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ワーグナーに導かれて ─── 指揮者・城谷正博さんインタビュー

ワーグナーに導かれて ─── 指揮者・城谷正博さんインタビュー

先日の新国立劇場《ワルキューレ》千穐楽で、圧倒的な存在感を示した指揮者・城谷正博さん。ワーグナーの精神が深く染み込んだ城谷さんの指揮は、聴衆に新たな時代の訪れを示し、熱狂の渦が大きく広がりました。
新国立劇場の音楽チーフとして、15年以上に渡り公演を支え続けてきた城谷さん。その軌跡を、ワーグナーの芸術と共に過ごした時間を通じて振り返っていただきました。


飯守泰次郎先生との特別な時間

「僕は芸大で作曲科の後に指揮科を卒業したんですが、学生時代に好きだった作曲家はオリヴィエ・メシアン。意外に思われるでしょうか。実は高校生の頃から大好きでした。信じられないかもしれませんが、ワーグナーの『わ』の字もない学生生活を送っていましたよ」

城谷さんは、そう言って朗らかに笑います。東京藝術大学作曲科を卒業後、同大学指揮科に進学した城谷さん。城谷さんの人生にとって特別な作曲家となったワーグナーとの出会いは、どんなきっかけで訪れたのでしょうか。

「深く携わるようになったのは、2000年にスタートした飯守泰次郎先生指揮の《リング》からですが、実はその前の1996年に東京二期会からの依頼で《ワルキューレ》の仕事をしたことがありました。その時の指揮が大野和士さん。ちょうど四半世紀ほど前から、大野さんとの《ワルキューレ》のご縁が始まっていたかと思うと、不思議な気持ちになりますね」

その後、多くの方がご存知のように、音楽界の巨匠である飯守泰次郎先生と城谷さんの特別な歳月が始まります。2000年9月から4年がかりで上演された「東京シティ・フィルハーモニック オーケストラル・オペラ『ニーベルングの指環』」全公演に副指揮者として携わったことが、城谷さんの運命を決定づけました。

「僕がラッキーだったのは、東京シティ・フィルの《リング》と、2001年から新国立劇場でスタートした『トーキョーリング』の両方に携わることが出来たということ。秋に飯守先生のもとで学んだことをそのまま、次の年の春に『トーキョーリング』での同演目に活かすことが出来たんです。それを4年間続けていくことが出来たというのは、僕の人生にとっての貴重な財産になったと感謝しています。ただ当時は毎日必死でしたから、感謝する暇もない位でしたが(笑)」

重ねた日々の中に飯守先生との印象的なエピソードがあると、城谷さんは語ります。

「《ニーベルングの指環》1作目の《ラインの黄金》の冒頭は、3人のラインの乙女たちのアンサンブルで始まります。飯守先生のお稽古の前に、僕が彼女たちのアンサンブル稽古を担当して、それからマエストロ稽古に入ったのですが、その時に『(アンサンブルが)合いすぎます!!』って叱られてしまったんです。リズムも音程も言葉も揃っていて何が悪いんだと思いましたが、先生はその後も『これだから日本のソルフェージュ教育は!』と憮然とされていました。最初はそんな具合だったので、僕の何がよくなかったのか、何が足りなかったのかがわからずにいたんです」

今となっては想像もつかないエピソードを明かしてくださる城谷さん。現在の城谷さんの基盤を築いたかけがえのない4年間であったことが、この小さなエピソードからも浮かび上がります。

「飯守泰次郎先生の指揮で衝撃を受けたのは、ワーグナーが〈横の音楽〉であること。揺れがあったり、うねりがあったりするのは当たり前で、音楽に内包された圧倒的なエネルギーを傍で感じる4年間でした。飯守先生の信念ややり方をいちばん傍でがっつり4年間かけて学び続けられたこと、そしてそのあとの『トーキョーリング』でフィードバックを積み重ねていけるというサイクルを積み重ねていけたことが、その後の自分にとって絶対的な自信となりましたね」


ワーグナーを室内楽的なアンサンブルで ── ”「わ」の会”の誕生

城谷さんを語る上で切り離せないのが、”「わ」の会”の存在。城谷さんが音楽監督、新国立劇場でコレペティトールとして活躍される木下志寿子さんがピアニストをつとめられ、先日の《ワルキューレ》で見事なブリュンヒルデを演じられた池田香織さんをはじめ、日本を代表するワーグナー歌手の方々が集まる”「わ」の会”。音楽界でも注目を集めています。オペラ・エクスプレスでも、数年に渡ってその歩みの取材を続けております。

