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2月の新日本フィル—大いなる独墺音楽の旅

2月の新日本フィル—大いなる独墺音楽の旅

2月の新日本フィルの演奏会では、3シリーズを通してドイツ・オーストリアの作曲家のみが取り上げられた。期せずして、18世紀から20世紀までのドイツ音楽界をダイナミックに俯瞰するような趣となったのではないか。

トパーズとジェイドの2シリーズには、幅広いレパートリーで活躍するドイツの指揮者マルクス・シュテンツがNJP初登場。自身が得意とするヘンツェの作品とメジャーな作品を巧みに組み合わせたプログラムを披露した。
まずはトパーズ(トリフォニー・シリーズ)から振り返りたい。前半はハイドンの交響曲が2品取り上げられた。まず会場に入って驚くのはその配置だ。ヴィオラをステージの中心に据え、低弦・ヴァイオリンを左右に振り分けた完全対向配置が採られた。いわば扇状にオーケストラが広がるような形で、独特の音響が生まれる。一曲目・交響曲第22番「哲学者」の1楽章ではホルンが舞台上手側、イングリッシュホルンが下手側にそれぞれ立って奏で、これらの管楽器の対話に低弦も呼応する。通奏低音的に管を支える弦の動きを視覚化したような趣すらあるではないか。この斬新な配置により、合奏協奏曲の延長としての作品像が明確に印象付けられたのである。続く交響曲第94番「驚愕」は第22番より約30年も後の作曲で、そこにはバロックの延長としてのハイドン像はもはや見られない。トゥッティの堂々たる響きの向こう側には、ベートーヴェン以降すら予見されるのだ。この作品で特に有名な第2楽章では小芝居が盛り込まれた。楽章が始まるとティンパニ奏者がこっくりこっくりと居眠りを始め、それを見かねた下手側のコントラバス奏者が駆け寄って例の強奏箇所でティンパニを叩いて驚かすというものだ。これはなかなか粋であった。だが、本当に「驚愕」だったのはシュテンツの指揮する音楽そのもので、自在なフレーズ造形や絶妙なパウゼ等、膨大な情報量の演奏には舌を巻くばかりだ。ハイドンの2作品の対比は、鮮やかに成功した。
後半はガラリと変わり、ヘンツェの「交響曲第7番」。オーケストラは16型の通常配置となる。ステージの後方に所狭しと並ぶ金属打楽器が生む熾烈な響きは作曲家の語法であるが、楽曲の構成はあくまでベートーヴェン以降の交響曲の伝統にのっとっている。石川亮子氏のプログラムによれば、ヘンツェ自身も「ドイツ的な交響曲」を意識しているようだ。前半のハイドンの開放的な音楽とは真逆と言ってよく、鬱屈たる想念が全編に渦巻くが、シュテンツはそれらをも確かな秩序の下に置く。セクション間のバランスは丁寧に彫琢され、後半―精神を病み塔に閉じこもったヘルダーリンとの関連が示唆される―にあっても確かな流れが保たれる。(数日前に見学した公開リハーサルでも時間をかけて声部のバランスを調整する姿が印象的だった)美醜が矛盾する同居する交錯した世界はマーラーやショスタコーヴィチにも通ずるが、ヘンツェのそれはより情報量が膨大で、情報過多な現代に生きる我々の感性に率直に訴えるものがあるように感じた。前半のハイドンと対照してドイツの「躁鬱」プロであったが、全く違った難しさを持つ作品群をここまでの水準に仕上げた指揮者の力量は恐ろしいばかりだ。新日本フィルの大健闘も目覚ましい。

