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【オペラ暦】—11月21日—イギリスの大作曲家パーセル、亡くなる

【オペラ暦】—11月21日—イギリスの大作曲家パーセル、亡くなる

【11月21日】イギリスの大作曲家パーセル、亡くなる

⚫️1695年、イギリスを代表する大作曲家パーセル(ヘンリー・1659頃-)が、ロンドンで亡くなっています。彼が残した唯一の完全なオペラ『ダイドーとイーニアス』は、もともとチェルシーの女学校のために書き下ろした室内オペラだったといいます。
⚫️1827年、イタリアのオペラ作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・1797-1848)『劇的都合不都合』(ヴィーヴァ・ラ・マンマ)が、ナポリのテアトロ・ヌオーヴォで初演されています。
⚫️1831年、フランスで活躍したドイツの作曲家マイアベーア(ジャコモ・1791-1864)『悪魔のロベール』が、パリのオペラ座で初演されています。ヴェネツィアでの成功をもとにパリに進出。最初に成功を収めたのが、フランス・グラントペラの傑作であるこの『悪魔のロベール』でした。当時の彼のフランスにおける人気は絶大で、売れなかった頃のワーグナーも彼を頼ったと言われています。
⚫️1901年、ドイツの作曲家シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)『フォイアースノート(火の欠乏)』が、ドレスデンの宮廷劇場で初演されています。彼にとっては処女作『グントラム』に次ぐ第2作目のオペラで、尊敬するワーグナーの影響の強い作品でもあります。
⚫️1977年、ドイツのバス=バリトン歌手シェフラー(パウル・1897-)が、アマーシャムで亡くなっています。(誕生日の9月15日の項参照)
⚫️1984年、ドイツのバス=バリトン歌手ヒュッシュ(ゲルハルト・1901-)が、レーゲンスブルクで亡くなっています。すでに戦前からワーグナーなど、ドイツの正統派歌手として、またリート歌手としても名高く、戦後間もない日本に世界的な名歌手として訪れた第1号でした。その後も芸大をはじめ各地の音楽学校で指導した日本の音楽にとっての功労者でした。(誕生日の2月2日項参照)


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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