オペラ・エクスプレス

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年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年1月—新井巌(あらいいわお)

年柄年中オペラ漬け。<オペラ暦>2016年1月—新井巌(あらいいわお)

あけましておめでとうございます。昨年1年間、オペラ暦として、その日に起こったオペラ関連の事象を、日めくりカレンダー風にご紹介してきました。松岡修造さんのカレンダーほどの元気が出る?ものではありませんが、1年中オペラ漬けの日々を送っていただくためのガイドとして、また今年もご愛読いただければ幸いです。
(当然のことながら、事実の列挙ですので内容が大きく変わるものではありません。)


【1月1日】『夕鶴』の初代「つう」役の大谷洌子、誕生

新年劈頭なので、お正月らしく日本ゆかりの人物からご紹介しましょう。
⚫️1919年(大正8)、戦前から戦後にかけて活躍し、團伊玖磨(1924-2001)『夕鶴』初演で「つう」を歌ったソプラノ歌手大谷洌子(-2012)が生まれたのが、この年の元旦(一説には21年生まれとも)。当初は、歌謡曲も歌っていましたが、藤原歌劇団『ファウスト』でマルガリーテを歌ってオペラ・デビューを果たしています。その後、どう歌劇団で『椿姫』『カルメン』『ラ・ボエーム』などを歌い、一躍花形ソプラノとなったのです。
⚫️1828年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797-1848)『追放されたローマ人』が、ナポリで初演されています。この年は、ドニゼッティが結婚した年でもあり大いに奮起し、その後の出世作『アンナ・ボレーナ』へとつながってきます。
⚫️1908年、オーストリアの作曲家・指揮者マーラー(グスタフ・1860-1911)が、はじめてメトロポリタン・オペラでワーグナー(リヒャルト・1813-83)の『トリスタンとイゾルデ』を振ってデビューしたのもこの日でした。


【1月2日】ワーグナーの出世作「さまよえるオランダ人」初演

⚫️1843年、ドイツの大作曲家ワーグナー(リヒャルト・1813-83)の出世作『さまよえるオランダ人』が、ドレスデン宮廷歌劇場で作曲者自身の指揮で初演されています。ただし、必ずしも成功ではなかったようで、この時は4回しか上演されませんでした。その後のワーグナーの作品の人気で、この作品も再評価されたのです。
⚫️1889年、20世紀前半に活躍したイタリアの名テノール、スキーパ(ティト・-1965)が、この日にプッリア州のレッチェで誕生。アルフレードでデビューし、トスカニーニに認められ、やがて欧米で活躍。典型的な「テノーレ・ディ・グラツィア」で、イタリア・オペラのテノール・リリコの役柄を得意とした人。彼のネモリーノは絶妙だったと言います。


【1月3日】劇詩人メタスタージオ、誕生

⚫️1698年、ウィーン宮廷詩人として絶大な権勢を誇った劇詩人メタスタージオ(ピエトロ・-1782)が、この日誕生しています。『セミラーミデ』『皇帝ティートの慈悲』『オリンピアーデ』などの台本を、ヴィヴァルディ(アントニオ・1678-1741)、ヘンデル(ジョージ・フレデリック・1685-1759)、モーツアルト(ヴォルフガング・アマデウス・1756-91)、グルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)に至るまで数多くの作曲家に提供しています。
⚫️1843年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797-1848)の名作『ドン・パスクアーレ』が、パリのイタリア劇場で初演されています。金持ちの独身老人とその甥、さらに美しい未亡人とが一芝居を打って、金持ち老人の財産まで手に入れるという喜劇。彼のオペラ・ブッファの代表作。


【1月4日】『奥様女中』のペルゴレージ誕生

⚫️1710年、イタリアの作曲家ペルゴレージ(ジョヴァンニ・バッテスタ・-1736)が、イェージで生まれています。初期ナポリ楽派のもっとも重要な作曲家であった彼は、オペラ・ファンには喜歌劇『奥様女中』(奥様になった召使い)で有名ですが、その後のオペラ・ブッファの発展に大いに寄与した人でした。昨年は、彼のオペラ・セリアの傑作『オリンピアーデ』が日本人の手によって上演されました。オペラではありませんが、彼は『スタバト・マーテル』の最後の小節を書き終えた直後、わずか26歳という若さで亡くなったのです。


【1月5日】戦後、ワーグナー演出を革新したヴィーラント誕生。

⚫️1888年、チェコの首都プラハにある「プラハ国立歌劇場」が開場。当時は「新ドイツ劇場」という名の下に、ワーグナー(リヒャルト・1813-83)の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」がこけら落とし公演として上演されました。1949年にプラハ国民劇場の組織下で、国民的作曲家であるスメタナの名をとって「スメタナ劇場」となりましたが、現在では「プラハ国立歌劇場」となっています。
⚫️1917年、戦後の新しいワーグナー演出の基礎を築いたワーグナーの孫のワーグナー(ヴィーランド・-1966)がバイロイトで生まれています。抽象的な舞台装置と動きの少ない演技による彼の演出法は、新バイロイト様式としてその後のワーグナーの上演に大きな影響力をおよぼしました。


【1月6日】ジャンヌ・ダルクが生まれた日?

