オペラ・エクスプレス

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【オペラ暦】—3月22日—巨匠3人と、「我らがテナー」の命日

【3月22日】巨匠3人と、「我らがテナー」の命日

⚫️1687年、フランス・バロック音楽の巨匠リュリ(ジャン=バティスト・1632-)が、パリで亡くなっています。ほとんどをフランスで活躍したのでフランス人と思いがちですが、元々はイタリア出身。とくにルイ14世に愛され、彼の絶頂期が始まります。オペラとバレエとの融合を図り「オペラ=バレ」を確立した最初の人でもありました。
⚫️1832年、ドイツ随一の文学者ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・1749-)が、ヴァイマールで亡くなっています。彼の作品は、代表作「ファウスト」をはじめとして「若きウエルテルの悩み」など、多くの作曲家の霊感を刺激し、前者がグノーやボーイトが、後者はマスネがオペラ化しています。他にトマの『ミニヨン』もゲーテの原作によるもの。
⚫️その10年後(1842年)の同じ日にパリで亡くなったのが、フランスを代表する作家スタンダール(1783-)です。彼のオペラ好きは有名で、「モーツアルト伝」「ロッシーニ伝」なども執筆しています。また彼のイタリア紀行でも、多くのオペラに関する論評が記されています。パリの路上で倒れ、そのまま生涯を閉じました。脳溢血ではないかと言われています。有名な墓碑銘に関しては、1月23日の項をご参照(一部訂正しています)ください。
⚫️1882年、ドニゼッティ(ガエターノ・1797-1848)『アルバ公爵』、ローマ、アポロ劇場で初演。この台本は、のちにヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』に翻案されています。
⚫️1913年、柴田睦陸(-1988)、岡山で生まれています。戦前から戦後にかけて日本のオペラ界を牽引した一人。戦後二期会を創設し、テノール歌手としても数々の舞台を踏んでいます。(2月19日の項参照)
⚫️そして、「我らがテナー」と言えば、藤原義江(1898-)でした。スコットランド人を父に持つ甘いマスクと美声で数多くのオペラの主役を歌い、オペラ・ファンの胸をときめかせたものです。それだけに艶聞が絶えなかったことも事実。戦前戦後を通じて国内だけでなく海外にも進出。藤原歌劇団を自ら創設。晩年は東京の帝国ホテルの専用室に居住し、1976年、ここで亡くなっています。


新井 巌(あらい・いわお)
iwao
1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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