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デル・モナコ『衣装をつけろ』の衝撃から30年越しで挑む―オペラ『道化師』樋口達哉インタビュー

デル・モナコ『衣装をつけろ』の衝撃から30年越しで挑む―オペラ『道化師』樋口達哉インタビュー

2022年1月29日(土)紀尾井ホールで上演が行われる、オペラ『道化師』に出演する樋口達哉さんにインタビューを行いました。
マリオ・デル・モナコが1961年に東京文化会館で演じた『道化師』の白黒の映像を大学時代に見て、雷に打たれたかのような衝撃を受けたという樋口さん。当時からヴェリズモオペラがお好きで、このオペラを絶対に将来歌いたいという希望を抱き続けていました。30年越しで作品に挑む思いを語って頂きました。
(※このインタビューは2021年11月初めに実施したものです)

まずは自己紹介から

Q:まず、樋口さんを知らない読者の方のためにも自己紹介をお願いします。血液型や星座などもお教えいただければと思います。

樋口:1969年7月23日生まれ、血液型はA型です。占いの本には大体獅子座と書いてありますが、僕の生れた年に限っては蟹座らしいのです。小さい頃に見た占いの本に蟹座と書いてあってそれを信じていたのですが、最近見た占いの本では獅子座になっているようです。ですので占いはあまり信じないですが、良いことだけを取っています。

Q:猫派と犬派ではどちらですか。

樋口:小さい頃から犬や猫を飼ったことがないのです。鳥、金魚、カブトムシやクワガタは飼っていましたが…。だから犬派か猫派のどちらかという質問では、犬のほうがかわいいなと思います

Q:では、ご自身を動物に例えると何だと思いますか。

樋口: 百獣の王ライオンと言いたいところなんですが、意外にそんなに激しくなかったりするので草食系かなとも思います。自分を動物に例えるのは難しいので、捉えどころがないということで、ユニコーンとペガサスにしておきましょうか(笑)


デル・モナコの『道化師』の映像で、雷に打たれたかのように

Q:樋口さんがそもそも歌の道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。

樋口:小さい頃から本当に歌うことが好きで、音楽の授業が大好きでした。そして、物心ついた時からエレクトーンを習っていたました。どうやら自分の意思で親に伝えたようなのですが、何かのテレビで見たのか、ピアノではなくエレクトーン。ですから習って弾いていた曲もクラシックの曲ではなく、映画音楽のようなものやポピュラー音楽、ビートルズなど、洋楽を主に弾いていましたかね。
そして小学生の頃は、アイドル全盛の時代です。テレビでは歌謡曲がたくさん流れていたし、歌番組もたくさんあった。そんな中で僕は漠然と「こんな歌う人になりたいな~」と思っていました。
高校生になった時に、劇団四季と出会ったんです。初めて見たミュージカルは、市村正親さんが主役の作品でした。それで、歌うこと、踊ること、演じることの素晴らしさを知り、憧れました。まさに僕がやりたいのはこれだ!と思いました。

そのためには東京に出るしかないと思い、音楽大学への進学を決意して、声楽の勉強を始めました。エレクトーンは弾いていましたがピアノは全く初めてでしたので、受験の時には苦労しました。ピアノとエレクトーンは全くタッチが違うのです。

Q:マリオ・デル・モナコの『道化師』に非常に影響を受けられたとのことです。

樋口:音楽大学に入るまで僕はほとんどクラシックの音楽を聴いたことがなく、特にオペラにも声楽にも興味がないという状態でした。
それが、初めて生でオペラを観た時、震えましたね。当時大学で習っていた僕の師匠がバリトン歌手だったのですが、初めて観たオペラが、その先生の出演している『蝶々夫人』でした。そこで生の声を聴いて、まさに信じられない思いでした。こんなに声が聞こえてくる!これマイクを使ってないんだよね?ということが衝撃的でした。まずそこで人間の生の声の力というものに圧倒されて「こんな声を出してみたい!」と思ったんです。
ちょうどその頃です、デル・モナコの『道化師』と出会ったのは。これですよ、この映像。1961年に東京文化会館で演じられた白黒の映像を見て、まさに雷に打たれたかのような心が締め付けられる思いになりました。この感動した記憶が、僕をオペラの世界に導いてくれました。オペラに目覚めた作品です。

