オペラ・エクスプレス

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【オペラ暦】—5月31日—パパ・ハイドン、ウィーンに死す

【オペラ暦】—5月31日—パパ・ハイドン、ウィーンに死す

【5月31日】パパ・ハイドン、ウィーンに死す

⚫️1809年、ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・1732-)が、ウィーンで亡くなっています。“交響曲の父”と呼ばれているパパ・ハイドンは、本当はオペラの父?と呼ばれたかったほど、オペラに思い入れがあったようです。(誕生日の3月31日の項参照)
⚫️1817年、ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)『泥棒かささぎ』が、ミラノのスカラ座で初演。
⚫️1846年、ロルツィング(アルベルト・1801-51)『刀鍛冶』が、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演。
⚫️1884年、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)の処女作オペラ『妖精ヴィッリ』が、ミラノのダル・ヴェルメ劇場で初演されています。オペラ作曲家としての地位を不動にするには、第3作『マノン・レスコー』まで待たなければなりませんでした。
⚫️1890年、シチリア島のパルレモのマッシモ劇場が、この日開場。杮落としは、地元出身のベッリーニ『ノルマ』でした。
⚫️1912年、イギリスのカウンター・テナー、デラー(アルフレッド・-1979)が、ケントで生まれています。「デラー・コンソート」を結成して中世や古いイギリスの音楽を復活させました。ブリテン(エドワード・ベンジャミン・1913-76)『夏の夜の夢』のオベロンは、彼のために書かれたものといいます。
⚫️1935年、新国立劇場オペラ芸術監督として活躍した若杉弘(-2009)が、東京で生まれています。日本のみならず、ドイツを中心にヨーロッパの主要歌劇場で首席指揮者や音楽監督を務めるなど国際的に活躍。また多くのオペラの日本初演を手がけました。


新井 巌(あらい・いわお)
iwao
1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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