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”チョン・ミョンフンのカルメン”は絶品 ~東京フィルハーモニー交響楽団 2020年2月定期演奏会

”チョン・ミョンフンのカルメン”は絶品 ~東京フィルハーモニー交響楽団 2020年2月定期演奏会

「(前略)東京フィルのコンチェルタンテ形式上演はオペラをきちんとドラマとして示してくれる。それでも、焦点が普通の上演より音楽そのものに当てられることは確実である。そして東京フィルの2月定期では、その舞台を完全に取り仕切るのが、もはや並ぶものとてそうはいないチョン・ミョンフンの指揮なのだ。彼が選んだキャストたちによって、何よりドラマに強い東京フィルによって「カルメン」の本質が示されることは疑いようもない。(後略)」
手前味噌で申し訳ない、これは公演を前に私が本公演に寄せて書いた文章の抜粋だ。マエストロがインタヴューで事前に話していたこと、オーケストラがSNSで発信してくれたリハーサルの模様、なによりこれまでに何度か触れた彼と東京フィルの公演の印象からほぼ確信していたことだけれど、今回の公演を一言で評するなら”チョン・ミョンフンのカルメン”となる。

今回演奏会形式でオペラを上演するために、オーケストラは「囲いのないピット」に入るような配置になっていた。この配置はオーケストラの定期としては意外だが、東京フィルの場合はこれはこれで”勝手知ったる”というところだろうか。とはいえピットとは違って仕切りなく配置されることで、舞台上のコミュニケーションが密になるだろうことは想像に堅くない。そして今回も、コンチェルタンテ形式の東フィルがよく用いる「舞台前方に歌手用の舞台」が用意された。
しかし今回の配置がもたらす最大の驚きは、指揮者の位置によるものだ。指揮台はステージの最前、客席に一番近い全体を見渡せる場所に置かれていた。これでマエストロはすべての共演者に目配りできる、と同時に、すべての演奏家はマエストロに進行を任せることができる、そんなスタイルになることが配置だけで伝わってくる。プロンプターも演出助手もいない舞台は完全にマエストロのものとなるのだから、舞台上すべての重責はチョン・ミョンフンにかかってくるわけだ。しかも、彼はこのオペラ全曲を指揮するにあたって譜面台なしの暗譜で演奏した。いくら名曲で何度も上演していたとしても、ここまでの重責をこなすというのは圧倒的な離れ業と評するしかない。

だがこれだけを持って”チョン・ミョンフンのカルメン”と言いたいのではない。指揮者の名で演奏を呼ぶ時、そこにはどこかワンマン体制が示唆される。だがこの公演はそれどころかむしろ、共演者の美点を引き出しながら「この作品、最高に面白いねえ!」とでも言い合っているような親密なアンサンブルがドラマをより雄弁に描き出した。アマチュアリズムにも通じる作品愛が根底にありながら、児童合唱のメンバーに至るまで各人が最高のプロフェッショナリズムで名作の真価を示してくれた。
では何故、それでも”チョン・ミョンフンのカルメン”なのか、といえばそれは彼が信頼する共演者を家族として大切にするスタンスあってこその演奏だったと思うから、である。すでにフィレンツェでの本作で共演済みのマリーナ・コンパラート、マエストロの母国の名男声歌手二人、ウィーン国立歌劇場契約歌手のアンドレア・キャロルらキャストも、過去にも共演している新国立劇場合唱団も、マエストロにはお孫さんの世代になるのだろう杉並児童合唱団も、東京フィルと同様に家族としてマエストロに遇されて共に同じ作品に向き合った結果がこの充実した「カルメン」の舞台だったのだ。

ちょっと先走ってしまった。配置を見た段階で冒頭においた一文が「ああ、当たっていたな」と若干安堵したのだが、終演してみれば暗譜での上演でありながら随所で新鮮な響きや表情を作り上げたマエストロの技に圧倒された、というのが率直な思いだ。作品を知るからこそできる表現の作り込みが随所にありながら、全編通してスリリングにドラマが展開される様は、先ほど指摘した重責を考え合わせれば圧倒されるしかない。原典に近づけたアルコア版を用いさらに説明的なやり取りを大きく刈り込んだことで、ギローのレチタティーヴォ版では出せないスピード感を作り出し、この作品が本来持つ力強さ、乾いた緊張感をより高めた。考えてみればこの作品の登場人物はほとんどがアウトローの流れ者たち、作品内にほとんど心温まる場面などないのである…その作品をスピーディに描くことの説得力は実に大きく、ドラマとしての「カルメン」についても新鮮な発見のある舞台だった。

