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年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年6月—新井巌(あらいいわお)

年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年6月—新井巌(あらいいわお)

オペラ暦6

【6月1日】ロシアの民族楽派グリンカ誕生。

●1804年、ロシア国民楽派の始祖と言われているグリンカ(ミハエル・イヴァノヴィチ・-1857)が、ノヴォスパススコエで生まれました。当初は官界に入りましたが、その後イタリアを訪れ、ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)、ベッリーニ(ヴィチェンツィオ・1801—35)などとも知己を得て、オペラに関心を持ち、のちの名作『ルスランとリュドミーラ』に結実したのです。
●1936年、ドニゼッティのファルサ『夜の呼び鈴』が、ナポリのテアトロ・ヌーヴォで初演されています。
●戦後間もない1946年、オーストリアの伝説的なテノール歌手スレザーク(レオ・1873-)が、テーゲルンゼーで亡くなっています。彼はマーラー(グスタフ・1860−1911)に招かれてウィーン国立歌劇場(当時は宮廷劇場)のメンバーとなり、のちにMETでも活躍しました。


【6月2日】ベルクの未完の傑作『ルル』初演。

●1863年、19世紀後半から20世紀前半に活躍したオーストリアの指揮者ワインガルトナー(フェーリクス・1942)は、現在のクロアチアのザタルで生まれています。マーラー(グスタフ・1860−1911)と同じく作曲も良くし、1908年マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場の音楽監督に就任しています。
●1899年、アメリカのソプラノ歌手トローベル(ヘレン・-1972)が、セントルイスで生まれています。当初METで活躍し、貴重なワーグナー歌手として高い評価を受けますが、戦後は支配人のビングと衝突し、同劇場を離れて活躍しました。52年に来日もしています。
●1911年、イタリアのヴェルズモ派の作曲家マスカーニ(ピエトロ・1863−1945)の3幕のオペラ『イザボー』が、ベノスアイレスのコリゼオ劇場で、作曲者自身の指揮で初演されています。
●1937年、オーストリアの20世紀を代表する作曲家ベルク(アルバン・1885-1935)『ルル(2幕版)』が、チューリヒ市立劇場で初演されています。ヴェーデキント(フランク・1864−1918)の2つの戯曲をもとに作曲者自身が台本を執筆。未完のまま、この日初演されました。その後3幕版として、1979年にパリ・オペラ座で初演されています。
●2004年、ブルガリアのバス歌手ギャウロフ(ニコライ・1929-)が、妻であるソプラノ歌手フレーニ(ミレッラ・1935-)の故郷モデナで亡くなっています。戦後最高のバス歌手としての名をほしいままにし、とくにボリス・ゴドゥノフは当たり役。日本へも度々来日していました。
●2010年、イタリアのバリトン歌手ダディ(ジュゼッペ・1916-)が、ローマの自宅で亡くなっています。第二次世界大戦中はレジスタンスの闘士として活躍し、戦後はウィーン国立歌劇場をはじめ、多くのオペラハウスで豊かな声量と秀れた演技力で人気を誇っていました。50年以上の現役生活を送っての生涯でした。イタリア歌劇団の一員としても来日を果たしています。


【6月3日】気が短かったビゼーの早すぎる死。

●1875年、『カルメン』の作曲家ビゼー(ジョルジュ・1838-)が、パリ近郊で亡く
なっています。『カルメン』初演のわずか3ヶ月後、急性リューマチがもとで心臓発作を起こして亡くなったといいます。このオペラが大成功を収めたのは、作曲者が亡くなってから4ヶ月後のウィーン公演でした
●そのウィーンで24年後の1899年のこの日に肺炎のため亡くなったのが、ワルツ王シュトラウス2世(ヨハン・1825-)です。不朽の名作『こうもり』の作曲者は、盛大な葬儀の後に、中央墓地に葬られました。
●年は違えど同じ日に亡くなった二人にはある共通点がありました。それぞれの代表作である『カルメン』(原作はメリメ)は、台本作者としてメイヤック(アンリ・1831—97)とアレヴィ(リュドヴィク・1834−1908)が関わり、これに対して『こうもり』は、この二人の戯曲が原作であるという違いはありますが。
●1904年、アメリカのテノール歌手ピアース(ジャン・-1984)が、ニューヨークで、生まれています。METで活躍し、トスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)からも信頼が厚かったピアースは、彼の指揮の多くの演奏に参加。58年には来日も果たしています。
●1935年、ドイツの演出家ハンペ(ミヒャエル・)が、ハイデルベルクで生まれています。新国立劇場で上演される『魔笛』は彼の演出によるもの。日本にも度々訪れ、さまざまな作品を演出しています。
●1922年、ロシア出身の作曲家ストラヴィンスキー(イーゴル・1882−1971)のオペラ『マヴラ』が、パリのオペラ座で初演。プーシキンの原作によるもので、小編成の室内オペラ。
●1947年、フランスの作曲家プーランク(フランシス・1899−1963)『ティレジアスの乳房』が、パリのオペラ・コミック座で初演。アポリネールの戯曲を作曲者自身が台本を書いた、いわば現代オペラにおけるファルサです。


