。
●2010年、オーストラリアのソプラノ歌手サザーランド(ジョーン・1926-)が、モントルーで亡くなっています。コロラトゥーラ・ソプラノとして世界的な名声を博し、同郷のメルバ(ネリー・1861-1931)の再来とも言われました。享年83歳でした。


【10月11日】フランスのマルチ作家、コクトー亡くなる。

●1963年、フランスの作家コクトー(ジャン・1889-)が、パリ近郊(ミリ=ラ=フォレ)で亡くなっています。彼の才能は単に作家にとどまらず、画家であり、映画監督であり、またフランス6人組との親交から数多くの作品が生み出されました。プーランク(フランシス・1899−1963)『人の声』、ストラヴィンスキー(イゴール・1882−1971)『エディプス王』、ミヨー(ダリュス・1892-1974)『哀れな水夫』など、作品の多くがオペラ化されています。


【10月12日】キング・オブ・ハイC、パヴァロッティ誕生。

●1855年、ハンガリー出身のドイツの指揮者ニキシュ(アルトゥール・1922)が、レベニー・セント・ミクロシュで生まれています。20世紀初頭のドイツ音楽の巨匠。ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者を務め、ライプチヒ市立歌劇場の総監督も務めました。
●1935年、三大テノールの一人であり、最も精力的に活躍したイタリアのテノール歌手パヴァロッティ(ルチアーノ・-2007)が、モデナで生まれています。彼の声楽の先生だったのが、戦後の日本でも馴染みの深いテノールのポーラ(アリゴ・1917-99)だったことはご存知だったでしょうか。とくにベルカント・オペラでの「キング・オブ・ハイC」と呼ばれた輝かしい歌声で、一世を風靡。本来の声質はリリコ・スピントですが、幅広レパートリーをこなしていました。日本でもファン・クラブができて、世界中に彼の追っかけをしていました。
●1872年、イギリスの作曲家ヴォーン=ウイリアムス(レーフ・-1958)が、ダウン・アイプニーで生まれています。彼は、ブルッフ(マックス・1838-1920)やラヴェル(モーリス・1875-1937)に作曲を習い、その後、自国の伝統的な音楽やチューダー王朝時代の音楽を研究しています。こうした成果が、彼の最初のバラッド・オペラ『牛追いヒュー』でした。その後『恋するサー・ジョン』や、『海に乗りゆく人々』などを発表。そして最後のオペラ作品となったのが『天路遍歴』でした。(亡くなった日の8月26日の項参照)


【10月13日】懐かしい名指揮者クリップス、亡くなる。

●1836年、フランスの作曲家アダン(アドルフ・1803-56)の3幕のオペラ・コミック『ロンジュモーの御者』が、パリのオペラ・コミック座で初演されています。
●1974年、オーストリアの指揮者クリップス(ヨーゼフ・1902-)が、ジュネーブで亡くなっています。ワインガルトナー(フェーリクス・1863-1942)に師事して、フォルクスオーパーの指揮者となり、その後ウィーン国立歌劇場の指揮者も務めています。ナチ政権下ではウィーンを脱出し、復帰してからもロンドン、ニューヨーク、ベルリンなどで活躍し、名トレーナーとしても定評がありました。


【10月14日】20世紀のスーパースター、バーンスタイン亡くなる。

●1871年、オーストリアの作曲家・指揮者だったツェムリンスキー(アレクサンダー・-1942)が、ウィーンで生まれています。マーラー(グスタフ・1860−1911)の妻アルマ(1876-1964)にも作曲を教え、かつシェーンベルク(アルノルト・1874-1951)も彼の弟子でした。作品にはワイルド(オスカー・1856-1900)原作の『フィレンツェの悲劇』や『馬子にも衣装』などがあります。(亡くなった日の3月15日の項参照)
●1924年、そのツェムリンスキーに師事したオーストリアの作曲家シェーンベルク(アルノルト・1874-1951)の『幸福の手』が、ウィーンのフォルクスオーパーで初演されています。現代社会に生きる芸術家の苦悩を描いた作品。
●1990年、アメリカのスーパースターでもあったバーンスタイン(レナード・1918-)が、ニューヨークで亡くなっています。指揮者としても、作曲家としても成功し、ニューヨーク・フィルを起点に、欧米各地で活躍し、日本へも1961年にニューヨーク・フィルを率いて来日し、黛敏郎(1929-97)の曲は、当時副指揮者だった小澤征爾(1935-)に振らせて、故郷に錦を飾る手助けをしたのです。ブルックリンの墓地では、胸にマーラー(グスタフ・1860−1911)の「交響曲第5番」の楽譜を抱いて眠っているといいます。(誕生日の8月25日の項参照)


