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【インタビュー】メゾ・ソプラノ 池田香織《前編》歌手としての船出、オペラの現場

【インタビュー】メゾ・ソプラノ 池田香織《前編》歌手としての船出、オペラの現場

ワーグナー作品を中心に幅広い声楽作品で緻密な解釈と凛とした歌唱を聴かせ、近年ますます魅力を増すメゾ・ソプラノ池田香織。その歌手としての歩みをじっくりとうかがった。まずは前編で、歌手人生の船出とオペラ現場の実情についてお送りする。

「私はソリストになる」

池田香織さんの声楽家としてのスタートからお話をうかがえますか。

二期会の研究生が終わった時が23歳位だったんですけど、もちろんその頃はその仕事は何もないしツテもないから歌う場所がないじゃないですか。だから何でもやりますということで合唱の仕事をやっていました。合唱をやったからこそ、新人の頃からソロだけやっていては出入りできないような大きな演奏会(例えばN響の定期など)にも出られましたし、世界的に有名な歌手の後ろで歌うこともできました。そして、ヴェテランの歌手と指揮者、演出家の意見が合わない時にどうやって解決しているかを肌で感じられたのは大きな収穫です。喧嘩する人もいるし、上手にすり抜ける人もいる。
すごく 図々しいんですけど、「私はソリストになる」って私は決めてたんです。なので合唱として十分な仕事をするのは当たり前で、その上で「自分の勉強のためにここにいるんだ」という観点をずっと持っていました。なので、今になって思うと、(合唱時代の蓄積ゆえに)現場において「初めて」ということがない、というのはすごく強みだなと感じます。

合唱団におられたときから、ゆくゆくはソリストとしてのキャリアでいく、という確固たる思いがあったわけですね。

ええもちろん。自分は前で歌うんだ、って決めていました。あまり根拠はないんですけど、そうなるんだ、って(笑)。でもやっぱり経験がないと、いざという時ビックリして 終わっちゃうじゃないですか。なのでそういうときに「あ、あの人はこうしてたな」というのを思い出すんです。なのであたふたしない。

一般職でキャリアを歩まれていたころのお話についてうかがえますか。

会社をやめた後、合唱の仕事をしつつ色々なアルバイトをしました。東響コーラスに入っていたときは東響の事務局でもアルバイトをしていて、チケットやグッズの販売をしていたんですよ。なので演奏会の制作現場には立ち会っていました。あとは長くやっていたのは、携帯会社のお客様問い合わせセンターですね。時間ピッタリで終わる仕事だったので、その後稽古に行けるのが良かったんですよ。こうした経験って接客業だと思うんですが、「お客様がどう思うか」という視点を常に持つようになりました。演奏家って「ああしたい、こうしたい」があるわけですが、お客さんは何を期待しているのか、リスク管理はどうするのか、ということを常に考えます。これはいま自主制作公演をやる時にすごく役に立っていますよ。

合唱として、事務方として、両方の立場から公演がどのように出来上がっていくかを色々な角度で見ておられたわけですね。

そうなんです。歌うことに対して直接関わるか、と言われたらそうではないけど、お客様を常に意識する習慣を持つことが大事です。「私はこういうつもりで歌ってます!」って演じていてもお客さんにそう見えていなかったら意味がない。 あとは自分で公演制作ができることで、自ら演奏の機会を増やすことができますよね。それができると、頂戴する仕事だけではできない「歌いたいものを歌う」仕事ができるので、大切だなと感じます。


ソリストとしての出発

そうした経験の上でソリストとしてのキャリアを歩み始められたわけですが、最初はソプラノとして始まり、メゾになってからはズボン役として のお仕事が結構あったんですね。

というかむしろ、ズボン役の人だと思われてましたよ(笑)。テノールの方よりも私のほうが背が高いようなこともよくあって、若い頃はケルビーノばっかりとか、新国立劇場でオクタヴィアンのカヴァーをやったり。

