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【オペラ暦】—9月5日—フランス・オペラの寵児マイアベーア、生まれる

【9月5日】フランス・オペラの寵児マイアベーア、生まれる

⚫️1638年、フランス国王(治世1643-1715)ルイ14世(-1715)が、サンジェルマン・アン・レイで生まれました。太陽王と称され、壮大なヴェルサイユ宮殿を作らせたことで有名ですが、音楽やバレエにも造詣が深く、国王陛下の作曲家と呼ばれたリュリ(ジャン=バティスト・1632-87)を起用して多くのオペラ作品を書かせました。なお、亡くなったのは1715年9月1日、ヴェルサイユでした。
⚫️1791年、ドイツ出身の作曲家マイアベーア(ジャコモ・-1864)が、ベルリンで生まれています。彼はパリに進出してから大活躍し、いわゆるグラン・トペラ(グランド・オペラ)形式という壮大かつ大規模なオペラの第一人者となったのです。代表作には、ヴェネツィア滞在時に大当たりした『エジプトの十字軍』、パリでの『悪魔のロベール』『ユグノー教徒』『預言者』『アフリカの女』などは、現在でも欧米の歌劇場レパートリーに取り入れられています。
⚫️1831年、フランスの劇作家サルドゥ(ヴィクトリアン・-1908)が、パリで生まれています。彼は、プッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)の『トスカ』の原作者として知られていますが、他にもジョルダーノ(ウンベルト・1867-1948)の『フェドーラ』も彼の戯曲を基にしての作品でした。いずれも、当時の大女優サラ・ベルナール(1844-1923)のために書き下ろした戯曲です。
⚫️1840年、イタリアのオペラ界の巨匠ヴェルディ(ジュゼッペ・1813-1901)のごく初期の作品『1日だけの王様または偽のスタニスラオ』が、ミラノのスカラ座で初演されています。ただし、この作品は極めて不評だったようで、そのために以後ヴェルディは喜劇オペラからは遠ざかり、最後の作品『ファルスタッフ』で喜劇オペラの大傑作を書き上げたのです。
⚫️1883年、シューベルトの作品番号を整理したオーストリアの音楽学者ドイチュ(オットー・エーリヒ・-1967)が、ウィーンで生まれています。彼はシューベルトの全作品を網羅して番号を振り、D番号(通常はドイチュ番号)と名付けました。


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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