
サラリーマン、オペラ歌手?小説家?の
香盛(こうもり)修平です。
会社を一歩出ると、あるときは天井に逆さまにぶら下がりサラリーマン社会を俯瞰し、あるときはヨハン・シュトラウス「こうもり」ファルケよろしく、「オペラ」の楽しさを伝える仕掛人、案内役としてへたな文章を書いております。
前回ご紹介しましたヒュー・ビッカーズという方が書いた「珍談・奇談オペラとっておきの話」という本に、興味を持っていただいたという方がおられましたので、もう一つだけこの本に掲載された、少し違う視点のエピソードをご紹介しましょう。
1963年ミラノスカラ座。ベッリーニ作曲「夢遊病の女」
マリア・カラスは夢遊するシーンを見事に演じきった。絶頂期のマリア・カラスであれば当然のことと思わないでいただいきたい。観客が夢遊シーンに没入するためには「目を閉じて」演じきらないといけないのである。いかにマリア・カラスが素晴らしい演技者で、歌い手だとしても、指揮者やプロンプターを一切見ずに、このシーン、この役を演じきるのは至難の業である。
1966年ヒュー・ピッカーズはこのシーンについてルキーノ・ヴィスコンティから種明かしをされる。
ヴィスコンティは、上着の胸ポケットに入れていたハンカチにたらしたイギリスの香水を、マリア・カラスが気に入っていることに気がついた。そこでヴィスコンティは通常オペラの演出では使わない五感を使った仕掛けを思いついた。
ヴィスコンティは問題のシーンの間、ベッドの上にそのハンカチを置いておいたのである。マリア・カラスは香水の香りを頼りに毎回素晴らしい演技でベッドにたどり着き、観客の喝采を浴びた。
しかし、もしオーケストラメンバーに同じ香水をつけた奏者がいたとしたら……。
オペラの舞台はかように危険に満ちています。感動の舞台が一瞬で喜劇やサスペンスになってしまう可能性を秘めているのです。しかし、関わっている人たちにとっては、逆にそのスリルは麻薬のようなもので、一度この世界に足を踏み入れると抜けられなくなる舞台の魅力なのかもわかりません。
まったく何も「予想外のこと」がおこらない舞台はありえません。たいていの舞台では「いろいろ」なことがおこります。歌い手の身体や精神的、かかわる人たちの人間関係、舞台装置、小道具。危険な要素はいくらでもあります。
私自身も、危うくシリアスな演目を、喜劇、いや奇術に変えてしまいかねないというギリギリの経験をしていますし、物騒な話としては、本番の最中、劇場に爆破予告が来たこともあります。
そのあたりの話は、次号以降のお楽しみとさせていただきます。
オペラで愛まSHOW!
■第四回 「接待オペラ?その4」■
元々楽観的なところがある私なので、先輩営業マンが、私が行き詰まった時によくかけてくれた一言を思い出して腹をくくった。「命まではとられませんから。なんとかなりますよ」
しかし、楽譜が読めないのは致命傷だった。家に帰って楽譜を眺めてみても何も浮かんでこず、睡魔が襲うのみ。週末にはまた稽古があるというのに一向に音楽は近づいてきてくれない。
私を誘ってくれたお客様の家でなんとかしてもらう以外にはなかった。
翌日、出社すると早速電話をかけて、自宅に伺う日程を調整。仕事が終わるとレコード店やビデオショップをうろつき、何か一つでも手掛かりになるものがないかと探した。
特売ビデオ!段ボール箱に乱雑に入れられたビデオの中に「カルメン」というタイトルを見つけた。今でも忘れません。VHSテープで500円だった。
早速家に帰って、夜中にデッキに放り込んだ。家人が寝静まるのを待って、こそこそ一人でビデオを見ているのだからなんとも変な感じだ。世代が一緒の方には「11PM」を親に隠れてみているような感覚と言えばお分かりいただけるでしょうか。
ドン・ホセを見たときの私の第一印象は「若かりし頃のチャンバラトリオの故南方英二さんに似ている」だったが、観るほどに、聴くほどに男前に見えてきた。一気に最後まで観てしまい。その美声と男臭さに惹きこまれてしまった。プラシド・ドミンゴの名前もまったく知らない私はただただ感動してしまった。
それにも増して衝撃的だったのは、カルメン役のミゲネス・ジョンソンというソプラノ歌手の奔放でエロチックな演技。「オペラ」は上流階級のためのものという私のイメージは粉々に打ち砕かれた。
ルッジェーロ・ライモンディが歌う「闘牛士の歌」のメロディーが頭から離れなくなり、「オペラ」とは?「カルメン」とは?歌は全く歌えないものの、好奇心がふつふつと湧き出してきた。
こうなるともう止まらない。本屋でメリメの書いた「カルメン」原作小説を、レコード店ではジェシー・ノーマンが歌った「カルメン」のCDを買った。我ながらはまりやすい性格だと思う。
もしかすると、そういう性格を見透かされて「オペラ」に誘われたのかもわからない。
しかし、興味は抱いたということと、歌えるかということは全く別問題。約束の日に、仕事帰りお互い駅で待ち合わせし、お客様の家で「音取り」なるものをしてもらうことになった。
ピアノの前に立った私の喉からは、プラシド・ドミンゴやルッジェーロ・ライモンディとは全く異なる弱々しい声しか出てこない。ピアノの音の通りに歌えばいいだけなのに、すぐにどこか別のところに外れていき、ピアノとハモってしまう。心が折れそうになり、額からは汗が吹き出した。
「今日は、ここまでにしましょう。とにかく録音を繰り返して聴いてください。家内が用意してくれているので晩御飯でも」
あの声を聴かれてしまったのかと思うと、奥様の目をまともに見ることもできず、ひたすら料理とビールを胃袋に流し込んだ。可愛い二人の子供たちの笑顔さえも私の心を苦しめた。
現実に打ちのめされている男を見て、奥様も気を使われたのだろう。「いいお声ですね。頑張ってください」と優しい声をかけていただいた。
「ありがとうございます。頑張ります」
蚊の鳴くような返事とともに、また大量の汗が噴き出した。
続く
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