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全ての出会いに感謝をこめて「いのちのうた」藤木大地(カウンターテナー)ロング・インタビュー

全ての出会いに感謝をこめて「いのちのうた」藤木大地(カウンターテナー)ロング・インタビュー

2021年11月に新アルバム『いのちのうた~Song of Life』をキングインターナショナルからリリースした藤木大地さん(カウンターテナー)にお話を伺いました。2017年に発表した『死んだ男の残したものは』から4年、オペラ・エクスプレス恒例の超ロングインタビューです。(※このインタビューは2021年10月初めに実施したものです)

もしもカストラートが今日まで生きていたら?舞台「400歳のカストラート」との関わり

———キングインターナショナルから2017年に発表した『死んだ男の残したものは』から4年、新アルバム『いのちのうた~Song of Life』がリリースされました。その間も舞台で歌う藤木さんには何度も接していますが、こうしてちゃんとお話しするのは前回のCD発売記念でインタビューさせていただいた時以来かもしれません。藤木さん、ちょっとスリムになられました?

藤木:このアルバムのジャケット写真のために半年間ダイエットしたんです。4年前の『死んだ男の残したものは』の時も頑張ったんですが、その時と比べてあと2キロ落としました。

———ずいぶんストイックですね。

藤木:いえ、健康のことも考えてです。健康診断に行くと「ギリギリ、メタボじゃないね」って言われるし、これではいけないなと。40歳を超えて痩せにくくなってきたので健康のためにもちょうど良い機会だと思ったので。もちろん声を保てる健康な範囲内でということです。このジャケット写真の撮影前日には豆腐しか食べていません!

——— すごいです!何をするにも全力投球ですね。さて、今度のアルバムですが、藤木さんが2020年2月に東京文化会館、そして12月に宮崎で上演した歌劇《400歳のカストラート》という舞台作品と関わりをもっているとのこと。まずはこの公演がどのようなものだったか、そしてCDとの関わりを教えていただけますか?

藤木:このアルバムが生まれたきっかけは舞台作品《400歳のカストラート》です。その公演で演奏した中から10曲を収録しています。それに加えて新しく選ばれ編曲された6曲を入れました。最初に言っておきたいのは、このアルバムは《400歳のカストラート》のサウンドトラックではありません。あの公演をベースにした全く新しい作品なんです。歌劇《400歳のカストラート》が生まれたきっかけは2018年の夏のある日、東京文化会館のKさんから電話をいただいたことでした。携帯にかかってきて、知らない番号だったんですよね。誰だろう?と思って。普段は出ないんですが、何だか出たんです、その時は。

———第六感でしょうか?

藤木:はい、夕方だったんですけれども。そうしたらKさんが、「東京文化会館で新しい舞台芸術を創造する事業があって、来年度、藤木さんで何かやりたいと思っています。企画をいただけますか?」と。僕はそういう新しいことにすごく興味があるし、第一、東京文化会館から電話がかかってきてこんなことを頼まれるなんて光栄だと思って。「喜んで」と言って、色々と考えたんです。当時、僕は自分のリサイタルの企画書なども書いていて、そのうちの一つに〈カストラートが昔歌った曲をバロック・アンサンブルと歌う演奏会〉がありました。チェチーリア・バルトリがそういうCDを出していて、彼女が彫像になっているようなジャケットのCD(『Sacrificium』)なんですが、その内容で彼女がウィーンのムジークフェラインでやった演奏会を聴いたことがあり、それがすごく印象に残っていたのでそういうのを日本でもできるといいなと、なんとなく頭に残っていたんです。カストラートのことを何か出来たらいいなって。それである日、その内容で企画書を書いてみようと思ってちゃんと座ってパソコンを開き、「カストラート」って文字を打ったときにふと、「もしカストラートが当時禁止されないで、そのまま現代まで一つの歌手の形として残っていたらどういう音楽史になったのかな?どういう曲が生まれたのかな?って想像したんです。どんな役を歌ったり、どんな曲を歌ったんだろう?って。そうしたら一つストーリーが浮かんで、A4で1枚そのプロットを書いてみたんです。書いてすぐぴゃーって送ったら、「それは面白い!」ってなって。じゃあやりましょうと。

———それが舞台作品《400歳のカストラート》の誕生に結びついたんですね?

藤木:はい。演劇と音楽を使った舞台作品になるので演出家を考えましょう、ということになり平常(たいらじょう)さんにお願いすることが決まりました。そして選曲をという運びになりますが、演出家や主演歌手がいて音楽を使うのならやはり音楽面の責任者が必要だなと思い、加藤昌則さんを飲み屋に呼び出して、「こういう企画があるけれどやらない?」と誘ったら「やるよ!」ということになり、3人のチームが出来ました。それに文化会館のスタッフと各マネージメントのマネージャーと。そして舞台の照明や舞台監督、衣裳などの方々も決まっていき、上演したのが2020年2月15日東京文化会館の小ホールです。

———この舞台は朗読に大和田獏さんと娘さんでやはり俳優の大和田美帆さんが参加しています。大和田さんの参加は初めから決まっていたのですか?

藤木:会議の途中で、歌が一人、演奏はピアノと弦楽四重奏でやりたい、ピアノは加藤昌則さんに弾いてほしいということをお願いしたんですが、ストーリーを進めるためには朗読がいいだろうという話になりました。平さんがもともと大和田美帆さんと仲良しだったのでそのご紹介で、美帆さんとお父さんの大和田獏さんが出てくださったら嬉しいのですが、とオファーして決まったという感じです。

———父娘共演ははじめてだったそうですね?

藤木:舞台で親子共演は初めてだとおっしゃっていました。美帆さんはミュージカルにも出演されますが、獏さんはそれまで音楽の舞台などはされていなかったみたいで。チラシ写真撮影の日に初めてお目にかかった時に、獏さんがこの話を受けようか迷っていた時にテレビをつけたら僕が出てきて、という話をされたんです。それはCDのブックレットに寄稿してくださった文章にも書かれています。

※以下は、2022年に数カ所で再演が予定されている、歌劇『400歳のカストラート』の東京文化会館での公演情報です。※

歌劇『400歳のカストラート』
2022年6月26日(日)15:00開演(14:15開場)
東京文化会館 小ホール
https://www.t-bunka.jp/stage/14257/

———《400歳のカストラート》の選曲はどうやって行われたのですか?

