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【インタビュー】メゾ・ソプラノ 池田香織《後編》多くの出会い、受け継ぐ伝統

【インタビュー】メゾ・ソプラノ 池田香織《後編》多くの出会い、受け継ぐ伝統

前編に続き、多くの音楽家からの信頼篤いメゾ・ソプラノ池田香織のインタビューをお送りする。今回は、前編においてすでに登場した方々も含め、彼女の音楽家人生での出会いを深く掘り下げていく。


小山由美さん、飯守泰次郎さん

小山由美先生との出会いについても教えていただけますか。

1997年の新国立劇場開場公演『ローエングリン』に合唱で私は乗っていたんですが、その時小山先生に初めて現場でお会いしました。最初に見た時からすごいインパクトがあって、でも普段はプリマっぽくなくて。いい意味で日本人離れしてるなと感じました。ソプラノは高い声、メゾは低い声、のような雑なファッハ(Fach, 声楽上の区分)では収まり切らない魅力があって、メゾでもオルトルート役に必要な高域も抜けるように歌っていました。でも、ソプラノの高域とはどこか違う禍々しさのある味で。その自由自在さに強く惹かれたんですね。そして翌年、二期会『タンホイザー』のヴェーヌス役で小山先生が出られていた時また私も合唱でしたので、チャンスと思って連絡先を聞いて師事できることに。沢山の現場で色々な歌手を見てきた中でも、役柄に対してのアプローチが自在で、声の高低ではなくキャラクターで「私はメゾなんです」という姿勢も自分の中で共感する所でした。あと私がとても幸運だったのは、先生とよく似た声を持っていたこと。先生はドイツが拠点なのでレッスン回数が限られていたんですが、少ないレッスンの中でも「真似」がしやすかったんです。

前編でも触れていただいた飯守先生のお話をもう少しよろしいですか。

オーケストラル・オペラの時に印象に残ったことなんですが、飯守先生っていざ稽古が始まるとその人が本役か代役かって関係なくなっちゃうんですね。私はアンダースタディだったので、正直私にダメ出しをする必要ってないわけですし、実際「本役の方がいらしたらお伝えします」という演出家の方もいらっしゃいます。でも飯守先生は私にもすごく要求をしてこられる。最初は独特の「飯守語」に戸惑いました。『ローエングリン』オルトルートの時なんて、「音程とリズムがしっかり合ってる。合ってるんだけど…合ってない方がいい!」とか。何を言ってるんだろうと思いますよね(笑)。でも、休憩時間にバイロイトで歌っていた歌手の特徴や役との相性などの話を沢山うかがって、全部メモしました。それで名前が出た演奏家の出ているレーザーディスクを借りて観て、城谷さんにも助けられつつ、こういうものかとだんだんわかるようになって。それで最後に本役である私の師匠が来るわけですよね。それを観ていると、「なるほど!」と思いました。一見言われたことと逆のことをしているようで、結果的に良い成果が出ている。これは演出家もそうなんですが、指揮者は喋るのがプロではないので、ある点を改善してほしい時に必ずしもドンピシャの言葉で指示ができない場合もあるんです。それを自分も推理して実行するのが大事なんだな、と学んだ場でした。向こうは指揮、こちらは歌のそれぞれプロなので、指揮からどういう情報をもらってアウトプットするかを考える必要がある。それを「考えてほしい」というのが飯守先生のポリシーなんですよね。なので、「わからないように振る」というのは「敢えて」なんです。皆さんプロなので、楽譜と曲を知っていれば特に考えなくても脊髄反射で弾けてしまう。今どんな音を出したいか、が脳を通過しないで音が出てしまうわけですよね。先生はそれは嫌なんです。次の音が「こう出るべき」という緊張感・意志を全員で共有したいんですね。そうするための「明確な指示を与えない」というスタイルで、これが良い結果を生むこともあるわけです。

少し残酷なのが、このスタイルの意義は聴衆には伝わりにくい点でしょうか。

飯守先生は指揮のやり方や、自分がどんな指揮者であるかをお客様に伝えたいわけじゃないんです。この作品がどれほど素晴らしい作品であるかが伝われば、おそらく、ご自分はどう思われても良いのではないのかな。なので、飯守先生と関わった人々って綺麗に二分されるんです。棒のわからない変わった人、と思うか、「飯守先生のためなら何でもやります!」となるか。飯守先生が厳しく仰る時は、「自分に従わないからダメ」なのではなく、「この作品に対して誠実じゃない貴方はダメ」なんですよ。彼にとってとにかく大事なのは作品。なので、彼が求める音を何とかして出したい、と彼の周りの人も思うんです。私もそういうスタイルでやってきたので、同じ現場にいられることが幸せなんですよね。


