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【オペラ暦】—12月24日—名作『アイーダ』が、スエズ運河開通2年後にカイロで初演

【12月24日】名作『アイーダ』が、スエズ運河開通2年後にカイロで初演

⚫️1791年、フランスの劇作家スクリーブ(ウジェーヌ・-1861)が、パリで生まれています。劇作家としても名を残しましたが、フランスのグラン・トペラの台本を数多く手がけ、彼の台本でオペラを書いた作曲家は、フランスではオベール(以下名・生没年略)、マイアベーア、ボワエルデュー、アレヴィ、トマ、グノー、オッフェンバック、さらにイタリアでもロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディなど枚挙にいとまがありません。彼の功績は、パリのオペラ座に面した通りスクリーブ通り(Rue Scribe)にその名を残していることでも立証されるでしょう。(亡くなった2月20日の項参照)
⚫️1882年、このクリスマス・イブに、ワーグナー(リヒャルト・1813-83)は、妻のコージマ(1837-1930)の誕生日(実際は25日)のお祝いとして、滞在していたヴェネツィアのフェニーチェ劇場において、自ら若き日の作品「交響曲ハ長調」を演奏したのです。これが、彼の生涯最後の指揮となりました。
⚫️1871年、イタリアの巨匠ヴェルディ(ジュゼッペ・1813-1901)『アイーダ』が、カイロ劇場で初演されました。このオペラはスエズ運河が開通した記念行事として、エジプト国王から委嘱されたのですが、当時の国際情勢などからその時までには上演は叶わず、2年後のこの日初演されたのです。作曲者自身は出席しませんでしたが、現地での大成功の報告を国王自ら「狂喜した電報」をヴェルディに送ったと言います。
⚫️1927年、アメリカ出身のドイツのソプラノ歌手シュティヒ=ランダル(テレサ・-2007)が、コネチカットで生まれています。本格的なデビューは1949年、トスカニーニ(アルトゥーロ・1867-1957)指揮による『アイーダ』の放送録音で、彼をして“世紀の発見”と言わしめたというのですから幸運なスタートでした。その後渡欧し、ウィーン国立歌劇場を中心にモーツァルトのリリックな役からイタリア・オペラまで広いレパートリーで活躍しました。2007年7月17日、ウィーンで亡くなっています。
⚫️1935年、オーストリアの作曲家ベルク(アルバン・1885-)が、ウィーンで亡くなっています。彼は20世紀前半のウィーン音楽界を牽引した最大の功労者の一人と言っていいでしょう。代表作『ヴォツェック』から、未完の『ルル』に至るまで、彼が現代オペラに及ぼした影響は計り知れません。(誕生日の2月9日の項参照)
⚫️1935年(昭和10)、プッチーニ『トスカ』の日本人による初演を果たしています。新橋演舞場で、藤原義江(1898-1976)がカヴァラドッシを歌っての上演(藤原歌劇団)でした。
⚫️1951年、イタリア出身のアメリカの作曲家メノッティ(ジャン=カルロ・1911-2007)『アマールと夜の訪問者』が、ニューヨークのNBCでクリスマス・イブ番組として初演されました。これは世界初のテレビのためのオペラであり、キリスト降臨の際にベツレヘムを訪れた東方の三博士を題材としたものです。ちなみに舞台での初演は、翌年2月21日。


新井 巌(あらい・いわお)


1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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