オペラ・エクスプレス

The opera of today from Tokyo, the hottest opera city in the world

オペラ史上画期的な上演となった「びわ湖リングの最終夜」 《神々の黄昏》を森の中でクルマを走らせながら聞く

オペラ史上画期的な上演となった「びわ湖リングの最終夜」 《神々の黄昏》を森の中でクルマを走らせながら聞く

今年はいろんなことが思い通りにいかず。「びわ湖もパス」だった。もともとの予定が。それが図らずも、びわ湖ホールにいかないでもこの今年の力作を鑑賞できることになったのだ。被害も拡大している上に、影響もかなり広範囲に広がり、いつまで続くかもなかなかわからないという状況になりつつある今、正直こういうのはどうかと思う。

しかし「うれしい誤算だ」というのが率直な感想である。

もう少しで春。この時期にリングを聴くことは日本人にとって特別なことではないだろうか。もちろん、それをもっとも強く感じさせるのは《ラインの黄金》かもしれない。寒い冬が過ぎ去り、3月の声とともにあちこちで少しずつ春の気配を感じさせてくれる。これがこの国の風土である。

現に普段は自動車ライターをしている小生も、もろもろ日々を生き抜くためとて、様々な仕事で奔走しているが、ここ数年、3月は少しだけ時間を取って、試乗を兼ねて長距離の旅に出かけてきた。この国の道を走るとそんなこの時期ならではの「春の兆し」に出会うことができる。

それが今年は私の身の上も休みが取れずそれを半ばあきらめかけていたのだ。その道中でびわ湖ホールに立ち寄って、などと言うこともしばしばあったものの、当然我慢ということになってしまった。加えて、忽然と浮上した新型コロナウイルスの影響で予定が大幅にキャンセル。

仕方なしにかねてから宿題になっていた最近の新型車の試乗くらいしかすることがなくなってしまった。他方びわ湖ホールのオペラも、観客を入れての上演を見送り、無観客上演という手段をとることにしたと発表された。その様子をyoutubeで配信するというチャレンジとともに。ここで、私の中で春の楽しみである「クルマでの旅」と「びわ湖でのオペラ鑑賞」がつながった。

おそらくオペラ史に残る画期的な変革

今回のびわ湖ホールの判断は、もしかするとオペラ史に残る変革になるのではないか、と個人的には感じている。今回の上演方法はさらにオペラに再び注目を集めるきっかけに関しての示唆を含むものだったといえるのではないだろうか。

もうほぼ完成しきってしまったすべてのプロダクション、本番の予定も押さえられて振替の利かない当日の出演者はじめ、あらゆることが「キャンセルできない状況」であるのにもかかわらず「上演の実行」という事実だけをあきらめなければならない状況だったというタイミングの妙が影響したとはいえ、そこで、無料でyoutubeで配信するという方法で「穴をあけない」ことができたのだ。

人間は天災や疫病の類には古来屈してきた。オペラはそういう人間の生い立ちという観点では、少しだが昔の文化だ。今この現代社会の中では、胸を張って「古典」と言える文化の一つであることは間違いない。

その古典が、今どきのやり方で、屈しなかったのだから。こういうことは今までのオペラにはなかなかなかったことではないかと思っている。

もっとも、急ごしらえゆえ?の課題もないわけではない。最近では一般的な字幕の扱いは?また、アングルがもう少しバラエティ豊富でもという気はする。ただ、この点も、まさに間もなく開始される5G回線の一般化とともに様々な改良改善が映像コンテンツ全体に広がっていくことが期待される。

日本でさえ、「トスカ」「蝶々夫人」以外の演目をもっと観る機会が増える?

メトロポリタン歌劇場のライブビューイングは近年すそ野を広げ、もっと自由にオペラが楽しめるスタイルへと舵を切ることに大きな役割を果たしたといえるだろう。劇場に足を運ばずともオペラが観られるということで言えば、今回も似ている。

しかし無料開放である、今回は。これは実は貨幣価値、資本主義への疑義という一石も投じているのではないだろうか。オペラプロダクションを成立するためにはお金がかかる。だからこそスポンサーをつのり、高いチケットを販売してきた。そうすれば自ずと上演する演目も決まってくる。

準備期間に相当の時間がかかる中、実際に地方オペラなどはこの時期にこのエリアはこの演目があるので上演演目、キャスト、席種の価格設定などをそろばんをはじいて、製作可能かどうかを見極めるという作業をするケースもあるという話を聞いたことがある。

とはいえ、お金。それがオペラだ。そういう事情を工面して、運営してきたのがオペラではないだろうか。しかし「無料公開」をした。この判断自体が英断だ。舞台芸術が避けて通れない製作費の呪縛から、少なくとも解き離れようとした、そうせざるを得ない判断だからだ。ホール存続自体が危ぶまれかねない判断だ。もしかすれば、ふたを開けたら取り返しのつかないことにならないとも限らない。けれども、2020年、日本では令和になったこのタイミングで、この判断が導かれたことの意義は大きいと思う。

あるいは、今回単体では経営的に打撃を及ぼすかもしれないが、これだけの発信力でもこれくらいの視聴者数が確保できるとなれば、こうした方法を上演のプログラムに組み込んでいくことで、さらにファンを増やし、劇場の活性化と普段からのコミュニケーションの高密度化を実現でき、名簿管理でDMを送るための会員制度などではなし得ない可能性があるのではないだろうか。

視聴者数のカウンターがyoutubeにはある。ここを時々注目していたのだが、上演中は11000人台で推移している。直前のアナウンスで、政府の方針もあって、在宅率が特に高いという事情はあるにせよ、これだけの人が見ていたのだ。