今の重厚な役柄で池田さんに親しんでおられる方にとっては驚きかもしれませんね。

かもしれないですね(笑)。むしろカルメンとかエボリ公女といった、いわゆる「メゾらしい」役柄をオーディションやコンクールで歌っても、顔が童顔なこともあって「似合わない」「イメージがわかない」と言われて落ちたり。なので最近「妖艶な役柄で…」って紹介されると驚いちゃいますね。「ようえん」というより「よう『ち』えん」なんですけど(爆笑)。
今でも実年齢よりはずっと若く見られるので、例えば『蝶々夫人』のスズキをやると「どっちがバタフライかわからない」とよく言われました 。でも、ブリュンヒルデをやる時には逆にすごく武器になるんですよ。ブリュンヒルデは『指環』を通じて成長していく役柄で、特に『ワルキューレ』の彼女は若くないといけなくて、若気の至りがそこかしこに出てきます。それはこの顔だと出しやすいですね(笑)。でも、「女傑」でブリュンヒルデをイメージされている方から「娘っぽくてびっくりした」と言われたこともあります。別に「女傑」である必要はないと思うんですよ。ただ、この役を歌うためにはある程度キャリアを積んでいる必要があるので年齢も上になりがちで、かつ強靭な声も必要。そうした条件ゆえに貫禄がある歌い手のイメージにつながるんでしょうね。でも、役に求められているものは「お嬢さん」なんですよ。パパ(ヴォータン)のお気に入りですから。
自分にとって、イゾルデやブリュンヒルデを歌うようになってから、「この童顔でもいいだろう」という開き直りができるようになったというのは大きいですね。それまでは、声と役柄(のイメージ)が合わない、と言われていたのはすごくコンプレックスでした。自分で修正するのは限界がある部分なので…。

私がソリストとして初めて大きな舞台で歌ったのは、1995年のオーケストラ・アンサンブル金沢とのモーツァルトなんです。岩城宏之さんが「モーツァルト全集」という企画をやっていらして、オペラもハイライトをコンチェルタンテ(演奏会形式)でやって。その時、若い歌手をヴェテランに混ぜて起用することになって、盛大にオーディションが行われました。モーツァルト作品で好きな役を2つ持ってきなさい、ということだったのでドラベッラとケルビーノを用意していって。そうしたら、ケルビーノの方で結局役をいただいたんです。なので、当時はやはり私には少年役のイメージがあったんでしょうね。二期会のデビューも童子(Knabe)です。ただキャリアを積む中で下の音域が鳴るようになってきて、ワーグナーの重い役もできるようになったんですよね。

なるほど、昔から得意な高域は維持しつつ、低域はやはり歌手としての成熟と共に凄味を増しているということなんですね。

私は、若い頃次々と舞台に出て大役をやって、というキャリアではありませんでした。それゆえに、休まずに歌い続けることでテクニックや楽器(=喉)的に最良の状態でなくなる、ということは幸い避けられています。もちろん多忙な中でコントロールされて維持されている方はいらっしゃるんですけどね。私はカヴァー・キャストとしてお仕事をいただくことが多かったんですけど、カヴァーは楽器に負担をかけずに勉強ができるんですよ。そこは幸運だったなと思います。


オーソドックスなスタイル

これまで色々な音楽家と共演されてきて、特に強烈な影響を受けた方はいらっしゃいますか?

ソリストになってから、ビッグネームの方とご一緒する機会も結構多いんですが、あまり「こうしてほしい」と言われることは少ないんですよ。「ここをこうしたらもっと良いね」程度はありますが。インバルさんと共演した時は、ゲネプロで「君完璧だからもう帰っていいよ」みたいな感じで、むしろ「いやひと声くらい歌わせてください」って(笑)。
でも、なぜそうなってきたかと考えると、合唱時代から私は根本的にオーソドックスな音楽の作り方をしてるんですよ。だからこそあまり注意が飛んでこなくて、あとは好みの範囲で右か左に寄せる、ということだと思います。でも日本の音楽稽古って、指揮者に全部指示してもらってその通りにやるようなパターンが多いんです。私は割ともう作っていく方なん
ですけど。「全部言われた通りにやる」って一見謙虚なようで、事前の準備が足りてないんじゃないか、ということでもあると思うんですよ。例えば、「お葬式に行く」とします。宗教の違いこそあれ、概ね「黒い服、派手なお化粧はしない、大声で喋らない」みたいな暗黙の了解があって、いちいち教わらないですよね。あとはその場ごとに調整があるだけで。でも、音楽稽古だとこの暗黙の了解のところを飛ばしてしまう人も結構いるんです。
そこで、この「暗黙の了解」を補ってくれるのがコーチングなんです。こういうスタイルの作品ではこうするのがオーソドックスですよ、書いてなくても基本的にはこうやりますよ、という常識を勉強していく過程。この過程を経て基礎を押さえていれば、(指揮者の方から)そんなにたくさん注文をされることはありません。すごく変わった要求をする人は意外といません。一見個性的に見えても、クラシック音楽は基礎が決まっているものなので、理にかなっているんです。