藤木:カストラート歌手が400歳まで生きたという話なので、400年の音楽史を追わないと辻褄が合わないんです。一番古いものから一番新しいものまで作曲家をたくさんリストアップして、その中でストーリーの流れに合うものを選んでいこうということになったんですね。一番新しいものとしては新曲を加藤昌則さんにお願いすることは決めていました。歌の選曲は僕ですが、平さんの脚本が出来てきて、ここでこういう音楽が必要だ、という流れに合ったものを選んでいきました。かなりたくさん選んだのですが、公演を2時間以内に収めたかったのと、僕がずっと歌っているわけにもいかないので、ピアノ五重奏のみが演奏する曲も必要ですから、たくさんの曲を削る作業も必要でした。

超絶技巧の紹介だけでなく心情を表現する選曲

———CDを聴かせていただいたところ、カストラートの歴史を網羅するといっても、コロラトゥーラ(装飾歌唱)などの名人芸的な技巧に特化したというよりは、歌と人間のドラマという側面が重視されているように思いました。最初の企画よりは演劇的な側面が大きくふくらんだということなのでしょうか?

藤木:主人公の400歳のカストラート歌手は“ダイチ”という名前なんです。彼の400年の人生には様々なことが起こりますが、その長い年月の間に当然、愛する人との別れを何度も体験することになります。また声が出なくなったり、という瞬間も訪れます。演出の平さんは僕を何時間も取材してくださって、僕が歌をやめようと思った時の話や、これからいつ声が出なくなるか分からないんだよ、という話などを聞いて僕のストーリーとしてまとめてくださったんです。だから超絶技巧の曲だけでなく、人間の内面やその感情に起因するような曲が多く入っていますし、自分の心情を表現するのにぴったりの曲を選んでいった結果、こういうラインナップになりました。舞台作品がきっかけとなりこのCDが生まれ、舞台を観た方がCDも聴いてくださるというような良い相乗効果が起こればなと。その二つは全く同じではないものを作りたかったので。

———発想の出発点はカストラートで、そこに藤木さんの歌手としての人生が入っているし、歌手という存在の宿命のようなものも入っている感じがしますね?

藤木:僕は舞台作品や録音物は、普遍的な面を持っていないといけないと思っています。演奏するのは人間ですし、音楽も書いた人がいるけれど、聴いている方が自分自身の経験とか人生に照らし合わせて何かしら思い出すことがあったり、引き出しを開けられたりとか、そういう切っかけを作るものでなければ共感は得られないと思うんです。だから新しいものを創るにあたり、そこはすごく考えました。例えば好きな人と死別したり、あるいはすごく絶好調な時があったり、ヤケになっている時があったり、病気になったりというのは誰にでも起こりうることで、それを自分自身の経験として想像することで人は泣けたり、心を動かされたり、楽しかったりすると思うんです。それは僕が舞台芸術をお客さんとして観に行くときの理由ですし。もちろん完全な非日常というか、ファンタジー、創造の世界を描く舞台作品もあるだろうし、それはそれでいいと思いますが。若い時には「自分が歌って人を感動させたい」とか言っていましたが、その時はそう思っていたんでしょうけれども、その考え方は傲慢だし、そうではなくて皆と音楽や空間を共有して楽しむのが音楽だと今は思っているので。

———何かが聴く人の心に引っかかったり?

藤木:自分にもこういう経験があって、それを思い出させるとか。誰にでも思い出の曲というのはあってそれがアルバムの中に入っているかもしれないですし。このCDのタイトルを『いのちのうた ~Song of Life』としたのは、村松崇継さんの「いのちの歌」を収録したこともありますが、それはみんなの「いのちの歌」なんですね。みんなが人生という旅を生きていて、みんなが命を持っていて、その歌が詰まっているアルバムなんです。

人間が歌うということの本質に迫る

———藤木さんの歌にかける思いをひしひしと感じました。ところで藤木さんが「歌」にそこまで真剣に向かい合うことになったのはなぜなんですか?

藤木:歌うことはもともと好きでしたね。歌うきっかけは合唱団に誘ってもらったことなんですが、中学生の時に「うまい!声がいいね」って褒められて。それが嬉しかった。自分が持っている能力や才能や実力のことを考えると、中学生だから勉強もしていましたけれど、成績が良かったり志望校に受かりそうかどうかとか、そういうことで結果が出るのも嬉しかったけれど、それよりも歌うまいねって褒められるのがすごく嬉しかったんです。嬉しいから練習するし、もっとうまくなりたいと思った。そういう意味でどんどんのめり込んでいったんです。当時は合唱のことばかり考えていたのですが、中学3年生の時に、教育実習で来ていた先生が「独りで歌ってみたら?」と勧めてくれて。男の先生だったのですが「藤木くん、An die Musikいいよ、An die Musik」って言われても、中学生だからAn die Musik(シューベルト作曲「音楽に寄せて」)が何のことだか分からない。そうしたら先生が楽譜を用意してくれて。それで、「ドゥーホールデークンスト」とか歌詞の読みを楽譜にカタカナで書いて(笑)、でもそれでコンクールに出たりしたんですよ。するとそこでも、すごく優秀ではなかったけれど少しは褒められたりして。後に東京藝大で同級生となるミュージカルや演劇で活躍している井上芳雄君とは、高校2年生の時に声楽コンクールの全国大会で出会ったんです。その延長で青春時代があり。いつの間にか、よく分からない数学をよく分からないまま勉強して受験して目標の大学に入るというのより、音楽の勉強を一からでもいいからやりたい、と思ったのがきっかけだったと思います。

———良い出会いがあって良かったですね。そのまま紆余曲折はあっても歌を見失わないで来られたという。

藤木:でも歌うのを嫌いになったこともありましたからね。もう歌いたくないと。テノールをやっていた最後の頃は歌うのが嫌だったですし。

———前回のインタビューでも、藤木さんはテノールとして歌っていた頃、音楽家を支える仕事をする方向に行こうとされたことがあるとおっしゃっていましたものね。このアルバムも単なるカストラート歌手が歌っていた、もしくは歌いそうな名曲の紹介ではなく、人間が歌うということの本質に迫ろうとしているのを感じます。歌劇《400歳のカストラート》では歌っていなかった、このアルバムならではの曲はどれですか?

藤木:バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、マスカーニ「アヴェ・マリア」、マーラー「私はこの世に忘れられた」、そして『レ・ミゼラブル』より「I Dreamed a Dream」。そして最後の2曲、村松崇継さんの「いのちの歌」と加藤昌則さんの「もしも歌がなかったら」です。舞台では同じ加藤さんの「絶えることなくうたう歌」を終曲にしていましたから。僕は器楽だけの曲を入れてもいいかな、と思ったのですがやはり歌のアルバムだからと言われ、舞台では音楽の歴史を埋めるために歌の合間に演奏していたバッハやマーラーの器楽曲の代わりが必要になったんです。同じ作曲家の別の曲で僕がやれるものを選びました。日本語は形に残したかったもの、アルバムに入れたかった2曲を選びました。『レ・ミゼラブル』は舞台でも候補に入れていて長さの関係でカットしたのですが、今回はやろうかなと思って。

———最後の2曲にもメッセージがあって大事ですよね?