「でも演奏会形式は舞台セットがないから、衣装をきっちり作り込まないから、…」スペイン的な雰囲気は期待できないのでは、そんな不安はマエストロと東京フィルが生み出した多彩な響きによって完全に覆された。当時のフランス・オペラの常道としての「異国を舞台にしたドラマ」を、音だけの描出でここまで聴き手に届けられるものか、と感心させられた場所を挙げていくならば全曲をまた聴きたい!とわがままを言うしかない、そう感じるほどだ。緩急にしても強弱にしても、ここまで雄弁に描かれた作品だったのかと思わされたところばかり、あらためてこの作品を称揚したニーチェの慧眼に感心させられた思いだ(もちろん、あれはワーグナーへの嫌味だったのだとは思うがそこはそれ、こういうのは作品のチョイスに失敗していたらそれこそ目も当てられないのである)。

マリーナ・コンパラートのカルメンは得意役だけに歌唱にもちょっとした振舞いも役柄も充実したものだった。ドン・ホセは率直に言って損な役どころではあるけれど、キム・アルフレードは力強い歌唱で役の弱さを覆そうかという力演を示した。ミカエラのアンドレア・キャロルは開幕早々に存在感を示し、その役以上の印象を残した(原作にない役どころなので、このドラマの幕切れでは存在すらない役だというのに)。エスカミーリョのチェ・ビョンヒョクはもう少し力押しでもいい役どころでは?とも感じたが、人気者としての立ち位置を柔らかい歌唱で示した、とも受け取れるだろうか。
東京フィルの演奏は、マエストロとの信頼関係そのままに充実したものだった。こんなカルメンなら何度でも聴きたい。

とは言いながら、ただ一点、いや二点だけ言っておきたい。
残念に感じた一つは男性陣の衣装である。基本的に演奏会そのものとして示された「カルメン」だったのだから当然なのだけれど、ホセとエスカミーリョが視覚的にはまったく対比されなかったのは惜しい。女声陣が対照的な二人の役どころを衣装を印象的に活かして示していたから感じたポイントではあるのだけれど、たとえばポケットチーフひとつでも色一つでキャラクターの印象を大きく変えられたのではなかっただろうか。
そんな僅瑕にあえて言及するのは画竜点睛というやつで、完成していなければさらに上を期待だろう、という欲張りな私の願望でしかない。

もう一点はもっとシンプルな話だ。これだけの演奏が最大でも三度しか楽しめず、せっかく集った”家族”もこれきりになってしまうことが実に残念、という少々欲張りな要望である。「カルメン」ならいくらでも上演があるよ、もう何度も聴いてきたよ。そんな気持ちが最初の一音で消えてしまった私から、何かの機会を捉えての再演を強く要望したい。

と、こと程斯様に”チョン・ミョンフンのカルメン”は絶品、であった。東京フィルの次回定期は3月、プレトニョフとの「わが祖国」である。昨今の状況を鑑みると微妙なタイミングではあるのだが、1月のバッティストーニ、今回のチョン・ミョンフンとはまた違う個性で東京フィルを輝かせるマエストロの登場を期待したいものだ。
文:千葉さとし

東京フィルハーモニー交響楽団 2020年2月定期演奏会
ビゼー/歌劇『カルメン』(演奏会形式)
2020年2月23日(日・祝) 15:00開演 
会場:Bunkamuraオーチャードホール

指揮:チョン・ミョンフン
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮・冨平恭平) 杉並児童合唱団(児童合唱指揮・津嶋麻子)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

キャスト 役名(声域):歌手名の順

カルメン(メゾ・ソプラノ):マリーナ・コンパラート
ドン・ホセ(テノール):キム・アルフレード
エスカミーリョ(バリトン):チェ・ビョンヒョク
ミカエラ(ソプラノ):アンドレア・キャロル
スニガ(バス):伊藤貴之
モラレス(バリトン):青山貴
ダンカイロ(バリトン):上江隼人
レメンダード(テノール):清水徹太郎
フラスキータ(ソプラノ):伊藤晴
メルセデス(メゾ・ソプラノ):山下牧子

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