
【7月31日】バイロイトで逝った痛ましいリストの死
⚫️1848年、フランスのオペレッタ作曲家プランケット(ロベール・1860-)が、パリで生まれています。中でも『コルヌビユの鐘』は、彼の代表作で、日本のオペラ前史においても、帝劇などでさまざまに上演された人気曲でした。(誕生日の1月28日の項参照)
⚫️1886年、リスト(フランツ・1811-)が、バイロイトで亡くなっています。彼の弟子であったシュマルハウゼンによれば、「到着から数日後、ベッドから起き上がれなくなった彼は、あまりの苦しみに精神錯乱状態から昏睡状態に陥る。1886年7月31日、午後11時半、死去。死因は、心筋梗塞による進行性心不全だった」(浦久俊彦「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたか」(新潮新書)より。
(隠れコラムの項参照)
⚫️1977年、水野修孝(1934-)『天守物語』が、テレビ放送で初演。(日本オペラ協会により1979年3月8日に舞台初演)
[コラム]
本当は、オペラ作曲家になりたかった?リスト |
新井 巌(あらい・いわお)
1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。
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