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錦織健テノールリサイタル「日本の歌だけを歌う」に寄せて──特別インタビュー

錦織健テノールリサイタル「日本の歌だけを歌う」に寄せて──特別インタビュー

2021年5月17日(月)、東京オペラシティ コンサートホールでテノールリサイタル「日本の歌だけを歌う」を控えておいでの錦織健さん。実はこのリサイタル、昨年の5月20日(水)に開催される予定でした。

「さくらさくら」「荒城の月」といったクラシカルな歌曲から、さだまさし「奇跡〜大きな愛のように〜」、いきものがかり「風が吹いている」など現代のアーティストの楽曲まで、色彩豊かなプログラムが組まれています。そのプログラムの中でも大きな注目を集めているのが、溝上日出夫 作曲/なかにし礼 作詩、独唱とピアノのための組曲「遺言歌」です。

リサイタルの延期から一年。「遺言歌」をはじめとしたそれぞれの作品に、どのような想いを持って温め、育んでいらしたか、お話を伺いました。


「ケン坊、お前にやるよ、この曲は」

錦織さんが長年に渡って、レパートリーとして温め続けてきた「遺言歌」。2020年5月のリサイタルを構想した時から、この組曲をプログラムの中心に据えることを決めていました。しかし昨年末のなかにし礼さんのご訃報に際し、逡巡したと錦織さんは打ち明けます。

「『日本の歌だけを歌う』というリサイタルを企画するにあたり、『遺言歌』をプログラムの中心に据えようというのは、昨年の開催予定だった時からの構想です。けれど、コロナ下でいったん中止にせざるを得なくなり……そんな時になかにし礼先生のご訃報が届きました。今年、延期開催するにあたって、この『遺言歌』を歌うべきかどうか深く悩みました。どうしようかなと悩んで……。でも、迷った末に初志貫徹することを選びました。

この作品と出会ったのはまだ若い頃。その時から大事にレパートリーとして育ててきました。『遺言歌』は全6章の組曲で、ひとりの男が死に臨んで、その心情をセンチメンタルに歌ったフィクションの物語。なかにし礼先生がまだ30代の頃に書かれたそのテキストは、感情をダイナミックに表したもので、非常にオペラチックなんです。だから、表現のレンジを幅広く保っていく必要があります。

なかにし礼先生が鎌倉芸術館の初代館長を務めてらした時にも、この『遺言歌』を歌ったことがあるんです。先生はいつも僕を『ケン坊』って呼んでくださっていたんですけれど、『ケン坊、お前にやるよ、この歌は』っておっしゃってくださったんです。そこから私にとって、『遺言歌』はより特別な作品となりましたね。

それからもいろんなところで歌い継いでいたのですが、ある時、主催者側から文句が出たんです。〈死〉をテーマとして歌っていることに、『縁起でもない』『あんまり死ぬって言わないで』とクレームを受けてしまって……。それでしばらくの間、封印していました。

けれど、この5年位の間に随分と社会が変わってきたと感じるようになったんです。日本人にとっては、自分が死んだ後のことを考えるのはタブーだったけれど、『終活』なんて言葉も流行るようになってきました。社会が大人になってきたんだな、成熟してきたんだなと思います。なので今このタイミングで、もう一度『遺言歌』を取り上げようと決意したんです」


酒の瓶を、ドン!と置かれて

なかにし礼さんからのバトンを手渡された錦織さん。「遺言歌」については、作曲家の溝口日出夫さんとの思い出深いエピソードもあると、打ち明けます。

「以前『ロック to バロック』というコンサートを開催した時に、プログラムに『遺言歌』を入れたことがありました。その時には軽く芝居をつけて表情をつけて、モノオペラのように歌いました。作曲家の溝上日出夫先生もいらしてくださることになっていたので、気合いが入っていました。

その公演は何日間かのツアー公演でした。で、初日はとても調子がよかったんです。そして2日目には溝上先生がいらしてくださるというので、張り切ったのですが……。気負いすぎてしまって、散々な出来だったんです。

終演後、溝上先生は楽屋にいらしてくださいました。そして、にこやかな表情で酒の瓶を一本、ドン!と置いてくださって。そのまま静かに帰っていかれました。溝上先生にお会いしたのはそれが、最初で最後でした。いまも悔やむ気持ちが残ります」

ドン!と力強く置かれた酒瓶は、溝上さんからの無言の温かい励ましだったのでしょうか。遠い日を懐かしむような目をした錦織さんは、柔らかな微笑みを浮かべて続けます。

「そして実は、僕の師匠である田口興輔先生も、この組曲を歌われておいでなんです。そういう意味でも、この作品との間に深い縁を感じています」

幾重にもかさなる不思議な縁の糸が織られる中、「遺言歌」を温め続けてこられた錦織さん。静かな言葉からは、作品と共に歩んできた時間が熟成した、内なる豊かさを感じられました。