【10月15日】ワーグナーへの愛憎入り混じった、哲学者ニーチェ生まれる。

●1844年、ドイツの哲学者ニーチェ(フリードリヒ・ヴェルフレム・-1900)が、ライプチヒ近郊のレッケンで生まれています。ショーペンハウエル(アルトゥル・1788-1860)とワーグナー(リヒャルト・1813−83)に影響されて、独自の哲学体系を生み出しました。自らも作曲し、またワーグナーとは晩年になって仲違いし、最後は狂気を抱いて亡くなっています。(亡くなった日の8月25日の項参照)
●1938年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『ダフネ』が、ドレスデン国立歌劇場でベーム(カール・1894-1981)の指揮で初演されています。ギリシャ神話に基づき、作家のグレゴール(ヨゼフ・1885−1960)が台本化したもの。


【10月16日】 “黄金のトランペット”デル・モナコ亡くなる。

●1854年、イギリスの詩人・劇作家ワイルド(オスカー・-1900)が、ダブリンで生まれています。耽美主義的な作風は、シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)に『サロメ』を作曲させ、またツェムリンスキー(アレクサンダー・1871-1942)も『フィレンツェの悲劇』をオペラ化しています。
●1926年、ハンガリーの作曲家コダーイ(ゾルターン・1882-1967)『ハーリ・ヤーノシュ』が、ブラペスト国立歌劇場で初演されています。日本では、これから6曲を選んだ管弦楽版の方が有名です。豪傑ハーリ・ヤーノシュが、ナポレオン時代のウィーンやミラノで起こったホラ話を語るというもの。
●1944年、ロシア(当時はソ連)の作曲家プロコフィエフ(セルゲイ・1891−1953)の大作オペラ『戦争と平和』が、モスクワにおいて演奏会形式で初演。いうまでもなくトルストイ(レフ・1828-1910)の小説のオペラ化で、幾度も改訂が加えられ、最終版は作曲家の没後の1959年にボリショイ劇場で初演されています。
●1982年、イタリアのテノーレ・スピントの代表的な歌手であったデル・モナコ(マリオ・1915-)が、ヴェネツィア近郊メストレで亡くなっています。当時の3大テノールといえば、このデル・モナコ(マリオ・1915-82)、ディ・ステーファノ(ジュゼッペ・1921-2008、ベルゴンツィ(カルロ・1924-2014)といったところでしょうか、それにコレッリ(フランコ・1921-2003)、タリアヴィーニ(フェリッチョ・1913−95)が加われば5大テノールということになりますね。1959年に初来日、オテロやラダメスで、まさに黄金のトランペットと称された輝かしい声に圧倒されたものです。(誕生日の7月27日項参照)


【10月17日】 “新バイロイト様式”ヴィーラントの早過ぎた死。

●1771年、オーストリアの作曲家モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)の2部からなる祝典劇『アルバのアスカーニオ』が、ミラノのテアトロ・レッジョ・ドゥカーレで初演されました。フェルディナント大公とモデナのエルコーレ3世の娘との結婚に際して、わずか15歳のモーツァルトが起用されたのです。
●1966年、大ワーグナーの孫で、バイロイト音楽祭に新様式をもたらした非凡な演出家だったワーグナー(ヴィーラント・1917−)が、ミュンヘンで亡くなっています。祖父の作品を民族的な呪縛から抜け出させ、象徴的な彼の演出は「新バイロイト様式」と言われ、その後のワーグナー演出に大きな影響を及ぼしました。(誕生日の1月5日の項参照)
●1975年、イタリアの指揮者グイ(ヴィットーリオ・1885−)が、フィレンツェで亡くなっています。イタリア・オペラの権威として、スカラ座は言うに及ばず、フィレンツェ音楽祭やグラインドボーン音楽祭などでも活躍。日本には、第1次NHK招聘イタリア歌劇団に帯同し、『アイーダ』『フィガロの結婚』『ファルスタッフ』を振っています。(誕生日の9月14日の項参照)
●1984年、フランスのテノール歌手ティル(ジョルジュ・1897-)が、南フランスのドラギニャン(パリという説もあります)で亡くなっています。((『偉大なるオペラ歌手たち』では、15日死亡説をとっています)『タイース』でデビューし、16年間にわたってパリ・オペラ座の中心テノールとして活躍。また『ルイーズ』など数本の映画にも出演しています。
●1985年、ポーランド生まれのアメリカの指揮者ローゼンシュトック(ジョーセフ・1895-)が、ニューヨークで亡くなっています。1936年に来日し、41年まで新交響楽団(NHK交響楽団の前身)の指揮者を務め、その厳しい指導で演奏技術を向上させました。戦時中は軽井沢に収容されていましたが、1946年10月16日の『第九』を最後に離日し、帰国後は、ニューヨーク・シティ・オペラ、メトロポリタン歌劇場の指揮者、ケルン市立歌劇場の音楽監督を務めました。ちなみに年末に『第九』の演奏会をするようになったのは彼が先鞭とか。戦後もたびたび来日し、N響の指揮台に登り、名誉指揮者の称号を授けられています。