⚫️1412年頃、フランスの救世主ジャンヌ・ダルク(-1431)が生まれた日とされています。彼女を主人公としたオペラは、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813-1901)の『ジョヴァンナ・ダルコ』、チャイコフスキー(ピュートル・イリイチ・1840-93)の『オルレアンの少女』、それにオネゲル(アルチュール・1892-1955)の劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』など、オペラ的な題材としても人気のあるところ。
⚫️1732年、イタリアの作曲家ヴィヴァルディ(アントニオ・1678-1741)の『貞節なニンフ』が、ヴェネツィアで初演されています。彼が54歳の時の作品で、それから数年してヴェネツィアを離れウィーンに赴き、そこで客死しています。


【1月7日】20世紀オペラの傑作を生み出したプーランク誕生

⚫️1898年、ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフ(ニコライ・アンドレイエヴィチ・1844-1908)の1幕の歌劇『サトコ』がモスクワで初演されています。この中の1曲、「インドのうた」で有名ですが、物語は中世の叙事詩に歌われているサトコの伝承に基づいて書かれたもの。歌手サトコが、海の帝王の娘の力を借りて航海に出て不思議な体験をするという筋立て。
⚫️1899年、フランス6人組の一人で、『カルメル派修道女の対話』『人間の声』『ティレジアスの乳房』など20世紀オペラの名作を残したプーランク(フランシス・-1963)がパリで誕生しています。彼のオペラ作曲は、第二次大戦後から行なわれ、いずれも名曲として世界各地で上演されています。


【1月8日】若書きのロッシーニ、続々発表

⚫️1735年、ドイツ出身でイギリスに帰化したヘンデル(ジョージ・フレデリック・1685-1759)の3幕のオペラ『アリオダンテ』が、ロンドンのコヴェントガーデンで初演されています。イタリアの詩人アリオスト(ルドヴィーコ・1474-1533)の「オルランド・フリオーソ(狂えるオルランド)」に基づいて構成されたイタリア語での台本。
⚫1812年、イタリア・オペラの大作曲家ロッシーニ(️ジョッキアーノ・1792-1868)が、ヴェネツィアで『幸せな間違い』(『幸福な錯覚』とも)というファルサを初演しています。彼はまだ20歳。この年、他にも『絹のはしご』『試金石』『成り行き泥棒』など、次々に新作を発表した時期でした。
⚫️1830年、ワーグナーの忠実な弟子でもあったドイツの指揮者ビューロー(ハンス・フォン・-1894)が生まれた日。後にリストの娘であった妻コージマをワーグナーに横取りされ、反ワーグナー派となったのは有名な話。


【1月9日】メトロポリタン歌劇場 “スター主義”の生みの親、誕生

⚫️1902年、イギリスの興行師ビング(ルドルフ・-1997)が誕生。といって頷かれる方は、かなりのオペラ通。オーストリア出身で、グライドボーン音楽祭の総支配人として活躍し、エディンバラ音楽祭の創設にも関わっています。その後イギリス国籍を取得し、サーの称号も授与。1950年からニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招かれ、数多くのスターたちを生み出し、現在の同劇場の「スター主義」を確立して、1972年まで総支配人を務めました。その引退記念ガラ・コンサートには、彼によってスター歌手となった名歌手たちが一堂に集まり引退を惜しんだといいます。


【1月10日】『ドン・カルロ』初演と名バリトン誕生

⚫️1884年、イタリア・オペラの巨匠ヴェルディ(ジュゼッペ・1813-1901『ドン・カルロ』のミラノ・スカラ座で改訂版が初演されています。もともとは、パリ・オペラ座での『ドン・カルロス』で、1867年3月11日に初演されていますが、ボローニャでのイタリア初演版など数多くのヴァージョンがあることでも有名。今日上演されるのは、比較的このミラノ版が多いようです。
⚫️1935年、アメリカの名バリトン、ミルンズ(シェリル・)がイリノイ州ダウナーズグローブで生まれています。両親ともオペラ好きで、常にラジオやレコードでオペラが流れていた家庭でした。当初は、移動歌劇団の一員として数々の役柄をこなし、1965年に『ファウスト』でMETデビューを果たします。その後は、METでの多くの出演の他にも欧米各地で活躍。2002年、ヴォルフ=フェラーリ(エルマンノ・1876-1948)の滅多に上演されないオペラ『スライ』での日本公演を持って現役を引退したのです。