日本歌曲はリートのように

今回のテーマとなる「日本の歌」。錦織さんはこれまでも、日本歌曲をはじめ、日本の歌を歌い継いでこられました。2011年にリリースされたアルバム「錦織健 日本をうたう〜故郷(ふるさと)〜」では全編に渡って、懐かしい情景の浮かぶ日本歌曲を取り上げておいでです。

「僕らの時代は日本歌曲を我流で学んできたんです。今は、大学でも日本歌曲の授業があるでしょう? でも、僕らの時代にはそれがなかった。だから、今も人それぞれの流派があるんです。

僕自身は『日本歌曲はリートのように』と考えています。もちろん、全てがリートと同じというわけではありませんよ。特に母音は、日本語の母音であるべきだと思います。難しいとされる〈う〉の母音も、西洋の深い ”u “ ではなく、きちんと日本語の〈う〉であるべきだと考えています。

以前、畑中良輔先生が主催された講座に参加した時にも、『〈う〉の母音は、これからはもっと浅くていいんじゃないか』というご提言があったことを記憶しています。という発言の背景には、西洋的な深い “u” でアプローチしていた時代があったのだな、と。でも、現代では〈う〉というアプローチを、皆さんなさっておいでですよね。こうしたアプローチも、時代と共に変遷していくのだなあと感じます。

フレージングも、すーっと減衰していくディミヌエンドを大事にしなくちゃいけないと考えています。たとえば、越谷達之助作曲の『初恋』でも、中間部で音を滑らかに転がして歌い上げる箇所がありますよね。あの箇所を減衰しないままブチッと切るなど、そんな無粋なことをしてはいけないんです。フレージングは作らないといけない。これは守らなきゃいけないことです。

また、日本歌曲では低音、中間音も、きちんと響かせないといけないですよね。こうした音域へのアプローチにもまた、リートを歌い、そして語る時のような配慮が求められます」


作品に向き合う時には、客観的な役作りを基に

今回の「日本の歌だけを歌う」では、第一部に柔らかな情景を歌った日本歌曲が並べられています。こうした懐かしい情景を歌う時、錦織さんはどのような表現を心がけていらっしゃるのでしょうか。

「今回の日本歌曲を歌うにあたっては、詩の内容に寄り添って客観的な役作りを心がけています。『この道』のように、幸せな子供時代が描かれた曲にはそのように。『からたちの花』のように、そうでない子供時代が描かれた曲にはそのように。詩から導き出される役作りを心がけていますね。

僕は通常、オペラの役作りをする時には、台本を読み込んだ後に外見をイメージすることから入ります。台本を読み込んでいると、『この人はトム・ハンクスのように』など、役者みたいに喋り方やビジュアルが浮かんでくるんです。自然と、イメージキャラクターが誰かというのが出てくるんですね。そのイメージに添って、歩き方なども変わってきます。

以前にラジオ『錦織健のしゃべくりオペラハウス』のパーソナリティをつとめていた時にも、『これは大滝秀治さんのイメージで』とか、『大竹しのぶさんのイメージで』など、具体的に考えながらやっていました。そういう過程がとても楽しいんですよね。

『遺言歌』は、誰のイメージかって? そうですね……しいてあげるなら、ブルース・ウィリスみたいな、ちょっとやけくそな感じでしょうか。この作品の主人公は、人生があんまりうまくいかなかった人間かな、って感じているんです。だから、輝かしいイメージの強いジョージ・クルーニーではないよね、とは思います(笑)。

でも『遺言歌』に関しては、何よりも〈語り部〉としてのイメージを重視していきたいですね。それが、今回大事にしていきたいことなんです」


シャウトが要らない歌なんて、ない

「僕が大事に歌い継いでいる曲の中に沖縄戦の悲劇にまつわる『さとうきび畑』もありますが、今回はあえて入れなかったんです。第一部にはベトナム戦争にまつわる『死んだ男の残したものは』も入っているので、考えた末に取りやめました。

武満徹さんの『死んだ男の残したものは』では、子供の死体は足がねじれ、兵隊たちはみんな何も残せなかったと語られます。今は遠い記録になってしまったかもしれないけれど、あの時期、みんながつらい思いをしたベトナム戦争があったのだということを、伝え続けていきたいと願います。

この歌は、言葉を変えて、何コーラスも同じメロディを繰り返すけれど、朗々と歌い上げていくというのは、何かが違うんですよね。美声で歌い上げていくだけではなく、シャウトする部分も必要だと考えています。むしろ、シャウトが要らない歌なんてないですよね。