【10月18日】社会思想家ルソーは、オペラも書いた!

●1706年、イタリアの作曲家ガルッピ(バルタッザーレ・-1785)が、ヴェネツィアのブラーノ島で生まれています。18世紀前半のオペラ作曲家としてイタリアだけでなく、ロンドン、ウィーンなどでも活躍し45年間に100作以上ものオペラを書いたと言います。同時代の劇作家ゴルドーニ(カルロ・1707−93)と共同で、『逆さまな世界』『田舎の晢学者』『結婚』など6作を書いています。故郷のブラーノ島のメイン・ストリートは、ガルッピ通りと名づけられています。
●1752年、フランスの思想家で、作曲もこなしたルソー(ジャン=ジャック・1712−78)の1幕のオペラ・コミック『村の占い師』が、パリのフォンテーヌブローで初演されています。イタリアのオペラ・ブッファに刺激を受けて、当時のフランス宮廷風のオペラに対抗し、いわゆる「ブフォン論争」を引き起こした作品でもあります。初演以来60年間に400回以上も上演されたほどの人気曲でした。
●1817年、フランスの作曲家メユール(エティエエンヌ=ニコラ・1763-)が、パリで亡くなっています。当時、グルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)とピッチンニ(ニコロ・1728−1800)による論争でグルック側につき、その後『ユーフロジーヌとコラダン』『アロンゾとコラ』などで名声を博しました。フランス・オペラでのグルックとその後のロマン派の作曲家たちの橋渡しをした作曲家と言えましょう。(誕生日の6月22日の項参照)
●1834年、イタリアのオペラ作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『マリーア・ストゥアルダ』が、ナポリのサン・カルロ劇場で初演されています。16世紀のイギリスでのイングランド女王エリザベス1世(1533−1603)とスコットランド女王メリー・ステュアート(1542−87)との確執を描いたシラー(ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・1759-1805)の『マリーア・シュトゥアルト』に基づいて作曲。ドニゼッティ作品の中でも、とくに人気のあるオペラの一つです。
●1893年、フランスの作曲家グノー(シャルル・1818—)が、パリで亡くなっています。彼はさまざまな分野での音楽作品を残していますが、オペラではデビュー作『サフォ』や『ファウスト』『ミレイユ』『ロメオとジュリエット』などが有名です。当時パリで人気を博していたマイアベーア風やイタリア・オペラ風に染まらずに、真のフランス・オペラを目指した点で評価されるべきでしょう。(誕生日の6月18日の項参照)
●1934年、日本のオペラ演出家として期待されながら57歳という若さで夭折した三谷礼二(-1991)が、東京で生まれています。小劇団の自由劇場を経て、東京室内歌劇場のモーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)『カイロの鵞鳥』で演出家デビュー。その後『蝶々夫人』で成功を収め、東京藝大創立100周年の『オルフェウスとエウリディーチェ』でも、その斬新な演出が注目を集めました。


【10月19日】『タンホイザー』初演の日。

●1845年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』(ドレスデン版)が、ドレスデンの宮廷劇場で作曲者自身の指揮で初演されています。一般には『タンホイザー』で通っていますが、正確にはこういう題名なんですね。この後パリでの改訂版があるので、初演版をドレスデン版と称しているのです。現在では、序曲はもちろん「夕星の歌」や「巡礼の合唱」などの名曲揃いと言われるこのオペラも、初演当時は不評だったようです。このオペラ上演の2年半後に、彼はドレスデン蜂起に加担した罪で、この地から追われる身になるのです。


