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【オペラ暦】—9月8日—ドヴォルザークではなく、ドヴォジャークと呼びましょう

【9月8日】ドヴォルザークではなく、ドヴォジャークと呼びましょう

⚫️1760年、イタリアの作曲家ケルビーニ(ルイージ・-1842)が、フィレンツェで生まれています。(9月14日という説もあり)ケルビーニの生涯を3期に分けるとすると、その2期目に多くのオペラを書き、ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・1770-1827)の『フィデリオ』にも影響を与えた救出オペラ『二日間』や『メーディア』『ロドイスカ』などを書いています。
⚫️1815年、ヴェルディ(ジュゼッペ・1813-1901)の生涯の伴侶となったソプラノ歌手ストレッポーニ(ジュゼッピーナ・-1897)が、ロディで生まれています。『ナブッコ』初演の際にアビガイッレを歌い、以来ヴェルディから信頼を受け、のちに後妻としてヴェルディに献身的に尽くしました。『トラヴィアータ』は、彼女の辛い前半生をイメージして創作されたとも言われています。
⚫️1841年、ボヘミアの作曲家ドヴォルジャーク(アントニーン・-1904)が、プラハ近郊で生まれています。現地語では、ドヴォジャークに近い発音といわれていますが、まだまだドヴォルザークという呼び方が一般的なようです。本来ならなるべく言語に近い発音に訂正すべきでしょう(以後、このコラムではドヴォジャークと表記します)。10作近いオペラを書いていますが、現在よく上演されるのは『ルサルカ』のみです。(亡くなった日の5月1日の項参照)
⚫️1928年、戦後のオペラ界のスター的な存在だったテノール歌手の五十嵐喜芳(きよし・-2011)が、神戸で生まれています。日本人離れした甘いリリックなテノールは、イタリア・オペラでその本領を発揮。藤原義江(1898-1976)亡き後は藤原歌劇団の総監督となり、さらに1999年から2003年まで新国立劇場オペラ芸術監督を務めています。
⚫️1929年、ドイツの指揮者ドホナーニ(クリストフ・フォン・)が、ベルリンで生まれています。祖父はハンガリーの作曲家エルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)。オペラと管弦楽とともによくし、とくにハンブルク国立歌劇場音楽監督時代には、新作オペラや新演出を積極的に起用し大きな反響を呼びました。今日で86歳。
⚫️1974年、戦後最高のヘルデン・テノールと言われたヴィントガッセン(ウォルフガング・1914-)が、シュトゥットガルトで亡くなっています。同地の歌劇場の監督も務め、演出にも意欲を見せましたが、この日心臓発作で亡くなったのです。彼の名を一躍高らしめたのは1951年バイロイトでの『パルジファル』でした。その後、ニルソン(ビルギット・1918-2005)とのコンビで『トリスタンとイゾルデ』や『指環』を歌って、ワーグナー・フアンを熱狂させました。(誕生日の6月26日の項参照)
⚫️1995年、オーストリアのバス=バリトン歌手クンツ(エーリヒ・1909-)が、ウィーンで亡くなっています。主としてウィーン国立歌劇場で活躍し、宮廷歌手の称号も得ています。とくにレポレッロやフィガロなどでは軽妙な演技と歌唱によって人気を集めました。また、彼の歌ったドイツの学生の歌も素晴らしいものでした。(誕生日の5月20日の項参照)


新井 巌(あらい・いわお)

1943年、東京に生まれる。レコード会社を経て広告界に転じ、コピーライターとして活躍。東京コピーライターズクラブ会員。中学生の頃からクラシック音楽にひたり、NHKイタリア歌劇団の『アンドレア・シェニエ』日本初演を観劇したことが自慢の種。フェニーチェ劇場焼失の際には、再建募金友の会を主宰し、現在は「フェニーチェ劇場友の会」代表。日比谷図書文化館で「オペラ塾」を定期的に開催している。オペラ公演プログラムの編集にも携わっている。

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