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【オペラ暦】—番外編コラム—悪魔に取り込まれたか?歴史的大失敗だった初演

【オペラ暦】—番外編コラム—悪魔に取り込まれたか?歴史的大失敗だった初演


1868年3月5日、ボーイト『メフィストーフェレ』、ミラノ・スカラ座初演

世の中には一芸だけでなく、多彩な芸を持った人がいる。オペラを作曲するだけでなく、自ら台本も書いてしまう代表格といえばワーグナーだろう。対するヴェルディはほとんど自分では台本を書かなかったが、そのかわり細かな注文を付けた。その意味では、この『メフィストーフェレ』の作曲者アリゴ・ボーイトはワーグナーと同じように、このオペラでも台本も自ら書いた。いうまでもなく、この原作はゲーテの『ファウスト』であり、そのファウスト博士と契約する悪魔を主役に据えたオペラである。すでに『ファウスト』を題材にしたオペラは、当時爆発的に人気のあったグノー『ファウスト』(1859年初演)が先行しており、その前にはベルリオーズが『ファウストの劫罰』(1846年初演)を書いている。当然ひと味違ったファウスト物語にしなければならないところだ。作品自体もワーグナーの影響が強く、プロローグと4幕にさらにエピローグまでついた作品は、自ら指揮した初演の時はワーグナー並に5時間半を要したという。結果は歴史に残る失敗であった。(その後短縮して、現在のような改訂版にしてから評価が高まった)
この台本も書けるという才能は、老境に入ったヴェルディの創作意欲をかき立てるという思わぬ功績をもたらした。ヴェルディに忠実だったピアーヴェが亡くなると、ヴェルディは台本作者に不自由をしていた。そこに目をつけた出版社のジューリオ・リコルディは、若いボーイトを紹介した。その結果、7年かけて名作『オテッロ』を生み、かつ最後の傑作である『ファルスタッフ』が生み出されたのである。この教養人ボーイトは、オペラ作曲家としては大きな足跡は残さなかったが、ヴェルディの台本作者としては大いに名を高らしめたのである。ちなみに、ポンキエッリの『ジョコンダ』の台本もトビア・ゴッリォという筆名で彼が書いたものである。


新井 巌(あらい・いわお)
iwao
1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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