【10月20日】ワーグナー3作目にして、やっと成功を勝ち取る。

●1842年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)『リエンツィ、最後の護民官』が、ドレスデン宮廷歌劇場で初演されています。彼はこの作品でようやくオペラ作曲家として成功を果たしたのです。
●1920年、ドイツの作曲家ブルッフ(マックス・1838-)が、ベルリン近郊フリーデナウで亡くなっています。歌劇作曲家としての実績は少なく、『ローレライ』やシェイクスピア(ウイリアム・1564-1616)の『冬物語』から題材をとった『ヘルミオーネ』などがあります。
●1947年、ドイツのバリトン歌手ブレンデル(ヴォルフガング・)が、ミュンヘンで生まれています。『ドン・ジョヴァンニ』を歌ってデビューし、主としてバイエルン国立歌劇場で活躍。アイゼンシュタイン(こうもり)やマンドリーカ(アラベラ)などを得意としています。


【10月21日】プッチーニ作品の台本作者ジャコーザ、誕生。

●1784年、ベルギー出身のフランスの作曲家グレトリ(アンドレ=エルネスト=モデスト・1741-1813)『獅子王リシャール』が、パリで初演されています。獅子王リチャードを救出する3幕のオペラ。彼自身はブフォン論争以来、人気の出たコペラ・コミックの作曲に専念するようになります。
●1847年、イタリアの台本作家ジャコーザ(ジュゼッペ・-1906)が、コッレレット・パレッラで生まれています。法律家から文筆家になり、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)の『マノン・レスコー』の台本作成に加わり、以後、『ラ・ボエーム』『トスカ』『蝶々夫人』を、イッリカ(ルイージ・1857-1919)と共作しています。
●1858年、フランスのオペレッタ作曲家オッフェンバック(ジャック・1819-80)『天国と地獄(地獄のオルフェウス)』が、パリのシャンゼリゼ劇場で初演されています。日本でも浅草オペラ以来、この華やかな序曲は人口に膾炙しています。
●1912年、ハンガリー出身の指揮者ショルティ(ゲオルグ・-1997)が、ブダペストで生まれています。当初はピアニストとして活躍、その後指揮者として『フィデリオ』でデビュー。とくにLP時代からの『指環』の全曲録音(デッカの名プロデューサーJ.カルショウ(1924−)による)では、多くのワーグナー・ファンを魅了しました。
●1931年、日本の名バス=バリトン大橋国一(-1974)が、東京で生まれています。芸大卒業後ウィーンに留学し、ザルツブルク歌劇場と契約し、同劇場で活躍。その後ヨーロッパ各地でも出演し、戦後世界的に活躍した日本人歌手の代表でした。これから円熟するという43歳という若さで亡くなったのが惜しまれます。(亡くなった日の3月16日の項参照)