【1月11日】スタンダールが愛したチマローザ、急死

⚫️1801年、今日では『秘密の結婚』ぐらいしか上演されませんが、イタリアの作曲家チマローザ(ドメニコ・1749-)が、ヴェネツィアで亡くなったのがこの日。当時はナポリ派のオペラ作曲家として一世を風靡しました。1799年ナポリで市民が蜂起しますが、すぐに王制派に政権を奪回され、愛国的な作曲をした彼は「革命派」人物と目されて逮捕。死刑まで宣告されたのですが、友人の尽力で釈放されナポリから追放。その後ヴェネツィアに移った彼は、最後のオペラ『アリテミシア』を作曲している途中に急死したのです。その死があまりにも唐突だったためにナポリ政府によって毒殺されたという噂が広まったほどでした。スタンダール(178-−1842)がもっとも愛した作曲家だったのも有名な話。
●1893年、日本の音楽評論会の大先達である大田黒元雄(-1979)が、東京で生まれています。大正時代から、堀内敬三(1897-1983)、野村光一(1895-1988)らとともに「音楽と文学」などを発行し、当時最先端だった音楽を紹介。当時来日したプロコフィエフ(セルゲイ・1891-1953)などを手厚くもてなしたといいます。彼の著作には枚挙のいとまがありませんが、中でも『歌劇大事典』(音楽之友社刊・1962年)は、本欄の重要な資料の一冊でもあります。


【1月12日】「マドンナの宝石」だけではないヴォルフ=フェラーリ再評価

⚫️1844年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797—1848)の『カテリーナ・コロナーロ』が、ナポリのサン・カルロ歌劇場で初演されています。ヴェネツィアの貴族の娘カテリーナが、キプロス島の王と結婚するという実話をもとにしたプロローグと2幕からなるオペラ。内容はもちろんフィクションですが。
⚫️1876年、『マドンナの宝石』で知られるイタリアの作曲家ヴォルフ=フェラーリ(エルマンノ・—1948)が、ヴェネツィアで生まれています。近年、彼の作品は再評価され、『チェネレントラ』『スザンナの秘密』『抜け目のない未亡人』『スライ』『カンピエッロ』など多くの作品が、世界中の歌劇場で上演されるようになりました。
⚫️1930年、ロシアの作曲家ショスタコヴィチ(ドミトリー・1906−75)の『鼻』が、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で初演されています。ゴーゴリ(ニコライ・1809-52)の小説をオペラ化したもの。


【1月13日】若き日のモーツアルトのオペラ・ブッファ初演

⚫️1775年、オーストリアの大作曲家モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)『偽りの女庭師』が、ミュンヘンの宮廷劇場で初演。この時代は、彼の大規模な求職の時期でもありました。このオペラではまずまずの成功を収めたものの、『イドメネオ』で名声を得るまでは注文がなかったと言います。
⚫️1936年、イタリアの現代の名バリトン、ブルゾン(レナード・)が、パドヴァ近くのグランツェで生まれています。一般には知的なヴェルディ・バリトンとして定評のあるところですが、一方では「ここ75年間の唯一のドニゼッティ・バリトンである」(偉大なるオペラ歌手たち・男声編)とも評されています。
⚫️1864年、オペラ作家ではありませんが、『おおスザンナ』や『草競馬』でおなじみの、かのフォスター(スティーヴン・1821−)が亡くなったのものこの日。


【1月14日】あの『トスカ』が初演から116年

⚫️1900年、イタリア・オペラの作曲家プッチーニ(ジャコモ・1858-1924)の代表作『トスカ』が、ローマのコスタンツィ劇場で初演。因みに『トスカ』の時代背景となった年が、ちょうど100年前の1800年6月のことでした。主役3人が全て死んでしまうという結末もさることながら、各幕の舞台もローマに実在の聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会、ファルネーゼ宮、聖アンジェロ城という設定も話題に事欠きません。興味ある方は、「トスカ イタリア的愛の結末」(白崎容子著・ありな書房)をお読みになるも、さらに教主が増すでしょう。
⚫1602年、モンテヴェルディ(クラウディオ・1567-1643)後のバロック・オペラを牽引して『ジャゾーネ』『カリスト』などの名作を遺したヴェネツィア楽派の作曲家カヴァッリ(フランチェスコ・-1676)がヴェネツィアで亡くなっています。師の後を次いで、サン・マルコ大寺院の楽長に就任。宗教曲だけでなく、今まで貴族階層の娯楽であったオペラを、一般大衆のものとしたことが彼の最大の功績と言われています。