藤木:とても大事ですね。あの2曲はコンサートでいうとアンコールです。アルバムは演奏活動の延長だと僕は思っているので。普段やっている演奏活動を記録するのがアルバムで。昔、曲がたくさん入っている3千円くらいするCDがアルバムと呼ばれて、千円くらいで買えるものがシングルと呼ばれてたじゃないですか。なんでアルバムと呼ぶんだろうとずっと思っていて、でも前作を出したくらいから、これはアーティストの今の姿を記録するからアルバムって呼ぶんだろうなと思い始めたんです。今の僕の演奏活動を集約したのがこの作品なんです。だから舞台作品は「絶えることなくうたう歌」で終わったけれど、リサイタルだったら当然、アンコールがあるでしょう?ですから2曲ともアンコール・ピースなんです。コンサートに来ていただいて2時間一緒に過ごしてもらって「ああ良かった、また来たい。今日は生き返った感じだ」って思ってもらうことがコンサートの役割でもあるし。CDだったら73分を聴き終わった後に「もう一度流したいな」「人に勧めたいな」とか「プレゼントしたいな」と思ってもらえるような。作品なのだけれど、製品で商品なわけですからコンセプトは必ず必要ですし、自分の好きな曲だけを集めましたというよりも、皆に受け入れられるものを作りたいんです。

———楽曲解説を加藤昌則さんが書かれていますが、個性的で面白かったです。

藤木:曲の説明は絶対してくれるなって言って、全曲を編曲したあなたしか書けないものをやってくれって言ったらその通りに書いてくれたから「天才!」って言いました(笑)。やっぱり彼が編曲したものですからその思いも語ってほしかったですし。でもCDの場合、語る場所は解説の他にないじゃないですか。

———そうですね。今回は舞台と違ってピアノ演奏は別の方ですし。

藤木:CDを作るにあたっては、この編成でやるというのは伝えてあって、自分で弾きたいだろうなって思ったけれど、一度、地方の仕事で一緒になった時があったので朝ご飯の時に少し時間をとってもらって、「実は加藤さんには全体を俯瞰してほしい。自分が編曲した曲、あるいは作曲した曲を、俯瞰することによって気づくこともあるだろうし、その結果がきっと、《400歳のカストラート》を再演することになったらまた弾いてくれる時にもつながるだろうし、他の曲を編曲してプラスしていく時にも通じると思うから」と説明したら分かってくれて。それで今回はこの役に徹してくれたんです。

ヤバいメンバーでやりたかった—この方々と音楽が出来て良かった!

———今回のCDのアンサンブルには素晴らしい奏者が揃っていますが、どのように集まってきたメンバーなのですか?

藤木:基本的には僕がお願いしたい方たちに依頼しています。僕が思ったのは、まず僕のことを知っていて、僕もその方の人となりと人柄を知っていて、かつ僕の歌を好んでくれ、歌のCDの収録に熱意を持ってやってくれると思えた人に声をかけて。そして皆さん、僕の気持ちを受け取って熱意を持って参加してくださって。この方々と音楽ができて良かったです。ヴァイオリンの成田達輝さんは《400歳のカストラート》でコンサートマスターをお願いしましたし、同じくヴァイオリンの小林美樹さんは共演をするのは今回が初めてですが会ったことはあって。ヴィオラの川本嘉子さんはブラームスの「アルトのための2つの歌」をご一緒したことがあって、その後、別の演奏会で、これはお互い違う出番だったんですが一緒に出演した時に別れ際に「また何かあったら」って言って別れたんです。それで、これは声をかけてもいいかなって思えて。チェロの中木健二さんはわりと同世代なのですがこれまで知り合う機会がなくて、でももちろん実力は分かっていて、ちょうどキングレコードからCDも出しているしということで話をしたら受けてくださって。松本和将さんは学生時代から一緒に演奏をしているピアニストなので、こういうメンバーになりました。素晴らしいメンバーや豪華メンバーというのは良く聞きますが、それを超えた“ヤバいメンバー”でやりたかったんです。「これヤバ!」ってなるくらい。楽器名とか書いていなくてもみんな誰だか分かるくらいでやりたいなと思ったんです。そうしたらCDを手に取る人も興味を持ってくれるし。このCDって3,500円するんですね。この商品は税込み3,500円という値段が決まっているんだけれど、3,500円で出来ることって他に何か思いつきますか?

———映画を見たり…とかですよね?

藤木:もしくはランチとか、近場の日帰り交通費とか。3,500円のCDはそういう他の楽しみなことに勝たないといけないんです。それらと比べて消費者に選んでもらわないといけないんですね。そのための価値をどう作るかということを考えないといけない。そういう意味でこの3,500円というCDの値段で競争するのなら、最大の魅力をそこに詰め込まないといけないんですね。それは共演してくださる皆さんだったり、曲でもあり、編曲でもあり、ブックレットでもあり。それが今回、実現できたと思っています。

———もとの曲の伴奏がピアノやオーケストラであるものが、ピアノ五重奏に編曲されているわけですが、迫力があるし音の純度が高いように感じます。これはやはり演奏者の力もあると思いました。

藤木:そう思います。皆さんそれぞれソリストとしても立派な方ですが、やはり素晴らしい人柄で、素晴らしい音楽家だから協調性があるし、レコーディングの現場は和気藹々とした雰囲気でした。もちろんお友達同士ではないシビアさがあり、世代の違いがあるのも功を奏し、お互いにプライドも尊敬もあるプロフェッショナルな場だったと思います。皆、負けたくないし、僕だって自分が最高でいたいと思うし。だけれど協調性を崩さずに、皆が平等な立場で意見を交換できて、良いものを作ろうという思いが強かった。僕はその音楽に乗っかって歌えたんです。それはやっぱり加藤さんが音楽的に統率してくれたからなんですね。現場に来て指揮もしてくれて。彼の編曲ですから何か疑問があれば彼に聞くことができる。そういう役割を務めてくれたのでうまくいったと思うんです。

———楽器がそれぞれかなり歌っていますね?