城谷正博さんの凄さ

その強烈な「飯守ズム」を最も濃く受け継いでおられるのが城谷さんだと思うのですが、城谷さんはまた違った凄味がありますよね。

城谷さんは副指揮者としての職人的な凄さも並外れているんですが、指揮者として何かを創造するという別の能力も同じくらいお持ちなんです。これをどっちも持っている人は少ない。芸術家だけど細かいことは…という人、細かいことは完璧だけど全部任されると音楽の説得力が…という人、はそれぞれ一定数います。けれど城谷さんの中にはしっかりと彼の音楽がありつつ、細部のフォローができる。仕事人かつ芸術家なんです。

先日の新国立劇場『ワルキューレ』千穐楽ではその凄さがオペラファンに知れ渡りました。

城谷さん、ほぼ東響とはリハーサルなしだったそうです。ゲネプロが終わった後に数分間だけ、お互いに指揮の感じや響きを確かめたくらい。でも、彼の成功にはある意味驚きはないんです。彼の副指揮者としての驚異的な能力の一つに、記憶力があります。副指揮者はあまり本番の指揮者と違わない方が演奏する立場としてはありがたいのですが、彼は振り数のみならず、振る動作の大小、どこの箇所を日替わりで変えているかといったことを憑依したかのように覚えていきます。城谷さんは歌手がどこで指揮者を当てにしているかも覚えているので、「本当は2つで振りたいけど混乱を招かないために4つで振っておこう」といった折衝をします。と同時に「ここはどうしてもこうしたいから変える」という箇所もあって、コンマスと綿密に打ち合わせはされたそうです。ブリュンヒルデの私やジークリンデの小林厚子さんとも何箇所か打ち合わせをしました。なので、あの『ワルキューレ』は全部彼の好きなようにやっていたわけではないんですよ。ただそのバランス感覚が本当に素晴らしい。

あの『ワルキューレ』ではオーケストラの響きに迷いがないように感じられました。

そこは飯守先生とは全く別の行き方なんですよね。オーケストラの奏者は基本的にスーパーエリート集団で、すごい倍率を勝ち抜いてこられた演奏家の集団です。その集団が迷いなく、一番いい音を出せるような指示を出すというのが城谷さんのやり方。それもまた一つのスタイルですよね。明快で、演奏家の気持ちに立った指揮だと思います。私もあの日は心から安心して取り組めて、疲れているにもかかわらず一番声が出たのも千穐楽でした。


2人の世界的ワーグナー歌手

新国立劇場の話が続きましたので、関連として―池田さんがクンドリのカヴァーと天からの声で出演された2014年『パルジファル』についてお聞きします。あの公演はクリスティアン・フランツとサー・ジョン・トムリンソンという世界トップクラスのワーグナー歌手が揃った公演だと思いますが、お二人の思い出はございますか。

沢山ありますよ(笑)。
トムリンソンさんはとにかく衝撃的でした。68歳で朝から晩まで元気に歌い続けていて、誰よりも声があって、後ろに壁がないセットなのに四方八方聞こえまくりで。あの時彼の衣装はウールの分厚い衣装で照明を当てられて、汗を大量にかきながら歌っていました。そんな気が遠くなりそうな状態でもちゃんと演じるためには、毎日フルで歌って身体に染み込ませるほうが良いからやってるだけ、みんながそうしなくちゃいけないわけじゃないよ、とご本人は言ってましたね。すごく理に適っていて、「必要だからやる」ということなんだと感じました。あのキャリアにして、ですよ。

クリスティアン・フランツさんはキース・ウォーナー演出のトーキョー・リングでもご一緒していて、私はラインの乙女でした。ウォーナーの演出はライン旅行の時も乙女がジークフリートに絡むので、接する機会は多いんですが、なにせあちらは主役なので練習中に絡む機会はほとんどなくて。ただ「この人は自由奔放だけど、すごく言葉がわかる人だな」と思っていました。