そうした綿密な下準備やバランス感覚も池田さんの強みですよね。

下準備のやり方が論文書く人みたい、っていわれたことはありますね(笑)。
現代音楽や未知の言語の作品に向き合う時、どうしても資料が手に入らない場合があります。こういう時は、これまでその作品を歌った人を調べられる限り調べて、どういう声の人が沢山歌っているからきっとこういう声が求められているんだろう、って逆算します。またフランス語の発音が良さそうな人を探す時は、フランス語のネイティヴかどうか、もしくはフランス語圏の劇場で歌っていて評価が高いかどうかといったことを検索します。ある程度こうした作業で検索の精度を高められるのは今の時代の利点でもありますよね。でも、全ては「お金がない、でも勉強したい」という若い頃に編み出した技ですよ。使えるものは何でも使おうと。昔は本番の際にヘアメイクさんをお願いできなかったので、本番一週間前からお風呂の後に鏡の前で髪を巻いたりメイクをして、少し離れて写真を撮って微調整したりしました。ちょっと濃いな、やっぱり薄いな、みたいな(笑)。お金がないから諦める、ではなくて、どうにかしていました。


オペラ現場の真実

いま本番でのメイクの話が出たので。我々聴衆はどうしても音楽のことに関心がいきがちですが、オペラの舞台は本当に色々な要素が集まっている場ですよね。いっそう下準備が重要になると思いますが、オペラの現場のお話をうかがえますか。

特にオペラは、多くの聴衆の皆さんが思っておられるほど芸術的なインスピレーションで成り立つものではないんですよ。その場のノリのようなものでは、特にドイツオペラは難しい。イタリアオペラでアリアがあってそれに伴奏がつけてくれる場面であれば、その日の芸術で成立しますが。例えば現代オペラだと、この音の時にここまで移動して、そこでここに照明が当たる―といった具合に、絶対にやらなければいけないことが山程あります。ここで急いで動くと息が上がって次が歌えないから計算してゆっくり動こう、とかも。なので、決めたことを決めた通りに確実に行えない限り、常に心配な状態になってしまいます。そうすると疲れてしまうのでいいことはない。お客さんがその場で起こったドラマのように感じられている、ということはつまり、計算尽くで仕上げたものがうまくいっているということでもあるんです。私はそんなに体力がある方ではないので、オペラであまり無駄な稽古はしたくない。カヴァー時代も長かったので、立ち稽古を2回見れば私は自分の役の動きはほぼ完璧に覚えられます。なので3回目から立ってくださいと言われればやれます。ただ稽古で集中する分、休むときは完全にスイッチを切ります。なので、立ち稽古期間に入ると私は家では譜面はまず開きません。この期間の前には暗譜の不安は完全に解決しておくのは前提ですけどね。こうすることで、集中力が続く時に必要な処理をすることができて、疲れがたまらないんですよ。


ワーグナー作品との出会い、「わ」の会

本番に向けて、音楽面やそれ以外の面でもそのように準備を進められるわけですね。そうした姿勢は、どなたからの影響だったのでしょうか。

こういうものの見方や準備のやり方で非常に影響を受けたのは、城谷正博さんですね。城谷さんが中心となり、そこに私やバスの大塚博章さんが加わって始まったのがワーグナー作品を上演する「わ」の会という団体です。