【6月4日】名歌手2人の誕生日。

●1811年、ドイツ・ロマン派の作曲家ヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-1826)の24歳の時の作品『アブ・ハッサン』が、ミュンヘンの宮廷劇場で初演。『千夜一夜物語』に材をとった1幕もの。
●1872年、ポーランドの作曲家モニュシュコ(スタニフラフ・1819-)が、ワルシャワで亡くなっています。ショパンと並ぶポーランド民族音楽の推進者でした。『ハルカ』『伯爵夫人』などが代表作。
●1910年、ウィーンで活躍したテノール歌手デルモータ(アントン・-1989)が、スロヴェニアのクロバで生まれています。とくにモーツァルトのテノール役には定評がありました。
●1919年、アメリカのバリトン歌手メリル(ロバート・-2004)が、ニューヨークで生まれています。METでは絶大な人気を誇っていました。53年にソプラノ歌手のピータース(ロバータ・1930-)と結婚し、おしどり夫婦としても有名でした。


【6月5日】ドイツ・オペラの創始者ヴェーバー、ロンドンで客死。

●1816年、イタリアの作曲家パイジェッロ(ジョヴァンニ・1740-)が、妻の死の後健康を害し、不遇のうちにナポリで亡くなっています。かつては18世紀後半に最も成功し、影響力のあった作曲家でした。『セビリアの理髪師』もロッシーニ以前は彼の代表作でもありました。2016年は、没後200年の節目の年。(誕生日の5月9日の項参照)
●1826年、『魔弾の射手』で有名なドイツの作曲家ヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-)が、ロンドンで亡くなっています。彼の遺作となった『オベロン』をロンドンで初演した直後に、同地で客死したのです。18年後、彼の強い影響を受けたワーグナーによって、遺骸はドレスデンに改葬されました。(『オベロン』初演の4月12日の項参照)
●1843年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『マリーア・ディ・ロアン』が、ウィーンのポルタ・カリンツィア劇場で初演。ロアン伯爵夫人マリーアを主人公にフランス王室を舞台とした3幕のオペラ。
●1834年、チェコ(ボヘミア)のスプラノ歌手ストルツ(テレーザ・-1902)が、コステレッツで生まれています。『ドン・カルロ』のイタリア初演で歌ってヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901に気に入られ、以後、彼の老いらくの恋の相手となります。妻のジュゼッピーナ(1815-97)はそれによって苦悩しますが、のちに親しくなり、彼女の死後はヴェルディの良き伴侶となったのです。
●1944年、イタリアの作曲家ザンドナーイ(リッカルド・1883-)が、ペーザロで亡くなっています。1940年からペーザロのロッシーニ音楽院の校長を務めていました。(誕生日の5月30日の項参照)
●1967年、ベルギー生まれのフランスの指揮者クリュイタンス(アンドレ・1905-)が、ヌイイ・シュルセーヌで亡くなっています。戦後、演出家ヴィーランド・ワーグナー(1917-1966)から招かれ、たびたびバイロイト音楽祭に出演(フランス人で最初にバイロイト音楽祭に招かれた指揮者)。当時、病魔に冒されていたヴィーランドの恋人だったアニヤ・シリヤ(1940-)と恋に落ちますが、彼の死後わずか8ヶ月で自分自身も癌で亡くなります。シリアは、その後、彼の家と墓地を買い取り、現在もそこに住み続けています。(シリアの誕生日4月17日の項参照))


【6月6日】偉大すぎるワーグナーを父に持つと・・・ジークフリート誕生。

●1606年、フランスの劇作家で詩人のコルネイユ(ピエール・-1684)が、ルーアンで生まれています。ラシーヌ(ジャン・バティスト・1639-99)とともにフランス古典劇の完成者。オペラ化された作品も、『ル・シッド』『ポリュクト』『フラーヴィオ』などがあります。
●1869年、大ワーグナーの長男ワーグナー(ジークフリート・-1930)が、トループシュンで生まれています。彼もまた作曲家の才能にも恵まれたのですが、あまりにも偉大な父をしのぐことはできませんでした。
●1875年、ドイツの詩人・小説家のマン(トーマス・-1955)が、リューベックで生まれています。彼の代表作の1つ『ヴェニスに死す』は、ブリテンによってオペラ化されています。
●1924年、オーストリアの作曲家シェーベルク(アーノルト・1874-1951)『期待』が、プラハの新ドイツ劇場で初演。彼のオペラ処女作で、無調時代を代表する作品です。
●1928年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『エジプトのヘレナ』が、ドレスデン国立歌劇場で初演。劇作家ホフマンスタール(フーゴ・フォン・1874-1929)の台本で、トロイア戦争を舞台に繰り広げられる2幕のオペラ。
●1976年、フランスのバリトン歌手パンゼラ(シャルル・1896-)が、パリで亡くなっています。オペラではペレアスを得意とし、またフランス歌曲の歌唱には定評がありました。


