オペラ・エクスプレス

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自分の時間をどれだけワーグナーと過ごしたかは分かりません・・・ワーグナーだけに献身的な愛を注ぐのは何故なのでしょう?—日本ワーグナー協会 特別例会「ダニエル・バレンボイム氏を迎えて」

DSC_7084 © Naoko Nagasawa1992年よりベルリン国立歌劇場の音楽総監督を務めるダニエル・バレンボイム氏が来日公演の合間を縫って、日本ワーグナー協会の例会に登場しました。この日バレンボイム氏はシュターツカペレ・ベルリン(上述したベルリン国立歌劇場の座付きオーケストラ)とブルックナー「第4番」を演奏し、サントリーホールから講演会場の東京ドイツ文化会館(Goethe Institut)に直行という多忙なスケジュール。ちなみに、会の当日はワーグナーの133回目の命日にあたりました。


DSC_7024 © Naoko Nagasawaマエストロ到着までの間には、ワーグナー協会の舩木篤也・岡田安樹浩両氏による「バレンボイム考」が急遽対談形式で行われました。「待つ必要の無い箇所では待たない音楽」「作品の様式への深い洞察」「シュターツカペレ・ベルリンとの濃密な絆」「レパートリーや社会活動への飽くなき好奇心」といったキーワードが印象的でした。


サントリーホールでの演奏会を成功裏に終えたバレンボイム氏は上機嫌で登場。まず、舩木氏による「あなたにとってワーグナー演奏は何故重要なのですか?」という単刀直入な質問に対して次のように答えられました。
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「作曲家の中には、歴史的に重要な意味を持つ人がいます。素晴らしい音楽を沢山書いたが、しかし歴史的な意味はあまりない人もいます。自分の前に何が行われたかを全て知り、それをまとめることが出来る人もいます。未来への道のりを示すことの出来る人もいます。ワーグナーは、これら全てを成し得た数少ない作曲家なのです。例えば素晴らしい音楽を書いたメンデルスゾーン―彼のヴァイオリン協奏曲や八重奏曲、無言歌集がなかったら、私たちの音楽世界はとても貧しいものになっていたでしょう。しかし、歴史的意味という点では彼が書かなかったとしても変わりはありません。彼の作品はどれも美しく完璧なものばかりですが、そこに歴史的重要性はないのです。逆の例を挙げると、ベルリオーズがいます。ベルリオーズは音楽的な構造という点では、メンデルスゾーンほど完璧ではありません。しかし、彼やフランツ・リストらがいなければ、その先にワーグナーは存在しなかったのです。どんなに美しい作品を書いたとしても、一人一人の作曲家が持つ歴史的な意味は対等ではありません。

ワーグナーは、自分の前に何が起きたかを全て知り、新しいものを作り出すことが出来た作曲家でした。彼はベートーヴェン、ウェーバー、シューマン、ベルリオーズが何をしたかを全て知っていました。同時に、ワーグナーは未来に続く道を示した作曲家でもありました。彼なしにはブルックナー、マーラー、シェーンベルクもいませんでしたし、新ウィーン楽派はワーグナー無しには考えられません。20世紀音楽は全く違ったものになっていたでしょう。ワーグナーに有機的につながる形で登場した作曲家もいれば、反対する形で登場したストラヴィンスキーなどの作曲家もいます。しかし、誰もがワーグナーに触れずにはいられなかったのです。

私はワーグナーのみを演奏しようとは思いません。勿論ワーグナーは好きですし、沢山向き合いたい作曲家ではありますが。ただワーグナーを演奏すると、彼以前のこと、以後のこと、その両方について多くを学ぶことが出来るのです」

続いて、「ワーグナー音楽にどう親しんでいったのですか」という質問に対しては次のように答えられました。

「初めてワーグナーに触れたのは11歳か12歳の時だったと思います。トランスポジション(移調)の勉強ではト音記号で高い音を、ヘ音記号で低い音を記譜することはご存知の方も多いと思います。Cの音をクラリネットではAに、ホルンではFというような管楽器の移調の勉強をしている時に、ワーグナー・テューバと出会いました。この楽器をレッスンの題材として選んだのは私の先生であったゲオルク・ジンガー(イスラエル・オペラで活躍したチェコ出身の指揮者)でした。B♭とFの2種類の楽器を4人で吹くワーグナー・テューバは、移調と和音の勉強が同時に出来るという点でうってつけの楽器だったのです。ブルックナーの後期3交響曲でもワーグナー・テューバは用いられますね。