【10月22日】オペラのメッカ、メトロポリタン歌劇場(MET)開場。

●1725年、イタリアの作曲家スカルラッティ(アレッサンドロ・1660−)が、ナポリで亡くなっています。パレルモの出身で、若くしてローマの貴族社会の保護を受け、その後ナポリとローマを中心に活躍。彼によって、オペラの隆盛はヴェネツィアからナポリに移ったとも言われています。生涯に120曲ものオペラを書いたとされていますが、現存しているのは40曲程度に過ぎません。(誕生日の5月2日の項参照)
●1764年、フランスの作曲ルクレール(ジャン=マリ・1697-)が、パリで亡くなっています。ヴァイオリニストとして活躍し、多くの器楽曲を残していますが、オペラは『シラとグロキュス』1曲のみ。この日の早朝、家の戸口で何者かに殺されていたのが発見されたのです。
●1811年、ハンガリー出身のピアニスト・作曲家のリスト(フェレンツ・-1886)が、ライディングで生まれています。知られている「フランツ」はドイツ語読み。超絶技巧の世紀の大ピアニストとしてパリをはじめヨーロッパを席巻。各地で浮名を流すというモテぶりでしたが、晩年は聖職者に。またリスト音楽院の院長として後進の指導にあたり、彼自身オペラは書かなかったもののワイマールの宮廷楽長として『ローエングリン』初演を指揮するなど、多くのオペラを指揮しています。(亡くなった日の7月31日の項参照)
●1859年、ドイツの作曲家シュポーア(ルイ・1784-)が、カッセルで亡くなっています。ヴァイオリニストとしても活躍し、かつオペラも数多く書いていますが、現在ではほとんど上演される機会はありません。出世作『ファウスト』は、ヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-1826)にも影響し、ライトモティーフに近い主題の用法など、のちの作曲家に少なからぬ影響を与えたと言います。
●1844年、19世紀ベル・エポック期のフランス劇壇を席巻した女優のベルナール(サラ・-1923)が、パリで生まれています。亡くなった時は、国葬の扱いを受けたほどの大女優でした。彼女自身オペラに出たわけではありませんが、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)は彼女が演ずる『ラ・トスカ』を見て感激し、その足で作者のサルドゥ(ヴィクトリアン・1831-1908)にオペラ化することを熱望したと言われています。(亡くなった日の3月26日の項参照)
●1883年、アメリカ、ニューヨークのオペラの殿堂であるメトロポリタン歌劇場が、この日開場しています。これ以前にも、この劇場の前身である劇場は存在していましたが、1880年正式にメトロポリタン・オペラハウス・カンパニーが発足し、その3年後、グノー(シャルル・1818—93)『ファウスト』で杮落とし公演の幕が上がったのです。(ただし、現在のリンカーン・センターにある場所とは違います)現在では、支配人ピーター・ゲルブ(1953—)の発案で、全世界にオペラ中継を行う『ライブ・ビューイング』を実施して、日本でも上映されオペラ・ファン拡大に貢献しています。
●1885年、20世紀前半に活躍したイタリアのテノール歌手マルティネッリ(ジョヴァンニ・−1969)が、ヴェネツィア近郊のモンタニャーナで生まれています。プッチーニに認められ『西部の娘』のヨーロッパ初演に加わっています。主としてMETで活躍し、なんと82歳の時に『トゥーランドット』の皇帝役で出演しました。三浦環(1884-1946)が彼と共演したという記録も残っています。(亡くなった日の2月2日の項参照)
●1931年、数々の日本語によるオペラを模索し、自ら主宰するオペラシアターこんにゃく座の座付き作曲家を務めた林光(はやし・ひかる-2012)が、東京で生まれています。著作に『日本オペラの夢』(岩波書店)があります。


【10月23日】米仏の名歌手の、誕生と死。

●1801年、ドイツの作曲家ロルツィング(アルベルト・-1851)が、ベルリンで生まれています。旅役者の子として生まれたため幼い頃から各地の劇場を回り、役者、指揮者、作曲家として活躍。19世紀前半に市民に親しまれたオペラ作曲家として人気がありました。代表作に『ロシア皇帝と船大工』『密猟者』『刀鍛冶』などがあります。
●1921年、フランスのソプラノ歌手デュヴァル(ドゥニーズ・)が、パリで生まれています。『カルメル修道女との会話』『ティレジアスの乳房』など、プーランク(フランシス・1899−1963)の多くのオペラを創唱しています。惜しくも2016年1月25日にスイスのベーで亡くなりました。
●2004年、アメリカのバリトン歌手メリル(ロバート・1919-)が、ニューヨーク州ニューロシェルで亡くなっています。1945年にMETでジェルモンを歌い、以来この劇場を拠点に欧米で活躍。とくにヴェルディの諸役には定評がありました。ソプラノのロバータ・ピータースとのおしどり夫婦としても有名でした。(誕生日の6月4日の項参照)