【6月7日】ブリテンの傑作『ピーター・グライムス』初演。

●1986年、オーストリアの作曲家ヴォルフ(フーゴー・1860—1903)の唯一のオペラ『お代官様』(4幕)が、マンハイムで初演。アラルコン(ペドロ・アントニオ・デ・1833-91)の短編小説『三角帽子』に基づくオペラ。
●1897年、ハンガリー出身のアメリカの指揮者セル(ジョージ・-1970)が、ブタペストで生まれています。シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)に認められ、ドイツ各地の歌劇場の指揮者を歴任。クリーヴランド交響楽団を育て上げた完璧主義者で、オペラでは戦後しばしばザルツブルク音楽祭にも出演しています。
●1945年、ロシアの作曲家プロコフィエフ(セルゲイ・1891−1953)『戦争と平和』が、演奏会形式によってモスクワで初演。いうまでもなくトルストイ(レフ・1828-1910)の同名の長編小説を原作としたもの。その後改訂が重ねられ、最終版は彼の死後1959年ボリショイ劇場で初演されました。
●1945年、20世紀を代表するイギリスの作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)の代表作『ピーター・グライムス』が、ロンドンのサドラーズ・ウエルズ劇場で初演されています。2年半にわたるアメリカ滞在の際に、指揮者のクーセヴィツキー(セルゲイ・1874-1951)からオペラを書くように勧められて書いたのがこの作品でした。


【6月8日】“今日のニュース”にはならないヒンデミットのオペラ。

●1671年、イタリアの作曲家アルビノーニ(トマゾ・−1751)が、ヴェネツィアで生まれています。昨今では、すっかり「アルビノーニのアダージョ」(贋作)で有名になってしまいましたが、裕福な家庭で育ったために自由な立場で創作活動に打ち込めるという幸せな作曲家でした。オペラ作品ではメタスタージオ台本による『見捨てられたディドーネ』が有名。
●1929年、20世紀ドイツを代表する作曲家ヒンデミッド(パウル・1895-1963)の『今日のニュース』が、ベルリンのクロル歌劇場で初演。時事ネタを扱った<ツイート・オーパー>といったジャンルを確立した作品でもあります。


【6月9日】日本のオペラの創始者・山田耕筰誕生。

●1810年、『ウインザーの陽気な女房たち』で有名なドイツの作曲家ニコライ(オットー・-1849)が、ケーニヒスベルクで生まれています。
●1886年、「からたちの花」などの歌曲や童謡で有名な山田耕筰(-1965)が、東京で生まれています。彼はドイツに留学し、シュトラウス(リヒャルト・1864-1949に教えを請いますが、あまりの高額な授業料だったので断念。帰国後には日本楽劇協会を創設して、日本のオペラの先駆けとなりました。オペラの代表作としては『黒船』(初演時は『夜明け』)があります。
●1939年、ルーマニアの名ソプラノ・コトルバス(イリャーナ)が、ガラツィで生まれています。とくにミミ役で売り出し、リリカルな声質で多くのレパートリーを演じています。
●1951年、オーストリアの古典派の作曲家ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・1732−1809)が作曲した『哲学者の魂(オルフェオとエウリディーチェ)』が再発見されて、フィレンツェのペルゴラ劇場で初演されました。
●1966年、イギリスを代表する作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)の『燃える炉』が、オールドバラのオーフォード教会で初演されています。


【6月10日】今日は『トリスタンとイゾルデ』初演から数えて150何年目。

●1865年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)畢生の名作『トリスタンとイゾルデ』が、ミュンヘン宮廷劇場で初演。すでに、初演以来150年以上たっていますが、その人気は衰えることを知りません。この作品の啓示は、当時不倫関係にあったとされるヴェーゼンドルク(マティルデ・1828-1902)との愛によって結実されたものと言われています。
●1918年、イタリアの作曲家・台本作者ボーイト(アッリゴ・1842-)が、ミラノで亡くなっています。『メフィストーフェレ』などの自作オペラもさることながら、晩年のヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の創作意欲を掻き立たせた台本作者としての功績は不滅のものと言えるでしょう。2018年には没後100年になります。
●1934年、ディーリアス(フレデリック・1862-)、パリ近郊で亡くなっています。オペラ作品としては『村のロメオとジュリエット』が有名ですが、他にも様々な音楽手法を使ったオペラを創作しています。とくに指揮者ビーチャム(トーマス・1879-1961)との親交によって、ディーリアス音楽祭が開かれるなど、高い評価を得て生涯を終えました。
●1968年、イギリスの作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)『放蕩息子』が、オールドバラのオーフォード教会で初演されています。