初めてワーグナーのオペラを指揮したのは、西ベルリンのベルリン・ドイツ・オペラでした。その準備として、音楽的にはベルリオーズ、リスト、ブルックナーを通じて道のりを探し、初指揮の10年ほど前からずっと仕事を続けていたフィッシャー=ディースカウから沢山のインスピレーションを受けました。言葉と音楽の関係にとどまらず、一つ一つの音節がどのように音楽と係わっているかを教えてもらいました。また、ワーグナー自身が音楽について書いた沢山の文書は全て読みました。彼自身が理論家でもあった点はシェーンベルクと同じですね」

「テクストを自ら書いてから音楽をつけるというワーグナーのプロセスにおいて、彼が言葉を書き付ける時点でどの程度音楽を想像していたと思われますか」という質問には、次のように答えられました。

「ワーグナーが歌詞を書きながら、どの程度音楽のことを考えていたかを知ることは非常に難しいと思います。私自身、最初にワーグナーに取り組んだ時はあまりドイツ語が上手ではなく―今も決して完璧ではないので、私を誤解しようと思えば簡単に誤解できるのですが(ここでマエストロは日本語の『ゴカイ』という響きに興味津々でした)―英訳本なども利用して「トリスタンとイゾルデ」のテクストの理解に務めましたが、何せ非常に長い作品です。言葉と音楽の関係を綿密に知ろうとすると、このペースでは50年かかってしまうと思いました。なのでそのアプローチは諦め、フィッシャー=ディースカウさんのアドヴァイスに従いました。彼曰くリートと同じ手法だそうですが、テクストの中で全体に影響を与えるキーワードを見つけ、そこから理解するようにしたのです。それでも時間はかかったのですが、徐々に道が拓けました。結局私は音楽を通じて、ワーグナーがどのようなテクストを書いたかを知るというアプローチを試みたのです」DSC_7033 © Naoko Nagasawa
1981年の初登場以来、1999年までほぼ毎年客演したバイロイト音楽祭の印象を尋ねられると
「80年代にバイロイトで過ごした時間は、レヴァインさんはじめ素晴らしいメンバーに恵まれた素晴らしいものでした。ご存知の通りバイロイト祝祭管弦楽団は固定メンバーではありません。毎年常連の奏者もいますが、メンバーの構成に最も影響力を持つのは『リング』を振る指揮者なのです。4作品指揮するわけですから当然ですね。私が前半5年、レヴァインが後半5年を振った時期がありましたが、この時オーケストラの構成について二人で話し合いました。彼は私のリハーサルを全部見学しに来たし、私もレヴァインさんのリハーサルを全部観に行きました。私と彼の二人で影響力を持ち、オーケストラを構築したと言ってもいい時代でした。
そして、バイロイトの持つ雰囲気・姿勢は本当に特別なものでした。私はもう20年バイロイトから離れており、私が去った後どうなったか分からないので敢えて過去形を用いましたが。当時はヴォルフガング・ワーグナーさんという偉大なインテンダントがいた時代でした。彼自身も演出家でしたし、彼は自分と異なる美的イメージを持つ優れた演出家を見極める本能を持った人物でした。

彼は芸術的に優れたインテンダントであったのみならず、経営者的な才覚も有していました。音楽家に他所で稼いでいるのと同額の出演料を払っても、同じように優れたものが手に入るわけではない、ということを知っていたのです。人というのは不思議なもので、自分がいつも貰っているより上積みされると良いパフォーマンスをします。或いはいつもよりうんと少ない額だと、その場合も頑張るのです。ヴォルフガング・ワーグナーさんは当然、少ない額を払ったのです(笑)つまりバイロイトの出演料は音楽家の知名度によってではなく、役柄によって決まるのです。ドミンゴでも無名の歌手でも同額で、トリスタン役一律、イゾルデ役一律、となります。

オーケストラ・メンバーの大多数は、通常ドイツ国内の歌劇場で一年中演奏している奏者です。彼らは夏の間ギリシャやカリブ海のバカンスに出かけたり、もっと稼げる他の音楽祭に出ることを蹴ってでもバイロイト音楽祭を選ぶのです。バイロイトにあって通常の歌劇場にない利点は、潤沢なリハーサル時間です。歌劇場の日々の営みでは一部の歌手が欠けることがありますが、バイロイトでは夏中そこで皆が練習をするわけです。まるでイスラム教徒がメッカに赴くようですね。