【1月15日】オペラにも貢献したモリエール

⚫️1622年、フランス古典劇の大御所モリエール(ジャン=バティスト・−1673)受洗。生誕日は不明ですが受洗された日が、この日。オペラとの関係は、リュリ(ジャン=バティスト・1632−87)と共同してコメディ・バレを数多く創り、当時のフランス宮廷に華を添えています。彼の台本を使った作品としては、リュリ最後のオペラ作品である『町人貴族』で、シャルパンティエ(マルカントワーヌ・1643−1704)とも『病は気から』というコメディ=バレを作っています。その後も、ガルッピ、グノー、ビゼー、ヴォルフ=フェラーリなどが彼の作品を取り上げています。
⚫️1958年、アメリカの作曲家バーバー(サミュエル・1910−81)『ヴァネッサ』が、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演。ちなみにこのオペラの台本は、30年来の同棲者であった作曲家ジャン=カルロ・メノッティ(1911−2007)の手になるもの。


【1月16日】20世紀最大の指揮者トスカニーニ死去

⚫️1957年、この日最大の出来事といえば、20世紀でもっとも影響力のあったイタリアの指揮者トスカニーニ(アルトゥーロ・1867−)が、ニューヨークで死去したことでしょう。若くして才能を開花させ、イタリア・オペラ界を牽引しただけでなく、ヴェルディ、ワーグナーをこよなく愛し、バイロイト祝祭音楽祭に初めてドイツ人以外の指揮者として招かれたこともありましたが、やがてナチスが台頭し、さらに母国イタリアでもファシスト党が政権を握ったことに反発し、アメリカに亡命。一時引退を表明しますが、NBC放送局の懇請によりNBC交響楽団を創設して、以後10数年にわたり数多くの録音を残しました。
⚫️1800年、イタリアの作曲家ケルビーニ(ルイジ・1760−1842)『二日間』パリで初演。今日ではあまり上演されませんが、当時流行した「救出オペラ」の典型。台本はベートーヴェンの『フィデリオ』と同じJ.N.ブーイでした。
⚫️1934年、アメリカの名ソプラノ、ホーン(マリリン・)が、ペンシルヴァニア州ブラッドフォードで生まれています。往年の名歌手レーマン(ロッテ・1888-1976)に師事し、その後ドイツにわたり研鑽。さらに欧米各地でも活躍。ベルカント・オペラを得意として70年代以降は、ロッシーニ歌手として名声を博しました。今年で81歳。


【1月17日】ヴェネツィアで生まれ、亡くなったアルビノーニ

⚫️1751年、イタリア・バロック期の作曲家アルビノーニ(トマゾ・1671−)が、ヴェネツィアで亡くなっています。昨今では、編曲された『アルビノーニのアダージョ』ばかりが有名ですが、実は『見捨てられたディドーネ』(1725)など80曲ものオペラを書いています。
⚫1806年、「時の踊り」で有名な『ジョコンダ』を作曲したイタリアの作曲家ポンキエッリ(アミルカーレ・1834−)が、ミラノで亡くなっています。彼は、ヴェルディ以後、プッチーニ以前のちょうど中間に位置し、『婚約者』で成功を収め、一時はヴェルディの後継者と目されましたが、やがてヴェリズモ・オペラの波に飲み込まれてしまったのです。
しかし、プッチーニ、マスカーニなどを育てた功績はもっと知られてよいでしょう。
⚫️1901年、『カヴァレリア・ルスティカーナ』の成功で一躍有名になったイタリアの作曲家マスカーニ(ピエトロ・1863−1945)のプロローグと3幕からなるコミック・オペラ『仮面』が、ミラノ、トリノ、ジェノヴァ、ヴェネツィア、ヴェローナ、ローマの6都市で同時に初演されました。ただし、作曲者自身が振ったローマ公演を除けば、ほぼ全て失敗で、ジェノヴァでは最後まで上演されなかったと言います。