【6月11日】スメタナの念願かなった劇場で初演。

●1881年、ボヘミアのスメタナ(ベドルジフ・1824-84)の愛国的なオペラ『リプッシュ』が、プラハ国民劇場のこけら落とし公演として初演されています。長くハプスグルク家の支配下にあったボヘミアですが、はじめてチェコの首都に自分たちのオペラ劇場を持つという40年来の願望が果たされたのでした。しかし、わずか2ヶ月後の8月12日に火事で焼失し、再建にはさらに2年後まで待たなければなりませんでした。
●1913年、アメリカのソプラノ歌手スティーヴンス(リゼ・-2013)が、ニューヨークで生まれています。映画『カーネギー・ホール』にもデリラ役で出演していました。あと3ヶ月ほどで100歳になる直前に亡くなっています。
●1921年、フランスの作曲家オネゲル(アルチュール・1892−1955)『ダヴィデ王』が、メジュールで初演されています。これはオペラというよりも劇的詩編ともいうべきもので、その後演奏会用に書き直されています。
●1955年、大阪弁が生かされた1幕のオペラ、大栗裕(1918-82)の『赤い陣羽織』が、関西歌劇団によって大阪で初演されています。原作はスペインの作家アラルコン(ペドロ・アントニオ・デ・1833-91)の『三角帽子』で、木下順二の戯曲を台本にしたもの。


【6月12日】オペラ化されたパレストリーナ

●1829年、イタリアの作曲家スポンティーニ(ガスパーレ・1774-1851)『アニェーゼ・ディ・ホーエンシュタウフェン』が、ベルリン王立歌劇場で初演。イタリアではあまり目が出ず、パリで活躍し、またフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の招きでプロイセンでも活躍しますが、当時ヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-1826)の対立などもあり、あまり居心地のいい場所ではなかったようです。
●1917年、ドイツの作曲家・指揮者プフィッツナー(ハンス・1869-1949)の代表作『パレストリーナ』が、ミュンヘンで初演されています。大作曲家パレストリーナ(1525−94)をモデルに、彼の作品が論議された1562年の宗教会議を題材としたもの。


【6月13日】ワーグナーの庇護者ルートヴィヒ2世、謎の死。

●1855年、イタリアの大作曲家ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『シチリア島の夕べの祈り』が、パリのオペラ座で初演されています。1282年シチリア島のパレルモで起きたフランス支配への暴動を題材とした、ヴェルディの愛国的なグランド・オペラ。邦題は、最近では『シチリアの晩鐘』(日本ヴェルディ協会)という風にも訳されています。
●1888年、ドイツのソプラノ歌手シューマン(エリーザベト・-1952)が、ルメゼブルクで生まれています。母国で活躍していましたが、ナチスから逃れてアメリカへ。R.シュトラウスやモーツァルトを得意としていました。(亡くなった4月23日の項参照)
●1886年、バイエルン国王ルートヴィヒ2世(1845-)が、シュタルンベルク湖で謎の死を遂げています。夢想家であった彼は生涯にわたってワーグナーを愛し、資金的な援助のみならず、自ら建設した城にもワーグナー的な世界を作らせたほど。この日、主治医とともに水死体で発見されました。森鴎外の『舞姫』にもこの時の状況が描かれています。
●1902年、イタリアの指揮者デ・ファブリティーズ(オリヴィエロ・-1982)が、ローマで生まれています。63年にはNHKイタリア歌劇団とともに来日し、『西部の娘』の日本初演を行っています。
●1964年、イギリスの作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)『カリュー・リバー』が、オールドバラ音楽祭においてオーフォード教会で初演。これは来日した折にお能を見て感激し、観世元雅(1394?−1432)の謡曲『隅田川』をもとに作曲したもの。


【6月14日】子供に見せたいブリテンのオペラは?

●1763年、ドイツ出身でイタリアで活躍した作曲家マイヤー(ジーモン・-1845)が、メンドルフで生まれています。イタリアではジョヴァンニ・シモーネ・マイルと名乗っていました。ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)が登場する前はイタリア・オペラの第一人者であり、ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)の先生でもありました。
●1820年、オーストリアの作曲家シューベルト(フランツ・1797−1828)『双子の兄弟』が、ウィーンのケルントナートール劇場で初演。シューベルトは生前にいくつものオペラ(ジングシュピール)を書いていますが、この曲だけが唯一生前に上演されたもの。
●1885年、20世紀初頭に活躍したアイルランド出身のアメリカのテノール歌手マッコーマック(ジョン・-1945)アスロンで生まれています。1926年に来日して帝劇でリサイタルを開催しています。
●1949年、イギリスの作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)『オペラをつくろう〜小さな煙突そうじ』が、オールドバラ音楽祭で初演。子供のための3幕の室内オペラで、1、2幕でオペラを作る過程を見せ、3幕が劇中劇の「小さな煙突そうじ」という構成になっています。
●2005年、イタリアの名指揮者ジュリーニ(カルロ=マリア・1914-)が、ブレーシアで亡くなっています。彼ほど、高潔で誠実に満ち溢れた指揮者はいないと評され、彼とともにレコード制作をしたウォルター・レッグは、指揮する彼を見て本気で聖セバスティアヌスになぞらえたと言います。彼の指揮した『ドン・ジョヴァンニ』は名盤中の名盤です。