Q:デル・モナコでなくてもほかにもテノールはいるわけですし、『道化師』以外のほかの作品もあるわけですが、どのあたりに心を動かされたのでしょうか。

樋口:『衣装をつけろ』という、オペラ好きな方ならよくご存じのアリアがあります。旅回りの一座の座長カニオは、自分が子供の頃に拾って育てて来た、年がかなり離れたネッダという女性を妻にしています。そうした中で旅の一座を続けているわけですが、ある時彼女が若い男性に惹かれて自分から気持ちが離れて行ってしまう。それでも自分は道化の役になって、まさに劇中劇では同じように彼女に裏切られて浮気されてという物語を演じなければならないという、現実と同じようなことでリンクして、現実なのか舞台なのか分からなくなりながら結末を迎えるわけです。道化はそんなときでも客を笑わせるのが仕事、衣装を付けて、おしろいをつけて化粧をして、この役をやらなければならないんだというこの気持ち、まさにこの『衣装をつけろ』というアリアに、感動したんです!何ともいえない男心というんでしょうか。この苦しみとか愛の中の悲しみもあるし、そういった人間の葛藤、心のひだを表現したこのアリアが何とも言えず・・・。

Q: 声とこの物語が、一緒になって迫ってきたというか?

樋口:そうですね。この時代(19世紀終わり)の作品は、ヴェリズモ(写実主義)・オペラと呼ばれていまして、声というものが単なる美しさだけを求めるのものではなくなりました。オペラの始まりはギリシャ神話を題材にして書かれましたが、だんだんと内容が身近なもの、一般社会の話になってきました。『道化師』も愛のもつれなどの人間関係の内容を描いている作品で、悔しさや怒りとかそういったものを、大声で叫ぶような表現も必要とされます。心情が声の叫びとなって出てしまうヴェリズモ作品を、僕は若い頃からとても好きだったんです。お芝居の表現と声の表現とが自分の中でマッチしたのでしょう。
これらヴェリズモの作品を若いうちに歌うのは良くないと言われるんですよね。学生の頃は大体そうですが、喉にあまり負担をかけないように、イタリアの古典歌曲から勉強を始めて、次にロマン派の時代の作品をというように、徐々に新しい時代のものに挑戦していくのが順番なのでしょうか。


好きと一致した奇跡のレパートリー

Q:ヴェリズモ・オペラは声楽的には喉によくないというお話がありましたが、そこをもう少し詳しくお聞かせいただけますか。 

樋口:若いときにヴェリズモを歌うのは悪いことではないと思うんです。ただ、若い頃は、発声や表現のテクニックをよく理解していない状態で、気持ちだけで歌ってしまう。それはちょっと危険があるかなと思います。ある程度発声のことを学び、いろいろな曲を勉強して、自分の感情がコントロールできた上ではじめてヴェリズモ作品を歌えば良いのかもしれません。このオペラが好きだから、と18歳、19歳の若いうちにただがむしゃらに「ギャーギャー」歌ってしまうとちょっと危険かなと。
僕が20代でイタリア・ミラノに留学した時に最初に付いたテノールの先生が僕にこう言いました。「お前はヴェリズモ歌いだな」と。僕の印象では、ヴェリズモ作品というのは、押し出したり、激しい歌い方というイメージでしたのて、「ヴェリズモ歌いって?」と自分的には複雑な思いでした。
ただ、先ほどもお話したように僕はそういう表現の歌が好きでしたので、それはそれで嬉しかったのですが、やはり「ベル・カント作品」には憧れていました。
ですから、複雑な気持ちにもなりましたね。今思うと、感情表現が豊かだったとも取れますが(笑)

その師匠はもう亡くなってしまいましたが、アルド・ボッティオンというテノール歌手で、その方はなんとマリオ・デル・モナコと同門(兄弟弟子)だったのです。そのためデル・モナコと親交が深く、僕にデル・モナコの話をよくしてくれました。
その師匠に「ヴェリズモ歌い」と言われたのですから、やっぱり嬉しいですね。今思うと、声の支えをしっかり保てるようにという訓練だったのですが、「これを歌え」と『衣装をつけろ』をレッスンで歌わされました。当時はこんなの無理、と思いながらも顔を真っ赤にして青筋を立てながら必死に歌ったものでした。その頃の勉強が今に役立っているのかもしれません。ただ、無謀にハチャメチャに歌うのはよくないです。

Q:いろいろな段階を経て挑戦するということでしょうか。

樋口:そうですね。僕にとっては30年越しでやっとこの作品に挑戦できる、歌うことができるという、今回実現する舞台にほんとに心が躍る思いなんです。
ですから、ほかの人が何と言おうと『道化師』を演じるという夢を叶えたい。「夢」と言ってもこれで終わりではなく、これからの僕の歌手人生がまだまだ続くその通過点として、僕のやりたかったことをやりたい!と。