【1月18日】フランスのオペラ作曲家リュリの出世作

⚫️1684年、イタリア出身でフランスの作曲家リュリ(ジャン=バティスト・1632−87)『アマディス』初演。従来からの神話ではなく騎士アマディスの冒険を描いた作品として注目されました。
⚫️1841年、フランスの作曲家シャブリエ(アレクシス=エマニュアル・−1894)が、アンベールで生まれました。彼は内務省の官吏でしたがフォーレやマネなどの芸術家と知り合い作曲に専念し、3幕のオペラ・ブッファ『星』で注目されました。


【1月19日】『イル・トロヴァトーレ』『マノン』名作ぞくぞく初演

⚫️1853年、イタリア・オペラの巨匠ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901)の『イル・トロヴァトーレ』が、ローマのアポロ劇場で初演。ヴィスコンティ監督『夏の嵐』の冒頭、マンリーコが歌う「見よ、恐ろしき炎を」で、フェニーチェ劇場の天井桟敷から反体制派のビラが撒かれるシーンは印象的でした。
⚫️1884年、フランスの作曲家マスネ(ジュール・1842−1912)『マノン』が、パリのオペラ・コミック座で初演。いうまでもなくアベ・プレヴォー(本名アオントワーヌ・フランソワ・1697−1763)『マノン・レスコー』が原作で、のちにプッチーニも同じ題材を扱っています。
⚫️1909年、日本にも馴染みの深いドイツの名バリトンのホッター(ハンス・−2003)が、オッヘンバッハ・アム・マインで生まれています。戦後は、ワーグナー歌手として不動の地位を確立しました。また、シューベルトの歌曲などにおいても優れた歌唱力で人気を得ました。


【1月20日】そろそろ復活してもよいロルツィング

⚫️1851年、ドイツの作曲家ロルツィング(アルベルト・1801−51)の1幕のコミック・オペラ『オペラのお稽古』が、フランクフルト・アム・マイン市立劇場で初演されました。ラインダール男爵は、見知らぬ相手と結婚させられそうになり、歌手に変装して、伯爵の令嬢と知り合う。しかし、それが実は見知らぬ婚約者であったと知り、紆余曲折の結果、めでたしめでたしになるお話。
⚫️1892年、イタリアの作曲家カタラーニ(アルフレード・1854−93)の4幕のオペラ『ラ・ヴァリー』(『ワリー』とも)が、ミラノ・スカラ座で初演されました。彼が38歳の時の作品です。しかし、彼は翌年に旅行先で急死し他のです。この曲を初演した指揮者トスカニーニ(アルトゥーロ・1867−1957)は、親友のこの曲をこよなく愛し、自分の娘にワリーと名付けたほどでした。
⚫️1906年、戦前戦後に活躍した声楽家(アルト)四家文子(よつや・ふみこ-1982)が、東京で生まれています。1929年オペラ『堕ちたる天女』でデビュー。とくに日本歌曲の普及に努め、また書く音楽大学で後進の指導にあたりました。


【1月21日】『イェヌーファ』から、ドミンゴ様まで

⚫️1904年、チェコの作曲家ヤナーチェク(レオシュ・1854−1928)の『イェヌーファ』が、ブルノのヴェヴェジー劇場で初演されています。原作は、チェコの作家プライソヴァー(ガブリエラ・1847-1926)の戯曲「彼女の養女」。未婚の母が産んだ子をめぐってモラヴィアの閉鎖的な寒村で起こった悲劇です。音楽的にも、ヤナーチェク独特の朗唱(発話旋律)スタイルを確立した作品です。
⚫️1948年、イタリアの作曲家ヴォルフ=フェラーリ(エルマンノ・—1948)が、ヴェネツィアで亡くなっています。(1月12日の項参照)また彼の生涯については、永竹由幸著『ヴォルフ=フェラーリの生涯と作品』(水曜社刊)に詳しく。
⚫️1941年には、スペイン出身で3大テノールの一人ドミンゴ(プラシド・)が、マドリードで生まれています。最近では、指揮者としても活躍し、さらにバリトンの役柄にも挑戦して好評を得ています。まだまだ元気な現役の74歳です。