支払われるギャラは決して高くないにもかかわらず、それでも150人からなるオーケストラ、指揮者、歌手の全員が同じ気持ちでバイロイトに赴くのです。自分が出来るベストを尽くしてバイロイトにそれを渡し、最高のものを貰おうと。全員がその姿勢で臨むという点が、バイロイトの特別な点なのです。」とお答えになりました。

「ジョン・トムリンソンのヴォータンやワルトラウト・マイヤーのイゾルデのように、自らが演ると思ってもいなかった役柄を演じるようになった歌手がいます。どのように彼らを勇気付けたのですか。マイヤーさんは『バレンボイムさんは人を誘惑するのが上手なのよ』と仰っていましたが・・・」という質問については、まず「マイヤーさんが女性として仰ったのか、それとも歌手として仰ったのか分かりませんけれど!」とおどけて会場の笑いを誘った後、次のように答えられました。

「私は歌手と仕事をする時、その歌手が好奇心旺盛か否かを重視します。私は時間も忍耐力もないので、好奇心のない歌手と仕事をするつもりはありません。トムリンソンさん、マイヤーさん共に大変好奇心旺盛かつ勉強熱心で、実りの多い仕事に繫がりました。『リング』をクプファーさんとやろうとしてヴォータンが見つからなかった時、推薦されたのがトムリンソンさんでした。彼はバスでしたが、自らの声域を乗り越えてでもヴォータン役を歌いたいという非常に強い意志を持っていました。マイヤーさんも高いメゾの歌手ですが、ワーグナーと向き合う中で『イゾルデを歌いたい』という気持ちを持っていました。私が知る限り、マイヤーさんほど複数のワーグナーの役柄を歌ってきた歌手はいないと思います。大きな役から『ラインの黄金』の乙女やエルダのような小さな役に至るまで幅広く歌っており、彼女が唯一歌っていないのは『オランダ人』のマリーだけでしょう。80年代の終わり、マイヤーさんは『パルシファル』クンドリの代名詞的存在でした。彼女ともよく話したことですが、ワーグナーの女声パートは時系列に発展しているのです。これはテノールにも似ていますね。『ラインの黄金』のフライアや乙女などの軽いソプラノに始まり、重くなっていく。メゾで言えば、フリッカに始まりクンドリ、イゾルデと来て、『ワルキューレ』『神々の黄昏』のブリュンヒルデという流れでしょうか。『ジークフリート』は少し例外ですが。

マイヤーさんはイゾルデをよく勉強して、私とヴォルフガング・ワーグナーさんの前でオーディションを受けました。我々2人はこれでいける!と思ったのですが、そう思ったのは当時我々だけで、バイロイト中が反対しました。その反対を押し切って正解だったと今では確信しています。マイヤーさんの1年目のイゾルデはとても良かったのですが、やや経験不足の感がありました。当時イゾルデを歌える歌手は少なく、もしマイヤーさんが世界中の招きのままにイゾルデを歌っていたら18ヶ月後には彼女は声を失ってしまうと考えました。私は彼女に、バイロイトで夏の間だけ3年くらい歌うように伝えました。そうすればイゾルデ役がマイヤーさんの体の一部となり、他の歌劇場で歌っても大丈夫になると。その後は皆さんのご存知の通りですね」
DSC_7060 © Naoko Nagasawa
続いて「戦後ドイツのワーグナー演出を単純化して考えると、ワーグナーに陶酔するのはもっての外だという前提があるように感じます。一方でワーグナー音楽における陶酔的な瞬間、パトスの表出が明らかに成されているので、ドイツ人はこの食い違いに耐え続けているのではないですか」と演出についての質問がされました。
これに対し、バレンボイム氏は次のように答えました。「今日の演出は、慣習的なものか、もしくは物語を語らないもののどちらかになっているように思われ、それが問題と感じます。演出家は総じて知的で想像力豊かだと思いますが、どんな形であれテクストが語っていることを演出として見せなければいけない、ということを理解していない。大切なのは、オペラの中身と歌詞を知らなければ演出できないということ。演出家だけの言葉で語ってはならないのです。演出家とスコアは同レヴェルにはなく、部分的には演出家が自ら発明しなければいけません。歌詞を読むと、誰しも自分のためのサブテクストを持ちます。それは自分だけに語りかけてきて、他人には伝わらない場合もあります。私が思うに、実際に書かれたテクストがあってこそ自分のサブテクストがあるという事実を演出家は理解しなければいけません。本来のテクストに興味を持てず、自分のサブテクストのみを使うような演出家はオペラ演出に手を出すべきではないのです。