(以上、執筆:平岡拓也)

時間をかけて大きく育っていった”「わ」の会”。そのはじまりは、どのようなものだったのでしょうか。

「初めて、”「わ」の会”として公演をおこなったのは2013年のHakuju Hallでのこと。その前身として、サントリーホールでの二期会WEEKで『ワーグナーからの挑戦状』と銘打って、演奏会を開きました。けれど、もともとのスタートは、更にその前にさかのぼります。

あれは2009年だったかな、日本ワーグナー協会の恒例の忘年会の席で、理事長でいらした三宅幸夫先生に僕の想いを話したことがあったんです。『モーツァルトも、プッチーニも、ドニゼッティも、ピアノ付きでの演奏会がたくさん開催されている。それと同じようなことを、ワーグナーでやれないだろうか』って。

ワーグナーは、休憩も含むとひとつの作品の上演に5〜6時間かかります。世界観も複雑で、音楽も長大で取っつきにくいっていうイメージが否めない。それを2時間くらいに抜粋して、エッセンスを抽出して、室内楽的な感覚でやれたらいいなと思っているんです……ということを、三宅先生にお話したところ、それを叶えていただけることになったんです。2011年3月の日本ワーグナー協会の例会で《ジークフリート》第1幕を演奏させていただけることになりました。

その時の布陣は、僕が指揮で、男声歌手が3人、そしてピアノは木下さん。まさに、いまの”「わ」の会”の原型となる形ですね。けれど例会が予定されていたのは、2011年3月20日。そう、東日本大震災に見舞われた直後に予定されていたんです。地震が起きた時には、ちょうど《ジークフリート》の第1幕第2場を練習していたところでした。例会は同年8月に延期開催されましたが、地震が起きたあの瞬間のことは生涯忘れることがないと思います。

その後、初期メンバーとなる池田香織さん、大塚博章さん、片寄純也さん、大沼徹さん、吉田真さんが集まり、”「わ」の会”がスタートしました。《リング》を通じて身につけた自分の知見をフィードバックしていきたい……という僕の願いに共鳴して、ワーグナーを研鑽していきたいという志を持った芸術家が集まったことで生まれた、学びの場ですね。その後、友清崇さんも加わり、現在の”「わ」の会”となりました。

発足当時は研鑽の場としての性格が色濃い”「わ」の会”でしたが、いまやメンバーは日本のワーグナー公演に欠かせない歌手たちとなりました。本当に、みんな素晴らしいワーグナー歌手となりましたよね。それぞれの成長に、わずかながらでも貢献出来たことを嬉しく思います」

筆者も”「わ」の会”の公演を数年に渡って拝聴してきましたが、ワーグナーを愛する芸術家が集まり、本気でぶつかり合うことで生まれる熱気の渦に、幾度も胸が焦がれるように熱くなったことを思い返します。

「初期メンバーが育ってくると、次の世代を育成していきたいという気持ちも生まれてきました。どうやったら実現出来るだろうかと考え、昨年の”「わ」の会”公演では《ラインの黄金》冒頭に出演する、ラインの乙女たちを公募しました。

集まってくださったお三方はとても素晴らしく、ワーグナーのスタイルを貪欲に吸収し、マスターしてくださいました。いい形でワーグナー経験を積んでいただけたのではないかなと思っています。今後もどのような形になるかはわかりませんが、次の世代を担う方々とご一緒に、ワーグナーのスタイルを学んでいく場をつくっていきたいと願っています」


ワーグナーのスタイル、そして言葉

オペラ歌唱にあたっては、作曲家ごとのスタイルが確かに存在します。城谷さんが考える「ワーグナーのスタイル」とは、どのようなものでしょうか。

「まずワーグナーを歌う歌手には、スタミナや、ある程度の声の重さなどが、必要条件として求められますね。大前提となる条件です。これを備えた上で大事になってくるのが、ワーグナーに即したドイツ語のさばき方です。

たとえば、イタリア・オペラでは高い音域に上がる時に若干のポルタメントや、音を上げる前に子音をつけるテクニックなどが必要とされる場面もありますよね。けれど、ワーグナーの場合には、それと反対の要素が求められます。つまり、音はずり上げない。そして、子音は音程が上がった先の音で発する、などです。