【1月22日】漂泊の詩人バイロンは、オペラ原作の宝庫

⚫️1788年、イギリスのロマン派詩人バイロン(ジョージ・ゴードン・1788−1824)が、ロンドンで生まれています。彼の作品は、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−1901『二人のフォスカリ』『海賊』や、ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『マリーノ・ファリエーロ』『パリジーナ』をはじめとして多くの作曲家がオペラや楽曲化(ベルリオーズ(エクトール・1803-69)『イタリアのハロルド』など)しています。
⚫️1934年、ロシアの作曲家ショスタコヴィチ(ドミトリー・)のオペラ第2作に当たる『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(4幕)がレニングラード(現サンクト・ペテルスブルク)のマールイ劇場で初演。2日後にはモスクワでも初演され、翌年にはボリショイ劇場での上演など、2年間で合計177回も上演されたほどの人気でしたが、『プラウダ』氏に批判記事が載ってから、一転、彼自身の作曲家生命が脅かされるほどの苦境に陥った作品でもありました。


【1月23日】スタンダールは大のオペラ好き

⚫️1781年、イタリアの作曲家ピッチンニ(ニコロ・1728−1800)『トーリードのイフェジェニー』が、パリのオペラ座で初演。グルック(クリストフ・ヴィリバルト・1714-87)にも同名のオペラがありますが、これはグルック派だったオペラ座の支配人が、グルックが拒否した台本を無理やりピッチンニに押し付け作曲させ、グルックがより劇的な台本で先に上演(1778年5月18日)させて、彼に花をもたせたという逸話があります。いわゆる「グルック=ピッチンニ論争」ですが、その後も盛り返し第2の絶頂期を迎えたと言います。
⚫️1783年、フランスの人気作家スタンダール(−1842)が、グルノーブルで生まれています。無類のオペラ好きで、チマローザ(ドメニコ・1749-1801、モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・1756−91)、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)のオペラをとくに好んでいました。
●1979年、日本の音楽評論家の草分けである大田黒元雄(1893−)が、東京で亡くなっています。(誕生日の1月11日の項参照)
⚫️1981年、アメリカの作曲家バーバー(サミュエル・1910−)が、ニューヨークで亡くなっています。オペラとしては、代表作に『ヴァネッサ』があり、またニューヨークのリンカーン・センターの新メトロポリタン歌劇場の開幕記念公演として委嘱された『アントニーとクレオパトラ』があります。


【1月24日】フランス劇壇の風雲児ボーマルシェ

⚫️1732年、フランスの劇作家で、『フィガロの結婚』『セビリアの理髪師』などでフランス劇壇に旋風を巻き起こした風雲児ボーマルシェ(ピエール=オギュスタン・-1799)が、パリで生まれています。裕福な時計商の家庭に育ちながら、次々と職業を変え、投獄されたり、ルイ15世の密使になったり、アメリカの独立戦争に加担し莫大な富を得ながら、その巨万の富をフランス革命政府に没収されるなど、まさに波乱万丈の生涯を送っています。彼の生涯について知りたい方は、鈴木康司著『闘うフィガロ〜ボーマルシェ一代記』(大修館書店刊)をご一読ください。
⚫️1918年、オーストリアの作曲家アイネム(ゴットフリート・フォン・1918−96)が、父の任地であるベルンで生まれています。第二次世界大戦中二ゲシュタポに捕らえられた体験がオペラ『審判』(カフカ原作)を作曲させ、さらに劇作家ビューヒナー(ゲオルク・1813-37)の戯曲による十二音音楽のオペラ『ダントンの死』は、彼の代表作となりました。


【1月25日】ロッシーニからフルトヴェングラーまで

⚫️1817年、イタリアの大作曲家ロッシーニ(ジョアキーノ・1792-1868)の2幕のオペラ『チェネレントラ』がローマのヴァッレ劇場で初演されています。かつて日本では『シンデレラ』と呼ばれていましたが、私たちに馴染みの深い童話のシンデレラとはかなり筋が違いますが、最近では題名としてはこちらの方が通りが良いようです。
⚫️1835年、イタリアの作曲家ベッリーニ(ヴィチェンツオ・1801—35)『清教徒』が、パリのイタリア劇場で初演。これがベッリーニの最後の作品となりました。
⚫️1909年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『エレクトラ』が、ドレスデンの宮廷劇場で初演。ソフォクレスのギリシャ悲劇をもとにホフマンスタール(フーゴ・フォン・1874-1929)が戯曲化したものを台本にしています。ホフマンスタールとの初めての共作となり、以後『ばらの騎士』や『アラベッラ』まで数々の傑作を生み出すきっかけになった作品。
⚫️1886年、20世紀を代表するドイツの指揮者フルトヴェングラー(ヴィルヘルム・−1954)がベルリンで生まれています。おそらく日本で最も人気の高い指揮者の一人でしょう。バイロイト祝祭音楽祭の再開時には『第九』を振って、その名演奏が今でも語り草になっています。また、彼が指揮したオペラ『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』『フィデリオ』『マイスタージンガー』などは、未だに色あせない名演です。
⚫️1967年、若くして亡くなったイタリアの名バリトン、バスティアニーニ(エットーレ・1922−)は、この日が命日。63年初来日しルーナ伯爵を歌い、声良し姿良しの名バリトンとして、日本でのオペラ・ファンも急増した矢先に、ガルダ湖畔の町シルミオーネで亡くなりました。喉頭癌による44歳という惜しまれる若さでした。