【6月15日】R.シュトラウスの「相棒」、ホフマンスタール死す。

●1930年、イタリアの演出家・美術家ピッティ(ピエル=ルイージ・)が、ミラノで生まれています。舞台を知り尽くした精緻な演出によって、世界中のオペラハウスから声がかかります。
●1929年、オーストリアの文豪ホフマンスタール(フーゴ・フォン・1874-)が、ロダウンで亡くなっています。富裕な家庭に生まれた彼は、10代の頃から文壇に注目され、27歳の時に書いた『チャンドス卿の手紙』は代表作。のちにシュトラウス(リヒャルト・1864-1949)と組み、『ばらの騎士』をはじめ名作を次々と発表。順風満帆の生涯と思われていた矢先、息子が自殺しその2日後の葬儀へ行く直前に卒中で倒れ、帰らぬ人となったのです。


【6月16日】オペラ『ヴェニスに死す』、初演。

●1973年、イギリスの作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)『ヴェニスに死す』が、オールドバラ音楽際で初演。いうまでもなくマン(トーマス・1875-1955)の同名の小説をオペラ化したもの。作家が実際にヴェネツィアで体験した事を、その頃亡くなったマーラーのイメージで小説化したといわれ、後に製作されたヴィスコンティ(ルキーノ・1906-1976)監督の同名の映画も有名です。


【6月17日】20世紀の巨匠ストラヴィンスキー、誕生。

●1882年、20世紀最大の作曲家の一人ストラヴィンスキー(イーゴル・−1971)が、オラニエンバウム(現ロモノソフ)で生まれています。ディアギレフ(セルゲイ・1872-1929)に見出され、『春の祭典』『ペトルーシュカ』『火の鳥』など、彼のバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のための次々と革新的なバレエ曲を生み出しました。オペラ作品でも1951年ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で自ら指揮して初演した『放蕩者のなりゆき』が高い評価を得ています。1959年には自作を指揮するために来日し、その際に作曲家武満徹(1930−96)を見出して世界に紹介したことは有名です。


【6月18日】ドイツ歌劇の代表作『魔弾の射手』初演。

●1818年、フランスの作曲家グノー(シャルル・-1893)が、パリで生まれています。
彼はピアニストの母から音楽の手ほどきを受け、パリ音楽院に入学し順調な音楽生活をスタートしましたが、途中聖職者を目指すものの、結局音楽の道に戻り、『ファウスト』をはじめ、『ミレイユ』『ロメオとジュリエット』などで成功を収めました。
●1821年、ドイツの作曲家ヴェーバー(カルル・マリーア・フォン・1786-1826)『魔弾の射手』が、ベルリンの王立歌劇場で初演されています。ドイツ・ロマン派オペラを代表するこの作品によって、その後数多くのドイツの作曲家がイタリア語によらないドイツ語によるオペラを生み出すようになったのです。
●1943年、ハンガリー出身のソプラノ歌手マルトン(エヴァ・)が、ブダペストで生まれています。ワーグナー、ヴェルディなどの作品のドラマティックな役柄を得意としています。
●1900年、現在のベラルーシ出身のアメリカのメッゾ・ソプラノ歌手トゥーレル(ジェニー・-1973)が、旧ロシア帝国領のヴィーツェブスクで生まれています。バーンスタイン(レナード・1918-90)とは縁が深く、彼の交響曲第1番『エレミア』の初演者でもあり、彼が彼女のために作曲した「私は音楽が嫌い」という連作歌曲も残しています。フェニーチェ劇場での『放蕩者のなりゆき』初演にも参加していました。