しかもSNSを見ていると、前日の上演に続いて2日連続で見るということを楽しんでいる人も。実はこれが私のオペラ好きになったきっかけでもあるのだが、つぎはぎで一本の演目のDVDや、その昔のレーザーディスクではなく、ライブであるからこその差異こそオペラなど生のライブの魅力なのである。

しかし「無料公開」をした。この判断自体が英断だ。舞台芸術が避けて通れない製作費の呪縛から、少なくとも解き離れようとした、そうせざるを得ない判断だからだ。ホール存続自体が危ぶまれかねない判断だ。もしかすれば、ふたを開けたら取り返しのつかないことにならないとも限らない。けれども、2020年、日本では令和になったこのタイミングで、この判断が導かれたことの意義は大きいと思う。

性質上「広告収入」というのも難しいかもしれないが、それ以上の価値をフォロワー数で手に入れることに成功していることは間違いないだろう。

結果的に資本主義からの呪縛に大鉈を振るったような形での上演となった演目が、指輪の呪縛に神々が翻弄されるニーベルングの指輪の第三夜「神々の黄昏」であることは皮肉、というか、一層象徴的に目に移ってしまうところであるが。

ともあれ、こうした動きで日本ばかりでなく、世界のオペラがもっと活性化し、この国で言えばトスカや蝶々夫人に寄らない様々な演目のオペラが上演されるようになることを期待しないではいられない。あれは感動するが、あの上演数はちょっとおなかいっぱいだ。完全に売れるチケットの枚数が前提になっている公演も少なくはないと思うから。

ステアリングを握りつつライン川流域にまで足を延ばした気分

今回どうしても中止にしなかったのは《神々の黄昏》だったからということはあるかもしれない。《ワルキューレ》や《ジークフリート》だったらもしかすると延期という判断が下った可能性も、あるいはあったのかもしれない。

けれども、4年がかりで仕上げてきた「びわ湖リング」の集大成。音に集中して聴いてきたから猶更かもしれないけれど、音にキャラクターがある「ワーグナーの音」だったように感じた。キャストの演唱もその通り。イタリアの演目はかなり練れてきたものも少なくないが、ドイツ、特にワーグナーのものはとかく新奇に走りがち。もう少し浮足立たない、堅実で説得力のある演出を期待したいような舞台も時に見受けられる。今回はその点しっかりとドイツ的な、ワーグナーのライティングに寄り添ったプロダクションに仕上がっていたと感じた。上演方法が直前に特異なスタイルになるという点、こればかりが注目されるかもしれない公演になってしまったが、音楽的にも大いに評価されるべき仕上がりだったと思う。そしてこうしたワーグナーが日本で聴けるのは個人的に喜びたいところ。そんな風に振り返るところだ。

ただ、今回筆者はマツダ株式会社から拝借したMAZDA3(セダン XDプロアクティブ ツーリングセレクション AWD)の試乗中に純正オーディオ(BOSEのプレミアムサウンドシステムではなく標準装着されているもの)にiPhoneを繋いで鑑賞していた。従って舞台については十二分に観ることがでず、時折クルマを止めてiPhoneを覗き込んだ時に限られた。残念である。

同シリーズのクルマを初めて借りだしたので、少し足を延ばし、千葉県から茨城県を抜け、福島県に入ったあたりまで足を延ばしそこから白河方面にクルマを進めた。勿来の関を抜けて、春を待ちわびるまだ冷え込んだ山林の中を抜けつつあるあたりでクルマの中にびわ湖での《神々の黄昏》が鳴り響いていた。もう少しで阿武隈川の上流域というあたりだが、まるでライン川に沿ってクルマで旅でもしているかのような気持ちになった。

想いを馳せる。個人的にはオペラを観て想いが馳せるかどうかは大事だと思っている。オペラの中で描かれているのは大なり小なり旅なんじゃないだろうか。そう思うから。

びわ湖もさることながら、大阪、九州でも意欲的なプロダクションを上演する機会が多い。そういった際は、道中、行きは演目に想いを馳せ、帰りは公演を振り返り噛みしめるものだ。オペラで描かれたものが旅なら、それを自分も旅の中に織り込んで咀嚼し、心ばかりでなく、体内に吸収させておきたい。そんな風に常々思っている。

びわ湖で今上演している《神々の黄昏》を南東北の林の中を駆け抜けながら聴く。こうしたオペラ鑑賞はまた画期的だ。そしてもっと自由なスタイルで聴きながら、オペラが傍らにある暮らしをこれからもしていきたいもの、そんなことを思った「びわ湖リング」の最終夜は那須の山々の彼方へ沈みゆく西日とともに幕を下ろしていった。

ところで、ワーグナーは長い、と思っておられる方はおいでだろうか。そういう方もホッとされたかもしれない。なぜならこういう鑑賞スタイルなら、もうあなたのペースで聴けるのだから。でも、もしかすると、気に入った音響機器で聴き入ってしまって「ワーグナーは長いのが苦手」というその意識が薄れる可能性もあるわけだが。

黄昏たらやがて日は昇。いろんな意味でそう思えた《神々の黄昏》。今後のオペラへの期待が膨らむ。

(自動車ライター 中込健太郎
 
 @doubleclutchll1
 https://www.facebook.com/kentaro.nakagomi
 

当該公演情報のページが見当たらないため、びわ湖ホール舞台芸術基金のページにリンク致します。
https://www.biwako-hall.or.jp/theater/kikin.html

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


COMMENT ON FACEBOOK

Return Top