【1月26日】『コジ』と『ばらの騎士』の初演

⚫1790年、オーストリアの大作曲家モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)『コジ・ファン・トゥッテ』が、ウィーンのブルグ劇場で初演。初演ではそこそこの好評を得たものの、この作品を依頼したヨーゼフ2世が2月20日に死去し、あえなく上演は中止。その後はロマン派作曲家たちの不評によってほとんど顧みられず、ようやく19世紀末にシュトラウス(リヒャルト・1864-1949)、マーラー(グスタフ・1860−1911)によって上演されてから徐々に復権を果たし、今日ではダ・ポンテ3部作として人気オペラとなりました。
⚫️1911年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)の『ばらの騎士』が、ドレスデン宮廷劇場で初演。彼の作品の中でも、最も人気の高いオペラで世界中の歌劇場のレパートリーとなっています。ホフマンスタール(フーゴ・フォン・1874-1929)の台本で、『フィガロの結婚』を意識して書かれたとも。このオペラのモティーフになっている、婚約者に銀のバラを届ける風習というのは、作者の全くの創作。詳しくは、岡田暁生著『オペラの終焉 リヒャルト・シュトラウスと<バラの騎士>の夢』(ちくま学芸文庫)がオススメ。
⚫1957年、フランスの作曲家プーランク(フランシス・1899-1963)『カルメル派修道女の対話』が、ミラノ・スカラ座で初演されています。フランス革命の中で16人の同派修道女が処刑されたという実話に基づく、20世紀を代表するオペラ作品。


【1月27日】オペラ・ファンにとっては聖なる日とも言える日

⚫️1756年、オーストリアの大作曲家モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・−1791)が、この日ザルツブルクで生誕。オペラ作品としては、10歳頃に作った第1作の『第一戒律の責務』から、遺作の『皇帝ティートの慈悲』まで、22作を生み出しています。とくに晩年に書かれたダ・ポンテ三部作『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』と、死の年の書かれた『魔笛』は、まさにオペラ史上不滅の名作でしょう。
⚫️1849年、イタリアの巨匠作曲家ヴェルディの『レニャーノの戦い』が、ローマのアルジェンティーナ劇場で初演されています。1176年の神聖ローマ帝国とロンバルディア同盟とのこの戦いは、イタリア史上でも最重要な出来事であり、それゆえに当時リソルジメントに揺れるイタリア人にとっては、この愛国的なオペラが受け入れられたのでしょう。
⚫️1901年、20世紀を迎えた年には、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813−)がミラノのグランドホテル・デ・ミランで死去。4日前に倒れてからは、ホテルは黒布で覆われ、馬車の轍の音が眠りを妨げないように道には藁が敷き詰められたといいます。今は、彼の生涯の傑作と言われた「音楽家の憩いの家」という音楽家のための養老院の一角に、妻ジュゼッピーナとともに埋葬されています。


【1月28日】浅草オペラから、タリアヴィーニまで

⚫️1830年、浅草オペラ華やかなりし頃は、「岩にもたれたものすごい人は」(堀内敬三訳)という歌詞で一世を風靡したフランスの作曲家オーベール(フランソワ・1782−1871)『フラ・ディアボロ』が、パリのオペラ・コミック座で初演。ナポリ一帯を荒らし回る山賊フラ・ディアボロと、その仇敵ロックバーク卿との間に繰り広げられる活劇歌劇。初演から大成功を収めたと言います。
⚫️1916年、スペインの作曲家グラナドス(エンリケ・1867−1916)『ゴイェスカス』がニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演されています。この初演に立ち会った帰路、乗った客船がドイツの潜水艦の魚雷攻撃によって沈没し、グラナドスは夫妻ともども行方不明になるという悲運に見舞われたのです。
⚫️1995年、日本でもなじみの深いイタリアの名テノール、タリアヴィーニ(フェリッチョ・1913−)が、生地のレッジョ・エミーリアで亡くなっています。1938年、ロドルフォでデビューし、その後は「スキーパの後継者」と言われ、欧米各地で活躍。1954年、第2次イタリア歌劇団での『愛の妙薬』ネモリーノの名演は、今もって語り草に。彼の歌った「人知れぬ涙」は、10分以上拍手が鳴りやまなかったほどでした。