よく覚えているのは『パルジファル』第3幕のBO(Bühnenprobe mit Orchester, オケ付き舞台稽古)のこと。長めの休憩の後第3幕だったんですが、クンドリの本役(エヴェリン・ヘルリツィウス)がその日終わりだと勘違いして帰ってしまったんですよ。しばらく待っても戻ってこず、前奏曲が始まってしまって…。基本的に、立ち稽古や場当たりをやっていない人は舞台上の危険を回避するために舞台へ上がってはいけないんです。ただ、カヴァー稽古前ではあったんですが私は動きをほとんど覚えていました。そこで、できれば演技もやりたいと舞台監督に言ってみたところ、池田さんなら大丈夫でしょう、と急遽衣装をつけて稽古をやらせてもらえたんです。舞台上で会ったトムリンソンさんにもフランツさんにも「なんで君が!?」とびっくりされて、歌いながら合間で「どうしたの?」「よくわかんないけどいないの」みたいな話をしました(笑)。フランツさんは長い稽古の緊張感で疲れている時に相手役に先に帰られてちょっと不機嫌だったんですが、私も私でやることをやるしかなくて、きっちり舞台上で動きました。そうしたら舞台袖で「さっきはごめん。君は悪くないのにイライラしてしまったけれど、君は悪くないから」ってわざわざ言いに戻ってきてくれたんですよ。テノールだしピリピリしててもしょうがないよね、程度に私は捉えていたんですが、いい人だなと思うきっかけになりました。その後はフランツさんも落ち着いて、和やかに稽古を終えました。その後、2016年『サロメ』で私がヘロディアスのカヴァー、フランツさんはヘロデで。本役のハンナ・シュヴァルツさんは『イェヌーファ』と同時並行だったので、舞台稽古は1日おきに私がやりました。そこでサロメ役のカミッラ・ニールントさんとも親しくなりました。キャストと演技のキャッチボールをすることができて、カヴァー冥利に尽きる時間でしたよ。

そうしたらフランツさんとはびわ湖リングでもご一緒することになり、「やっと本当に君と歌えるね!」と言ってくれて、覚えててくれたんだと感動しました。『パルジファル』もそうなんですが、ワーグナー作品のいわゆる「愚か者系テノール」(?)がフランツさんはすごく合うんです。声はもちろん必要で英雄的で、でもどこか抜けている役。例えばグールドさんのジークフリートも本当に素晴らしいんですけど、少し賢そうすぎるんですよね(笑)。そして、フランツさんは相手役とのケミストリーで演技がどんどんレヴェルアップしていくタイプの歌手。やり取りが好きなんですね。そんな彼に「一緒にやるのが楽しい」と言っていただけたのは嬉しかったです。


びわ湖リング、無観客上演

ちょうどびわ湖リングの話をうかがおうと思っていました。4年間『ニーベルングの指環』を完走されて、作品に対する見方に変化はありましたか。

私にとっての『指環』はびわ湖から始まったわけではなく、その前にノルンもラインの乙女もジークリンデもフリッカもやっていました。そうした一つずつの積み重ねがあったからこそ、大きな役をやった時に逆に新しいことがありませんでした。ヨーロッパ圏の名歌手の方もやはり若い頃ラインの乙女などから始める方が多いのは、そうして積み重ねて取り組んでいかないと『指環』の情報量が多すぎるからなのと思います。ただでさえ歌うのが大変なのに、一度にすべてのことを勉強するのは至難ですよね。

無観客上演となった『神々の黄昏』のエピソードもお聞かせいただけますか。

あの無観客の『黄昏』の日程がもし一週間後だったら、上演できなかったと思います。個人ベースでまず色々な思いがあって、更に来日されている方はもしかしたら帰国できなくなってしまうかもしれない。すごく心配だったはずなのですが、それをあからさまに口に出す人は誰もいませんでした。舞台があるんだからやるべきことをやって、それ以外のことを決めるのは私達じゃない、という空気。止められるまではやります、という勢いで、全スタッフが舞台稽古に向けた準備を平然と進めていました。それがすごく心強かったですね。じゃあ私達も止めるって言われるまでは歌う気でいよう、と思いました。

その後、びわ湖ホールの山中隆館長から公演中止と録画収録のお話がありました。「本当は録画を作るとなると追加のギャラをお支払いしなければいけないけど、その予算は難しい。当初予定の出演料はお支払いするが、それで受けていただけるか。ここで挙手するのは難しいだろうから、何時までにこっそり言ってください」という内容でしたが、結果的にひとりも欠くことなく上演を行うことになりました。当日YouTubeで配信することが決定したのは本当にギリギリで、ゲネプロの日あたりでしたね。
あの時歌手同士で対面して歌えていたのが今となっては新鮮に感じます。コロナ禍以降、歌唱時は何mあるか目視で測る、みたいな不思議なスキルが身についてしまったので(笑)。

そのびわ湖の『黄昏』の奇跡の後、多くの劇場は閉じざるを得なくなりました。

びわ湖から帰ってきて色々なものが無くなっていった時は、正直なところ劇場ということを考えるのも、クラシック音楽を聴くのも嫌になってしまいました。なのでずっとロックばかり聞いていて、歌ってもいなくて。『黄昏』の後だったので少し休息期間の意味もあってボンヤリとしていたんです。生徒達には歌う習慣をなくしちゃいけないよ、と言ってたんですが、自分自身のやる気はなくなってしまいました。今入ってる契約が終わったら引退なのかなー、なんて漠然と。特に私はワーグナーやミサ曲といった大人数・合唱を伴う作品が多かったので、演奏会が戻ってきても出演機会がない。なので今年1月の関西フィル、3月の『ワルキューレ』とワーグナーの公演に相次いでお声がけいただいたのは、ありがたかったです。


