オペラ・エクスプレス

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光と闇の転調を生かし、宮澤賢治の世界を表現―――オペラシアターこんにゃく座「想稿・銀河鉄道の夜」

光と闇の転調を生かし、宮澤賢治の世界を表現―――オペラシアターこんにゃく座「想稿・銀河鉄道の夜」
「想稿・銀河鉄道の夜」より
「想稿・銀河鉄道の夜」より
撮影:青木司

個人的な話で恐縮だが、宮沢賢治の世界、昔正直苦手だった。呼応するものすべて人間関係や、自然現象など「どうしてそこで!!」と不可解に思うことが少なくなかったからである。

しかし最近、その部分が岩手の風土に培われたものであり、そのかつて私が不可解だと思っていた部分こそ醍醐味であり、持ち味であり、読むものに様々なことを想起させる本質であるということが感じられるようになり、軽く傾倒しているようなところさえ自分でも感じられるので不思議である。

その感じ方の変化の理由の一つはおそらく大学生以降オペラに親しむようになったからに他ならないと思っている。例えばドイツのオペラなどには時々森が出てくる。シラーの戯曲を題材にした歌劇「ウィリアムテル」には「暗い森」というアリアもある。その「明暗」こそが岩手の風土が生み出す文学においてとても重要なのではないか。と改めて感じたのは、昨年宮沢賢治生誕120周年に際し、クルマで取材を兼ねて岩手を走った時のことだ。そしてそれは少し日本離れした感覚を演出する重要な要素にもなっていると思うのである。

現代人は光にあふれて生活している。であるからあの暗さ、それは絶対的にだけではなく、明るさに対する暗さの秘める畏れ、不安、そして深淵なる内に秘めたるものとの共鳴。そうしたもろもろのことは今改めて、世界に浸るほどに新鮮に映るものだ。そんな風に感じるのである。

「想稿・銀河鉄道の夜」より
「想稿・銀河鉄道の夜」より
撮影:青木司

こういう前提があるので、こんにゃく座のこの作品、少なからず楽しみだった。とはいえ、新作オペラというものにはそもそも苦手意識がある、実のところ。オペラと称して音楽で連綿と紡ぐところがかけているものが多いと感じるからである。節をつけていればよいのか、歌のようにセリフを入れればいいのか。それは違うと思う、個人的な意見であるが。そしてあまり原典原理主義のようになってもいけないが、ロマン派の作品を超えるものはないのではないか。旋律から逃げていない、しかも巧みに様々なことを音楽の可能性を最大限に活用して表現しているのはあの時代の作品だと思うのである。そんなロマン派のオペラに対する思いは決して買い被りではないと考える。その経緯から以降のより高度な音楽かもしれないが難解の高みに到達してしまった現代音楽の範疇の作品は、ある種の音楽が有していた神通力のようなものを感じないのである。

その意味では、あえて残念ながら、と言わせていただくと、この作品も決して旋律で惹きつける音楽のオペラではなかった。が、牧歌的な雰囲気の中話が進んでいったかと思うと、そんな仲間内の楽しい「光」が突然永訣という「闇」に転じる部分の「転調」がうまく表現されていた作品であり、プロダクションであると強烈に感じることができたのは、図らずも収穫であった。あの感覚が最も強く感じられるのが宮沢賢治の世界であり、それをうまく織り込んでいたように思う。どこかに「とはいえ、あれはオペラではない。オペラとは認めたくない。」という自我が、私自身の内で強く唱えるのだが、ならばと「オペラでないなら、オペラ的な舞台とでもいうべきか。」とすることで、妙な納得が得られるのが意外なほどであった。

宮沢賢治の「明暗」こそ、今私たちがもう一度思い起こさなければいけないことの一つだとすれば、そういうテーマをしっかりと盛り込んだ、舞台シーンに小さな「光」を灯した作品であると申し上げることには、一抹の躊躇もない、そんなオペラシアターこんにゃく座の「想稿・銀河鉄道の夜」だったのではないだろうか。

取材・文:中込健太郎


オペラシアターこんにゃく座公演
オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』
2017年2月3(金)~2月5(日)
世田谷パブリックシアター

【原作】宮澤賢治
【台本】北村想「想稿・銀河鉄道の夜」より
【作曲・音楽監督】萩京子
【演出】大石哲史

【出演】梅村博美/佐藤敏之/富山直人/髙野うるお/島田大翼/北野雄一郎/沢井栄次/熊谷みさと/齊藤路都/小林ゆず子/高岡由季/冬木理紗
【演奏】橋爪恵一(Cl) 津留崎直紀(Vc) 服部真理子(P)

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