【10月24日】カールマンが生まれ、レハールが亡くなった日。

●1737年、フランス・バロック時代の作曲家ラモー(ジャン=フィリップ・1683−1764)『カストールとポルークス』が、パリ・オペラ座で初演されています。ギリシャ神話に基づいたもので、恋人を失った太陽神の娘を中心に繰り広げられ、最後は天上において双子座をつくるというお話。
●1882年、ハンガリーの作曲家カールマン(エメーリヒ・-1953)が、シオーフォクで生まれています。イムレはハンガリー読みでは、カールマーン・イムレが他が強いのですが、活躍したオーストリアでは、ドイツ風にエメリーヒ・カールマンと名乗っていたようです。レハールとほぼ同時代のウィンナ・オペレッタの“白銀の時代”に活躍し、代表作に『マリツィア伯爵令嬢』『チャルダーシュの女王』などがあります。
●1885年、オーストリアのオペレッタ作曲家シュトラウス2世(ヨハン・1825-99)『ジプシー男爵』が、作曲者自身の指揮によりアン・デア・ウィーン劇場で初演されています。彼が活躍した時代が、オペレッタ“金の時代”と言われていました。
●1913年、イタリアのバス=バリトン歌手ゴッビ(ティート・-1884)が、ヴィチェンツァ近郊バッサーノ・デル・グラッパで生まれています。1915年生まれという説もありますが、こちらの方が正しいようです。日本人にとっては、51年初来日したイタリア歌劇団での『オテロ』におけるイヤーゴの名演が圧倒的な印象を残しました。(亡くなった日の3月5日の項参照)
●1921年、旧ユーゴのソプラノ歌手ユリナッチ(セーナ・-2011)が、現ボスニア・ヘルツェゴビナのトラヴニクで生まれています。20世紀の後半から、クナパーシュブッシュ(ハンス・1888-1965)、ベーム(カール・1894-1981)、カラヤン(ヘルベルト・フォン・1908-89)などの巨匠たちに起用され、多くの名演を残しています。とくに伯爵夫人、元帥夫人、ドンナ・エルヴィーラなどを得意としていました。
●1925年、イタリアの前衛作曲家ベリオ(ルチアーノ・-2003)が、オネリアで生まれています。日本では『セクエンツァ』シリーズで有名ですが、オペラも日本でも人気のある作家カルヴィーノ(イターロ・1923-85)の台本による『本当の話』『耳をすます王様』などを残しています。
●1948年、ウィーン・オペレッタ“白銀の時代”の最大の作曲家レハール(フランツ・1870—)が、バートイシュルで亡くなっています。彼の大ヒットは言うまでもなく『メリー・ウィドゥ』であり、それに続いて『微笑みの国』などが挙げられます。妻がユダヤ人にもかかわらず、ヒトラーに優遇され、オーストリアに止まったことが戦後の彼の立場を悪くしました。(誕生日の4月30日の項参照)


【10月25日】“ワルツ王”シュトラウス2世と、ビゼーの誕生日。

●1734年、イタリアの作曲家ペルゴレージ(ジョヴァンニ・バッテスタ・1710-1736『リヴィエッタとトラコッロ』が、ナポリのサン・バルトロメオ劇場で初演されています。
●1823年、ドイツ・オペラの創始者とも言われるヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-1826)『オイリアンテ』が、ウィーンのケルントナートーア劇場で初演されています。
●1825年、オーストリアの“ワルツ王”シュトラウス2世(ヨハン・-1899)が、ウィーンで生まれています。同名の父( “ワルツの父”と称される)と区別するために2世とされています。彼によってワルツとオペレッタの“金の時代”が誕生したのです。『こうもり』をはじめとして、後述の『ウィーン気質』や『ジプシー男爵』『ヴェネツィアの一夜』などのオペレッタは今でも人気を博していますが、彼が書いた唯一のオペラ『騎士バズマン』は失敗作で、ほとんど上演されていません。
●1838年、フランスの大作曲家ビゼー(ジュルジュ・-1875)が、パリで生まれています。短い生涯の中で、『カルメン』をはじめ『真珠採り』『美しきパースの娘』『アルルの女』など数多くの名曲を残し、19世紀後半のフランス・オペラの隆盛に導いた風雲児でした。
●1848年、イタリアの作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『海賊』が、トリエステのグランド劇場で初演されています。バイロンの戯曲に基づき、ピアーヴェがイタリア語の台本を執筆。舞台を19世紀初頭のエーゲ海の島の海賊コラードとその愛人メドーラにトルコの太守とその美しい女奴隷との間に繰り広げられる悲劇です。
●1899年、シュトラウス2世(ヨハン)『ウィーン気質』が、ウィーンのカルル劇場で初演。(26日説もあり)音楽は彼が死去したために、今までの彼のワルツやポルカを集めて編曲したもので、舞台は1815年のウィーン会議の頃の貴族の浮気話を描いたもの。
●1912年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『ナクソス島のアリアドネ』が、シュトゥットガルト宮廷劇場で初演。
●1926年、ロシア(当時はソ連)のソプラノ歌手ヴィスネフスカヤ(ガリーナ・-2012)が、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で生まれています。チェロのロストロポーヴィチ(ムスティスラフ・1927-2007)と結婚。当時のソ連の体制を批判して、夫婦共々国外での活動を制限されていたこともありました。
●1931年、日本のバス歌手岡村喬生(たかお・)が、東京で生まれています。今なお現役で、『冬の旅』を毎年のように歌っているほか、『蝶々夫人』の改訂版にも尽力。日本の習慣や人名などで誤りの多い『蝶々夫人』を本来の姿?に戻すべく、プッチーニのお膝元トッレ・デル・ラーゴ音楽祭にも参加したものの歌詞までは変えることができず(著作権継承者が不許可)、それでも上演を果たしました。
●1965年、20世紀のドイツの巨匠指揮者クナッパーシュブッシュ(ハンス・1888-)が、ミュンヘンで亡くなっています。リヒター(ハンス・1843-1916)の助手からスタートしたといいますから、大変なキャリアです。今もって、彼の振ったバイロイトでの『パルジファル』は語り草です。(誕生日の3月12日の項参照)


