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【オペラ暦】—11月29日—オペラの巨星たちが、亡くなった日

【11月29日】オペラの巨星たちが、亡くなった日

⚫️1643年、イタリア・オペラの始祖でもあるモンテヴェルディ(クラウディオ・1567-)が、ヴェネツィアで亡くなっています。当初マントヴァの宮廷楽長として数々の名曲を残したにもかかわらず罷免され、その後ヴェネツィアのサン・マルコ大寺院の楽長になり、多くの後継作曲家を育て上げながら、晩年になっても『ウリッセの帰還』『ポッペアの戴冠』などバロック・オペラの傑作を書き上げ、ヴェネツィアで永眠しました。
⚫️1840年、イタリアの作曲家パチーニ(ジョヴァンニ・1796-1867)『サフォー』が、ナポリのサン・カルロ劇場で初演されています。(11月27日のマスネの項参照)
⚫️1797年、イタリアの作曲家ドニゼッティ(ガエターノ・-1848)が、ベルガモで生まれています。貧しい家庭に生まれながら、マイヤー(ジーモン・1763-1845)の創立した慈善音楽学校に入学し才能を開花させ、その後ロッシーニ(ジョアッキーノ・1792-1868)以後のイタリア・オペラの牽引者として活躍。ベッリーニ(ヴィチェンツィオ・1801-35)とともに、いわゆるベル・カント・オペラ時代の代表作曲家として大きな功績を残しました。彼は速書きとして有名で、オペラのあらゆるジャンルに挑戦し、上演された作品として67作と推定されています。代表作としてセリアでは『ランメルモールのルチア』『アンナ・ボレーナ』、ブッファでは『愛の妙薬』『連隊の娘』『ドン・パスクヮーレ』などがあります。
⚫️1924年、イタリアを代表するオペラ作曲家プッチーニ(ジャコモ・1858-)が、ブリュッセルで亡くなっています。『マノン・レスコー』以来、イタリア・オペラ界の人気作曲家としての地位を不動のものとし、20世紀に入ってからも積極的に新しい音楽書法を取り入れながら、しかも多くの人に愛される旋律によって遺作となった『トゥーランドット』まで、ほとんどの作品が世界の歌劇場の主要演目として上演されています。癌を患っていた彼は、放射線療養のためブリュッセルの病院に入院。この日、ローマ法皇の特使の終油を受け永眠したのです。
⚫️1957年、オーストリア出身のアメリカの作曲家コルンゴルト(エーリヒ・ヴォルフガング・1897-)が、ハリウッドで亡くなっています。早熟で11歳の時にウィーン宮廷歌劇場でバレェ音楽が初演され大評判となり「20世紀のモーツァルト」ともてはやされました。20歳の時に作曲したオペラ『死の都』によって、その評価は頂点に達し、シュトラウス(リヒャルト・1864-1949)やプッチーニ(ジャーコモ・1858-1924)にも影響を与えたと言います。34年に渡米し、ハリウッドでは映画音楽を担当し、2度のアカデミー賞を受賞しています。


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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