【6月19日】『ランスへの旅』戴冠式に合わせて初演。

●1852年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『ランスへの旅』が、パリのイタリア劇場で初演されています。フランスのブルボン王朝の最後の王シャルル10世(1757-1836)の戴冠式のための作曲された曲で、長く失われていましたが、近年指揮者のアッバード(クラウディオ・−2014)が取り上げて以来、現在では多くの劇場で公演されています。ただし、曲のほとんどは『オリー伯爵』に転用されています。
●1854年、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)とほぼ同時代に活躍したイタリアの作曲家カタラーニ(アルフレード・-1893)が、ルッカで生まれています。『ヴァリー』で人気を得て、とくにトスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)と親友となり、トスカニーニは娘の名にこのヴァリーをつけるほどの親交を結んでいましたが、39歳という若さで世を去りました。
●1842年、ウィーン・オペレッタの作曲家ツェラー(カルル・1842-98)が、サンクト・ペーター・イン・デア・アウニーダで生まれています。法学博士や文部省管理の傍ら、数多くのオペレッタを作曲し、とくに『小鳥売り』(1891)は、1900年までに2857回も上演されたという人気を得ました。
●1926年、ポーランドの作曲家シマノフスキ(カロル・1882-1937)の代表作『ロジェ王』が、ワルシャワで初演されています。
●1924年、ドイツのソプラノ歌手ローテンベルガー(アンネリーゼ・-2010))が、マンハイムで生まれています。『ばらの騎士の』ゾフィー役では、レーマン(ロッテ・1888-1976)から「世界最高のゾフィー」と呼ばれたと言います。


【6月20日】オペレッタ作曲家オッフェンバック、誕生す。

●1819年、ドイツ出身でフランス第2帝政時代にパリで大成功を収めたオペレッタ作曲家オフェンバック(ジャック・-1880)が、ケルンで生まれています。彼は、『天国と地獄』や『ジェロルスタイン女大公殿下』『ベリコール』などのオペレッタ作品で不動の地位を得ました。しかし何としてもオペラを書きたく、『ホフマン物語』を作曲しましたが、完成の直前に亡くなり彼自身が初演を見ることはできませんでした。
●1894年、フランスの作曲家マスネ(ジュール=エミル=フレデリク・1842−1912)の2幕のオペラ『ナヴァラの娘』が、ロンドンのコヴェント・ガーデンで初演。
●1947年、イギリスの作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)『アルバート・ヘリング』が、グラインドボーンで初演。
●1969年、『広島の犠牲者の捧げる哀歌』で著名なポーランドの現代作曲家ペンデレツキ(クシシュトフ・1933-)の代表作『ルダンの悪魔』が、ハンブルク国立歌劇場で初演されています。


【6月21日】ワーグナーの傑作『マイスタージンガー』初演。

●1868年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)の唯一の喜劇作品(初期作品を除く)といわれる『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が、ミュンヘンの宮廷劇場でビューロー(ハンス・フォン・1830—94)の指揮により初演されています。日本では題名を『・・・の名歌手』と呼んでいた時期もありました。主人公のハンス・ザックス(1494-1576)は実在の人物。
●1908年、ロシア5人組のリーダー的存在であったリムスキー=コルサコフ(ニコライ・アンドレイエヴィチ・1844−)が、ペテルブルクで亡くなっています。『金鶏』『サトコ』など彼自身の作品もさることながら、ムソルグスキー(モデスト・ペトロヴィチ・1839-81)の『ボリス・ゴドゥノフ』などの補作や、ストラヴィンスキー(イーゴリ・1882−1971)やプロコフィエフ(セルゲイ・1891−1953などを育てたことも大いなる功績でした。
●1974年、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)『マクベス』の日本初演が、二期会により東京文化会館で行われました。


【6月22日】ブリテンのパートナー、ピアースが生まれた日。

●1763年、フランスの作曲家メユール(エティエンヌ・ニコラ・-1817)が、ジヴェで生まれています。彼はグルック=ピッチンニ論争の中でグルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)に感銘を受け、彼に会ったことでオペラ作曲家になることを決心したと言います。
●1826年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『アディーナ(またはバグダットの太守)』が、リスボンのサン・カルロ劇場で初演されています。
●1910年、イギリスの作曲家ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913−76)の生涯の伴侶として彼の作曲にも大きな影響を与えたイギリスのテノール歌手ピアーズ(ピーター・-1986)が、サリー州ファーンハムで生まれています。ブリテンと二人で主宰していたオールドバラ音楽祭は、彼の死後も彼が継続して行ってきました。
●1974年、20世紀の作曲家の一翼を担ったフランス6人組の一人の作曲家ミヨー(ダリュス・1892-)が、ジュネーブで亡くなっています。自らユダヤ教を信じるフランスの作曲家として任ずる彼は、第二次世界大戦中はナチスから逃れて、アメリカに移住。戦後も長くアメリカにとどまり、多くのオペラ作品を発表しました。