【10月26日】イタリアのバロック期の2人の作曲家。

●1685年、イタリアの作曲家スカルラッティ(ドメニコ・1685-1757)が、ナポリで生まれています。同姓の作曲家アレッサンドロ(1660−1725)は、父。オペラも『オルランド』『秘かな恋』などそれなりに書いてはいますが、基本的には器楽の作曲に優れた人でした。
●1754年、イタリアの作曲家ガルッピ(バルタッザーレ・1706-85)『田舎の哲学者』が、ヴェネツィアのサン・サムエル劇場で初演。彼は主として宗教曲を書き、オペラとしては、ゴルドーニ(カルロ・1707−93)と組んだこのオペラ・ブッファが彼の代表作となりました。


【10月27日】現代オペラの雄、ヘンツェ亡くなる。

●1827年、ベルカント時代のイタリアの作曲家ベッリーニ(ヴィチェンツィオ・1801—35)『イル・ピラータ(海賊)』が、ミラノ・スカラ座で初演されています。13世紀のシチリア島を舞台として、男女の葛藤の結果、血なまぐさい結末を迎えるというお話。
●1954年、イタリアの作曲家アルファーノ(フランコ・1875−)が、サンレモで亡くなっています。彼は、未完の『トゥーランドット』を仕上げた作曲家として知られていますが、彼自身のオペラも近年見直され、『復活』『ドン・ジョヴァンニの影』『シラノ・ド・ベルジュラック』などがあります。
●2000年、オーストリアのバス=バリトン歌手ベリー(ヴァルター・1929-)が、ウィーンで亡くなっています。1950年ウィーン国立歌劇場でデビュー、以来この劇場を中心にモーツァルトから、『ヴォツェック』まで幅広いレパートリーで活躍しました。日本には63年ベルリン・ドイツ・オペラで来日。(誕生日の4月8日の項参照)
●2012年、ドイツの現代作曲家ヘンツェ(ハンス・ヴェルナー・1926-)が、ドレスデンで亡くなっています。『若い恋人たちへのエレジー』『バッカスの巫女』など数多くのオペラ作品を作曲しています。(誕生日の7月1日の項参照)


【10月28日】R.シュトライスの『カプリッチョ』初演。

●1639年、バロック期の作曲家ランディ(ステファノ・1587-)が、ローマで亡くなっています。代表作に『聖アレッシォ』があります。
●1942年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『カプリッチョ』が、ミュンヘンの国立歌劇場で初演されています。指揮者のクラウス(クレーメンス・1893-1954)と作曲者自身による台本で、オペラにおいては言葉と音楽とどちらが優位かという昔からのテーマ(例えばサリエーリ(アントーニオ・1750-1825)の『まずは音楽、それから言葉』など)に絡ませて、伯爵夫人マドレーヌとそれを取り巻く人々の駆け引きを描いています。