藤木:加藤さんの編曲が、優れた奏者の良いところを出せるように書かれているんです。だから皆、自分のベストが出せるように努力しますよね。メンバーが決まってから編曲が仕上がったので、もう当て書きなんです。

———レコーディング風景のPVや写真を拝見していると、とても楽しそうなんですが、おそらく演奏は真剣勝負なんですね。

藤木:本当にそうでした。もう、少しでも合わなかったりすると俺がすごい見られて。「おわー!怖い!」って思いながらやっていました(笑)。「今、合わなかったよね」って言われて「確かに」となって、「もう一回やらせてくださーい」とか。やっぱり一応、僕は歌手なので、そういうのが彼らと比べると一番弱いんです。音程の良し悪しとかは皆さん全部分かる人たちなので。僕は皆さんのぴったりした音程の中で泳がせていただきました(笑)。

カラオケがきっかけで選曲された曲も

———加藤さんの『レ・ミゼラブル』の解説で、ミュージカルの伴奏はクラシック音楽のそれと比べて拍の刻みがより均等で、だからこそ歌手は自由に崩しながら歌える、という記述が面白かったです。それからそのすぐ後のヘンデルの《ガウラのアマディージ》「抗いようのない悲しみが」では、激情を冒頭のチェロの持続音に託したということも。やはり編曲した方の解説は発見があるし、面白く聴けます。バロック・オペラではヘンデルだけでなくヴィヴァルディの《ジュスティーノ》も入れていただいて嬉しいです。

藤木:《ジュスティーノ》「喜びに身を震わせて」は、それこそカウンターテナーになろうと思った時に、YouTubeなどで散々聴いた曲です。フィリップ・ジャルスキーが歌っていて上手だな、と。今はオルリンスキーがあの有名な動画で歌っていますし。もうあらゆる人たちが歌っていますが。あんな曲調なのに歌詞は喜びを歌っているという、相反するところがまた面白いですね。

———ベートーヴェンの「アデライーデ」も名曲ですね。加藤さんのアレンジはピアノと弦の組み合わせ方がビビッドで凄いです。

藤木:大好きな曲です。ヴンダーリヒが歌う「アデライーデ」が好きでよく聴いていました。そうしたら僕が前作のCDで共演したマーティン・カッツさんのピアノでデイヴィッド・ダニエルズも録音していて、それで何となく自分もリサイタルに入れるようになって。前奏でソロ・ヴァイオリンがとてつもなく上手いんです。そして最後にモーツァルトっぽいものを入れて終わるのが加藤さんの技で素晴らしいです。

———ヨハン・シュトラウスの《こうもり》から「お客を招くのが趣味でね」。これはある種、藤木さんの十八番という感じがしますが。

藤木:オペラはまだ舞台で歌ったことがないんですが。そろそろオルロフスキー公はやりたいと思っています。

———見たい!

藤木:新国立劇場がまだ僕にオルロフスキーを、って言ってくれていないから(笑)。

———それは不思議です(笑)。もしかするとオルロフスキーだけ注目されてしまうからでしょうか。この曲は特にカウンターテナーが歌う良さが出るように思います。

藤木:昔はこの曲の高音部分を下げて歌っていたんですが、今は出るようになって楽譜通り高い音で歌っています。なんとなく諦めていたんですが、一度、大野(和士)さんの指揮でサラダ音楽祭で都響さんとご一緒した時に、その時が大野さんとの初共演だったのですが、「やってみるか」と思って上の声を出したら出たんです。大野さんのおかげでやれちゃいました。乗らされて(笑)。それまではオーディションなどでもその高音部分は下げて歌っていたんですが。

———年と共にますます攻めの姿勢に。

藤木:そうです。世の中にちょっと爪痕を残さないと(笑)。

———素晴らしいです。確かに心に刺さる曲がかなり多いです。

藤木:マスカーニからの3曲は、もう、ここで泣いてくださいというところです。キングインターのプロデューサーの方が「ここ3曲もいる?くどくない?」って言うから、「3曲いるんだよ、ここは泣くところなんだから。ここで泣くところを作らないでどこで泣くんだよ」って(笑)。

———人間、泣きたい時もあるんだよ、と。

藤木:そうです。ここいるだろ、って言って、無理やりねじ込みました。

———そこから続くマーラーも非常に良いですね。しかも、このアルバムのためのアレンジで。

藤木:この曲は冒頭部分から川本嘉子さんのヴィオラ・ソロが素晴らしくて。この曲は本当に絶望なんですよね。そういう暗さがあるけれど、この歌曲は全曲を通しで何度も歌っていますが、その中でもこれはとてつもなく良い曲で、形に残せて良かったなと思っています。

———この曲こそ、カストラートの物語とすごくリンクする曲ですね。舞台では歌われなかったので、今のところアルバムのみの収録ですが。

藤木:はい。もちろんリンクする曲なので選んだわけですが。ところで、言い忘れないうちに言っておきますと、《400歳のカストラート》の舞台で字幕を出したんです。僕はCDの歌詞対訳も古くて意味がよく分からない日本語を読むのが嫌なんです。文語調といいますか。だから新しくて伝わりやすい方がいいなと思って、舞台で使用した曲に関しては、その字幕を担当してくださった本谷麻子さんに掲載をお願いして。ですからブックレットに舞台で使用した字幕の歌詞が載っています。少し意訳のところもあるんだけれど、読むお客さんの心に入ってくるように、伝わることを大事にして思い切って入れました。

———《レ・ミゼラブル》の「I Dreamed a Dream」はもちろん名曲なんですが、この曲もやはり舞台では歌っていない曲です。

藤木:これも曲数が多いので入れられなかった曲の一つです。「I Dreamed a Dream」は、ミュージカルの中では役柄としては女の人の歌で(ファンティーヌ役が歌う曲「夢やぶれて」)、僕は本来、ポリシーとしては女役はやらないことにしているんです。だからケルビーノは歌ってもカルメンは歌わないようにしているんですね。それはやっぱり見ため的に、舞台でやったら少しおかしいというか、奇をてらいすぎになってしまう。いくら裏声でその音域が出たとしても成立しないと僕は思っています。そういうわけで本来のキャラクターが女性の役はやらないことにしているんだけれど、この曲だけは例外で、コンサートでも今まで歌ってきています。やっぱり名曲だし。ミュージカルの曲をオペラ歌手が歌うということで、今風に言うと「歌ってみた」だけれど、「歌ってみた」で終わっちゃダメなんですよ。原曲の良さが最大限に出る演奏でなければ。これまで何度もコンサートで歌ってきて、この曲は伝えたいと思う力があるし、やってみたかったので。このメンバーで真剣にやることによって、ミュージカルの曲にも違う魅力が出るのではないかと思って入れました。