オペラでも19世紀以降になっていくと、綺麗なラインだけでは伝えきれない思いが溢れてくるようになります。宗教曲はまた違うけれど、綺麗なラインを守って、そこからはずれないようにと守り続けているだけでは、辿り着けない表現があるんです。

学生時代から僕が大好きなのは、ペーター・シュライヤー。僕の周囲では美声のフリッツ・ヴンダリヒが圧倒的に人気があって、シュライヤーが好きという僕は少数派でした。でも僕は、シュライヤーの〈語り〉の要素を大事にした歌が大好きでした。彼が歌うシューベルトのリートでは表現として、あえて喉の声を使っている箇所もあるんですよね。そういう技術の使い分けが巧みだなあと感服します。そういえば『シュライヤー』って、ドイツ語で『叫び』って意味ですものね(笑)。

僕はコンサートの時、いつも最後にQUEENの曲を歌っています。QUEENの曲はやはりワイルドなところでダイナミックに息を流していく必要がありますよね。シャウトの要素は、日本歌曲だから必要ないってことはないんですよ。クラシカルな『さくらさくら』であっても、様々な可能性があります」


ふたつの「調整力」

1986年のデビューから、今年で35周年を迎えられる錦織さん。常に第一線に在り続ける錦織さんは、これまで様々な挑戦にいどまれてきました。挑戦しつづけるその姿勢は、コンサートの曲数にもあらわれています。

「一回のコンサートでは、だいたい23〜4曲歌うんです。すごく多いですよね。なんでこんなに多いかっていうと、僕なりのケジメがあるからなんです。

歌っていると、2年か3年に1回体調が悪くてどうしようもできない時が巡ってきます。そんな時には思いきって、その時のありのままの自分を聴いてもらうことにしているんです。調子のいい時は、まだまだ歌えるぞ!となるけれど、そうでない時には『これだけボロボロになりました、どうか許してください』という気持ちで、舞台に臨みます。

どんな時でも、その時のありのままの自分をさらけ出すのが、僕なりのケジメ。声楽家にとって喉をやられる風邪は、スポーツ選手の骨折と同じなんです。商売道具が使えないとどうすることもできません。でも、そんな時もありのままの自分で立ち続けます」


錦織さんは穏やかな笑みを浮かべ、強い決意に裏打ちされた覚悟をさらりと口にされました。常に、ありのままの自分でステージに立ち続ける錦織さんを支えているものは何なのでしょうか。

「長年ステージに立ち続けるにあたって、大事にしているのは『調整力』ですね。この『調整力』にも二種類あるんです。ひとつが長い目で見た調整力。そしてもうひとつは、瞬間的な調整力です。

本番前、ホールでリハーサルを行っていても、実際にお客様が入って本番を迎えると、響きが全く変わってしまうんですよね。そんな時に必要となるのが、瞬間的な調整力です。瞬時にホールの響きを捉えて、見極めて、適応していく調整力が必要です。

そして僕たちは楽器が肉体なので、体調やバイオリズムによっても影響が出てきます。そんな時に長期的な調整力が必要になってきます。

同じことをやっていると、特定の方向に、方向づけがなされていきますよね。たとえば、高い声ならより高く。細い声ならより細く。でも、同じことをやり続けていると、その方向で固まってしまうのです。レンジの幅が狭いまま、固定されてしまうのです。

だから、時にはあえて反対側のことをやる必要がでてきます。正も負も全てひっくるめて、長いスパンでその調整をしていくことが、とても重要なんですね。

『昔のいい時の録音を聞いて調整をする』という人もいるけど、僕の場合それは絶対だめ。昔とは、体重も変われば気道の状態も変わっているのですよ。体の状態は時間の経過と共に変わっていくのです。今の体に合った調整が必要です。

友人が以前『昔の俺の録音を聴くと、今の俺と似ているけれど、全然違う。今の俺と似ているところがあるなら、それはもともとの素材が自分だからだ。今とは使っている部分が全然違うから、参考にはならない』と言ったことがあるんです。この言葉に、僕も賛同しますね。

シャウトも同じなんです。様々なことを試しながら、反対のことをしながら、中間のちょうどよいところを見出していくことが必要なんです。それはレンジを広げるというよりも、むしろ『保つ』ことにつながるでしょうか。変わり続けなければ、同じ声は出せないのです。

あるスポーツ選手が、『常に同じであるためには、常に変わり続けなければならない』と言っていた記憶があるのですが、それは声楽にも通じると思います。声楽もまた、肉体が楽器という点でスポーツですよね。同じ声を守るために、スポーツは大きな参考になります。

そして、同じ声を守るためには天才型よりも、地道に続けて行く人が向いていますね。コツコツと積み重ねていける人が、長く歌い続けていけます。

僕自身は、デビュー当初に様々なことがあって、考え直そうと決意するきっかけが訪れました。そこから生活スタイルを見直して、今では極端に時間より早めに行動することで有名になったんですよ。血液型もB型なんですけれど、このあいだ、血液診断テストを試してみたらA型って結果が出たんです。人って、変わるものなんです(笑)」