私自身、人生において演奏してこなかった作品が沢山あります。それらの作品が私に対して訴えかけるものがなかったからです。私が演奏しなくても問題ない作品だし、私もそれらの作品がなくても構わないのです。

オペラ演出をするなら、演出家は多くのことを理解せねばなりません。ピットと音楽と舞台上の関係性がかけ離れてはならないのです。だからといって振り付け的であれと言っているのではなく、音楽と舞台が相反しても良いのですが、音楽との関係性があることは前提です。しっかりと手足の付いた演出をして欲しい。もしあるオペラ作品が何度も演出されているからといった理由で、新たに述べることがないのであれば、その作品を演出する必要はありません。幸い私は素晴らしい演出家と仕事をしてきました。シェロー、ポネルといった演出家は、それぞれ舞台に対する本能的な力を持っており、独創的な作品を作りました。今日の演出は、作品に忠実である一方独創性のないもの、あるいは全てが個人的な思いに留まるもののどちらかです」

最後の質問として「自著の中でテンポ・ルバートの意味を道徳的に捉えてらっしゃいますが、音楽を道徳的に捉えることの意義はなんですか?」と尋ねられると、次のように答えられました。

「私は非常に腹立たしく思っているのですが、多用されているイタリア語の音楽用語の本来の意味を理解していない人があまりに多い。聞いてみると答えられないか間違った答えが返ってくるのが関の山なのです。仰ったようにテンポ・ルバートは『盗まれた時間』という意味ですが、それがどういうことを示すのか考えるのです。つまり、表現のために多めに時間を使ったのであれば、フレーズの中でその時間を返す必要があるということです。特に道徳的な意味で言ったわけではありません。私は是非、音楽学校でもイタリア語をきちんと教えて欲しいと思います。沢山のイタリア語の専門用語を翻訳した上で知ってほしい。スタッカートの意味を聞いてみると、職業音楽家からは100%『短い』という答えが返ってきます。本当は『分ける』という意味ですが、知っている人は皆無です。これは由々しき事態です」

そして、会の終わりにはバレンボイム氏から次のような興味深い問題提起が会場全体に投げかけられました。「日本を含め世界中に熱心なワーグナー協会がありますが、何故とりわけワーグナーに対しての崇拝が極端なのでしょうか?日本だけの現象ではないのですが、ワーグナーには完全に身を捧げなければ理解できないと世界中の多くの人が思うようです。その熱意は他の作曲家には向けられない。私自身自分の時間をどれだけワーグナーと過ごしたかは分かりませんし、ワーグナーを本当に愛しています。しかし、モーツァルトを弾いている時ワーグナーのことは考えませんし、ブーレーズに向き合っている時も同様です。ワーグナーだけに献身的な愛を注ぐことは、決して彼のためにはなりませんし、作曲家の立場が向上することにもなりません。ワーグナーは神ではないのですから」

この問題提起をワーグナー協会で行う所に、バレンボイム氏のユーモアが見え隠れするようにも思えます。バレンボイム氏が現代最高のワーグナーの権威であることは疑いありませんが、今回の来日におけるモーツァルトのピアノ協奏曲、ブルックナーの交響曲の名演の連続は、彼の言葉を何よりも雄弁に裏付けたといえるでしょう。
DSC_7075 © Naoko Nagasawa文・平岡拓也 reported by Takuya Hiraoka / photo: Naoko Nagasawa


2016年2月13日(土)
東京ドイツ文化会館ホール

日本ワーグナー協会 第376回特別例会
公開インタビュー「ダニエル・バレンボイム氏を迎えて」
お話:ダニエル・バレンボイム(指揮者、ピアニスト)
司会進行:舩木篤也(東京芸術大学非常勤講師、音楽評論家)
通訳:蔵原順子

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  1. […] ちょっと関係ない話ですが、スタッカートについて最近、興味深いバレンボイムのインタビューを読みました。オペラ・エクスプレスというサイトに掲載さいれていたインタビューです。日本ワーグナー協会特別例会でのトークが掲載されていました。全体的に面白かったですが、スタッカートのことについて一瞬だけ触れられていました。 […]

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