———それこそ藤木さんが先ほどおっしゃったように、普遍的な良さがあるし、曲として独立して聴くことができますね。

藤木:もともとこの曲は、まだこんな時代になる前に僕のマネージャーさんを含めて何人かでカラオケに行ったんです。他のみんなが色々と歌う中で、僕も何か歌わないといけなくなって、じゃあ《レ・ミゼ》のあの曲を入れてみようかな、って。キーも選べるから。それで歌ってみたら「いいじゃないですか、それ」ってなって(笑)。その時に、当時のレコード会社の担当の方もいて。それ以来、コンサートのレパートリーに入れ始めたんです。だからこの曲を入れたきっかけはカラオケです。《レ・ミゼラブル》の舞台ももちろん観ているんですけれども、自分が歌うようになったきっかけはその時です。

———藤木さんの英語の歌はまたとても良いですね。ところで、この後に、ヘンデルがもう一曲入っています。

藤木:《ガウラのアマディージ》からのこの曲は、時代をそこだけ無視してもう一度ヘンデルに戻らないと、その先のドラマにやっぱり行かれないんです。この曲って本当に強くて。曲調を思い出すだけでも何だか今、ちょっと辛くなってくるけれど、それくらい重いというか、苦しみと悲しみを持った曲ですね。あのリズムだけであの辛さを出せるのはヘンデルはやっぱり凄いです。

———この曲は素晴らしいですね。しかもこれはすごく切ない話じゃないですか。自分が愛している人が別の人を愛しているということを知ってしまう苦しみなわけですよね。その次の曲は《400歳のカストラート》の脚本を書いた平常さんのお勧めの曲ということですが。

藤木:平常さんが、会議の時に讃美歌のCDを一枚持ってきて。彼のお母さんがよく歌ってくれたから「これをぜひ歌ってほしい」って。物語的にも主人公が母の記憶を思い起こすシーンに使われて、ストーリーにも合うからとやってみたら本当にとても良かったんです。舞台での上演は2020年2月だったので、曲の繰り返しの所をまだみんなで歌えたんですよ。皆さんどうぞ、って「かみともにいまして」と、皆さんのうっすらとした歌声が東京文化会館を包んで感動的だったんです。この録音では本来合唱が入るところも自分で歌い、一番と二番も違う歌い方で歌っています。そしてこの曲は、編集をしている時に聴いていて、ピアノの松本和将さんの演奏に対して、「これしか音符がないのに、なんでこんなことができるんだ!」と思いました。松本さんの凄さを聴いてください。

良い声を出すことより言葉を伝えることが大事

———同じことは藤木さんご自身にも、他のメンバーにも言えることかも知れないですね。このアルバムにはシンプルな曲がかなり入っていて、でも「この歌い方しかない!」という部分があり、それは技巧的な曲よりもずっと難しいと思うのですが、そういう曲が多く入っているのは凄いなと。

藤木:だから難しかったです。でも頑張りました。やっぱり言葉が大事なんです。僕は日本語だけではなく、外国語も絶対ネイティヴが聴いて分かるようではないと嫌だし、それはやっぱりボローニャでイタリア語のオペラを歌い、アイルランドで英語の曲のリサイタルをやって、ウィーンでドイツ語のオペラを歌ったという経験から来ていると思うのです。伝わる喜びを知っていますし、伝わらないと意味がない。言葉が伝わらないと音楽が共有されないのも知っていますから。このCDがどの国で聴かれても、その国の母国語の人が分かるようじゃないと嫌だし、僕がやる意味がないです。日本で日本語がよく分かりましたと言われるのが一番嬉しいし、それは他の言葉もそうなんです。

———言葉を歌っているという意識がすごくあるということですね?

藤木:言葉しか歌っていないです。歌は言葉が伝わらないと、そうじゃなければ歌はいらないと僕は思う。メロディだけだったら別に歌という楽器ではなくても良いけれど、テキストがあることで歌になるわけだから。僕は究極を言えば、良い声を出すことより、言葉を伝えることが大事だと思っています。

———お言葉を返すようですが、ラフマニノフのヴォカリーズも素晴らしかったです(笑)。

藤木:ありがとうございます(笑)。でもだから、母音で伸ばした時には、その言葉がないところに意味を込めないといけないんです。これは留学して習ったことで、ヘンデルのコロラトゥーラ(装飾歌唱)を歌っていても、技巧だけでなくそこに何か感情とか思いがないと伝わらない。それは外国で学んだ重要なことでした。

———日本語の曲ですが、木下牧子さん作曲の有名な「鷗」があり、そして加藤昌則さんの素晴らしい2曲があり。その間には村松崇継さんの大変人気のある「いのちの歌」を取り上げていらっしゃいます。村松さんのYouTubeに「生命の奇跡」を藤木さんとコラボした動画があがっていますが、あれがお二人の出会いですか?

藤木:そうです。あれはもともと、先ほどカラオケのところに出てきた僕のマネージャーのOさんという人が、確かシューベルトの「水車小屋の娘」を歌ったコンサートの後の打ち合わせだったと思うんですが、「藤木さん、作曲家の村松崇継さんって知っていますか?」と。「どういう曲を書く方ですか?」「『いのちの歌』です」と言って、その飲み屋で「いのちの歌」を歌い始めたんですよ。「竹内まりやさんが詞を書いているんです」「いい曲ですね、聴いてみます!」と。藤木さんにお繋ぎしたいのでと言われて「ありがとうございます」ということになり、村松さん側と打ち合わせをさせていただいて。そして二ヶ月後位に村松さんの方から、リベラのために作った「生命の奇跡」をYouTubeのチャンネルで藤木さんに歌ってほしいからと連絡をいただいて、それを撮影しました。今回は「いのちの歌」を取り上げたことで、このCDにもメッセージを寄せていただいています。

———マネージャーのOさん、曲の選択が天才的ですね。

藤木:彼が僕のために「いのちの歌」を歌ってくれたんですよね。ビールを飲みながら(笑)。《レ・ミゼラブル》もそうですが、彼の影響で入った曲なんです。CDの録音と編集が終わった時点で、試聴会をやったんですが、その時に僕の横でとっても嬉しそうに聴いていて、「藤木さん、これ、僕が好きな曲だから選んでくれたんでしょ?」って(笑)。

———でも、さきほどの平常さんが強く推薦されたという讃美歌「神ともにいまして」もそうですが、少なくとも誰かが「藤木さんでこの曲をぜひ聴きたい!」と思う曲は、他の人が聴いても良いという可能性があるんじゃないでしょうか。