【6月23日】METの芸術監督レヴァインの誕生日。

●1837年、ビゼーの親友であったフランスの作曲家ギロー(エルンスト・-1892)、ニューオーリンズで生まれています。彼自身も10曲のオペラを残していますが、名高いのは『カルメン』のレチタティーヴォの作曲や、『アルルの女』第2組曲の編曲者としてのほう。
●1911年、日本のソプラノ長門美保(-1994)が、福岡で生まれています。プリマドンナとしての活躍するほか、45年「長門美保歌劇団」を主宰して、新人の養成や創作オペラの上演などを積極的に推進した、いわば日本のオペラの先駆者の一人。
●1943年、長らくメトロポリタン・オペラの音楽監督(75年から)として活躍しているアメリカの名指揮者レヴァイン(ジェームス・)が、シンシナティで生まれています。彼の長期にわたる指導によって、METの音楽的な状況は飛躍的に発展しました。またオーケストラ指揮者としても小澤征爾の後任として、ボストン交響楽団の音楽監督も務めました。
●1976年、黛敏郎(1929-97)『金閣寺』が、ベルリンで初演。ご存知三島由紀夫(1925-1970)の小説『金閣寺』を、クラウス・H・ヘンネベルクのドイツ語台本によって作曲。ベルリン・ドイツ・オペラが日本人作曲家に委嘱した初めての作品。日本での初演は、1991年3月6日。


【6月24日】カール・ベームが初演の指揮をとった『無口な女』

●1935年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949))『無口な女』が、ベーム(カール・1894-1981)の指揮によりドレスデン国立劇場で初演されています。原作は、ベン・ジョンソンの喜劇(1607)で、それをドイツ語台本したのがツヴァイク(シュテファン・1881-1942)でした。


【6月25日】シューマンの唯一のオペラ『ゲノフェーファ』、初演。

●1767年、バッハとほぼ同時代のドイツのバロック作曲家テレマン(ゲオルク・フィーリプ・1681−)が、ハンブルクで亡くなっています。当時は、ドイツでも最も人気のあった作曲家で、とくに「ターフェル・ムジーク」が有名ですが、オペラ作品としても『ピンピノーネまたは不釣り合いな結婚』などがあります。
●1789年、18世紀後半に人気のあったイタリアの作曲家パイジェッロ(ジョヴァンニ・1740-1816)の『ニーナ』が、カゼルタ王宮の庭園で初演されています。84年に、彼はナポリのフェルディナンド4世の宮廷オペラ作曲家となったので、このオペラもここで初演されたのです。
●1850年、ドイツ・ロマン派の代表的な作曲家シューマン(ローベルト・1810-56)の唯一のオペラ『ゲノフェーファ』が、ライプチヒの国立歌劇場で初演されています。これは、不倫を迫る男達や魔女の策謀にも負けない美しい妻ゲノフェーファの愛の強さをテーマとしたもの。ただし、初演時はあまり評判とならなかったようです。
●1860年、フランスのヴェリズモ・オペラ作曲家で『ルイーズ』の作曲家シャルパンテェ(ギュスターヴ・-1956)が、モゼルで生まれています。


【6月26日】ワーグナーは不満だった『ワルキューレ』の初演。

●1870年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)『ワルキューレ』が、ミュンヘンの宮廷劇場で初演されています。4部作となる『ニーベンルグの指環』の2作目(序夜に続く第1夜)に当たるもので、単独で勇壮な管弦楽曲としても取り上げられなど、4作中最も人気が高い作。作曲されたのは14年前の1856年でしたが、ルートヴィヒ2世のたっての希望で、『指環』4部作まとめてではなく、先行して上演されたものでワーグナーは大いに不満だったと言います。
●1914年、20世紀後半のヘルデンテノールの一人であったヴィントガッセン(ウォルフガング・-1974)が、アヌマスで生まれています。両親とも著名な歌手で、51年にバイロイト再開公演でパルジファルを歌って以後、ヘルデンテノールの第一人者として活躍。67年に初来日しています。
●1916年、イタリアの名バス歌手タッディ(ジュゼッペ・-2010)が、ジェノヴァで生まれています。1956年、イタリア歌劇団第1次来日公演でのファルスタッフの名演技は、今でも語り草です。(亡くなった6月2日の項参照)
●1933年、イタリアの指揮者アッバード(クラウディオ・−2014)が、ミラノで生まれています。20世紀後半で最も活躍した指揮者の一人。とくにカラヤン没後以降は、欧米の主要なポストを歴任し、オペラからオーケストラまで幅広く活躍しました。とくに晩年は若い世代を中心としたオーケストラを創設するなど、自らの後継者を育て上げることに腐心しましたが、2014年1月20日ボローニャの自宅で胃がんのためになくなりました。享年80歳。