マルクス・シュテンツ指揮 ヘンツェ「交響曲第7番」©三浦興一

続いてジェイド(サントリーホール・シリーズ)では、職匠歌・メルヒェンというドイツ文化の重要因子にまつわる2作を取り上げ、音楽史上の革新である「英雄」交響曲で結ぶというプログラムが組まれた。ハイドン→ワーグナー→ヘンツェと文脈付けられてきた2プログラムの締めとして、満を持してベートーヴェンを配し、パズルの最後のピースを埋めるという流れも巧妙だ。
まずは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲だが、これがいきなり喜劇的性格を全開にした演奏で大いに驚いた。16型ながら重々しさは些かもなく、その快活な表情にはK.ペトレンコ/バイエルン州立管の名演(2016年ムジークフェスト・ベルリン客演時のアンコールだ)すら想起したほどだ。現代のワーグナー演奏を象徴するスタイルであり、かつ等身大の作品像を提案するものだろう。続くヘンツェ「ラ・セルヴァ・インカンタータ」は題の通り夢幻的な響きが横溢しており、かつ第3部はじめリズム処理の妙にも惹かれる。歌劇が原曲とあってか流れが良く聴き易い作品で、先日の「交響曲第7番」と同じ人物の作品とはにわかに信じ難い。
そして後半のベートーヴェン「英雄」、これがここ数年の在京楽団によるベートーヴェン演奏の中でも随一の衝撃を与える強烈な名演だった。シュテンツはトパーズでのハイドン同様に完全対向配置を採り、全声部に常に大胆な揺さぶりをかけてゆく。フレーズの反復では声部バランスを頻繁に変え、アクセント・強弱も自由自在。どこまでがリハーサルで準備され、どこからが即興的な呼吸なのか分からないほどに指揮者とオケの共同作業ががっしりと一致している。スケルツォからアタッカで突入するフィナーレも凄まじく、シュテンツは新日本フィルを巨大な弦楽四重奏に変貌させたとすら断言できる。
シュテンツとの初顔合わせは、間違いなく今季の新日本フィルのハイライトであろう。彼が得意とするヘンツェ音楽の一つの特徴は折衷主義的な面白さだが、シュテンツもまた伝統と革新を絶妙に折衷する技を持つ稀有な指揮者だ。是非とも再客演を実現させ、再び聴衆に新たな発見をもたらしてほしい。

鈴木雅明 ©三浦興一

ルビー(アフタヌーン・コンサート・シリーズ)では、バッハ演奏の泰斗である鈴木雅明がNJP初登場を飾った。そのバッハは今回取り上げられなかったが、「マタイ受難曲」復活上演で知られるメンデルスゾーンの作品をメインに、ラテン語で神(Deus)を表すD=ニ調のプログラムが組まれた。2017/18シーズンに「宗教改革」を取り上げるのは、当然1517年のマルティン・ルターによる宗教改革から500年という祝賀の意味合いもあろう。
モダン・オケを振る時の鈴木雅明は、バッハ・コレギウム・ジャパンを率いる際とはまた違った表情を見せる。とにかく全編熱く、力強く音楽を推進させてゆく。今回もそうだった。ブラームス「悲劇的序曲」冒頭の打撃から強烈で、かつ粗さとは無縁の雄弁な音楽が広がる。続くハイドンの名作・交響曲第104番「ロンドン」も引き締まったテンポと構築で魅せ、膨大な情報量と熱量の両立からはこのコンビの初顔合わせの成功を確信した。(シュテンツの項で述べなかったが、新日本フィルのハイドン演奏には確固たる自信が感じられて快い)ブラームスでは熱っぽく、ハイドンではやや清楚と、ヴィブラートやフレージングも細かく描き分けられていた。
後半のメンデルスゾーン交響曲第5番「宗教改革」は、ホグウッド改訂の初稿版による演奏。弦は第1楽章のドレスデン・アーメンでヴィブラートを抑えて敬虔に響かせ、緊迫した主題(前半のハイドン『ロンドン』とリズムが酷似している!)では凝縮した響きで邁進した。そして何より、初稿の特徴である第4楽章の経過句が新鮮で、フルートとオケが清澄に魅せる。これが終楽章に現れるコラール「神は我がやぐら」をシームレスに導き、緊密に意味付けされた音の奔流に呑まれるうちに大団円となった。
分厚く華やかな響きを持つモダン・オケの強みを活かしつつ、作曲家ごとの描き分けが光る充実の内容であった。「宗教改革」の終結の響きを聴きながら、2月の新日本フィルが巡ったドイツ・オーストリアの音楽の旅が結ばれる感慨すら覚えた。偶然にしてはやや出来過ぎであるが、よいプログラムをよい演奏で聴く、という至上の喜びに浸った1ヶ月であった。

写真提供:新日本フィルハーモニー交響楽団 Photos by New Japan Philharmonic
文:平岡拓也 Reported by Takuya Hiraoka

新日本フィルハーモニー交響楽団 第583回定期演奏会
2018年2月3日(土)
すみだトリフォニーホール 大ホール

ハイドン:交響曲第22番「哲学者」
ハイドン:交響曲第94番「驚愕」

ヘンツェ:交響曲第7番

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:豊嶋泰嗣
指揮:マルクス・シュテンツ

新日本フィルハーモニー交響楽団 第584回定期演奏会
2018年2月8日(木)
サントリーホール 大ホール

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より 第1幕への前奏曲
ヘンツェ:ラ・サルヴェ・インカンタータ

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔文洙
指揮:マルクス・シュテンツ

新日本フィルハーモニー交響楽団 ルビー〈アフタヌーン コンサート・シリーズ〉 #12
2018年2月16日(金)
すみだトリフォニーホール 大ホール

ブラームス:悲劇的序曲
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」

メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:西江辰郎
指揮:鈴木雅明

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