藤木:そう、ですから広く曲を募集したいところですよね。もうすぐ(2021年10月)名古屋で山口茜さん脚本・演出、増田真結さん作曲の「ひとでなしの恋」というモノ・オペラを歌うんですが、後半はこのモノ・オペラ、前半は増田さんが影響を受けた作曲家で藤木に歌わせてみたい、という曲を選んでいただいて歌うんです。伊福部昭さんの「ウムプリ・ヤーヤー」、三善晃さんの「林の中」、林光さんの「誰が明かりを消すのだろう」、フィリップ・グラス《アクナーテン》のアリアも入れています。そしてこの夏に歌った渋谷慶一郎さん作曲の《Super Angels スーパーエンジェル》から「五人の天使」という元は合唱曲だった曲も歌う予定です。人が僕に合いそうだ、と思うアイディアはとても大切です。

———確かにそうですね。

藤木:リサイタルもたくさんさせていただいているし、歌いたかった歌は結構、歌っているんです。そうなるとやりたい曲がだんだん思いつかなくなってきていて。オーケストラと共演すると突然、なかなかやらない曲を指定されたり、あるいは新曲を依頼されたりということはありますが、それ以外はだいたい歌ってしまったので、僕に合いそうな曲を教えてもらえるのはとてもありがたいんです。

———その意味で、この村松崇継さんとのコラボレーションも良かったです。「いのちの歌」は村松さん自身が歌われたのをYouTubeで聴きましたがそれも素晴らしく、それを藤木さんが歌うとこうなるんだ、というのが興味深かったです。

藤木:上手ですよね。ちなみに楽譜を拝見するとかなり細かく書かれていて、ポップス的な声のかかり方をしています。もちろん基本的には楽譜通り歌うのですが、全部やっていると、クラシック歌手が歌う意味がなくなるかと思って。節を回しすぎずに僕流に歌わせていただいても村松さんとしては全然良かったようでした。そうなるとこのアルバムのラインナップとして曲を聴けば、クラシックの曲としても聴いてもらえる。そういう意味ではジャンルとかボーダーはないと思っていて、それは目指したところなんです。なぜ突然ポップス?なぜミュージカル?と思われても、いい歌はいい歌だから、いい歌として聴いていただければ良くて。そして自分が出来るベストな歌唱をすればいいだけなんですよね。前にもお話ししたかもしれませんが、カウンターテナーとかアルトとかじゃなくて、歌手でいい、ヴォーカリストでいいじゃないっていつも思うし、声の種類分けは便宜的なことであって歌を歌うということに変わりはないのと同じです。だからミュージカルも讃美歌も入っているけれど自然に聴いてほしいと思っています。

———そうですね。それがこのアルバムのはっきしりたカラーだと思います。ですから「もしも歌がなかったら」が最後に入っているのも納得ですね。聴いている私たちも「歌がなかったら人生どうなるの?」という感じですし、その気持ちがこうして歌になっていていて藤木さんが歌ってくれる。作詞の宮本益光さんご自身も歌手ですし。

藤木:もう宮本・加藤ペアはズルいくらい天才で。

———最強のペアですね。言葉の感覚にも並外れているものがありますね。

藤木:本当にすごい。伝わるものを作っていらっしゃるし。宮本さんはLINE友達なのでご連絡して「この曲を録ろうと思っていますがいいですか?」って。そうしたら「やめて、泣いちゃうじゃん」って言われて、「あ、やめてじゃなくてやってほしいってことだよ」とも(笑)。可愛いでしょう?

———可愛いです、その返しは(笑)。そして、こうやって皆さんが歌われるから名曲は残っていくんだなと思いました。

藤木:この曲でプロモーション・ヴィデオを撮りましたのでぜひ見てください。メイキング映像的な切り口のものです。

【Kinginternational】藤木大地 Daichi Fujiki /もしも歌がなかったら~アルバム『いのちのうた』

———アルバム全体のつくりを見ても、クラシック音楽ファンはもちろんのことですが、それ以外でも、生きていくのに歌を必要としている人なら誰にでも聴いてもらいたい、という感じに仕上がっていますね?

藤木:本当にこだわりました。音にも、メンバーにも、ブックレットにも。やっぱり大和田漠さんが巻頭言を書いてくださったことはとても意味があるし、島田雅彦さんにもコメントを書いていただいて。島田さんに関しては、バリトン歌手でウィーン・フォルクス・オーパーで歌っている平野和君が島田さんの大ファンで、「島田さん、日本のカウンターテナーを主人公にした小説を書いていてね」と教えてくれたから、新国立劇場のオペラ《スーパーエンジェル》でご一緒した時に、「島田さん、カウンターテナーを主人公にした小説を書いているんでしょう?」って言ったら「そうなの。僕は昔からカウンターテナーが好きで、ドミニク・ヴィスと一緒にご飯たべたことがあってね…」と。その話の途中で僕は舞台に呼ばれてしまったんですが。でも、それがすごく印象に残っていたから、カウンターテナーがお好きなら絶対いい言葉を書いてくださると思ってお願いしました。それも僕の演奏活動のご縁だし。この素晴らしい作品は、僕の演奏活動の延長で出来ているという考えには違いなくて、今まで出会った人や事や曲で成り立っている、2021年41歳の藤木大地のアルバムなんですよね。

———島田さんのコメントは、まさに島田ワールドという感じの賞賛のお言葉でしたね。

藤木:僕のことを“シャーマン”ですからね、シャーマン。僕、シャーマンがわからなくてググりましたから。そうしたらすごい祈祷師みたいな人が出てきて、「おお!これか!」と思って(笑)。俺、あだ名がシャーマンになったらどうしようかと思って。まあ、小学校じゃないから大丈夫かな、とか思いながら(笑)。

———そうしたらもうシャーマンとして活動していただいて(笑)。

藤木:シャーマンって呼ばれたらどうしよう。自分からそう名乗った方がいいのかな(笑)。

劇場に足を運んでくださるきっかけを

———コロナの期間についてですが、新国立劇場の閉鎖期間後の再開の演目となった2020年10月のブリテン《夏の夜の夢》では、藤木さんはもともと主役オベロンに予定されていましたが、そのすぐ後にBCJのヘンデル《リナルド》題名役の代役が入り、今年の夏には《スーパーエンジェル》にも主演と、普段より一層忙しくなった面もあったように思いますが?