【1月29日】ヘンデルを脅かした『乞食オペラ』

⚫️1728年、ドイツ生まれのイギリスの作曲家ペープシュ(ヨハン・クリストフ・1667−1752)『乞食オペラ』がロンドンのリンカーズンス・イン・フィールズで初演され、その人気は、当時隆盛を誇っていたオペラ作曲家としてのヘンデル(ジョージ・フレデリック・1685−1759)をも脅かしたといいます。
⚫️1781年、オーストリアの大作曲家モーツァルト(ウォルフガング・アマデウス・1756−91)『イドメネオ』が、ミュンヘン宮廷劇場で初演。2日前には、彼25歳の誕生日を迎え、この初演は「青年」作曲家としての華やかな船出となりました。
⚫️1837年、ロシアの作家プーシキン(アレキサンドル・1799−)が死去。彼の作品は、チャイコフスキー(ピュートル・イリイチ・1840-93『スペードの女王』、ムソルグスキー(モデスト・ペトロヴィチ・1839-81)『ボリス・ゴドゥノフ』、グリンカ(ミハエル・イヴァノヴィチ・1804-57)『ルスランとリュドミーラ』などの原作となっています。死因は、2日前に行われた決闘による傷が原因だったとか。
⚫️1862年、イギリスの作曲家ディーリアス(フレデリック・−1934)が、イギリスのブラッドフォードで生まれています。彼のオペラ作品としては『村のロメオとジュリエット』など5作品があります。
⚫1996年、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場が放火のため焼失。1792年の開場以来3度の火災により焼失。文字通り不死鳥(フェニーチェはイタリア語でフェニックスの意)のごとく蘇り、再建は2003年12月14日、ムーティ(リッカルド・1941-)指揮で演奏会形式での再開が披露され、1年後の11月に『椿姫』で歌劇場としての再建がスタートしました。


【1月30日】日本を代表するオペラ『夕鶴』初演

⚫️1838年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797−1848)『マリア・デ・ルーデンツ』が、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演されています。当時彼は、愛妻ヴィルジニアをなくして失意の底にあった時の作品。故永竹由幸氏(オペラ名曲百科)によれば、「物語は鶴屋南北の怪談もののよう」という話で、原作名からして「血まみれの尼僧」というのですから、推して知るべしです。1980年、20世紀蘇演がリッチャレッリ(カーティア・1946-)によって、初演したフェニーチェ劇場で行われたそうです。
⚫️1952年、日本の作曲家の團伊玖磨(1924−2001)『夕鶴』が、大阪朝日会館で藤原歌劇団によって初演されました。初演でのつう役には、原信子(1893—1979)と大谷洌子(1919-2012)のダブルキャストでした。この初演以来、上演回数800回を超える日本オペラの代表作となりました。また1959年のチューリヒでの上演は、日本のオペラが海外で上演された最初だったそうです。
⚫️1963年、フランスの作曲家で、フランス6人組の最年少だったプーランク(フランシス・1899−)が、パリで亡くなっています。(誕生日の1月7日の項参照)


【1月31日】生前に上演されずに終わったシューベルトのオペラ

⚫️1727年、ドイツ出身でイギリスの大作曲家ヘンデル(ジョージ・フレデリック・1685−1759)の3幕のオペラ『アドメート』が、ロンドンで初演されています。ギリシャ神話のアルチェステの物語に基づくもので、アメネードに対してアルチェステの献身的な愛の姿を描いています。
⚫️1797年、オーストリアの大作曲家シューベルト(フランツ・−1828)が、ウィーンで生まれています。「歌曲王」として知られる彼だけに、意外に多くのオペラ(完成されているのは8作)を書いていますが、生前には上演されたことがありませんでした。最近になって幾つかのオペラが上演されたり録音されたりしています。主なものは『双子の兄弟』『陰謀者(または家庭争議)』『アルフォンゾとエストレッタ』『フィエラブラス』『サラマンカの友人』などが挙げられます。


・その日に初出の人名はフルネームで表記し、基本的には生没年を表記していますが、紹介の項目が生誕年の場合は没年を、没年には生誕年のみを記しています。
・記述には十分正確に記しているつもりですが、誤りがあればご教示くださいますようお願いいたします。
・参考文献等は、個別に記してはおりませんが、主として『オペラ辞典』(音楽之友社・刊)その他資料に準拠しています。

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