【6月27日】美しい歌姫アンナ・モッフォの誕生日。

●1893年、イタリアの歴史的なソプラノ歌手ダル=モンテ(トーティ・-1975)が、モリアーノ・ヴェストで生まれています。トスニーニのもとでジルダを歌い大成功し、その後METでも活躍し、当代随一のコロラトゥーラ・ソプラノとして人気を博し、引退後は女優としても活躍しました。
●1975年、ウィーン・オペレッタの最後の巨匠ともいえるシュトルツ(ローベルト・1880−)が、ベルリンで亡くなっています。カールマンらとともにオペレッタ“銀の時代”で活躍し、アン・デア・ウィーン劇場の指揮者としても当時の主要なオペレッタを指揮しました。
●1932年、アメリカで活躍したソプラノ歌手モッフォ(アンナ・−2006)ペンシルベニアで生まれています。生年には、1930年、1933年説もありますが、オペラ辞典に準拠しました。両親がイタリア系だったために、イタリアでも絶大な人気を博し、美声に加えて女優に誘われるほどの美貌により、欧米をまたにかけて活躍。映画にも「ローマのしのび逢い」などに出演。活躍が多岐にわたったがために声の衰えは40代から始まり、40代半ばで現役を退いてしまいました。(亡くなった3月10日の項参照)


【6月28日】意外?ルソーは、本格的!な音楽家だった。

●1712年、日本ではもっぱら人文学者として「エミール」「新エロイーズ」「社会契約論」などの作者としてられているルソー(ジャン=ジャック・-1778)が、ジュネーブで生まれています。彼はまたオペラでも大きな功績を残し、とくに彼が作曲した『村の占い師』は大成功しました。またブフォン論争にも加わり、グルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)を擁護する立場で論陣をはりました。
●1955年、METをはじめとして欧米各地の歌劇場で活躍している現代屈指のバリトン歌手ハンプソン(トーマス・)が、ワシントン州スポーケンで生まれています。
●1993年、ブルガリア出身のバス歌手クリストフ(ボリス・1918-)が、ローマで亡くなっています。ロシアものはもちろんですが、ヴェルディの諸役でも活躍し、『ドン・カルロ』のフィリッポ2世などは高い評価を受けています。没後、遺骸はソフィアに送られアレキサンドル・ネフスキー寺院に葬られました。(誕生日の5月18日の項参照)
●1951年、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)の遺作である『トゥーランドット』の日本初演が、東京歌劇協会の主催で金子登(1911-87)の指揮により日比谷公会堂で行われました。


【6月29日】ワーグナーの処女作は、没後に初演。

●1871年、イタリアのソプラノ歌手テトラッツィーニ(ルイーザ・1871-1940)が、フィレンツェで生まれています。姉から声楽を学び、今世紀初頭のコロラトゥーラ・ソプラノとしてロンドン、ニューヨークで人気を集め、60代まで現役として舞台に立っていたそうです。(亡くなった日の4月28日の項参照)
●1888年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813−83)の初期作品(実質的には完成をみた最初のオペラ)『妖精』が、ミュンヘンの宮廷歌劇場で初演されています。年号でもわかる通り生前には上演されず、没後5年たっての初演でした。ゴッツィ(カルロ・1720−1806)の原作『蛇女』をもとにワーグナー自身が台本を書いています。
●1914年、チェコの指揮者クーベリック(ラファエル・-1996)が、チェコのビーホリで生まれています。父ヤン(1880−1940)もまた、著名なヴェイオリニストでした。その息子として生まれた彼は、アンチェル(カレル・1908-73)とともにチェコの指揮者界の巨匠として、コヴェント・ガーデンなど欧米を中心に活躍。METからも招聘され、初代音楽監督として3年間務めました。
●1929年、日本の作曲家間宮芳生(みちお)が、北海道・旭川で生まれています。林光(1931-2012)や外山雄三(19321-)とともに「山羊の会」を結成。日本音楽に根ざした作品が多く、オペラ作品としては『昔噺・人買太郎兵衛』や『鳴神』などがあります。
●1989年、オーストリアのテノール歌手デルモータ(アントン・1910-)が、ウィーンで亡くなっています。彼はトスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)、フルトヴェングラー(ウイルヘルム・1886−1954、クリップス(ヨーゼフ・1902-74)、クナッパーツブッシュ(ハンス・1888-1965)など、世紀の大指揮者と共演した幸せな歌手でした。クライバー(カルロス・1930-2004)の指揮する『トリスタンとイゾルデ』では羊飼いを歌い、70代とは思えない歌声を聴かせてくれました。享年79歳。(誕生日の6月4日の項参照)


【6月30日】スッペの『美しきガラテア』初演。

●1865年、オペレッタ作曲家として人気のあったスッペ(フランツ・フォン・1819-95)の『美しきガラテア』が、ベルリンのマイゼル劇場で初演。ピグマリオン伝説を基にしたオペレッタで、彫刻家のピグマリオンが、ヴィーナスに自分の作った彫刻のガラテアを人間にしてくれるように祈ると、たちまち歌い出し、さまざまな男たちが彼女に言い寄るというお話。スッペの他の作品と同じように、序曲のみがしばしば単独で演奏されます。

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