フランス物での強み

ここで、ドイツオペラ以外の作品についてもおうかがいしたいと思います。京都での演奏会形式『カルメン』は見事でしたし、サーリアホ『遥かなる愛』、マスネ『エロディアード』、サン=サーンス『サムソンとダリラ』などフランス語のオペラでの池田さんもまた全く違う魅力があると感じます。

まずフランス語という言葉にある程度馴染みがあるというのもありますが、自分の声のファッハで私はずっと迷いがありました。高域が簡単に出せるけれども、このHi-Cは間違っているんじゃないか、とか。その点、フランス物は中間的な音域の作品が多いんです。最初に師事した先生もフランスで勉強された方だったので、イタリア古典歌曲の次にフォーレなどを歌ったので、フランス音楽は歌い慣れていたというのもあります。ただ一番の理由は、私の声として、他の方と差別化できる特色のある音域というのはやや低め~中域のヴォリューム感のある音域なんです。その音域が活きるレパートリーはイタリア物には少なくて、フランス物に多いんですね。イタリア物のアルトはアズチェーナやエボリ公女のように攻撃的なものが典型的で、柔らかく歌えるアリアはあまりありません。リリックに歌うレパートリーになるとやはりダリラとかなんですよね。残念ながら日本ではなかなか演奏機会がないのですが、私は長年歌いたいと思っていました。

今後フランス物で歌いたいものとしてはマスネ『ウェルテル』のシャルロッテですかね。私、よく言われるほど濃ゆいわけではなくて中庸な部分もあるので、合っていると思います。


次のフェーズへ…

今後の展望はございますか。

先ほど(前編参照)お話ししたとおり、私が教えていただいてきた伝統を次の世代に伝えたいというのはやはり今強くあります。それが12/20の「わ」の会で実現するのは嬉しいですね。
私の歌手人生は2016年二期会『トリスタンとイゾルデ』前後で大きく変わって、それ以前はカヴァーを沢山やらせていただいていましたが、自分の本番はとても少なかったんです。それゆえに何でもいいから『出たい』という気持ちがすごく強くて。ただ今はそのフェーズは脱して、自分がやりたい人と音楽をしたい、という段階にいます。なので、いただいたお仕事の中で如何にして最大値を出すか、ということは目指しつつ、組みたい人とのお仕事や共感できるプロジェクトに携わっていきたいと考えています。

これまでの出会いで何を得て、それをどう活かしているか─池田香織さんは理路整然と、実に2時間近くにわたりこれまでの歩みを語ってくれた。的確な状況把握や客観的な視点、その語り口の随所から、彼女の非凡な音楽性が滲み出ているようにすら感じられたインタビューであった。ますます深化する彼女の今後を聴く下記公演、是非注目したい。

聞き手:平岡 拓也
写真:長澤 直子
Interviewer: Takuya Hiraoka
Photos by Naoko Nagasawa


【公演情報】

「わ」の会コンサート vol.7 Herausforderung:挑戦
2021年12月20日(月) 18:00開演
17:20開場 プレトークあり(17:30予定)
渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール

《さまよえるオランダ人》第1幕より
オランダ人 : 河野鉄平
ダーラント : 大塚博章
舵手 : 伊藤達人

《ローエングリン》第2幕より
オルトルート : 池田香織
テルラムント : 大沼徹

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 第1幕より
ダーヴィット : 伊藤達人
ヴァルター : 岸浪愛学

《ラインの黄金》第3場より
ヴォータン : 大塚博章
アルベリヒ : 友清崇
ローゲ : 岸浪愛学

《トリスタンとイゾルデ》第1幕より
トリスタン : 片寄純也
イゾルデ : 中村真紀
ブランゲーネ : 郷家暁子
クルヴェナル : 新井健士

指揮:城谷正博
ピアノ: 木下志寿子/巨瀬励起
字幕・解説:吉田真

東京芸術劇場presents 読売日本交響楽団演奏会
2022年01月28日 (金)19:00 開演(ロビー開場 18:00)
東京芸術劇場 コンサートホール

藤倉大/Entwine (日本初演) ケルン放送交響楽団他との国際共同委嘱作品
シベリウス/交響曲第7番 ハ長調 op.105
マーラー/『大地の歌』アルト、テノール独唱と大オーケストラのための交響曲


指揮:井上道義
アルト:池田香織
テノール:宮里直樹
管弦楽:読売日本交響楽団

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