【10月29日】『ドン・ジョヴァンニ』プラハで初演し大成功。

●1787年、オーストリアの作曲家モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)『ドン・ジョヴァンニ(または罰せられた放蕩者)』が、プラハの国立劇場(現スタヴォフスケー劇場)で初演されています。晩年の傑作ダ・ポンテ三部作の一つで、2幕のドランマ・ジョコーゾ。これはプラハにおける『フィガロの結婚』の大成功が、このオペラのプラハ初演につながっています。2幕目の晩餐会の場面では、「もう飛ぶまいぞこの蝶々」の旋律が流れるのもご愛嬌。
●1837年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『ロベルト・デヴリュー』が、ナポリのサン・カルロ劇場で初演されています。舞台は16世紀のロンドン。イギリス女王エリザベス(1533-1602)と恋人でもあったエセックス伯爵ロベルト(1566-1601)とその愛人ノッティンガム公爵夫人サラとの三角関係を描いたもの。
●1926年、カナダのテノール歌手ヴィッカース(ジョン・-2015)が、カナダのプリンスアルパートで生まれています。カラス(マリア・1923-77)との共演でケルビーニ(ルイージ・1760−1842)『メディア』を歌っているほか、トリスタンやジークフリートなどのワーグナー作品の諸役、さらに『ピーター・グライムス』などを得意とし、日本へは1979年のコヴェントガーデン・ロイヤル・オペラとして、得意の『ピーター・グライムス』を歌っています。2015年の7月10日にカナダのオンタリオ州で亡くなっていました。
●1956年、アメリカの指揮者で作曲家でもあったバーンスタイン(レナード・1918-90)『キャンディード』が、ボストンで初演されています。これは、ヴォルテール(1695-1778)の同名(『カンディード』とも)の作品を基づく、ミュージカルともオペレッタともつかない作品です。台本は、アメリカを代表する女流劇作家のヘルマン(リリアン・1905-84)が担当しました。
●1986年、日本の作曲家清水脩(おさむ・1911-)が、東京で亡くなっています。彼の代表作といえば、岡本綺堂(1872-1939)の戯曲をオペラ化した『修善寺物語』でしょう。他にもオペラ『セロ弾きゴーシュ』『大仏開眼』などがあります。
●2003年、イタリアの人気テノール歌手コレッリ(フランコ・1921-)が、ミラノで亡くなっています。全盛期は典型的なテノーレ・スピントでその輝かしい歌唱と、舞台映えする美男歌手として人気を博しました。とくに『イル・トロヴァトーレ』の「見よ、恐ろしき炎よ」でのハイCの絶唱は語り草となっています。享年82歳でした。


【10月30日】オペレッタの作曲家カールマン亡くなる。

●1925年、ハンガリー出身のオペレッタ作曲家レハール(フランツ・1870—1948)『パガニーニ』が、ウィーンのヨハン・シュトラウス劇場で初演。有名なヴァイオリンの鬼才と言われたパガニーニ(ニコロ・1782-1840)を主人公として、ナポレオンの妹アンナ・エリーザ(1777−1820)との悲恋物語とか。
●1946年、ベルギーのカウンター・テナーで指揮者のヤーコプス(ルネ・)が、ベルギーのガン(ヘント)で生まれています。歌手だけではなく、近年は指揮者としてバロック・オペラやモーツァルトなどの演奏で高い評価を得ています。
●1953年、ハンガリー出身の作曲家カールマン(イムレ・1882-)が、パリで亡くなっています。ウィンナ・オペレッタ“銀の時代”の代表的な作曲家で、『チャルダーシュの女王』『マリツィア伯爵令嬢』などでヒットを飛ばしました。(誕生日の10月24日の項参照)
●1956年、シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『ばらの騎士』が、グルリット(マンフレート・1890−1972)指揮により、日比谷公会堂で日本初演。


【10月31日】マスカーニ第2?の人気作『友人フリッツ』初演。

●1724年、バロック期のイギリスの作曲家(ドイツ出身)のヘンデル(ジョージ・フレデリック・1685−1759)のオペラ・セリア『タメルラーノ』が、ロンドンで初演されています。1402年、トルコがタメルラーノ率いるタタールとの戦いに敗れた史実に基づいて脚色した物語です。
●1866年、フランスで活躍したオペレッタ作曲家オッフェンバック(ジャック・1819-80)『パリの生活』が、パリで初演されています。彼とともにヒット作を飛ばしているメイヤック(アンリ・1831—97)とアルヴィ(リュドヴィク・1834−1908)の名コンビによるフランス語台本によるもの。当時のパリを舞台にした“ラブコメ”です。
●1891年、マスカーニ(ピエトロ・1863−1945)3幕のオペラ『友人フリッツ』が、ローマのコスタンツィ劇場で初演されています。40歳まで結婚をしない農場主フリッツに対して、清純な娘と結婚させることによって賭けに勝って農場を手に入れるという物語。代表作『カヴァレリア・ルスティカーナ』だけでなく、この作品のほかにも『イリス』など、今でもしばしば上演されます。
●1928年、ドイツの演出家エファーディング(アウグスト・-1999)が、ポットロップで生まれています。ハンブルクで演出家としてのスタートし、その後ミュンヘン、ベルリン、チューリヒ、ウィーン、ザルツブルク、ロンドン、ニューヨークなど各国で活躍。新国立劇場が2000年から再演を繰り返している『サロメ』は彼の演出によるものです。

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