オペラ・エクスプレス

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イヤよイヤよも好きのうち?———拝啓、アンナ・ネトレプコさま 「好きじゃない」なんて思っていてゴメンナサイ!

拝啓、アンナ・ネトレプコさま
「好きじゃない」なんて思っていてゴメンナサイ!

香原斗志(オペラ評論家)

拝啓、アンナ・ネトレプコさま

アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ユシフ・エイヴァゾフ(テノール)


「イヤよイヤよも好きのうち」だったのかどうか判然としないのだけれど、私はアンナ・ネトレプコのことがあまり好きではなかった。「あまり」というのも、遠慮がちであるがゆえの形容にすぎず、この際、包み隠さずに言えば、全然好きではなかった。こんなふうに言うのも、いまや相当に惚れ込んでしまったからなのだが、とにかく、長い間、ネトレプコには嫌悪感すら抱いていたのだ。

そう感じていた理由はいくつかある。まず、鼻にかかった独特のくぐもった声。特にイタリア・オペラの場合、イタリア語の明朗な響きを妨げているように感じた。また、彼女はドニゼッティやベッリーニのヒロインをよく歌っていたけれど、いわゆるコロラトゥーラの表現で声を回すときに荒さが目立ち、それなのに、そこを修正することよりも、よく通る声をことさらに強く響かせることにご執心のように見えた。芸術的な完成度を追求しようというストイックな姿勢よりも、自己顕示欲のほうが上回る歌手であるかのように思い込んでいたのだ。

だから、2014年夏のザルツブルク音楽祭でネトレプコが歌ったヴェルディ《イル・トロヴァトーレ》のレオノーラについて、事前に期待感を書いてほしいと某所で頼まれたときは、まったく気乗りがしなかった。ところが、である。事後にそのときのレオノーラ役を映像で確認して、私は不覚にも(?)嵐に襲われたように感動し、瞳が潤みさえしてしまったのである。いやはや。

ヴェルディはオペラを、それまでの歌唱を重視したものから、ドラマを重視したものに変えていったけれど、オペラの形式も歌唱スタイルも、急に変わったわけではない。ヴェルディを歌うのにふさわしいのはドラマティックな声だと思われがちだが、初期から中期の作品では、特にソプラノのパートに、ドニゼッティやベッリーニの作品と共通する華麗な装飾があちこちに施されている。それに歌手だって、日ごろロッシーニやドニゼッティを歌っている人がヴェルディの作品も歌ったのだ。ただし、ヴェルディがオペラで、前の時代よりもドラマティックな表現を志向したのはたしかなことである。

さて、ネトレプコである。《イル・トロヴァトーレ》のレオノーラは、声がドラマティックだというだけで選ばれたソプラノが歌うことが多かったが、実は、それではヴェルディが書いた技巧的なフレーズは十分に表現できないし、ヴェルディが細かく示している強弱等の指示に忠実に従うのも難しい。一方、軽い声のソプラノでは、たとえ声がコロコロ回ってもドラマを支えるのに不足がある。その点、ネトレプコの声は理想的だったのだ。「荒い」なんて感じていた声を回す技巧が、ヴェルディの作品を歌うには十分以上に武器になる。一方、彼女の声の質量と響きが劇的な感情を表現するのにうってつけで、しかも、彼女は倍音をともなって最高に美しく響くその声を(少し前まで、そんなふうに感じかなったのだが……)、ピアニッシモからフォルティッシモまで、自在にコントロールしてフレーズに色彩と生命を与える。もう、脱帽するしかない。

こうして私は、ある日を境にアンチ・ネトレプコからネトレプコ支持者へと転向し、その後、METのライブビューイングで再び彼女のレオノーラを聴いてさらに虜となり、ついには昨年12月、ミラノのスカラ座にヴェルディ初期の《ジョヴァンナ・ダルコ》を聴きに行ってしまった。ネトレプコのヴェルディが聴きたいという一心で、である。そこでは登場のアリアから、ピアニッシモもフォルテにかけ上がるときもビロードのようになめらかで、早速ブラーヴァの大歓声を浴び、その後も、激しい感情を表現しながら、叙情性も声の輝きも失わず、至難のパッセージも技巧を駆使して鮮やかに歌い上げた。

こうなると、かつて「全然好きではなかった」ときのことを、もはや、実感をともなって思い出すことが難しい。世の中によくあるのは、これと逆のパターンだろうか。寝ても覚めてもうなされるほどに好きだった相手に、いつの間にか顔を見るだけで嫌悪感を覚えるようになっていた――なんて話は、男女の間によく聞かれる。オペラって人生を学べる場所だと思うけれど、ひとりの歌手に対する思いがこんなふうに変わるというのもまた人生についての学びだ、という意味でもオペラはおもしろい! ま、「イヤよイヤよも好きのうち」だったのかもしれないけれど。


アンナ・ネトレプコ スペシャルコンサート in JAPAN 2016
3月15日(火)19時 愛知県芸術劇場コンサートホール
3月18日(金)19時 サントリーホール
3月21日(月・祝)18時 サントリーホール

【出演】
アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ユシフ・エイヴァゾフ(テノール)
ヤデル・ビニャミーニ(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団

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