オペラ・エクスプレス

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「ギリギリまで自分の演奏を追い込んで。その先にあなたの表現が見えてくるでしょう。」―――ファビオ・ルイージ オペラアリア・マスタークラス

世界でも有数のオペラ指揮者が公開でオペラアリアの歌唱を指導する機会などそうあるものではない。その指揮者がファビオ・ルイージであればなおさらだ。彼は現在チューリッヒ歌劇場の音楽総監督とメトロポリタン歌劇場の首席指揮者(今シーズン末で退任)を務め、そして来シーズンにはフィレンツェ歌劇場の音楽監督への就任も決まっている。オペラだけではない、シンフォニーの領分でもMDR交響楽団、ウィーン交響楽団やシュターツカペレ・ドレスデンでの活躍はレコーディングや来日公演に触れた方も多いだろう。サイトウ・キネン・オーケストラとの共演でもその実力を存分に示している、名実ともに現在最も輝いているマエストロだ。
そんな彼によるオペラアリアのマスタークラスは4月11日、午後中降り続いた雨の中、新百合ヶ丘駅からほど近い昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワにてマスタークラスは開催された。雨の中にもかかわらずホールの二階席まで、学生以外にも多くの聴講者が集まった。

この日の進行は「まず受講生が披露する作品とそのアリアについての説明を行ってからとおして歌唱を披露し、その後にファビオ・ルイージによる指導を受ける」というものだ。昭和音楽大学の現役学生、OB、OGの受講生たちはあらかじめ、チューリッヒ歌劇場で彼のアシスタントを務めるカルメン・サントーロ氏によるレッスンから選抜されている。選ばれた受講生たちの実力は講師によるお墨付きのもの、最初に歌を披露した時点でよく声は出ているし堂々たる歌を聴かせてくれる。ではそんな彼ら彼女らにファビオ・ルイージは何を教えただろうか?それを一言にまとめてしまうなら、「もっと作品を理解して、表現をしよう」ということになる。
歌詞は何を表現しているか、フレーズはどのように創られているか、コロラトゥーラにはどんな感情が込められているか、音色の変化は楽譜のどこから読み取れるか。そんな短い問いを投げることで、「あなたが歌っている役はいま何をしていてどんな気持ちでいるのか」をまずは歌手自身に考えさせるのだ。
そんな具合だから、レクチャーは基本的には落ちついたやりとりで進む。音楽に没入して熱くオーケストラを導く指揮台上の彼のイメージとは違うものだが、演奏に臨む彼を支えるものはこうした読み込みの深さなのだろう。時折テンポや表情を示す小さい身振りは見せるけれど、それとて指揮台上でのそれとは比べようもなく控えめなもの、それでいて受講生の歌は劇的に変わっていくのだから、指揮者というのは不思議な存在だ。いや、若き日から劇場でキャリアを積んできた彼ならではの技、だろうか。

では二人めに登場したこの日の受講者でただ一人の在学生、杉山沙織(メゾソプラノ)の場合を例として、少し具体的に振り返ってみよう。二年生の時学内コンクールで学長賞を獲得し、将来が嘱望される学部四年生の逸材が披露したロッシーニの『アルジェのイタリア女』からのアリア「むごい運命」は鳴りもよく、整った歌を聴かせた。
ファビオ・ルイージは、彼女に対しても技術的な話はまったくせず、イザベッラという役について、彼女がこの場面でどんな気持ちでいるか、それをどう表現したいか、そういう問いを投げ続けるのだ。アイロニカルな感情を音楽が表現していることを示すために自らピアノを弾いて特徴的な進行を示したあたりは歌劇場育ちのマエストロの面目躍如だったが、彼の問いに杉山が答えを出すたびに音楽は陰影豊かに、そしてキャラクターの性格は際立っていく。最初に彼女が披露した”歌曲”が、舞台で輝くオペラアリアに変貌した、そんな感触があった。

ファビオ・ルイージ オペラアリア・マスタークラス

Photo: K. Miura

ルイージは、このマスタークラスの前に行われた昭和音楽大学管弦楽団へのリハーサルでは相当に熱い指導をしたというのだけれど、指揮台上で見せる姿にも通じるその熱さの片鱗が垣間見えたのは、最後に披露された「チェネレントラ」からの六重唱だ。すでに歌手として活躍している受講生たちは演技まで用意していたから、場内は最初の歌の披露ですでに場内からは大拍手、大喝采が上がる。しかしここでもルイージが指導するのは、どこまでも音楽だ。ロッシーニ特有の早口でまくし立てるパートをどう歌うべきか、重唱の中での対比をどのように作るか。それを受講生たちに考えさせてからほんのちょっとした身振りでテンポを指示するだけで歌唱はよりタイトになり、舞台には一気に劇場の雰囲気を醸される。この人は本物の、オペラのマエストロなのだ。
この日四組の受講者たちへの指導は、「ここで終了」という明確な区切りを示さずに進められたのだが、アリアや重唱が仕上がったところで自然に場内から拍手が贈られてレッスンの区切りとなった。これもまた、彼の指導の説得力の証だったように私には感じられた。
最後に締めくくりの言葉としてルイージから贈られた「どんな曲を演奏するにせよ、技術的にも表現の面からも、ギリギリまで自分の演奏を追い込んでください。その先にあなたの表現が見えてくるでしょう。」という言葉はプロアマ問わずすべての演奏家に響く言葉ではないだろうか。

ファビオ・ルイージ オペラアリア・マスタークラス

Photo: K. Miura

今回の昭和音楽大学でのマスタークラスは、NHK交響楽団への客演のための来日中の、多忙な時間を縫って実現したという。関係各位の尽力、熱意には大いに感謝したい。そして、その困難を承知した上で希望をひとつ申し上げたい。今回はロッシーニとベッリーニによるレッスンだったけれど、ぜひヴェルディ、プッチーニの作品でも、またモーツァルトやシュトラウス作品で同様のマスタークラスも開催できないだろうか。ベルカントオペラの表現力を教えてくれたルイージが、イタリアオペラの代名詞とも言える二人の名作を支える表現について何を教えてくれるのか、もし独墺の作品ならどのようなポイントを重視するのだろう、そして日本の若き歌手たちは彼の指導から何を受け取るだろうか。ついそんな夢を見てしまう、貴重なイヴェントだった。そしてなにより、受講生各位の今後の飛躍に期待したい。今度は劇場の舞台で、彼ら彼女らがファビオ・ルイージと同僚として共演する日が来ることを期待しよう。

取材・文:千葉さとし reported by Satoshi Chiba
Photo: K. Miura


ファビオ・ルイージ オペラアリア・マスタークラス
講師:ファビオ・ルイージ
(メトロポリタン歌劇場 首席指揮者/チューリッヒ歌劇場 音楽総監督/フィレンツェ歌劇場 次期音楽監督)

受講者・曲目

・小野寺光(バス)
ロッシーニ『セミラーミデ』より「おお!止まれ 落ち着け 許せ」

・杉山沙織(メゾソプラノ)
ロッシーニ『アルジェのイタリア女』より「むごい運命」

・横前奈緒、石岡幸恵(ソプラノ)
ベッリーニ『ビアンカとフェルナンド』より 二重唱「立って お父様」

ロッシーニ『チェネレントラ』より 六重唱「あなたなのですね?」
・横前奈緒、高橋遥(ソプラノ)、杉山沙織、駿河大人(テノール)、市川宥一郎(バリトン)、小野寺光

ピアノ:酒井愛可
通訳:富永直人

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