オペラ・エクスプレス

The opera of today from Tokyo, the hottest opera city in the world

【オペラ暦】—7月7日—なぜオペラを書かなかったのですか?マーラーさん

【7月7日】なぜオペラを書かなかったのですか?マーラーさん

⚫️1860年、作曲家マーラー(グスタフ・-1911)が、カリシュトで生まれています。ウィーン宮廷歌劇場の総監督という指揮者として最高の地位に登りつめた彼ですが、作曲家としてはあまり認められず、「やがて私の時代が来る」と豪語したマーラーは、その予言通り現在では作曲家として不動の地位を築いたのです。また生前、あれほどオペラの指揮をとり、オペラの改革にも情熱を燃やした彼が、なぜ1曲もオペラを残さなかったのか?これは永遠に解けない謎のようです。(ただし、ごく初期の習作的なオペラは書いています)(亡くなった5月18日の項参照)
⚫️1911年、アメリカ代表する(出生はイタリア)作曲家メノッティ(ジャン=カルロ・-2007)が、ガリデアーノで生まれています。裕福な家庭で育った彼は、12歳の時にはオペラを書くなどの早熟な少年でした。ミラノのヴェルディ音楽院で学び、トスカニーニの勧めでアメリカへ渡り、その後『泥棒とオールドミス』『霊媒』『アマールと夜の訪問者』『ブリーカー街の聖女』など数多くのオペラ作品を残しています。


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


COMMENT ON FACEBOOK

Return Top