Q: ご自身がすごく好きなものとそのレパートリーが合うよと言われたのは、奇跡だと思います。

樋口: 確かにそうですね。あと2ヶ月後に演じることができると思うとワクワクしてきます。あまり気張り過ぎても良くないので、普段の僕の歌を表現できればと思います。


『道化師』のタイトルに隠された2人の道化師

Q: オペラの見どころについてもう少し伺います。このオペラ自体が劇中劇になっています。

樋口: お客様にとっては劇場でオペラを観ているわけですが、自分がお客さんなのか、『道化師』の舞台の中に入り込んでいる人間なのかという錯覚も起きるでしょう。
合唱はオペラの中では劇中劇を見ているお客さんになりますし、カニオはその劇中劇で道化役に扮し、その内容と現実とが混乱してしまいますよね。
この作品はタイトルが『パリアッチ』と複数形になっているんです。作曲も台本もレオンカヴァッロですので、このタイトルもおそらくレオンカヴァッロ自身が付けたのでしょう。
劇中劇の中のパリアッチョとカニオ。「パリアッチ」とは、その2人のことを指すのではないでしょうか。

Q: タイトルだけでも深いですね。

樋口: ほんとですよね。オペラの内容を知れば知るほどいろいろなことを考えてしまいます。皆さんにもオペラの面白さをいろいろな角度から楽しんで頂きたいです。

Q: お稽古はもう始まっているのですか?

樋口: 実は今回の公演は、昨年の10月10日に上演予定でした。コロナ禍という状況で演じる我々もお客様も満足のいく条件で上演したいという思いがありまして、苦渋の選択で1年半延期しました。
リハーサルについては12月後半と1月の集中稽古の予定です。
2019年の5月に同じキャストで今回のプレ公演をしていますので、皆んなを信頼しています。
ネッダ役に佐藤美枝子さん、トニオ役には豊嶋祐壹さん、若い色男のシルヴィオ役は成田博之くん、劇中劇ではアルレッキーノに扮するペッペ役の高田正人くんという粒ぞろいのキャスト5名です。そして、演奏はピアノ+小編成のオーケストラ、指揮者は同郷・福島県出身の佐藤正浩マエストロ、演出は岩田達宗さんという豪華メンバーでお届けいたします。
この作品は2幕仕立てですが短い作品ですので、前半の第1部には演出家とタレントの山田邦子さん、コンサート・ソムリエの朝岡聡さんの3名で『道化師』について語って頂く予定になっています。


こだわりの衣装にも注目を

Q:会場は紀尾井ホールというコンサートホールです。演出でこだわっているアピールポイントなどありましたらお願いします。

樋口:オペラ劇場のようにオケピットがありませんので、オーケストラが舞台上に乗るという形になります。舞台セットもをオペラ劇場のようにはいきませんが、紀尾井ホールならではの演出を考えているところです。今回は衣装にもすごくこだわっています。もちろん音楽的にしっかり演奏しながらも、オペラは目で楽しむところも大きいと思いますので、お客様にご満足いただける公演を目指しています。

Q:当初の公演予定から延期したことでいろいろな変更があったと思います。

樋口:何も変更したくないからこそ1年半の延期を余儀なくされたわけですが、結局のところまだまだ制約された条件で舞台を作らなければならないですよね…。
舞台業界もこの2年ですっかり変わってしまいました。
今回の公演については、最前列だけを1列空けてという設定をしています。
お客様がたくさん入って頂ければ嬉しいですね。
苦労していることは、合唱団の扱いでしょうか。昨今のオペラ上演ではマスクの状態での演奏やディスタンスや動きにもかなり制限をされています。
とにかく、感染予防対策をしっかりと行い、お客様に安心してご来場いただけることを一番に考えています。

今、多くの方が音楽や芸術に飢えていると思います。自分もその一人です。
嬉しいことに少しずつ舞台も再開、復活してきていますね。
先日はヴィットーリオ・グリゴーロ、そしてホセ・カレーラスのリサイタルを聴きました。カレーラスはなんと前から5列目で。僕は三大テノールに憧れた世代ですので、この二人のテノールに大興奮しました。
今回の『道化師』公演もお客様が手に汗握るような大興奮する舞台をお届けしたいと思っています。
皆さまのご来場をお待ちしております。