藤木:《リナルド》はもともと別の役で出演予定ではあったのですが、ヘンデルのオペラは主役になるとアリアが8曲とかあるし、当然アリアは装飾を考えなくてはいけないのであの時は本当に忙しすぎてどうしていたのかもう覚えていないくらいです。主役を歌うようになって思ったのは、例えばコロナに感染することはその人が悪いわけではないけれど、もし自分がそうなったら公演自体が中止になってしまうこともあり得る。その責任は持たなくてはいけない。僕の目標は僕にしかできない仕事をすることだけれど、それは裏返せば僕自身がいなくなったら出来なくなる仕事もたくさんあるということで、色々な人の仕事を奪う結果になることだってあるから、それはすごく気をつけています。それはやっぱり新国立劇場で主役をさせていただくようになって、《夏の夜の夢》オベロン役でも外国人が他にもいるのに藤木を呼んでくれたなら、それだけのものを演じなければと。劇場の価値や評判も高めなければいけないし、劇場の力にもなりたいと思いますし。METライブビューイングでも、アンソニー・ロス・コスタンツォとか、ルネ・フレミングさんなどがプレゼンターとしてすごくフレンドリーにしゃべっているじゃないですか。METの看板スターとして。そして劇場が素晴らしい活動をするためにはぜひ寄付をお願いします、ということをあんなに自然に出来るというのは、これからの時代は劇場を背負う歌手としてはやらないといけないことだと思うんです。だから新国立劇場が僕をそういうふうに見てくれているなら喜んでその責任を果たしたいと思うし、皆さんが広く劇場に足を運んでくださるようにと思って、僕は勝手にその責任があると思っています。

———ところで最近(2021年9月末発表)、藤木さんが横浜みなとみらいホールのプロデューサー in レジデンスに就任されたというニュースがありましたが、それはどういうお仕事をなさるんですか?

藤木:発表は9月末でしたが当然お話はその前からいただいていました。みなとみらいの新しい館長に就任された新井鷗子さんからお話があって、「演奏家にプロデューサーになってもらって、演奏家主体でホールと共同して企画を作っていくという制度を考えている。やってもらえませんか?」ということでした。もちろん「喜んで」とお返事しました。みなとみらいホールは現在閉館中で、2022年11月のリニューアルオープンからの1年間の任期なんです。いくつかのプロジェクトはもう提案して、動いているところです。リリース文にも書きましたが、各地の劇場と共同制作をして、どちらの劇場で公演してもパートナーの劇場の名前が地元以外で知られるようになり、演奏家にとっては2公演以上出来る、関係者もそれだけ仕事が増える、というように、色々なところに経済効果が生まれるはずです。とにかくコンサートホールから経済活動をしたいんです。テレビで言われているのは飲食店や旅行業などの多くの人が関わる分野の経済活動の話ですが、僕らにとっては一番大事なのは音楽活動であって。こうやってCDが発売されるから取材もあるわけで、何かが行われないとその周りは動かない。だからここ1、2年、先が見えなくてすごく苦しい思いをした人たちが仕事を続けていくためにもプロデューサーがそれを生み出していかなくてはと考えていて、せっかくそういう役割をいただいたので結果を出したいと思っています。最初にホールの方と打ち合わせをした時に、横浜市民はこういう気質なんです、という冊子をいただいて、それを拝見したらさまざまなケースの稼働性や集客率を細かく分析していて、緻密な組織なのがよく分かりました。

———歌手のお仕事は集中も必要だし、勉強する時間も必要だと思うのですが、歌手の活動とプロデューサー業を両立させるのは大変ではないですか?

藤木:僕は両方だとは思っていないんです。自分がマルチな人間だとも思っていなくて、僕は歌手なんですよ。歌手として演奏活動をした結果、そういうお役目を頂戴したり、全ては歌手という道の側にあるんです。時間的には、今は事務作業などで何人か手伝ってくださる方がいるからこそ出来ることなんですが。でもアイディアは常にあって、それを然るべきところに伝えて進めていくのがプロデューサーの仕事なんです。アーティストとしてプロデューサーに雇われた場合、演奏がダメだとダメですよね?だから僕が少しでも下手になったらダメだと思うんです。常に昨日より今日の自分の方が上手くなっていないといけないし、今日よりも明日上手くなっていないといけない。いつもベストの状態にいないとプロデューサーとしての説得力も無くなります。仮に自分が出演する公演をプロデュースしても意味がなくなってしまいますよね?だからまず自分の演奏に責任を持たなければならない。そのクオリティを保つためにはもちろん勉強する時間も必要ですが、おかげさまで良いスタッフの方々に恵まれて、録音をするならレコード会社、演奏活動をするならマネージャー、プロデュースをするならホールの方と話し合いながら進めていけば大変ではありません。というか何より楽しいし、それがまた演奏活動に戻ってくるし、その経験がまた自分が歌が上手くなるきっかけになる。

———なるほど。だから新井鷗子さんはアーティストにプロデューサーになって欲しかったんですね。

藤木:そうです。僕が歌手だから依頼されたんです。

———ではそのことも含めて、藤木さんが今のこの立ち位置になったから見えている風景を踏まえつつ、今後の予定と夢があったら教えていただけますか?

藤木:前にもお話しした通り、僕の歌手としてのキャリアはそれほど長くはないと思うんです。声が出なくなる時がいつかは来る。それは《400歳のカストラート》の舞台でも表現しましたが、いつかは来ますし、自由がきかなくなり、自分で声をコントロールできなくなったらもう辞めようと思っているんです。やっぱり僕はキャリアは全盛期に終えたいんです。それがあと4年か5年、それとも10年か分かりませんが、まだ歌えるうちにMETでも歌いたいし、スカラ座でも歌いたいし、それをいつも言い続けています。僕がカウンターテナーになった時に、これで生活したいと言っても誰も信じなかったかもしれないし、その時にウィーン国立歌劇場で歌いたいと言っても誰も本気にしなかったと思うけれど、でも言い続けたことで出ることができたし、アメリカなんてもう15年も行ったことがないから分からないけれど、出たいと言い続けることで出られるかもしれないし。言葉の力というのを僕は信じています。ウィーンもまた出演したいですし。聞かれれば言い続けようと思っているし、それでもし仮に出られなくても、それを目指して上達した成果は失われないし、やはりメジャーリーグの先発ピッチャーを目指していかなければ速い球は投げられないので。だからそういうつもりでいつも練習していますし、このCDも世界の色々な歌劇場の支配人にも聴いてほしい。一枚目のCDはそうやってウィーン国立歌劇場のメイヤー氏にも渡すことができましたし。学生の頃にはスカラ座の舞台は映像でだけしか観られない遠いものだと思っていたけれど、幸いこれまでやれて来たので、今は近くもないけれど遠くもないのは知っています。それは今までの経験を経て見えている景色で言えることです。もちろん日本で歌う時には、日本のお客さんが演奏会に来てくださったら、その2時間をチケット代とその人がくれた時間に対して、それ以上のものを経験して帰ってほしいです。