あとは、ワーグナーならではの特徴として『ライトモティーフをいかに表現するか』ということも挙げられます。ライトモティーフは、剣などの即物的なモノを表現することもあれば、理念や抽象的な概念を表すこともあります。それをどのように扱うか、ということを共有していくことも、音楽づくりをサポートしていく側にとっては、とても大事な行程です。

また、他のオペラ作曲家とワーグナーが大きく異なる点として、『ワーグナー自身が台本を執筆していること』を挙げられます。これゆえに、僕はワーグナーに対して全幅の信頼を寄せているのです。どの言葉も責任を持って書かれており、どの言葉にも責任を持って音楽が付けられているんですよね。全て、ワーグナーの真意が反映されているんです」

ワーグナーが書いた言葉と音楽に、ワーグナーの真意が全て反映されている───。これを理解した時に、現在の城谷さんを鍛え上げることになった、ある決意が生まれました。

「2009年に『トーキョーリング』を再演するとなった時、自分の中に未消化の部分があることに気がついたんです。部分的に理解できていない箇所が散見されて、それがとても気持ち悪かった。これはどうしてだろうと考えた時に、『完全にテクストを理解していないからだ』と気付いたんです。

指揮者って、棒を振っていれば成立してしまうところもあるんですが、それは甘えなんですよね。だって、歌手の方はみんな暗譜して、さらに舞台の上で演技までするんですよ。専門分野が違うからといって、自分はこれまで甘えていたのではないか、と深く反省しました。

言葉まで全部覚えるようにする今のスタイルに切り替えたのは、2010年の《トリスタンとイゾルデ》から。最初は作品を体に入れるまでに、3〜4ヶ月はかかりました。けれど、言葉から入ることによって、歌手の方と対等になれるんですよ。歌手の方と対話をする上でも、揺るぎない自信に繋がりました。初役の方が不安になっている時に、伴走していくことも出来ました。

このやり方に切り替えて、今年で11年目。その間に、ワーグナーの10作品を網羅しました。なので、先日の《ワルキューレ》でも、絶対的な自信をもって臨むことが出来たんです。積み重ねてきた歳月があったからこそ、怖いという気持ちは全くなく、ジャンプインすることが出来ました」


劇場は、人生の糧となる場所

圧倒的な存在感を示された、先日の《ワルキューレ》。本番に向けては、どのような準備を重ねられたのでしょうか。

「特別なことは、なにもしていません。僕にとっては、いつもどおりのことをしただけなんです。普段はプロンプターとして入っているので、歌手それぞれの歌の癖は染み込んでいるんですよ。この人はこんな歌い回しだなとか、あの人にはここで伸びる癖があるなとか、そういう個性を理解しています。理解した上で、その人が一番歌いやすいようにサポートしていくんです。劇場で働く上で常に心がけている、ごく普通のことですよ」

「ごく普通のこと」──その言葉の裏に、どれほど血のにじむような努力の積み重ねがあったのでしょうか。城谷さんは、ただ静かに微笑んでいます。

「劇場では、様々なことが起こります。その度に心を揺らしていたら、自分の身がもたなくなってしまいます。色んなことが起こるのは、当たり前。だから劇場を出たら、劇場の中のことは持ち帰らないようにしています。

心身のリラックスには、エッセンシャルオイルを使っています。ファビオ・ルイージも香水を作っていますが、音楽家には香りに癒やされる人が多いんじゃないかな。ワーグナーも特別な香水がないと、創作が出来なかったといいますものね。個人的に好きな香りはペパーミントです。書斎にはシダーウッドなど、シーンに合わせて使い分けています」

「劇場は、生きる糧を与えてくれる場所。お客様にとっても、働く我々にとっても、人生の象徴です。リッカルド・ムーティが『音楽家は職業ではなく、使命だ』と言っていましたが、その言葉に深く共感しますね。劇場が与えてくれる時間は、決して不要不急ではなく、人生の糧そのものです」

城谷さんは、穏やかに微笑みました。「ごく普通のこと」を積み重ねる日常の場所でもあり、人生のエッセンスを凝縮した場でもある、劇場という不思議な空間。城谷さんは今日も、劇場が生み出す人生の糧───オペラ公演を支え続けます。

(記事:藤野沙優、写真:長澤直子)

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