同じ自分で在り続けるために、常に変わり続ける覚悟。そして、瞬時にその場の状況に対応できる技術。この覚悟と技術に支えられたふたつの「調整力」こそが、35年に渡ってトップランナーで在り続ける秘訣なのでしょう。


「どうか、負けないで」

今回のプログラムは三部構成。この構成にあたっては、コロナ下でおこなわれたあるコンサートから大きなヒントを得たと、錦織さんは語ります。

「昨年、集団感染を見事に制圧した栃木県で、対コロナのためのコンサートに出演したんです。ご依頼内容からも、並々ならぬ強い決意を感じました。その時に受けたご依頼が、三部構成のプログラム。換気をまめにするための工夫ですね。すぐに、これはいいぞ……!と思いました。

これは対コロナだけでなく、大きな意味があります。休憩が1回だと、お手洗いが混雑するんです。また、70代、80代の方にとっては、ずっと座ったままだとエコノミークラス症候群のおそれもあり、血栓なども心配になってきます。だから、休憩を2回にした方が、より健康的だと思うのです。

この三部構成の副産物として、プログラムを三色に分けられるという嬉しい効果がありました。今回は、第一部は『さくらさくら』や『この道』、『からたちの花』など、古き良き癒やしの時間としました。第二部の『遺言歌』では死を考える時間を持ち、第三部ではさだまさしさんの『奇跡〜大きな愛のように』や、いきものがかりさんの『風が吹いている』など、希望に満ちた歌で未来へ向かっていく、という構成にしました。

第一部はクラシカルな選曲で、癒やしや柔らかい情感を歌った作品が中心です。でも、そればかりでなく、アクセントを入れたいという気持ちもあった。それが『遺言歌』ですね。

日本歌曲には難解な曲もあれば、さらに凄絶な歌もあります。ただ自分がそういうのを歌うかといったら、ちょっと違うなと感じました。やっぱり、自分は『遺言歌』を大事に歌い継いでいきたいです。

でも、第二部が悲しい終わりなので、希望を感じられる今の歌も入れたいと願いました。それぞれ出来る限りコンパクトにまとめて、感染予防対策もしっかりしています」


最後に、皆様へのメッセージをお預かりいたしました。

「日本の歌は、どのコンサートでも歌い続けてきました。クラシックにあまり興味がなくて、オペラ・アリアだと眠ってしまうような方も、不思議と日本の歌では起きてくださるんですよね。同じ時代を生きる方々に向けて、自信を持って送り出せるプログラムだと、誇りを持っています。

安らぎの思い、直面した死、そして新しい希望へと向かうという三部構成のプログラムでは、『どうか、負けないで』という想いをこめました。今はみんな、本当につらい状態です。だから、『つらいのはわかっているから。だから、どうか心を折らないで。大丈夫だよ』というメッセージを伝えていきたいです。

そして、心の旅路を辿り、気持ちが完結してもらったら嬉しいですね」

そう言って、錦織さんは晴れやかに笑いました。
錦織さんの大きな愛がこめられた、今回の「日本の歌だけを歌う」。リサイタルが開催される風薫る五月が、今から待ち遠しいですね。

記事:藤野沙優
写真:長澤直子


■公演情報

錦織健 テノールリサイタル「日本の歌だけを歌う」
(主催:ジャパン・アーツ)

〈プログラム〉
日本古謡:さくらさくら
滝廉太郎:荒城の月
山田耕筰:この道
山田耕筰:待ちぼうけ
山田耕筰:からたちの花
小林秀雄:落葉松
武満徹:死んだ男の残したものは
武満徹:小さな空
宮沢和史:島唄

溝上日出男作曲/なかにし礼作詩
独唱とピアノのための組曲
「遺言歌」

嘉納昌吉:花〜すべての人の心に花を〜
服部良一:蘇州夜曲
さだまさし:奇跡〜大きな愛のように〜
いきものがかり:風が吹いている
※曲目・曲順は変更になる可能性あり

〈日時〉
2021年5月17日(月)13:30開演(12:50開場/15:30終演予定)

〈会場〉
東京オペラシティ コンサートホール

〈チケット〉
全席指定 ¥5,500(税込) ジャパン・アーツ夢倶楽部会員料金 ¥5,000(税込)
ジャパン・アーツぴあ 0570-00-1212
www.japanarts.co.jp/
東京オペラシティチケットセンター 03-5353-9999
チケットぴあ t.pia.jp 0570-02-9999[Pコード:192-126]
イープラス eplus.jp
ローソンチケット 0570-000-407[Lコード:32229]

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