「わ」の会以前もワーグナー作品には取り組まれていたのですよね。

一番初めにワーグナーを歌ったのは、2001年のシティ・フィルのオーケストラル・オペラで『ワルキューレ』が上演された時ですね。私の師匠の小山由美先生がフリッカ役でした。当初は演技なしのコンチェルタンテの予定だったのですが、企画段階で規模が大きくなってお芝居付きになり、稽古開始が前倒しになりました。それで師匠のスケジュールが合わなくなり、降りると。そうしたら指揮の飯守泰次郎さんが、「由美さんじゃないと僕は振らない」と仰って。予算的に稽古用の代役を呼ぶことも難しく困ってしまったのですが、そこで師匠から「私から頼んであげるから代役をやりなさい」と言われました。そこでのフリッカが、初めてのワーグナーのソロの役でした。合唱時代にも90年代の若杉弘さん/都響のシリーズはじめワーグナーは沢山やっていたのですが、ソロは初めて。その後は、2004年にやはりシティ・フィルの同じシリーズで『ローエングリン』オルトルートのアンダースタディ、2007年に新国立劇場『タンホイザー』ヴェーヌスのカヴァー、あらかわバイロイト出演という形でワーグナーの役柄に親しんできました。愛知の名古屋ワーグナー管弦楽団では2008年に『ワルキューレ』ジークリンデ、2010年に『ジークフリート』『神々の黄昏』ブリュンヒルデをそれぞれ初めて歌いました。
私のワーグナーもののほぼ全てには、城谷さんが関わっておられるんですよ。最初のオーケストラル・オペラから。アンダースタディは私だけだったのですごく緊張していたのですが、その時に「コレペティ(※)しませんか」とお声がけくださって。せっかく勉強するならしっかりやりたいじゃないですか、というお心遣いだったんですね。飯守先生が仰ることの意味の通訳ですとか、細部の交通整理をしていただきました。その後も大体どこに行っても副指揮やコレペティが城谷さんなんですよね(笑)。なので、ずっと一緒に勉強してきた城谷さんと「わ」の会を始めるに至ったのはとても自然な流れなんです。

※コレペティトゥア:オペラ歌手が新しいレパートリーを習得するのを手助けするピアニスト。「コレペティ」としばしば略される。

いま国内でのワーグナー上演には必ず何人か「わ」の会のメンバーが参加されている、という状況だと思います。これからの「わ」の会の展望はいかがですか。

今まで一緒にやってきたメンバーのことを私は「わ」の会第1期 だと思ってるんですが、今月12/20の公演はいわゆる「第2期」の歌手・ピアニストにフィーチャーしています。もちろん第1期も出ますよ(笑)。共演する中で、ワーグナー作品における「攻め方」を学んでいってほしい、という思いですね。私達が先輩方から学んできたことを伝えたいと考えています。飯守先生も「伝統を伝えていきたい」と仰ってたんですが、私達音楽家が何かを伝えようと思った時、伝える相手というのは結局稽古場に一緒にいる相手なんですよね。これまで上の世代の方々から学んだことで私が成長できて、「ああよかった」で止めてしまってはいけないなと。私が教わったことはもちろんワーグナー以外を歌う時にも使えますし、世界的なマエストロと共演した時にも相手からリスペクトしていただける「土台」なんです。その土台を次の世代にも体験していただけたら嬉しいな、という思いですね。「わ」の会はこれまで、私達が経験値を増やしてお呼びが掛かった際に備えて勉強しよう、という性格がありました。その次の段階として、次世代の育成ということですね。音大、院、留学を経た後の4-50代にならないと歌えないレパートリーに対する取り組み方を学ぶ機会って、なかなか少ないんですよ。私はたまたま若いうちから代役で色々な現場に放り込まれてやってこられたのですけど …誰もがその状況にあるわけではない。それなら、その機会を作ろうと。

後編へと続く)

聞き手:平岡 拓也
写真:長澤 直子
Interviewer: Takuya Hiraoka
Photos by Naoko Nagasawa



【公演情報】

「わ」の会コンサート vol.7 Herausforderung:挑戦
2021年12月20日(月) 18:00開演
17:20開場 プレトークあり(17:30予定)
渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール

《さまよえるオランダ人》第1幕より
オランダ人 : 河野鉄平
ダーラント : 大塚博章
舵手 : 伊藤達人

《ローエングリン》第2幕より
オルトルート : 池田香織
テルラムント : 大沼徹

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 第1幕より
ダーヴィット : 伊藤達人
ヴァルター : 岸浪愛学

《ラインの黄金》第3場より
ヴォータン : 大塚博章
アルベリヒ : 友清崇
ローゲ : 岸浪愛学

《トリスタンとイゾルデ》第1幕より
トリスタン : 片寄純也
イゾルデ : 中村真紀
ブランゲーネ : 郷家暁子
クルヴェナル : 新井健士

指揮:城谷正博
ピアノ: 木下志寿子/巨瀬励起
字幕・解説:吉田真

東京芸術劇場presents 読売日本交響楽団演奏会
2022年01月28日 (金)19:00 開演(ロビー開場 18:00)
東京芸術劇場 コンサートホール

藤倉大/Entwine (日本初演) ケルン放送交響楽団他との国際共同委嘱作品
シベリウス/交響曲第7番 ハ長調 op.105
マーラー/『大地の歌』アルト、テノール独唱と大オーケストラのための交響曲

指揮:井上道義
アルト:池田香織
テノール:宮里直樹
管弦楽:読売日本交響楽団

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