樋口達哉のオペラ《道化師》

2022年1月29日(土)開演:15:00
2022年6月1日(水)開演:18:00 (上記より日時変更)
紀尾井ホール

指揮:佐藤正浩 
ザ・オペラバンド・アンサンブル 

樋口達哉T 
佐藤美枝子S 
豊嶋祐壹Br
成田博之Br
高田正人T 

ザ・オペラバンド・シンガーズ 

岩田達宗(演出&トーク) 
山田邦子 
朝岡聡(以上トーク) 


福島県二本松市の観光大使としてふるさとをPR

Q: 樋口さんのホームページを拝見しましたら、福島県二本松市のご出身で、観光大使もされているとありました。

樋口: 僕は出身が二本松市というところで、5万人ちょっとの小さな市ではあるのですが、そこの観光大使をさせていただいています。二本松というところは、名前を聞いたことある方がいらっしゃったら嬉しいのですが、場所的にはちょうど福島市と郡山市の間に位置するところで、安達太良山というのがある。そして高村光太郎の『智恵子抄』という作品がありますが、その主人公になった高村光太郎の奥さん、智恵子の生れたところなんです。そこは僕の実家から歩いて5分くらいの距離なのですが、造り酒屋をやっていて、今は記念館になっています。そういったところでまさにほんとの空があるというような、詩にも書かれていますが、空気がきれいだし、水もおいしい。水も空気もおいしいと野菜もおいしいですよね。お米も美味しいんですよ。それから最近はフルーツ、りんごもとってもおいしいし、お酒も美味しい。水もおいしいからでしょうが、お酒は酒蔵が4つあってというようなところです。そんな自然豊かなところで僕は育ちました。正直、当時はその田舎が嫌で東京に出てきたというのがあるのですが、今は福島があって、自分のふるさとがあってよかったなと本当に思います。今はなかなか帰れないので、帰ったときには田舎の食事を楽しんでというような感じです。
それから、とても居心地がいいと思います。そして何といっても桜がきれいなんです。3年くらい前に『全国さくらシンポジウム』という全国の桜のきれいなところの方々が集って持ち回りで会を開くというのがありまして、そこのセレモニーのオープニングで歌を披露させていただいたという経験もあります。
お祭りもあるんです。提灯祭りというのがあって、日本三大といわれているのですが、二本松神社というのがありまして、そこのお祭りです。昔は10月3~5という日程でしたが、今は金、土、日というふうに日にちが変動することになったんですが、町の7地区の山車がありまして、それが夜になるとたくさんの提灯をつけて町中を練り歩くんです。そうすると小学生くらいから青年くらいの人たちがその山車に乗って、山車の中では太鼓を叩いて、地区によって太鼓のリズムが違うんですけれども「わー!!ワッショイワッショイ!!」って言って提灯の上に乗ったりしてみんな山車を引っ張って。坂があるんですが、そこに7台がちょうど並んだような見事な写真や映像が見られるかと思うのですが、そんな素敵なお祭りがあったり。
それと最近ちょっと規模が小さくなってしまったのですが、菊で人形を作って飾る菊人形があります。かなり大々的なお祭りではあったのですが、僕が子供の頃、上野駅に行きますと、山手線のホームなどに『二本松の菊人形』と貼ってあったりしました。今はコロナもあり縮小していますが、それだけ大きなイベントでした。冬は寒いのは当たり前ですが雪も降ったり、夏も熱いのですが、山に行くと四季折々の風景、秋は紅葉もほんとにきれいです。

それから、僕たち地元の人間は「おしろい山」と言っているのですが、霞ヶ城というのがあります。今そこはお城も天守閣もなく、お城跡、二の丸跡ということで石垣が積んである状態ですが、そこの公園が観光地になり、桜の名所でもあるいい所です。
クラシック業界ですからなかなか文化というのは難しくて、僕はそんなに地元でも知られているわけではありません。二本松市にもホールは幾つかあるのですけが、そんなに文化が栄えているというわけではないです。ただ僕がオペラ歌手という職業をやっていることで何か発信して行けたらということで、そんな思いから、市長さんにお声掛けいただき、引き受けまして。自分のふるさとの良さをいつもアピールしたいなと思っています。

皆様、ほんとに時間を作って二本松にいらしてみてはいかがでしょうか。

Q:まるで目に浮かぶようなシーンばかりで素敵ですね。

樋口:ちなみに僕は二本松市の歌を歌っています。YouTubeで見ることができますので、樋口達哉のYouTubeをご覧になってみてください。その動画のバックにはまさに僕が今お話した安達太良山、桜、おしろい山、提灯祭り、花がきれいな自然が映り、阿武隈川が流れていてというような映像が映っています。ぜひ『二本松市民の歌』聴いてみてください。

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