———CDも同じことですね。

藤木:そうです。ちなみにこのCDは僕は歌のCDというよりは室内楽だと思って作っています。レコーディングの最初にテスト録音を聴いて、歌が大きかったのでエンジニアの方に、これは僕の声だけでなく皆の演奏も録ってくださいと。僕が歌のCDではないと思っているから、奏者の皆さんもその想いを共有してくれたのでああいうものが出来たんだと思っています。ですから3,500円のCDをそれ以上の価値があるものとして手元に置いてほしいですし、いいと思ったら友達に紹介してほしいですし、プレゼントにも使ってほしい。CDが売れなくなったと言われるようになって久しいですが、それが事実なら、売れなくなったということで諦めてはだめなんですよ。じゃあ売る方法を考えなくてはいけない。演奏家は演奏だけ、売る人は売るだけ、ではなくて皆が全部に責任を持たなければと思うんです。このアルバムはレコード会社の皆さんに集まっていただいてCD試聴会をやりましたが、その結果どういうCDだか分かって、じゃあがんばって世の中に広めようということになったので、そういうことだと思うんです。今は皆、個人主義だけれど、仕事はチームでやるべきだと思うし、人の力が集まったら出来ることって一杯ありますから。

あれが最後でもいいや—毎回そう思えるクオリティーで演奏したい

———藤木さんのオペラの舞台を拝見しているので、藤木さんの歌や舞台が本当に一流のものだというのは分かるのですが、それと同じくらいに藤木さんは、人と一緒に仕事をすることや、文化を経済に乗せて多くの人に届けたい、幸せになってもらいたいというエネルギーがすごいと思うんです。その藤木さんのエネルギーはどこから来るものなんでしょうか?

藤木:エネルギーがありますか?どうでしょう。オン・オフが割と激しいので、オフの時には何もしていません。先日も疲れて寝落ちしてしまって、お風呂の中で寝ちゃって風邪をひくんじゃないかって、気がついたら2時だったとか(笑)。普通ですよ。

———《夏の夜の夢》と《リナルド》をほぼ同時期に歌われた時にも両方をあのクオリティーで出来たのはやはりすごい集中力だったのではないでしょうか。このアルバムを作り上げるのにもそうですし、ずっと全力疾走しているイメージがあります。

藤木:多分、歌手として終わりから逆算しているからかもしれないです。今、41歳。50歳まで歌えるとしたらあと9年。それまでにやりたいことは全部やりたい。だから1日も無駄に出来ないんです。舞台にしても2020年2月15日の《400歳のカストラート》公演の後、7月18日のびわ湖ホールのリサイタルまで5ヶ月無くなってしまった。その間、次があるのかさえも分からなかったですが、最後の公演が良かったからいいやって思った。あれが最後でもいいやって。毎回そう思えるクオリティーでいつも演奏したいと思っています。だからCDもこれが最後でもいいんです。良く出来たから。もちろんまた作れればいいんだけれど、明日急に死んでしまうかもしれないんだし、それは誰にも分からないことだから。その密度ではやっているから、それがたまたまエネルギーとして出ているのかも知れません。

———なるほど。それは納得出来ます。

あとは、喜んでくれる人がいるからですね。自分が歌ったらお客さんが喜んでくださるのを舞台から感じているから、またそのためにやろうと。もはや自分のためではないんです。これは本当に言えるんだけれど、昔は自分のためだったんです。目立ちたかったし。今は全然そんなの思わなくて、むしろ色々な経験をして、オペラに関しても、僕はちょうど新国立劇場がコロナで閉まる前の(中止になった)最後の演目《ジュリオ・チェーザレ》にも、再開した《夏の夜の夢》にもいたので、どれだけの人がオペラに関わってきて、色々な人が目標を失ったのを知っているから、ようやく舞台が戻ってきたのは、歌手のためじゃなくてみんなのためなんですよね。もちろんファンのためでもあるし、というのをずっと思っているから。だから一人じゃないと思っていつもやっているのでエネルギーがあるのかも知れないですね。現場では自分の仕事に集中しているから、皆に愛想を振りまいているわけではないけれど、感謝は伝えているつもりですしそうじゃないといけないですから。

———人間やっぱり一人ではないですものね。

藤木:絶対違います。一人じゃ何も出来ない。リサイタルも藤木大地のアカペラ・コンサートで独りで歌うのじゃ飽きちゃいますし(笑)。マウリシオ・カーゲルの《バベルの塔》を全部やるとか、佐藤春夫の詩に早坂文雄が作曲した「うぐいす」が入っている《春夫の詩に拠る四つの無伴奏歌曲》とか、探せばありますけれど…。あとは《アメージング・グレイス》みたいな曲をいっぱい歌うとかしかないから、じゃあ、もう無理だなと思って。

———かなり攻めているリサイタルになりそうです(笑)。

藤木:ちょっと辛そうだし、僕はやっぱりやめておきます。誰か興味がある人に譲ります、このアイディアは(笑)。やっぱり人と一緒の方が楽しいですから。

———これからも色々な人と一緒に素敵な音楽を届けてください。今回も長い時間、どうもありがとうございました!

インタビュー・文:井内美香  / photo: Naoko Nagasawa

CD情報
いのちのうた〜Song of Life

  1. 主よ、人の望みの喜びよ(J.S. バッハ)
  2. 喜びに身を震わせて(ヴィヴァルディ:歌劇『ジュスティーノ』)
  3. 怪物や魔物と戦わせてくれ(ヘンデル:歌劇『オルランド』)
  4. アデライーデ(ベートーヴェン)
  5. お客を招くのが趣味でね(J. シュトラウスⅡ世:オペレッタ『こうもり』)
  6. アヴェ・マリア(マスカーニ)
  7. ヴォカリーズ(ラフマニノフ)
  8. アニュス・デイ(バーバー)
  9. 私はこの世に忘れられた(マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲)
  10. I Dreamed a Dream(ミュージカル『レ・ミゼラブル』)
  11. 抗いようのない悲しみが(ヘンデル:歌劇『ガウラのアマディージ』)
  12. 神ともにいまして(讃美歌)
  13. 鷗(木下牧子)
  14. 絶えることなくうたう歌(加藤昌則)
  15. いのちの歌(村松崇継)
  16. もしも歌がなかったら(加藤昌則)

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